ラヴェルからストンボロー邸へ音の旅
今年は、モーリス・ラヴェル没後70年だからというわけではないが、過日よりマニュエル・ロザンタール著の『ラヴェル~その素顔と音楽論』(伊藤 制子訳、春秋社)を読んできて、今日、読了した。
← マニュエル・ロザンタール著『ラヴェル~その素顔と音楽論』(伊藤 制子訳、春秋社)
読み始めたのは、小生がサンバ関係のイベントである(そして、もっと世に知られていいはずのイベントでもある)AESAカーニバルへ行ってきた日曜日だった。その経緯(いきさつ)などは、若干の感想を含め、「あれこれとトラブル抱えAESAカーニバルへ」の中に書いてある。
ラヴェルの名を知らない人は少ないと思うが、念のためラヴェル最後の直弟子で、指揮者&作曲家であり、本書の著者であるロザンタール共々、下記参照:
「モーリス・ラヴェル - Wikipedia」
「マニュエル・ロザンタル - Wikipedia」
小生などは、いくらラヴェル最後の弟子とはいえ、ラヴェルと会話を交わした人物が近年まで御存命だったということに驚いたりするが(驚く小生が無知なのだろうが)、「マニュエル・ロザンタル - Wikipedia」や「マニュエル・ロザンタール逝去 残された名盤の数々」を読むと、99歳目前まで生きられたのだというから、さもありなん、かもしれない。
マニュエル・ロザンタール(ロザンタル、ロゼンタル、Manuel Rosenthal, 1904年6月18日 - 2003年6月5日)は、フランスの指揮者・作曲家であり且つ音楽評論家でもあった。
筆者のロザンタールは筆が立つのである。
実際、ロザンタールは評論家だったこともあり、愛弟子だったからといって、決してラヴェルを神聖視しない。綺麗事一辺倒など書かない。
それどころか、師であるラヴェルに向って(無論、生前)結構、きつい指摘もしてきたようだ。また、師の才能を認めつつも、どの点が音楽において人間性において問題があるかも見逃さないし、書き漏らさない。
ラヴェルについては、上掲のサイトに限らずエピソードはいろんなサイトで数々語られている。
才能を認められつつも、ローマ大賞に5回挑戦し、ついに受賞できなかった際のドタバタ。
「大戦で友人たちを失ったラヴェルはその死を悼み、「クープランの墓」を作曲した。その後、フランス政府が彼にレジオンドヌール勲章を授与したが、ラヴェルはこれを拒否した。」
フランス(パリ)では、どちらかというと、冷遇に近い扱いだったラヴェルだが、50歳を越えて「初めてアメリカでピアノによる演奏旅行を行」い、生まれて初めて「ニューヨークでは彼はスタンディングオベーションを受けた」。
悲劇もある。タクシードライバーを生業としている小生には辛い事実でもある。
「1932年、パリでタクシーに乗っている時、交通事故に遭い、記憶障害や失語障害などが徐々に進行していく」。記憶障害については、若年性アルツハイマーをテーマにした映画が最近、話題になったが、ラヴェルは事故で脳に損傷を負ってしまい、晩年は記憶障害や失語障害に苦しんだのだった。
記憶障害や失語障害…。何が悲劇と言って、彼の頭は明晰さをずっと保っていたということ。
「かつての手紙の流麗な筆記体は活字体になり、1通仕上げるのに辞書を使って1週間も費やした。また渡されたナイフの刃を握ろうとして周囲を慌てさせたが、自身の曲の練習に立ち会った際には演奏者のミスを明確に指摘している」というのだ。
しかし、ラヴェル本人にとっての一番の悲劇は、晩年、作曲したいという意欲を失っていなかった…実際、手がけていた曲もあった…にもかかわらず果たせなかったことにあろう。
創造者として作曲家として、これ以上の悲劇はないだろう。
周囲の勧め、というより、ラヴェルにもっと作曲して欲しいという周りの人たちの期待もあって、「さらに体調が悪化、1937年、彼が望みを賭けていた脳の手術が失敗し、まもなく世を去った」のだった。
→ ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン著『反哲学的断章―文化と価値』(丘沢 静也訳、青土社) この上ないアフォリズム集! 哲学を敬遠する人も、毛嫌いせずに手に取ってみて欲しい書。
小生がラヴェルのことを強く意識したのは、やはり音楽に絡むが、やや変則的な方面からだった。
小生は高校時代からのヴィトゲンシュタイン贔屓。ヴィトゲンシュタインの哲学に、というか生き方・風貌・著作に傾倒してきた。大学の卒論も、ヴィトゲンシュタインを扱った(扱おうと試みた)ものだった。
『論理哲学論考』は宝石のような著作だ。このプリズムのような本を透かして語りえない混沌と秩序の宇宙が垣間見える。
(興味のある方は、本書『論理哲学論考』を読んで欲しいが、当面は、「ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』」など参照するしかないか。読み物としては、「松岡正剛の千夜千冊『論理哲学論考』ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン」が楽しいかもしれない。)
← クリムト画「世界の名画より ≪マルガレーテ・ストンボロー=ヴィトゲンシュタインの肖像≫1905年 180×90cm」(ミュンヘンバイエルン州立絵画コレクション ノイエ・ピナコテーク蔵)
20世紀最大の哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの家系は音楽に満ちており、家庭は音楽サロンのようなものだった:
ウィトゲンシュタイン家の交友関係の中でも、とりわけ音楽家との深い関わりは特筆に価する。ルートヴィヒの祖母ファニーの従兄弟にはヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムがおり、彼はヘルマンの紹介でメンデルスゾーンの教えを受けていた。母レオポルディーネはピアニストとしての才能に秀でており、ブラームスやマーラー、ブルーノ・ワルターらと親交を結んだ。叔母のアンナはフリードリヒ・ヴィーク(シューマンの師であり義父)と一緒にピアノのレッスンを受けていた。ルートヴィヒの兄弟たちも皆、芸術面・知能面で何らかの才能を持っていた。ルートヴィヒの兄パウル・ウィトゲンシュタインは有名なピアニストになり、第一次世界大戦で右腕を失ったのちも活躍を続け、ラヴェルやリヒャルト・シュトラウス、プロコフィエフらが彼のために左手だけで演奏できるピアノ曲を作曲している。
「ルートヴィヒの兄パウル・ウィトゲンシュタインは有名なピアニストになり、第一次世界大戦で右腕を失ったのちも活躍を続け、ラヴェルやリヒャルト・シュトラウス、プロコフィエフらが彼のために左手だけで演奏できるピアノ曲を作曲している」といった事実を持ち出したかったのだ(太字は小生の手になる。他にヒンデミット、ブリテンらへもパウルは左手による作品を委嘱している)。
当然ながら(?)本書の中でもこの話題が出てくる。
なんと!(と驚くのは、小生が無知なことを晒しているに過ぎないのだが)、ラヴェルが作曲した《左手のための協奏曲》をパウル・ウィトゲンシュタインは台無しにしたというのだ。
ラヴェルは怒っていた。何ゆえ。台無しとはどういうことか。
実は、作曲してもらったパウル・ウィトゲンシュタインは、「ラヴェルの作品がまるで気に入らなかったので、自らに演奏権があった七年間は、原曲に勝手に手を加えたヴァージョンを演奏していた」のだった!
(この話題に付いては、「ラヴェル:《左手のためのピアノ協奏曲》」が詳しい。読み物としても楽しい! 「日本フィルへようこそ」がホームページ? 小生などは、そもそもは、ラヴェルとヴィトゲンシュタインらとは水と油だと思うのだが。なんたって、ヴィトゲンシュタイン家の人々は洗練された芸術に常に接してきた。一方、ラヴェルは音楽は別として、その他の趣味は、ロザンタールの本書での言を借りると、紛い物趣味だったのだ。オーケストレーション。音楽的装飾性。)
→ 『ストンボロー=ヴィトゲンシュタイン邸』(「講演会「ウィトゲンシュタインの建築」」(京都発大龍堂:メール マガジン通巻 693号)より) 「ルードヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン/パウル・エンゲルマン ストンボロー邸」にて多数の画像を見ることが出来る。ラヴェルの世界とは遠い!
本書には、こういった愛弟子ならではのエピソードが満載なのである。『ラヴェル~その素顔と音楽論』と、訳書の題名はやや堅苦しいが、小生のような音楽論には疎いものにも、肩肘張らずに読めた。筆者の洒脱な筆の賜物なのかもしれない。
関連する拙稿:
「ヴィトゲンシュタイン以前」(00/03/27)
「ラヴェルのボレロから牧神の午後へ」(ボレロ 2005/11/30)
「印象は百聞に如くはなし」(ラヴェル『水のたわむれ』 2007/01/08)
「青柳いづみこ、ドビュッシーを語る」(ドビュッシーとオカルト 2005/07/02)
おまけ?!:
「「安室奈美恵」さんに絡んでみました!」は、昨夜アップした旧稿。後半になって本題が始まる!
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