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2007/03/10

三宅島で公道レースだって?!

 一昨年だったか、三宅島で公道レースを行なうという構想があると、ラジオで聴いた。またしても、石原都知事の発案のようだった。
 この話題は、オートバイレース好き、イベント好き、都政ウオッチャーの間を即座に駆け巡ったようだ。
 発表当時、マスコミを賑わし、いろんな方がいろんな意見を、あるいは期待を持たれていた。
 例えば、「“村おこし”三宅島の公道オートバイレース:中島:コラム:スポーツ報知」という昨年六月の記事が今も読める。

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← 88年から91年まで乗っていた「CBR750F スーパーエアロ

 冒頭に、「東京都の石原慎太郎知事が、三宅島でオートバイレースを来年にも開催したいと話している。噴火の“後遺症”で観光客誘致もままならず、復興に苦しんでいる島に、何とか活気を取り戻したいとの考えからのようだ。」とあり、さらに続けて、「この考えは思いつきではないようで、(石原都知事は)公道を使ったオートバイレースとして最も長い伝統を持つマン島TTレースを、三宅村の平野祐康村長らと共に5月29日に視察している。マン島TTは5月から6月にかけて2週間がレースウイークとなっていて、昨年は狂牛病騒ぎで中止になったが、今年は2年ぶりの開催で大賑わいだ。」とある(カッコ内は小生が補った)。

 マン島TTレースについては、この頁に大よそのことが書いてある(文末サイト参照)。


 今年、2,007年はマン島TTレースは百周年の年に当るわけだ。
 また、日本にとって、マン島TTレースはオートバイ(レース)の歴史の上で重要な意義と意味を持っていることも上掲の頁に書いてある(同じく、文末リンク参照)。
 まあ、バイクファンならば常識に類する。
 あるいは、そこから発想のヒントがあったのだろうか。

 なお、「“村おこし”三宅島の公道オートバイレース:中島:コラム:スポーツ報知」なる記事の中で、「島内の交通は練習、予選、決勝などのため、2週にわたる週末に一般車は通行止めとなる。島の人々は不便さに不満を言うどころか、昨年、中止になったときには、逆に開催を催促する話しが伝えられてきた。マン島の公式ホームページにも、レースが明示され、観光客誘致に一役買っていることが分かる」とある。
 こうした意見がマン島の住人にあるのも事実なのだろうが、一方、マン島の地元にあっても、違う意見があるという情報もあることは付記しておきたい:
From Nom 三宅島の公道レースについて
 ここには、マン島に関して、以下のように記してある:

公道レースとして世界的に有名なイギリスのマン島TTレースですが、100周年を迎える今年限りで公道レースは中止しようという動きが出ています。
理由は「危険だから」です。
1週間以上の期間にさまざまなレースが行われるマン島TTレースでは、毎年命を落とすライダーがいます。
昨年は、長い間参戦を続けていた前田淳選手が不幸な事故で亡くなってしまいました。

 マン島にあっても、多用な意見や動きがあることだけは理解しておいたほうがいいかもしれない。

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→ 91年から99年まで乗っていた「パシフィックコーストPC800

 なお、「From Nom 三宅島の公道レースについて」なる記事は、小生には「三宅島の公道レース」に関して、穏当な意見が表明されていると思う。

 かく言う小生もオートバイ好きである。昨年の夏まで一般公道のライダーだった。レースには参戦しなかったものの、サーキットへは菅生(出来て間もない頃の)を初め、筑波、鈴鹿(5回は行った)、富士スピードウエーと愛車を駆って向ったものだ。
 オートバイ歴は30年近いし、走行した距離は20万キロを遥かに越えている。
 通勤や買い物もバイク、サラリーマン時代の一時期は、毎週末、雨だろうがカンカン照りだろうが、真冬だろうがツーリングした。
 本を読むのも止められないので、バッグに本を一冊、忍ばせて、何処か景色のいいところにバイクを止め、日の光を浴びながら、傍らの火照ったバイクを折々眺めつつ、読書に耽った。
 目が疲れたら、明媚なる風景を愛でて心を寛がせる。
 走行の際は、高速道路など可能な限り使わない。
 経費を抑えるという意味もあるが、路肩の店や人影や町の雰囲気を味わいたかったからでもある。
 帰省も、可能な限り、バイクを使った。
 真冬、雪の中をバイクで居住している東京と郷里の富山を往復したことも3回ある。
 一度は、雪の関越自動車道で雪にバイクが埋まり遭難しかけたことも!
 20万キロ以上の走行距離を記録しているが、ほとんど一般道のみの走行(40代になって、軟弱になってきて、帰省の折は高速道路を使うのが当たり前になってしまった)でこれだけだから我ながら凄いなって思ったりする。
 死に損なったことは数知れず!

 小生は、81年から89年頃までは、本や雑誌というとオートバイ関連のものがメインだった(あとは素粒子論の啓蒙書などを少々)。
 買い物も、2年から8年ごとに車検を契機にバイクを買い替え、買い物というと、バイク用品がメイン。普段着も、バイクに乗る際に不都合がないってことが最低条件だった。靴も上着もズボンも合羽も下着(防寒用)も!
 時計も雨に濡れても大丈夫でないと論外だったっけ。
(小生のライダー歴については、「オートバイ」参照!)

 まあ、小生のバイク談義はまた別の機会に譲るとして(ブログを一つ、独立できるほど、書くネタがある!)、そんなバイクファンであり、少なくとも昨年までは筋金入り(?)のライダーだった小生だが、当初この三宅島での公道レース構想をラジオで聴いたときは、まさかと思った。
 石原都知事のアドバルーンであり、ホラとは言わないが、あくまで夢だと思っていた。
 日本のような国土や風土、何よりバイクへの理解の浅さという土壌からして、土台、無理だと最初から決め付けていたのだ。
 しかし、構想は実現へと動き出していた。小生の<読み>や見通しなど甘いことがハッキリしたわけだ。
 
 今週、某ラジオ局でこの話題が俎上に上っていた。今秋、実現が決まっている、だから、その賛否を特集していたわけだ。

 ネット検索してみると、「三宅島オートバイレース実行委員会」なんてサイトが上位に浮上してくる。
 もう、動き出しているわけだ。
 ことは急を要する。

 さて、この一般公道を使っての(勿論、レースの当日は道路はレースのためにのみ使用される)「三宅島オートバイレース」だが、「From Nom 三宅島の公道レースについて」にもあるように、プロのライダーからも反対の意見が都に具申されている。
 上記した民放のFMラジオでも、プロライダーだった宮城光氏の話を聴くことができたのだった。

慎太郎にダメ出し…三宅島公道でオートバイレース構想-話題!ニュースイザ!」を参照しつつ、宮城光氏(44)の意見を聞こう。

 宮城光! 小生のようなロードレースファンには、彼は輝かしい、まさに天才ライダーである。
 小生のロードレース追っ駆け(鈴鹿八耐にも3回、行った)にとってのヒーローは、片山敬済(かたやま たかずみ)に始まる:
片山敬済 - Wikipedia

 片山敬済(敢えて敬称を略させてもらう。尊敬、畏敬の念を篭めて!)が現役で且つ人気絶頂の頃、彼のヌードが雑誌に載ったが、男のヌードでセクシーさを感じたのは、後にも先にも彼のあのヌードが唯一だった。
 まさに戦うものの体。研ぎ澄まされた知性と筋肉。
 そう、「'74二輪世界GPにプライベートで初挑戦し、'77に日本人としてはじめて、350ccで念願の日本人初の世界チャンプ獲得」のヒーローだったのである。
 海外勢では、フレディー・スペンサーとケニー・ロバーツとの戦いが最高潮の頃にロードレースファンとなったのだった。オートバイブームの頃でもあった!
 その後、日本勢では、加藤大治郎、原田哲也、上田昇、坂田和人、青木治親、辻村猛、平忠彦、本間利彦、伊藤真一、阿部典史、藤原 儀彦ら、数々の選手の登場から活躍、引退を見守ってきた。

 まあ、ヒーローとしてのプロライダー論は止めておくとして、その中にあっても宮城光氏は名前の通り、光っていたのは事実である(これを強調したかった!)。

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← 84年から86年にかけて乗っていた「XJ650ターボ

 さて、その宮城氏の意見だが、「慎太郎にダメ出し…三宅島公道でオートバイレース構想-話題!ニュースイザ!」によると:

 宮城氏は、都とともに大会を主催する日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)から「どうすれば公道レースができるか?」という依頼を受け、昨年7月から三宅島を4回訪問、予定コースの外周道路(30キロ)などを視察・試走した。
 その結果、(1)幅員が6-7メートルと狭く道路沿いに家屋や石垣などがある。クラッシュパッド(緩衝材)などで対策しても安全性は不十分(2)都内の総合病院まで最短40分かかり、救急設備も不十分(3)車両の安全地帯がなく、事故の場合は2次災害が懸念される-などと判断。
 「絶対に公道レースはやってはいけない」と結論づけ、「小さくてもいいからサーキットを作るべきだ」と提案した。

 多少、補足説明すると、ロードレースの場合、道路の幅員は少なくとも十数メートルある。
 車両の安全地帯というのは、万が一、コースアウトした場合の砂地などのこと。これも、コースの倍の幅は必要とされる。その上での緩衝材なのであり、三宅島では民家や一般の設備が公道に近過ぎて、設置が意味を持つのかどうか怪しいところ。
 ラジオではレースの際の要員のことも話しに上っていた。
 予定コースの外周道路(30キロ)だと、係員は最低、合計で千人は必要という(二百数十箇所に、それぞれ3人から4人。都の計画では、そのうちの一人は経験者を当て、残りは島の人(ボランティア?)を当てるというが、都や石原都知事は、東京マラソン(での成功)と同列に考えているのではないか。単に、コースの案内や見物客の誘導だけではなく、猛スピードで走行するバイクを見守り、万が一の際には、誰かが倒れたバイクのところへ駆け寄り、誰かが旗を振り、誰かが後続のバイクに異変があったことを知らせ、と、いずれも相当程度に経験がないと対応が間に合わないものばかり。
 マラソンとは同列に論じられないのである。
 
 かのマン島レースに参戦した経歴のある、「業界をリードする本田技研工業は「二輪車レースはサーキットがふさわしいと考える。安全の確保が極めて難しい公道レースは賛同しかねる」(広報部)と反対する」のである。
 そもそも、三宅島の島民の全てが三宅島の公道レース構想に賛成しているのだろうか。
 というより、日本において、一般公道を使ってのレースに賛成あるいは容認する土壌があるだろうか。
 サーキットでの二輪車レースに対してさえ、様々な意見があると予想される日本なのである。

 石原都知事は、テレビでだったか、レースは自己責任でやるもの、絶対安全なレースなどあるはずがないという発言をされていた。
 自己責任という言葉が安易に出てくるのも困る。
 自己責任を果たすには、最低限の環境が整っていての話だ。
 劣悪な環境に放り込まれていて、追い込まれていって、最悪の事態になって、それを自己責任だと云うのなら、それは責任を果たすべき立場にあるものの責任の放棄ではないのか。
 一般公道にあったって、車にしろバイクにしろ自転車にしろ歩行者にしろ、最終的には自己責任なのは当然。
 だが、その前提として交通規則があり安全対策がありお互いを尊重しあうマナーがなければならない。
 現状では三宅島での公道レースには自己責任を果たせるための前提条件が整っていると言えないという意見が大勢なのではないか。

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→ 現在の愛車! 昨年の秋、雨の中、東京国際女子マラソンを一緒に観戦!

 福祉にあっても介護にあっても防衛にあっても食にあっても労働環境にあっても、家庭環境や学校・教育事情にあっても、主催し管理し、あるいは予算を振り分け、政策を遂行するものには相当程度の果たすべき任務と責任があるはず。
 一般公道を使ってだろうと、サーキットにあってのロードレースだろうと事情は同じ。
 三宅島でレースをやる、あるいは何かのイベントをやるにしても、再考の余地は相当にありそうだ。

 小生などは、三宅島でサンバやサルサ、ベリーダンス、タンゴ、フラダンス、フラメンコ、カポエイラ、アシェ、アフロなどの一大ダンスイベントを開催したらどうかと思う。
 もう、島を借り切って、三日三晩の大々ダンスイベントである。
 都が船をチャーターして観光客を数万人、島に呼び(招待!)、島を揺るがすほどのダンス天国にするわけである。
 こっちのほうが、危険?!
 その際、ライダーも何かのパフォーマンスを見せるってのもいいかも。バイクのトライアル競技だってあるのだし。

ドライダー宮城光
三宅島オートバイレース実行委員会
BikeTrial
1960年・マン島TTレース初出場 - Good Old Days
1955年・第1回浅間高原レース - Good Old Days

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コメント

月曜日の夕方、図書館へ行き、本の返却、予約していた音楽テープの借り出しをしてきた。帰り際、新聞を読んできた。あったのは東京新聞。一面から順序良く読んでいって、最後の社会面に三宅島でオートバイイベントが前日(18日)まで催されていたことを知った。

「チャレンジ三宅島 '07 モーターサイクルフェスティバル」(開催期間  平成19年11月16日(金)~18日(日))である:
http://www.miyakejima.or.jp/

新聞の記事は下記にて読める:
「中日新聞三宅島バイクフェスタ閉幕 『レース化』は手探り 復興へ一歩、島民期待」
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007111990070932.html

以下、上掲のニュース記事の転記を試みる:
 噴火災害からの復興を目指した伊豆諸島・三宅島(東京都三宅村)での「モーターサイクルフェスティバル」が十八日、閉幕した。表看板に掲げた「国内初の公道レース」断念、離島の村としては突出した運営費-と、開催まで曲折を重ねた。発案した石原慎太郎都知事は、来年の二回目開催に意欲を見せるが、都の財政支援をどうするかなど課題は多い。しかし復興へ向けた第一歩に、島民や来島者は、ともに温かい拍手を送り合った。 (石川修巳)

 島西部の都道にレース仕様のバイクが次々登場し、時速七十キロを上限に迫力ある走行を披露した十七日の「ツーリスト・プロ」。大会副会長の築穴辰雄・三宅島スポーツ振興会理事長は「公道レースをほうふつとさせる」と表現した。

 当初、英領マン島のレースを手本に、三宅島でも公道レースの構想を描いた。だが安全面の問題などから、国内バイクメーカーがこぞって反対。レース色を排除して企画した「ツーリスト・プロ」にさえ、メーカー側は「プレ・レースだろう」と反発したという。

 「本当のレースなら、もっと迫力があるんだろうな」「物足りないところがあった。台数も迫力も」-。視察した石原知事と平野祐康村長はともに、そんな感想をぽつり。照準はやはり、多くのファンを島に呼べる公道レースだ。

 「道幅は十分だが、マン島に比べカーブが多く一周の距離も短い」。初日の十六日、島一周のパレードを先導した二輪ジャーナリスト小林ゆきさんは言う。しかし「島に合ったレースの形を考えれば、絶好の観光資源になるはず」と、公道レース実現に期待を寄せた。

 もう一つの課題が「島で突出」(平野村長)という三億円もの村の運営費負担。機材準備やバイク輸送費などがかさみ、村の本年度一般会計予算三十九億円の7%に及んだ。

 村予算といっても、もとは“都のカネ”だ。本年度の三宅島災害復旧・復興特別交付金十億円から、運営費三億円が捻出(ねんしゅつ)された。しかし都の同交付金は、本年度限りで終了することになっている。

 「新しいスポンサーをつけて、次のステージを考えたい。回を重ねるごとに充実してくる」。島での視察後、石原知事は記者団にそう語り、次回開催に意欲を見せた。

 しかし都幹部は、来年度予算に関連経費の一部を盛り込む考えを示すものの、「知事の思いは思いとして、来年の話はまだこれから」と、言葉を濁す。

 平野村長は「島だけではできない」と、引き続き支援を求める考えだ。

 今年で十九回を数え、島の目玉イベントとして定着した「サイクルロードレース」の一回目の運営にかかわった籠(かご)職人村上和維(かずひで)さん(76)は言った。「何でも初めは苦労するもの。何とか生き延びた状態の島のために、できることは試してみようじゃないか」

<メモ>三宅島の噴火後の状況 2005年2月に全島避難指示を解除した後、帰島した住民は約2880人で、2000年の噴火前の3分の2程度。島内の2カ所を火山ガスの高濃度地区に指定し、立ち入りを規制している。東京・竹芝桟橋との行き来は片道約6時間の船便だけだが、来春には羽田-三宅島間の航空路が再開する見通し。観光客数は99年7万9250人に対し、06年4万905人と半減している。三宅村は来年度、観光振興の部署を新設してテコ入れを図る方針。
                               (東京新聞)
  === === === === === ===
                               (転記終わり)

「Challege MIYAKEJIMA07 モーターサイクル・フェスティバル」:
http://challenge-miyakejima.com/

本格的なレース、つまりは客を数多く呼び寄せることのできるマン島のTTレースは無理なのは今も変わっていないようだ。
でも、フェスティバルでは集客力に限りがある。本土から人を呼ぶには、マスコミで話題にならないと話しにならない。F1並みの競技は無理として、せっかく都の後押し(石原都知事が在任中に限られるだろうが)があるのだから、メーカー側やバイク業界の方も知恵の絞りどころなのではないか。

投稿: やいっち | 2007/11/20 17:40

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