藤原新也…鳥葬も地・水・火・風の証かも
[表題の「鳥葬も地・水・火・風の証(あかし)かも」については、「鳥葬」なる頁など参照。]
「3月4日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗いてみる。
気になる事件や人物が少なからずいる。
今日が誕生日の人というと、『四季』のアントニオ・ヴィヴァルディ、『カインの末裔』『或る女』の有島武郎(高校時代に『或る女』を読んだ興奮は今も鮮やか。ガッカリしたくないので、未だに再読を控えている)、理論物理学者のジョージ・ガモフ(ガモフの本には随分、お世話になった)、俳優の天知茂、写真家の藤原新也……。
← ジョージ・ガモフ著『不思議の国のトムキンス 新版ガモフ全集1』(白揚社) 小生はまるで理解など及ばないながらも、中学生の頃、読み漁っていたっけ。懐かしさもあって、91年頃に出た『G・ガモフコレクション』(白揚社)を揃えようとした。中途でやめたけど。
今日が忌日の人には、考古学者のシャンポリオン、俳優でもあったアントナン・アルトー、歴史学者のカール・ヤコブ・ブルクハルト(学生時代、ブルクハルト著の『イタリア・ルネサンス期の文化』( 柴田 治三郎訳、中央公論社・世界の名著)も読んだが、カール・レヴィット著『ブルクハルト── 歴史の中に立つ人間』(西尾幹二/滝内槙雄訳、TBSブリタニカ)を読んだっけ。本書を読んだのは、小生、何故かカール・レヴィットの著作に魅せられていたこともあり、また、確か、ブルクハルトというのは、ニーチェが畏敬の念を抱いている人物だったからでもあって、これらの関心事を同時に満たしてくれる本ということで選んだような)、鈴木信太郎(ボードレールの『悪の華』)……。
アントナン・アルトーなど、小生が採り上げるはずはない…が、ネット検索してみたら、浮上してくる。
が、案の定、名前だけ言及している:
「バタイユ著『宗教の理論』」
この小文の原題は、「バタイユ著『宗教の理論』を読まず」だった。
実際、バタイユ著『宗教の理論』を読んでの感想文を綴るはずが、ほとんど独白調になっている。バタイユのことなど(アルトーは論外だし)すっかり忘れ果て…:
エロティシズムへの欲望は、死をも渇望するほどに、それとも絶望をこそ焦がれるほどに人間の度量を圧倒する凄まじさを持つ。快楽を追っているはずなのに、また、快楽の園は目の前にある、それどころか己は既に悦楽の園にドップリと浸っているはずなのに、禁断の木の実ははるかに遠いことを思い知らされる。
快楽を切望し、性に、水に餓えている。すると、目の前の太平洋より巨大な悦楽の園という海の水が打ち寄せている。手を伸ばせば届く、足を一歩、踏み出せば波打ち際くらいには辿り着ける。
が、いざ、その寄せ来る波の傍に来ると、波は砂に吸い込まれていく。波は引いていく。あるいは、たまさかの僥倖に恵まれて、ほんの僅かの波飛沫を浴び、そうして、しめた! とばかりに思いっきり、舌なめずりなどしようものなら、それが実は海水であり、一層の喉の渇きという地獄が待っているのである。
どこまでも後退する極楽。どこまでも押し寄せる地獄。地獄と極楽とは背中合わせであり、しかも、ちっぽけな自分が感得しえるのは、気のせいに過ぎないかと思われる悦楽の飛沫だけ。しかも、舐めたなら、渇きが促進されてしまい、悶え苦しむだけ。
何かの陥穽なのか。何物かがこの自分を気まぐれな悪戯で嘲笑っているのか。そうなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。しかし、一旦、悦楽の園の門を潜り抜けたなら、後戻りは利かない。どこまでも、ひたすらに極楽という名の地獄の、際限のない堂々巡りを死に至る絶望として味わいつづける。
明けることのない夜。目覚めることのない朝。睡魔は己を見捨て、隣りの部屋の赤い寝巻きの女の吐息ばかりが、襖越しに聞え、女の影が障子に悩ましく蠢く。かすかに見える白い足。二本の足でいいはずなのに、すね毛のある足が間を割っている。オレではないのか! オレではダメなのか。そう思って部屋に飛び込むと、女が白い肌を晒してオレを手招きする。そうして…。
夜は永遠に明けない。人生は蕩尽しなければならない。我が身は消尽しなければならない。そうでなければ、永劫、明けない夜に耐えられない。身体を消費しなければならない。燃やし尽くし、脳味噌を焼き焦がし、同時に世界が崩壊しなければならない。
そう、我が身を徹底して破壊し、消尽し、蕩尽し、消費し尽くして初めて、己は快楽と合体しえる。我が身がモノと化することによって、己は悦楽の園そのものになる。言葉を抹殺し、原初の時が始まり、脳髄の彼方に血よりも赤い光源が煌き始める。宇宙の創始の時。あるいは終焉の祭り。
書いてから3年にもならないのだが、妙に懐かしい文章だ!
→ 藤原新也著『印度放浪』(朝日文庫) 本書を読む時間を取れない人は、せめて、「読書ノート - 印度放浪」など覗いてみるか。
さて、今日は、写真家の藤原新也を簡単にメモっておきたい。
「写真家 藤原新也オフィシャルサイト」の表紙が面白い!
写真じゃないのだ。
「Shinya talk」なるブログ(?)は、いかにも彼らしく(?)、思いっきり飛び飛び。
藤原新也自らの手になる「藤原新也物語」が面白い。(注意 → コメント欄を参照!(07/03/07記))
「人間は犬に食われるほど自由だ」という彼の有名なコピー(?)にも出会えるし。
「memento mori ~死を想え~」なる世界は、藤原新也ならではかも。
無論、「Photo Gallery」を覗かないなんて、ありえない!
では、小生が初めて藤原新也の世界に触れたのはいつのことか。
それは小生の下宿時代のことだ。大学生になった最初の二年は下宿生活を送っていて、その下宿生の一人の書棚に藤原新也の本があったのである。
小生も若いし、友人・知人の書架は気になる。他人(といっても、身近な、限られた範囲だが)の読んでいる本は(実際には蔵書になっているだけってことが多いことに、あまり気づかない)全部、読みたいし、内容を覗いてみたい頃。
というか、藤原新也という名前の書き手は全く知らなかった。友人の部屋で過ごしていて、話の接ぎ穂が途切れた時だったか、あるいは、珈琲でも煎れてくれていた合間だったか、書架に『印度放浪』という題名の本があるのに気づいた。
← 藤原 新也著『渋谷』 (東京書籍) 小生は未読。藤原 新也が現代日本の象徴の場の一つである渋谷(の少女たち)とどう向き合ったのか知りたいものだ。とりあえずは、安易だけど、「【インタビュー】写真家 藤原新也氏に聞く、デジタル時代の表現と「渋谷」」だけでも読んでみるか!
本というべきか、写真集なのか、不思議な本。
写真が多い。しかも、若かった小生には刺激の強い写真が次々と目の前に立ち現れてくる本なのである。
「人間は犬に食われるほど自由だ」という彼の有名な言葉がこの本の中に見出したものだったかどうかは覚えていない。
ただ、そういった衝撃に出会ったことは間違いない。
まさに、『印度放浪』で出会う世界は、「memento mori ~死を想え~」で示されるような世界なのだ。
現代のインドは、人材の宝庫として世界の舞台の登場しつつある。同時に、恐らくは藤原新也が目にし体験した世界も変わらずに残っているのではなかろうか。
藤原新也の世界と再会したのは、『東京漂流』という本が既に評判になっていた頃のこと。小生は既にサラリーマンになっていて、書くという形での表現は諦めていたのだった。
だから、評判を横目に、この本も遠い気持ちでパラパラ捲るだけに終わったような気がする。
三度目の正直とでも言うのか、藤原新也の世界にまともにぶつかったのは、90年前後だったろうか。
そう、バブルの絶頂期、弾け散る直前の頃。
何かの週刊誌で、チベットの鳥葬の光景を生々しく示す写真が載っていた。
それが藤原新也の手になる特集だったのかどうかは覚えていない。
ただ、学生時代に上掲書中の写真で見た世界と再会・遭遇してしまったのである。
→ 藤原 新也著『黄泉の犬』(文藝春秋)「田口ランディ公式ブログ 黄泉の犬 藤原新也」がいい。本書を読む暇がなくとも、せめて、このブログくらいは読んで欲しい。そう、水俣病の惨禍と問題の根の深さ広さを思い知らされる本でもある。オウム真理教や麻原彰晃の犯罪を問いつつ、麻原彰晃と水俣病の関係にまで踏み込まないマスコミの嘘くささ! 政府が水俣病の被害者認定を厳しく限定し敷居を高くしている理由の一端が窺えるように思えるのは小生の偏見なのか…。「有田芳生の『酔醒漫録』 藤原新也の危険な新刊」も参考になる。
時代はバブル経済が崩壊する寸前で、チベットの鳥葬の様子も、峻厳で厳粛な光景というより、ゲテモノ的なものが好奇心の対象になっていた頃だった(放恣で飽食の時代にあってはまともなものでは、飽き足らなかった)。
そう、風葬、水葬、鳥葬の光景も、文章には事々しく書いてあっても、読者は暇潰しの恰好の材料の一つに過ぎないものとして消尽されるだろうことが暗黙の了解になっていたように思う。
「鳥葬 - Wikipedia」にあるように、「死体の処理は、鳥葬を執り行う専門の職人が行い、骨も石で細かく砕いて鳥に食べさせ、あとにはほとんど何も残らない。 職人を充分雇えない貧しい人達は、水葬を行う。水葬もそのまま死体を川に流すのではなく、体が切断される」のである。
(「鳥葬」なる頁が詳しい。なお、葬送については、拙稿「葬送のこと、祈りのこと 他」を参照願いたい。)
小生は、89年の1月半ばから執筆活動を再開した。会社の残業を終えて夜半に帰宅し、さらに友人の仕事の手伝いをし、睡眠時間が数時間もないというのに、その睡眠時間を掻き削って創作の時間を毎日、持った。
この鳥葬の場面というのは、知識としては初めて知ったものではないが、時期的に小生には波長が合ったというのか、短編のモチーフに使うに至ったものである。
鳥葬というわけではないが、我が身を削る思いをしつつ、夜毎に書き綴っていたのだった。
以来、今年で18年目となるわけである。
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コメント
「メメント・モリ--死を想え」--私も以前、採り上げたような(?)
藤原新也のサイトは、以前からみていました。
同時代人ですね。70年代は、いろいろありましたね・・・。(回想)
80年代後半から、チベット仏教に興味を覚えたころは、「鳥葬」についての知識も・・・。輪廻思想。今の関心は、ちがうところに移っています。「ヒマラヤ聖者」の世界。
投稿: elma | 2007/03/05 03:24
elma さん、コメント、ありがとう。
>「メメント・モリ--死を想え」--私も以前、採り上げたような(?)
調べてみたら、下記でした:
「自分磨き日記「メメント・モリ」」
http://blog.livedoor.jp/elma0451/archives/50488181.html
実は、もう、5年から6年ほど前になるか、まさに、『メメント・モリ』という名前の女性詩人さんのホームページがありました。
小生がホームページを開設して間もない頃のネット仲間だったのです。
が、そのネット仲間の間に暗躍する碌でもない奴がいて、ネット攻撃を受け、サイトを閉じられてしまった。
小生も攻撃を受けたけど、意地でサイトを死守。
その碌でもない奴は、某サイトの方(女性作家さんで、人気のある方だった)に人のハンドルネームを騙って(小生の名前も利用された)誹謗中傷めいたことを書いて、その女性の方に随分と辛い思いをさせたもの。
その女性作家さんは、心臓を患い亡くなられてしまった!
その人気作家さんは、ホームページのキリ番を取り合っては、掌編をプレゼントし合った仲でした。
「メメント・モリ」には、そんな<秘話>があります。
ホームページの「このサイトのこと」なる頁の末尾にその当時の作品群を残してあります。
その頃が一番、掌編などの創作意欲が湧いたころでもあったような。
彼女には随分と励まされた思いがある。
そんな同士を失って、ショックは大きい!
そうそう、彼女のネット仲間にサンバダンサーの方がいて、声を掛けていただき、サンバの世界に興味を抱いたものでした。
なので、小生のサンバへの思いには、亡くなられた女性作家さんへの鎮魂・痛恨の思いも重なっているのです:
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2005/05/post_d379.html
ちょっと余談が過ぎたかな。
今の小生は、日々、ただあれこれ綴っているだけ。宗教的あるいは哲学的探求という大それた発想はどこへやら。
というより、宗教の世界は敬して遠ざかっているような。怠惰と怠慢な小生であります。
>「ヒマラヤ聖者」の世界
「自分磨き日記「ヒマラヤ聖者の生活探求」ベアード・T・スポールディング著、霞ヶ関書房刊(第1巻)を読む」
http://blog.livedoor.jp/elma0451/archives/50898761.html
投稿: やいっち | 2007/03/05 04:06
はじめまして
「藤原新也物語」は最後に(文責・相川大介)とあって、ご本人は書いていないのではないでしょうか。
あと水俣病に関しての記述は滝本太郎弁護士が強く抗議しています。
「藤原新也さんに」 http://sky.ap.teacup.com/takitaro/351.html
私の「黄泉の犬」の印象は『「藤原新也物語」の中に「オウム真理教物語」が組み込まれている「創作」、または再構成された記憶。』でした。
80年代初め頃は好きだったけれど、今はちょっと…という感じで、あれこれ彼について書いています。
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Category/12/
投稿: 倫敦橋 | 2007/03/06 13:15
倫敦橋さん、来訪、ご指摘、ありがとう。
>「藤原新也物語」は最後に(文責・相川大介)とあって、ご本人は書いていないのではないでしょうか。
確かに、「文責・相川大介」とあります。
本文の中には「」を付した藤原新也の談話(?)が少なからずあるので、「藤原新也自らの手になる」と書いてしまいました。
談話の部分も含め、文章は全て、相川大介氏の手になるものと理解すべきですね。
文章は書いた当時のままを残す方針で居ますので、小生の恥を晒す意味でも、本分に注記を付させてもらいました。
藤原新也氏のオウム(の麻原氏や身内)と水俣病との関係の記述については、いろいろ指摘されていることはネットでも読めました。
なので、敢えて書きますと、オウムや麻原氏と水俣病との関係に付いては、オウム事件が発覚した時点からの小生の個人的な見解です。
その際、麻原氏や彼の身内に水俣病に罹っている人がいるかどうかは別儀で関係を考えました。
間近にそんな悲惨な現実を見た、そんな人のうちに勘違いする奴もいるのだろうという認識です。
被害者を棄民する日本という国家や権力など度外視し自らの理想郷を吸う強敵に実現しようという、奇矯な発想。
小生の郷里である富山もイタイイタイ病という公害病があって、悲惨なものでした。
企業も国も県も市民も冷たい目で救済を訴える被害者を見る。そうした現実から何事かを思わないでいられるはずもない。
但し、何を思うかは、人によって全く違うものと思います。悲惨な現実があり、被害者を放置し、あるいは救済するとしても、国の勝手な都合や基準で救済の窓口を狭める、さらには企業の存続を被害者の救済よりも優先させる国や県の方針(加えるなら被害者の訴えに耳を塞ぐのみならず、被害者を冷たい視線で見てしまう市民…)に悲憤を覚えないほうがおかしいからといって、だからといって、どんな思想や行動も正当化されるわけではないのは言うまでもないことです。
切っ掛けは藤原氏だったので、藤原氏の考え方に事寄せていますが、実際には水俣病の悲惨への関心は自分自身のものです。
もっと言うと、オウム事件に関係なく、水俣病の悲惨を思うのです。
これは、小生の根拠のない思い込みですが、オウム事件発覚当時、かつての教祖である麻原氏に水俣病の怨念を直ちに感じたものでした。
無論、上記したように根拠などなく、あくまで直感に過ぎないので思っただけです。
藤原新也氏について言えば、ジャーナリストでも理論家でも思想家でもないので、オウムについても水俣病についても取材があまいとか、理解が浅いとか、人から批判されると、すぐに論が破綻するとかはありがちです。
恐らく、藤原氏はこうしたことに辟易して、宗教的瞑想の世界を写真を通じて示すようになる、あるいは芸能関係の仕事に関わるようになるなどしていくのかなという予感があります。
藤原氏特有の直感的洞察は多少は的を射ていても、こうした厳しい批判という経験に懲り、下手に理屈で自分の意見を言うようなことはやめ、殻に閉じこもっていくのかもしれないという予感がします。
小生も藤原氏と同じようなもの。正しいかどうかは別にして理屈でやりこめられる経験を重ねてくると(それでも滝本氏のように名前を出しての批判なら、納得も甘受もしえるのだけど)、もう、政治や社会問題に口にするのはやめよう、誰も文句は言わない、芸術談やゴシップネタでお茶を濁そうということなりがちなのが小生の近況のような。
投稿: やいっち | 2007/03/07 08:30
「黄泉の犬」に関しては1995年当時の、まだ裁判や信者の手記が出ていないころの認識のまま、第1章を発表しちゃったのが、なんだかなぁ、と感じています。
オウムの厄介なところは、まんざら公害とも無関係とは言いにくいところです。
一時期テレビに出ずっぱりだった青山吉伸元弁護士は、出家前は車の排ガスなどによる大気汚染公害で国の責任を問うた「西淀川公害訴訟」の弁護団の一人として活動していました。
ちなみに麻原こと松本智津夫が被差別階層の出身ではないかという説の震源地は、中沢新一らしい。 オウムの教義は、インドのアウトカースト発祥のタントリズムのパクリで、自身の出自から共鳴したのではないかということらしいのですが……
ちゃんとした「学説」とか「研究」は、まだまだで、不明な部分が多いですね。
投稿: 倫敦橋 | 2007/03/07 22:16
中沢新一氏もオウム事件の時は叩かれた方ですね。
世間やマスコミはオウム事件を矮小化したい一心だった。それがまた世の中の風潮だったのでしょう。悪いのは麻原死刑囚やオウム。
確かにそうなのです。
ただ、オウム事件に絡めずとも、水俣病という惨害はあまりに深甚な問題だろうと思います。同時に、オウム事件の背景には国家の姿勢への深刻な疑心が、というより離反があったように小生は直感しました。根拠のない直感に過ぎないと言われたら、反論はできません。
ただ、犠牲となった(なっている)方々を脇に、時代はドンドン進んで行く。忘れ去っていく。そんな国、県、市民。
こうした問題に向き合えない国家・国民である日本って何って思うだけです。
投稿: やいっち | 2007/03/08 01:18