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2007/03/03

南北に東西越える劇を見る

 過日、『日本史を読む』(丸谷 才一vs山崎 正和対談、中公文庫)を読了した。
 その中で、鶴屋南北(の芝居)はシェイクスピア劇の影響を受けているのではという指摘があった。

 シェイクスピア著『ロミオとジュリエトの悲劇』(本多顕彰訳、岩波文庫)なる本がある。
 映画は見ていないが、さすがに「ロミオとジュリエト」は読んだことがある。ずっと昔のことで、読みの浅い小生のこと、単なる悲恋ものという先入観を打ち破れたものかどうか覚束ない。

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← 豊国「糸や娘おふさ 岩井半四郎」(「心謎解色糸」より)

 この本の宣伝文句は、下記のようである:

五幕二十四場よりなるシェイクスピア初期の恋愛悲劇.積年のうらみをいだいて対立するヴェローナの二名家,モンタギューの青年ロミオと,キャプレットの美女ジュリエトの悲恋物語は,わが国でも古くは鶴屋南北が「心謎解色糸」として翻案し,またグノーの歌劇によっても紹介された.華麗な,みずみずしい抒情にあふれた傑作である.

 今更ながらなのだろうが、「(前略)悲恋物語は,わが国でも古くは鶴屋南北が「心謎解色糸(こころのなぞとけたいろいと)」として翻案し」という説明に引っかかった。

 これを読む限り、鶴屋南北(1755年-1829年)はシェイクスピアの作品を読み、彼なりに翻案したことは明らかであるように理解される。
 自明のことなの?
 歴史的事実?

 頼みの「鶴屋南北 - Wikipedia」の記述は、やや素っ気無い。
 ここでは、「おもな作品に、「天竺徳兵衛韓噺(いこくばなし)」、「於染久松色讀販(うきなのよみうり)」「心謎解色糸」、「謎帯一寸徳兵衛」、「容賀扇曽我」、「八重霞曽我組糸」、「隅田川花御所染」、「東海道四谷怪談」などがある」だけメモしておく。

 ネット検索してみると、「シェイクスピア悲劇 『ロミオとジュリエット』 メモ: 縮められた時間|Pの食卓」なるブログが見つかった。

 冒頭に、下記のようにあるのは、小生には痛棒の指摘である:

『ロミオとジュリエット』は恋の悲劇だ。
と、一言で説明できないところにシェイクスピアらしさを感じる。
主なプロットは二人の若者の恋にあるが、その根幹、悲劇の大元となるところには、
「対立し合う貴族たちをコントロールできなくなったとき、どのような事態になるか」
という大きな政治的なテーマが大前提としてある」

 三十年ぶり(それ以上かも)に読み返してみないと。

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→ 豊国「お祭左助 尾上松助」(「心謎解色糸」より)

 さて、気を取り直して…。

『ロミジュリ』のタネ本話があって、その上で、「ちなみに、『ロミジュリ』は海を渡り、日本へも来ていたようだ。鶴屋南北(四世)が作った『心謎解色糸』(こころのなぞとけたいろいと)と共通点が多い。もしかしたら鶴屋南北が『ロミジュリ』の話を聞いたのではないかと言われる」とある。
 鶴屋南北へのシェイクスピア劇の影響は、少なくとも『ロミジュリ』などシェイクスピア作品を読む方には、あるいは芝居好きな方には、(断定は避けているものの)常識に類する扱いとなっているらしい。

 まずは話の内容を見ておくことが先決だろう。
アジア文化研究プロジェクト」(諏訪春雄氏)の中の、「諏訪春雄通信 126」には、「五 南北の生世話 1 『心謎解色糸』」という項目がある。
 作品の詳細な分析は上掲の頁を参照願うとして、話の筋は下記のようだ:

 大名赤城家の紛失した重宝定家の色紙詮議の筋にお糸左七、お房綱五郎の二組の恋がからむ。赤城家の家臣山住五平太は恋慕している深川芸者のお糸を身請けする金をととのえるために主家の重宝定家の色紙をぬすみだして質に入れた。赤城の家臣本庄綱五郎は色紙紛失の罪をひきうけて浪人する。
 
 本町糸屋の妹娘お房は浪人した綱五郎と恋仲になっていた。お房に横恋慕している番頭の佐五兵衛はお房の婿取りの話をさまたげるためにあとで蘇生する毒薬をお房に飲ませた。綱五郎は、墓地からお房をほりだして蘇生させ、夫婦になった。
 
 お糸は鳶の者お祭り左七とふかい仲になっていた。その左七が詮索している色紙を入手するため、心ならずも左七に愛想尽かしして誤解した左七に殺害された。赤城家の若党十右衛門は半時九郎兵衛と名をあらため、糸屋の姉娘小糸とともに悪事をはたらいていたが、左七に命をたすけられて前非を悔いあらため、色紙詮議に協力した。色紙は無事にもとにもどる。

(「浮世絵閲覧システム - 検索結果」で、「心謎解色糸 」なる狂言に登場する人物を演じる役者の浮世絵画像(豊国)を見ることが出来る。)

 諏訪春雄氏は、南北の生世話(きぜわ)の特色を以下だとされている:

1.下層の庶民風俗の描写
2.当時の江戸語によるせりふ
3.テンポのよい場面転換
4.笑いの対象とされた死

 但し、読まれて分かるように、さらに南北の特色を掘り下げているのだが。特に、「江戸後期社会の市井の無頼の表現が存在する」(落合清彦氏)は留意しておいていいだろう。

 では、『ロミジュリ』の話とは。
 こちらは、悲しいかな日本の南北の作品より有名で読まれてもいる。
 ここでは、「ロミオとジュリエット - Wikipedia」から、「テキスト中には過剰なまでの冗談や乱暴な語句、猥談的やりとりが見受けられ、ファルス(卑俗的笑劇)としての要素が、シェイクスピアの他の悲劇作品的よりも明らかに強い」という点を特筆しておく。

 ストーリーは、上掲の頁を見てもらうとして、注目すべきは、「ジュリエットは、ロレンスに助けを求める。ジュリエットをロミオに添わせるべく、仮死の毒を使った計略を立てるロレンス。しかしこの計画は追放されていたロミオにうまく伝わらず、ジュリエットが死んだと思ったロミオは彼女の墓で毒を飲んで死に、その直後に仮死状態から目覚めたジュリエットもロミオの短剣で後を追う。事の真相を知った両家は、ついに和解する」という中の、特に「仮死の毒を使った計略」にある。

 そう、南北の「心謎解色糸(こころのなぞとけたいろいと)」でも、「お房に横恋慕している番頭の佐五兵衛はお房の婿取りの話をさまたげるためにあとで蘇生する毒薬をお房に飲ませた。綱五郎は、墓地からお房をほりだして蘇生させ、夫婦になった」という点が眼目(の一つ)なのである。

 尤も、「仮死の水薬を飲む過程」というアイデアそのものは、イタリアなどでは古来よりあったらしい。
 なので、シェイクスピアの影響なのか、あるいは南蛮渡来の原書の中に、そんな趣向の物語があったのかもしれない。
 まさに翻案モノの所以なのか。

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← 豊国「[本]庄綱五郎 坂東三津五郎」(「心謎解色糸」より)

 鶴屋南北へのシェイクスピアの影響に付いては調べきれなかったが、たとえば、「冬物語とシェイクスピアの魅力」(佐々木昌子氏談。この頁の中の「世界に広まるシェイクスピア」なる項目)を読むと、「シェイクスピアが世界中に広く普及したのは,英国が強かったから,というのがいちばんの原因であ」り、「世界中からシェイクスピアの中に入り込み,また出ていっているのである。鶴屋南北は,日本のシェイクスピア的な存在だと思うが,これほどの幅の広さはない」という。

 シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」は初期の作品であり、以後、シェイクスピアの劇は性格劇へと深められていく。
 一方、鶴屋南北も彼なりに深化させ、『東海道四谷怪談(あずまかいどうよつやかいだん)』に至るわけである。

 この話でも、毒薬が狂言回しの小道具として使われている。
 詳しくは、「四谷怪談 - Wikipedia」参照。
 随分と血腥い、男女の愛憎の話だが、シェイクスピアの最初期の悲劇である「タイタス・アンドロニカス」 には到底、叶わない。
 伊右衛門の卑劣さエゴが描かれているが、むしろ、彼の、あるいは男の弱さを赤裸々に描いているようにも思える。追うと強いが(女に)追われると途端に臆病者に成り果ててしまう。影にさえ怯えてしまうのだ。
 欧米の劇の苛烈さと惨さには到底、敵わない(敵う必要もないが)。
 映画「『タイタス』Titus (1999)」参照のこと。

 なお、本稿においては参照し切れなかったが、「道化としての鶴屋南北」が面白かった。

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