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2007/03/31

来週は全日本チンドンコンクール!

 来週末、つまり、4月6(金)・7(土)・8(日)の三日間、「全日本チンドンコンクール」が開催される。
 場所は、我が富山県富山市の中心部で富山城址公園も間近な通り。
 コンクールのコースも決まっている:
チンドン大パレード

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→ 4月6(金)・7(土)・8(日)の三日間、富山で「全日本チンドンコンクール」!

 これだけの規模で、しかも、三日間に渡って富山でチンドンコンクールが開催されるのである。
 どうせなら、サンバカーニバルを富山市で大々的に開いてもらえんもんやろか。
 そうすれば数十万のサンバファンで街中が埋め尽くされるのは間違いなし! しかも、三日間(二泊)の滞在が見込める!
 小生思うに、ブラジルから日本へ富山へ多くのブラジル人、日系人が来ている(し、向こうへも行っている)。
 いよいよ、富山を舞台に、サンバもブラジルの人たちもサンバやラテンまみれの日本の方たちも中国大陸に渡るべきときが来ているのではないか。
 中国、ロシア、果ては西南アジアへ雄飛すべき時!
 その拠点が富山だっていいはずではないか!

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2007/03/30

一杯のコーヒーが紡ぐもの

一杯のコーヒーが紡ぐもの (○月×日)

 学生の頃を含め、喫茶店でも自宅でも日に何杯と飲んできたコーヒー。

 なのに、ある年代を過ぎてからは全く飲まなくなった。
 というか、十年近く前だったか、帰省の折に、ふと、茶の間に瓶入りのインスタントのコーヒーがあることに気付いた…ぼんやりと。

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← Bob Dylan『Desire 』([Original recording remastered]、Columbia) この中に『コーヒーもう一杯(One more cup of coffee)』が収められている。「Amazon.co.jp 通販サイト」より。

 なんと父母が朝の目覚めなどに飲むのだという。
 父はシュガーとミルクを入れる。
 母は体調もあってか、ブラックで飲む。 但し、薄め。

 何年か前の或る日、父母が小生にも飲まないか、と言う。
 小生が知る限り、昔は父母はあまりコーヒーは飲まなかったはず。
 そんな父母が毎日、モーニングコーヒーを飲んでいる!

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2007/03/29

肉体なる自然を解剖しての絵画教室!

 布施英利(ふせひでと)著の『自然の中の絵画教室』(紀伊国屋書店)を読んだ。
 マニュエル・ロザンタール著の『ラヴェル~その素顔と音楽論』(伊藤 制子訳、春秋社)と一緒に借りてきた本。

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→ 布施英利著『自然の中の絵画教室』(紀伊国屋書店) まさに布施氏らしい特色の出ている本である!

 図書館では、美術関係の本の棚と音楽(踊り・映画・趣味などなど)の本のコーナーとは並びにあって、どっちかの本を物色していると、その流れで必ずといっていいほど、周辺の棚が視野に入ってしまって、結局、棚を端から端まで眺め渡してしまう。

 釣りじゃないけど、当たりのあるときはパッと本の背の題名が目に飛び込んでくる。
 ダメな時は、どの題名ももう、見飽きたような気になってしまって、当て所なく目線が彷徨ってしまう。
 本との出会いも、バイオリズムのようなものがあるのだろうか。
 何か、波か潮の干満のようなものがあるに違いないという気がする。

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2007/03/28

ラヴェルからストンボロー邸へ音の旅

 今年は、モーリス・ラヴェル没後70年だからというわけではないが、過日よりマニュエル・ロザンタール著の『ラヴェル~その素顔と音楽論』(伊藤 制子訳、春秋社)を読んできて、今日、読了した。

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← マニュエル・ロザンタール著『ラヴェル~その素顔と音楽論』(伊藤 制子訳、春秋社)

 読み始めたのは、小生がサンバ関係のイベントである(そして、もっと世に知られていいはずのイベントでもある)AESAカーニバルへ行ってきた日曜日だった。その経緯(いきさつ)などは、若干の感想を含め、「あれこれとトラブル抱えAESAカーニバルへ」の中に書いてある。

 ラヴェルの名を知らない人は少ないと思うが、念のためラヴェル最後の直弟子で、指揮者&作曲家であり、本書の著者であるロザンタール共々、下記参照:
モーリス・ラヴェル - Wikipedia
マニュエル・ロザンタル - Wikipedia

 小生などは、いくらラヴェル最後の弟子とはいえ、ラヴェルと会話を交わした人物が近年まで御存命だったということに驚いたりするが(驚く小生が無知なのだろうが)、「マニュエル・ロザンタル - Wikipedia」や「マニュエル・ロザンタール逝去 残された名盤の数々」を読むと、99歳目前まで生きられたのだというから、さもありなん、かもしれない。

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2007/03/27

サンバとは命の紡(つむ)ぐメッセージ

「サンバの例が示しているのは、「音楽を音符に書きしるすことはできない」ということだ。リズムをスィングさせるためには様々に異なるリズム的要素の的確なバランスが必要であり、従がってスイングするある一点に対するスイングしないサンバの数は無限にあるということになる。スイングを保証するに足るだけの情報を音譜のなかに盛り込むことは不可能だ。サンバを事前に知っていなかったら、作曲家がその使用に供されるべくいかに多くの記譜上の猿知恵を盛り込もうと、私たちはこれぽっちもサンバの真の感覚を伝える演奏をすることはできいだろう。」
(引用は、既に削除された(?)「http://members.aol.com/R5656m/VillaLobos.htm」なるアドレスサイト内における、ピーター・バスティアン著『音楽の霊性―ニューエイジ・ミュージックの彼方へ』(沢西 康史訳、工作舎)より)

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→ 画像は、Charlieさんの「A.E.S.A Carnaval 2007 Yokohama」(「Charlie K's Photo & Text」参照)より。


大地…鼓動

 サンバの音楽もダンスも奥行きが深いのは無論だろうし、奥の院には洗練された世界もあるのだろう。
 でも、小生がすきなのは、いい意味での野性の感覚。原始性。
 言うまでもなく、技術においての素朴さという意味ではなく、感性においての生な世界がたっぷり濃厚に反映されていること。
 大地の感覚。サンバにおいて打楽器が多いのは、大地の鼓動であると同時に、それ以上に心臓の鼓動、そう、ビートが肝心だということだろう。

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2007/03/26

「AESAカーニバル」レポート案内

 昨日、「AESAカーニバル」へ行ってきました。
 簡単な日記風レポートをアップ。画像も鮮明ではないものの、少なからず:
あれこれとトラブル抱えAESAカーニバルへ

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2007/03/25

食い意地や定められしは下りのみ

 尾篭な話だが、あるサイトでのお喋りの流れで、ひょんなことから下痢や便秘の話しになった。
「トイレで力みすぎです」と言われ(書かれ)、便秘で苦しんだ旧稿を思い出したのである。
 エッセイというよりドキュメント風な拙稿は、下記:
ドキュメント 脱 糞 だ! (旧タイトル:痔物語、あるいは、我が生涯最悪の日)」(平成13年7月8日午後作)
 この小文自体、「ある人の痔の手術物語をネットで読んで、つい小生が国見弥一を名乗る遥か以前の懐かしき苦闘を思い出し」て書いたのだった。

 上掲の文を紹介したら(原稿自体は評判が良かったのだが?)、「ゴーダマ・シッダルタ(釈迦)も下痢で涅槃に逝ったそうですね」という情報を寄せてくれた。

 小生、えっ、そうだったっけ、である。
 この小生だって、若い頃があり、釈迦や仏教、キリスト教、イスラム教なども少しは勉強したことがある。「親鸞の弟子である唯円によって、書かれたとされる」『歎異抄』は、高校時代、二度三度と読んだものだった。
歎異抄』などを読んだその成果は、絶望的なほどに残らなかったが。
 ただ、理系志望だった小生を哲学へ転向させる結果に大きく預かっていたような。

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2007/03/24

夢路にて古筝(こそう)から胡弓へと川下り

 姜小青(以下、敬愛の意味を篭め、且つ既に社会的に高名な方だということもあり、敬称を略させてもらう)という名の中国古筝奏者を知っている人は多いのだろうか。
 小生は全く知らなかった(少なくとも気付かなかった。気付かなかった、の意味合いはすぐに説明する)。
 姜小青(ジャン・シャオチン)のオフィシャルサイト を覗いてみる:
中国古筝奏者 姜小青
古筝(こそう)

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← 「悠 Breathing Spaces ジャン・シャオチン」(パシフィック・ムーン・レコード)

 上掲サイトのプロフィールの頁や「ラサ企画ホームページ」などを覗けば、「北京出身。幼少の頃より古筝の英才教育を受け、8歳より著名な古筝演奏家曹正・劉維珊・項斯華・範上娥・張燕等に師事。中国少年民族楽器独奏コンクールで第一位、金賞を受賞し、15歳で、中央音楽学院(大学)に入学。在学中に中国の古筝五大流派である山東、河南、浙江、潮州、客家の伝統演奏を修得。」以下、彼女について詳しく知ることが出来る。
 この頁の中に、「来日後、坂本龍一氏と出会い、アカデミー賞音楽賞受賞作品「ラストエンペラー」のサウンド・トラックに参加、同氏のアメリカ公演にも同行し高い評価を得る。」とある。
 そう、知っている人は知っている!

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2007/03/23

もうすぐAESAカーニバル!

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→ AESA CARNAVAL 2007 パンフレット(← 拡大画像を見ることができます!)

 昨年の浅草サンバカーニバル優勝チームである仲見世バルバロス(G.R.E.S BARBAROS) や我がリベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE) が出演するAESAカーニバル がもう間近! 25日(日)!

 詳細は、ここを見てね ↓
もうすぐAESAカーニバル!

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2007/03/22

夜這いの民俗学!

 前々日からの休みが今日も続いている。
 なので、一気に読書も進んだ。
 この数日間で読了したのは下記:
レスリー・デンディ/メル・ボーリング著の『自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝』(梶山 あゆみ訳、紀伊國屋書店)
マイケル・モーガン著『アナログ・ブレイン  脳は世界をどう表象するか?』(鈴木光太郎 訳、新曜社)
鳥越 憲三郎著『古代朝鮮と倭族―神話解読と現地踏査』(中公新書)
勝海舟著『氷川清話』(講談社学術文庫)
赤松啓介『夜這いの民俗学』(明石書店)

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↑ 「◆◆オペラ映画◆◆椿姫◆◆

 図書館から借り出した本は全部、昨晩のうちに読了したので、昨夜は寝入るに際して(睡眠導入剤代わり)の本を何にすべきか迷った挙句、以前、某所から戴いた本を読むことにした。
 それは、『コレクターズ版 世界文学全集 23』(日本ブック・クラブ)で、デュマ・フィスの「椿姫」(鈴木力衛訳)とバルザックの「純愛」(安川茂雄訳)が所収。
椿姫」を読み始めたばかりなのだが、これが案外と嵌る!

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2007/03/21

自分の体で実験したい!

 レスリー・デンディ/メル・ボーリング著の『自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝』(梶山 あゆみ訳、紀伊國屋書店)を読み始めた。実に面白いし、感動的ですらある。
 感想を書く前に早速、余談。

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← レスリー・デンディ/メル・ボーリング著『自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝』(梶山 あゆみ訳、紀伊國屋書店)

 著者は小生には全く馴染みのない方々だが、訳者の梶山 あゆみ氏という名前は、何処かで見たことがあるような。
 奥付けで訳者紹介を見てみると、ハナ・ホームズ著『小さな塵の大きな不思議』(紀伊國屋書店)も同氏の訳した本で、この本も科学に(も)素人の小生だが、肩に力の入ることなく、気軽に楽しく読ませてもらったのだった。
 以前、簡単な感想文を綴ったこともある。

 さて、本書だが実に読みやすいし、読んでいて引き込まれていく。
 それもそのはずで、著者は一人は長年、教鞭をとって来られた方だし、もう一人は編集者。

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2007/03/20

愛本のちまきから泉鏡花の高野聖へ

 昨日のブログ記事「愛本のちまき…ラジオで聴いた話あれこれ」では、富山の民話である「愛本のちまき」にスポットを当てている。
 その末尾近くで、小生は次のように書いている:

「「赤子を産むが絶対に見ないで」と言い残し納戸に入っていきました。が、つい中を覗いてしまった母の目に映ったのは湯につかる大蛇でした」といった民話(伝説)を一読すると、古事記の須佐之男命(スサノオノミコト)や八俣の大蛇(オロチ)伝説を連想する。

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→『高野聖』(泉鏡花/原作 佐藤慶/朗読、新潮カセット&CD)

 その上で、「こうした伝説・民話(神話)の背景には(その一つとして)古代の人を苦しめた暴れ川との戦いがあるものと思われる」と、まあ誰でもが想像の付くようなことを蛇足ながら書いている。

 伝説(民話)などの詳細は当該の頁を読んでもらうとして、今日、下記のような追記を施した:

 あとで思い出したのだが、昔は蛇がやたらと多かった。町とはいいながら実質農村だった地域に生まれ育った小生だが、小生がガキの頃など、庭だろうが、家の土間だろうが、ちょっと掘ったり、敷いてある板を捲ると蛇がウニョーと姿を現すのはしばしばだった。まあ、今は農道も舗装されているが、当時は土の道が当たり前だったし、まだそれほど農薬も使われていなかったから、なのだろう、か。いずれにしても、蛇に限らず、ほんの数十年前までは蛇やミミズやカエルやヒルやカタツムリ、ネズミ、天道虫……と、生き物が民家の近くでも随分と多かった。人間以外の動植物との、望ましい、あるいは必ずしも望まない共生が自明だったことも、物語を育んだ土壌として理解しておいていいのだろう。

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2007/03/19

愛本のちまき…ラジオで聴いた話あれこれ

 土曜日も仕事だった。人の出は結構、多く、営業の回数も多かった。近場ばかりで売り上げは寂しいものだったが、ラジオではたっぷりの音楽はもとより、あれこれ話を聴くことができて、実り豊かだった!

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← 池田(渓斎)英泉『花魁』(「浮世絵春画(枕絵、艶本)の展示室」より)

 聴くつもりはなかったのだが、夜中になって、国会での何かの委員会でのNHK予算案審議の模様を断片的に伺ってしまった。
 ちょっと驚いたのは、NHKの受信料の強制化の検討に関連して、受信料を漏れなく徴収するため、住民基本台帳を使うことも視野に(検討の材料に)入れていると、NHKの方が答弁して言っていたこと。
 なるほど、住民基本台帳は税金の徴収だけではなく、公的な利用料の徴収に活用できると一部では目論んでいるわけだ。
 賢い?! 怖い?

 赤ちゃんポストの特集も某FM局でやっていて、なかなか興味深かった。
 今日はこの問題は採り上げるつもりはない。下記サイトを参照願いたい:
[解説]赤ちゃんポスト設置へ ニュース 医療と介護 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
赤ちゃんポスト - Wikipedia

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2007/03/18

リンゴ酒やケルトの文化育みし

 小生は一昨年の末から(縄文文化との相関も感じられて)ケルト文化に関心を抱くようになった。
 その大きな要因は、鶴岡真弓氏という研究者の存在を知ったことが多い。爾来、図書館で見つかる限りではあるが、同氏の著作を読んできた。

 今日は、過日(多分、木曜日の深夜?)、ラジオでケルトとサイダー(リンゴ酒)との関係に付いての話を聞きかじったので、忘れないうちにメモしておく。
 ケルト文化に通暁している方なら、あるいは、酒好きな方なら、それとも、イギリスなどの文化に詳しい人なら、こうした事情についても常識に属することなのだろうが。
 ラジオでケルトとサイダーとの関係に付いての話題を聞いたといっても、生憎(!)仕事中だったので、聞き入るわけにもいかないし、ほとんど聞き逃してしまった(忘れてしまったし)。

 まず、「サイダー - Wikipedia」を覗いてみる。
「サイダーとは、甘味と酸味で味付けされたノンアルコールの炭酸飲料のこと。ラムネ。日本でサイダーと呼ばれるものは、日本独自のものである。有馬温泉が日本のサイダーの発祥の地といわれている」とあり、さらに、ここからが肝心なのだが、「本来の意味は、リンゴ酒(仏:シードル cidre 、英:サイダー cider )のこと。リンゴの果汁を発酵して作られた酒で、6%前後のアルコールを含む」と続いている。
 なお、今日は眼を通しただけだが、「シードル - Wikipedia」の記述も興味深い。
(参考になるかどうか、小生には、拙稿「ラムネ…サイダー…アイスコーヒー」がある! が、この小文を書いた際には、ケルトとの関係にまるで気付いていない。なお、小生にはさらに、旧稿となるが、「富山とトンボのこと」があって、トンボ飲料ラムネを扱っている!)

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2007/03/17

バロックの音の魅力に身を任し

 ほぼ一年前の記事である「夜間飛行を堪能する」にコメントを戴いた。
 古い記事にコメント(やトラックバック)を貰うことは間々あること。
 でも、大概は、何処かの未知の方が情報を求めて、などの理由でネット検索して、小生の記事に遭遇するというパターンである。

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→ 3月15日の夜半過ぎ。都内某運河沿いの公園脇にて仮眠。目覚めて間もない午前4時頃、都内に初雪が降ったとか…。

 でも、今回は違う。
 今日の(16日)の記事である「見逃せし初雪他所に夢の中」の中で、昨年の日比谷大講習会のレポート記事である「今日は日比谷大講習会」なる小文を参照願うとして紹介している。
 その記事の中で、「夜間飛行を堪能する」をタクシー関連記事ということで紹介していたのだった。


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2007/03/16

見逃せし初雪他所に夢の中

 相変わらず、一昨日の一報の件があって、ちょっと気力が落ち気味。
 事情に付いては、「生きるとは今日を限りの回り道」の冒頭に書いてあるので、繰り返す必要もないだろう。
 我ながら気力の落ち込みを不甲斐なく感じている。
 といっても、どうしたらいいのか分からない。
 昨日(から今朝にかけて)の営業も、ぼんやりしがちで、何度となく余計なことを考えてはいけないと、気を取り直すことがあった。

 その上、今朝は、仕事が明けてから、会社で(大)集会があった。
 徹夜勤務の後の集会とあって、営業が終わってからは、まっすぐ帰宅し、一服後はすぐに寝入りたい小生には酷な集会である。
 普通なら6時過ぎに営業が終わり、7時前後には帰宅しているはずが、7時半に営業所前に止まったバスに数十名の乗務員が乗り込み、会場へ。
 会場には数十台のバス。何人が集まっているのか分からないが、二千人は越えているかも。
 会場である(今、改修工事中の)日比谷公会堂は、目一杯。
 9時半頃から集会が始まり、終わったのは正午近くになっていた。
 集会(講習)の終了後は、一旦、バスで営業所に戻り、それから帰宅の途に。
 家に着いたのは、一時過ぎだった。
 
 日比谷大講習会の様子を詳しく書く元気がないので(本来なら講習会で、どんな講話などがあったかを書くべきなのだろうが)、昨年の日記(レポート)を示しておく:
今日は日比谷大講習会
(これを読むと、昨年は会場で講習が始まるまでに時間があったので日比谷公園を散歩している。そんな元気もあったんだ!) 

 集会(講習会)の最中に眠るわけにはいかないので、仕事を未明の四時には切り上げ、営業所の休憩所で仮眠、会場へ向うバスでも本を片手にウトウトということで、午後の一時過ぎに帰宅しても、眠気はあるのに、眠れず、仕方なくカップヤキソバでお腹を満たして、とりあえず空腹感を誤魔化しつつ、洗濯、掃除などし、ネット散策までやったりして。
 結局のところ、ロッキングチェアーで寝入ったのは(ベッドに入る気にならなくて)4時半を回った頃だったような。
 目覚めたのは夕方の六時半前だから、今日の睡眠は二時間?!
 まあ、途切れ途切れの仮眠・惰眠を合計すると、数時間は寝ているはずだが。

 まあ、今日はこういうわけで、ブログ(日記)は実質、お休み!
 ところで、今日午前七時ごろ、東京都心でも初雪が観測されたという。
 見逃したのが悔しい!

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2007/03/15

生きるとは今日を限りの回り道

 つい先日、小生の知るある方が亡くなられた。直接、会う機会は近年、まるでなかったのだが、逝去の報を昨晩、電話で聞いて、がっくりきている。
 そういえば、昨日は、「朝まで待てない」(作詞 阿久悠・作曲 村井邦彦)や「たどり着いたらいつも雨降り」(作詞・作曲 吉田拓郎)などのヒット曲(ボーカル)や役者としても有名だった「鈴木ヒロミツ」氏の訃報を聞いたのだった。
 享年60! 若い!

 今日は、何も書く気になれない。
 なので、以下、ネット上のみではあるが、心情的には深い付き合いのあった(少なくとも小生は勝手にそう思っていた!)、小生にとってはヒロインだったある方の訃報を聞いて書いた追悼文、あるいは、その頃書き綴った葬送、あるいは死を巡る随想といった文章群の中から幾つか転記する。

 思えば、小生はこの女流作家さんに刺激を受け、随分と創作意欲を掻き立てられたものだった。彼女と創作の応酬をしたりもしたが、それ以外にも、彼女と交流があった一年前後の間に百を越える掌編を書いたものだった!

 誰にも遅かれ早かれ、生きるという回り道などできなくなる日が来る。
 だからこそ、その日その日を大事に、とは思うけれど、時にはしんみりしてしまうのも、仕方ないよね。

 

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2007/03/14

「沈 丁 花」余聞余分

今年も沈丁花が咲きました」にて、話の流れで旧作の「沈 丁 花」を当該記事の文末に載せている。
 その「沈 丁 花」にpfaelzerwein 氏よりコメントを戴いた。
 旧作だけあって、ホームページにアップした際にも別の方(S・Y氏)よりコメントを戴いていた(正確に言うと、本作は、数年前まであったニフティの文学(創作)のフォーラムにて最初に創作しつつアップ(03/09/30 )し、その後、ホームページにアップ(03/10/01)したもの。コメントは、フォーラムにアップさせた際にS・Y氏より戴いたものである。無精庵というは創作のフォーラムでの小生のハンドルネームである)。
 掌編の本文及び以前戴いたコメントは別窓に掲載しておいた。この時もS・Y氏に戴いた評にあれこれ思ったものだったが。

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← 今冬は東京には記録に残るような雪は降らなかった。その代わりというわけではないが、植え込みに小雪の降りかかったような情景などを……。

 今回、事情(ニフティにおける一部海外のIPアドレス規制か?)があってミラーサイトpfaelzerwein氏より戴いたものをここに転記する(本来は、ココログの当該の記事に寄せるはずだったという。pfaelzerwein氏のサイトは、「Wein, Weib und Gesang」)。

 浮き彫りにされている人称(自称・他称・不定称など)の混乱の問題は、以前にも他の方から(本作に寄せてではないが)指摘を受けたことがある。以下の問い掛けへのレスは、どうしたものか……。著作権者であろうはずの小生(創作時の小生は、若干、飛んでいるので、雲を摑むような存在だ!)らしく保留にしておく!:

オレはオレのオレ自身のもの  by pfaelzerwein

いつもながら若々しい感性に驚いています。東京都知事選出馬とはいかがしょう。日活青春映画のワンシーンのようですね。なので、これを俺シリーズでなくて三人称に読み変えてみますと、「何故?」にの効果が強まるようです。それとも「沈丁花」の香りも含めて一般化してしまうと、やはり趣旨に反するのか?

「オレははっきりと、いつのことだったかを覚えている」のオレと、「オレはあの時、どうして彼女を拒否した? 」のオレと、「オレは彼女が好き」のオレは各々違うオレですね。オレの混用は、最終的に語り手オレを浮き出させる事になりますが、すると最も興味を抱かせる「何故?」の問い掛けはオレのオレ自身のものになりますね。そこで自閉してしまうと、タイトルの「沈丁花」の香りも広がらずに閉じてしまう。このあたりの具合の悪さが、創作意図にもなっているように察しましたがどうでしょうか?

「沈丁花の小花の束に顔を埋めて」いるのは二番目のオレで正解と思いますが、どうでしょう。著作権者の反応が楽しみです。


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2007/03/13

ディケンズ…虐げしは何者か?

 マイケル・モーガン著の『アナログ・ブレイン  脳は世界をどう表象するか?』(鈴木光太郎 訳、新曜社)を先週来、読み続けている。
 題名からも分かるだろうが、実験心理学と認知神経科学の専門家が書いた、最新の脳科学の本である。
 この分野の本を読み漁ったというわけではないが、文章の明快さと説の斬新さも相俟って、なかなかの好著だと思う。

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→ マイケル・モーガン著『アナログ・ブレイン  脳は世界をどう表象するか?』(鈴木光太郎 訳、新曜社) 脳科学関連の本では久々の快著だ。過日、図書館に行ったら、新規購入本の書架で見つけ(というか、本のほうから目に飛び込んできた!)、慌てて手にしたっけ。

アナログ・ブレイン 新曜社」を覗いてもらえば、本書の性格が分かってもらえるだろう。小生が下手な紹介や読解を示すのは控えておく(まだ、半分余りしか読んでいないし)。
 読了していないのだが、貧乏していなかったら、間違いなく購入していただろう(買いたい!)本である。多少の時間を置いて、再読を試みるかもしれない。

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2007/03/12

雨降りや傘差し運転やっちゃった!

 今朝というべきか、昨夜というべきなのか迷うが、妙な夢を見た。
 今朝か昨夜なのか迷うというのも、今朝、起きたのは十時頃。就寝したのはというと、朝の(!)六時を回っていた。
 常識的には今日の朝に寝入り、今日の午前中に目が覚めたという表現にすべきなのだろう。
 ただ、小生の感覚からすると、時間的には朝の六時であっても、それは昨夜の延長、真夜中の終わり、ちょっと長すぎる気味はあるが、いずれにしても、昨日の長~い夜の果ての未明に眠りに就いたという感じなのである。

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← 十日撮影。タクシーの運転席周辺画像。機器・装備が満載。カーナビが装備され、いよいよデジタル無線が始まる。

 夢というのは小生のこととて他愛もない。

 多分、小生の田舎でのこと。結婚式の会場へ向うことになった。
 結婚式といっても、小生が結婚するのではなく、多分、姪っ子か甥っ子の結婚だったような気がする。
 生憎の雪模様の空。
 北陸特有の陰鬱な曇天から雪(雪だとしても水っぽい感じがした。あるいは冷たい雨)が降っている。
 足元は、氷雨で泥濘(ぬかるみ)となりつつある雪の道。
 根雪や圧雪も溶け始めていて、舗装された道路が轍(わだち)に沿って黒っぽく垣間見えているから、三月も終わり頃だろうか。

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2007/03/11

年経ても維新の息の今にあり

 車中では勝小吉著の『夢酔独言』(『平子龍先生遺事』を収録。勝部真長=編、平凡社ライブラリー)を読んでいて、日を追うようにして自宅では勝 海舟著の『氷川清話』(江藤 淳・松浦 玲編、講談社学術文庫)を読んでいる。
『夢酔独言』は、勝海舟の父君・勝小吉の著述で、天衣無縫というか、幕府の旗本の末裔ながら、力を発揮する場もなく、幕府から碌も貰えず、憤懣やるかたない滾り立つエネルギーを無闇に発散させている。

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→ 勝小吉著『夢酔独言』(『平子龍先生遺事』を収録。勝部真長=編、平凡社ライブラリー)

 彼は学問が性に合わず、文など書けなかったが天保の改革の時、老中より蟄居を申し付けられ、その際、文筆を覚え、このような特異な、得がたい著述を著した。自分の情けない人生を反面教師にしろと。
 ある意味、これもまた我が侭勝手な理屈ではあるのだが。
 本書で改悛の情を示したというべきなのか。だから、息子の名前も海舟と名付けた! …なんてのは冗談として。

 勝 海舟著の『氷川清話』は、云うまでもなく、幕末に手腕を発揮し、江戸城無血開城を果たし、幕末から明治維新の特に江戸の町の混乱を最小限に抑えた功労者の自伝である。

 要するに勝海舟本人と父との親子鷹ならぬ親子本を読んでいるというわけである。
 いずれも無類の持ち味を持つ稀有な本。女性は分からないが、男子だと結構、ワクワクしつつ読める本だろう。

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2007/03/10

三宅島で公道レースだって?!

 一昨年だったか、三宅島で公道レースを行なうという構想があると、ラジオで聴いた。またしても、石原都知事の発案のようだった。
 この話題は、オートバイレース好き、イベント好き、都政ウオッチャーの間を即座に駆け巡ったようだ。
 発表当時、マスコミを賑わし、いろんな方がいろんな意見を、あるいは期待を持たれていた。
 例えば、「“村おこし”三宅島の公道オートバイレース:中島:コラム:スポーツ報知」という昨年六月の記事が今も読める。

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← 88年から91年まで乗っていた「CBR750F スーパーエアロ

 冒頭に、「東京都の石原慎太郎知事が、三宅島でオートバイレースを来年にも開催したいと話している。噴火の“後遺症”で観光客誘致もままならず、復興に苦しんでいる島に、何とか活気を取り戻したいとの考えからのようだ。」とあり、さらに続けて、「この考えは思いつきではないようで、(石原都知事は)公道を使ったオートバイレースとして最も長い伝統を持つマン島TTレースを、三宅村の平野祐康村長らと共に5月29日に視察している。マン島TTは5月から6月にかけて2週間がレースウイークとなっていて、昨年は狂牛病騒ぎで中止になったが、今年は2年ぶりの開催で大賑わいだ。」とある(カッコ内は小生が補った)。

 マン島TTレースについては、この頁に大よそのことが書いてある(文末サイト参照)。


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2007/03/08

「土を喰う日々」からあれこれと

3月8日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗く。今日もいろいろあったことが分かる。
 採り上げたい事件や人物は少なからずあるのだが、今日が誕生日である作家の水上勉のことを少々かなと思う。

 というのも、あるサイトで小生の拙稿である「ウロボロス…土喰らうその土さえも命なる」が面白いと紹介されていたのを昨日、7日に見つけた。

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← 水上勉著『土を喰う日々』(新潮文庫)

 紹介されるのは光栄なのだが、感想は付されていなかったので、どこがどう面白かったのか分からないのが歯がゆい。
 その拙稿の中で水上勉著の『土を喰う日々』(新潮文庫)を採り上げていたのである。
 まあ、これも何かの縁だろうし、せっかくの機会なので、思いつくままメモっておこうと思ったわけである。
 けれど、水上勉のことを採り上げるにはいささか準備不足の感が否めない。
 なので今日は、彼の本『土を喰う日々』に啓発されて数年前に書き綴った瞑想の数々を断片的に示すのみに留めておく。

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2007/03/07

箸のこと端までつつき橋架けん

 昨夜、NHKラジオ第一の「ラジオ深夜便」で、箸の話(インタビュー形式)があった。
 どうやら、「箸作りから箸遣い」という題名で、インタビューを受けているのは、箸製造業の浦谷兵剛氏のようだった(聞き手は、須磨佳津江さんだったかどうか、心もとない)。
 箸は、日本固有の文化ではなく、東アジアに広く共通する文化で、今や、日本食などの海外への普及もあって、欧米にも広まっている。

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→ 今日のテーマは箸! 「はし」つながりというわけではない(こともない)が、橋の上からの光景。2月28日、港区の札の辻なる橋である。ここからの東京タワー方向の眺めも絶景?!

箸 - Wikipedia」によると、「世界の約3割の人が、箸で食事をしているとの統計もある」とか。
 箸が日本固有の文化ではないとしても、箸(や御飯茶碗)については、箸の形も含め日本特有の習慣めいたものはある。
 一番、日本の特色となっているのは、「古来から日本の家庭の箸の使い方で特徴的なのは、属人器であり、各人の専用の箸(茶碗も)が家庭内で定められていることである」という点だろう。
 小生は東京では一人暮らしなので、箸もスプーンも割り箸も何もかも、我輩のもの!
 けれど、既に離れて数十年となる郷里の家には今もマイ箸がある!

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2007/03/06

今日の日で古今東西くくれども

 この頃は、「3月6日 今日は何の日~毎日が記念日~」を夜半になると覗いてしまう。
 習慣というより、もう、半ば癖のようになっている。
 今日と云う日も古今東西、いろいろなことがあり、いろんな人物が生まれ、あるいは亡くなっている。単なる時系列上の一点に過ぎないのだけれど、そこに縁や何かを感じ取ってしまうのが人間なのだ、なんていうのは大袈裟か。
 例えば、某所で誰かが病気で、それとも事故や事件で亡くなったとする。すると、その某所は、墓所と同じように縁(ゆかり)のある場所として看做され、何らかの思い入れを以て眺められることになる。

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→ ミケランジェロ「ピエタ(Pieta)1499年」(「サルヴァスタイル美術館 ~西洋絵画と主題解説~ ミケランジェロ」より)

 小生など、仕事柄、都内を車で走り回っている。
 すると、都内の交差点やガードレール、あるいは緑の分離帯などに花束がポツンと置かれてあるのを目にすることがある。
 それも、日に何度も、ということがある。
 何も同じ場所を通り過ぎたから、ではない。
 そう、交通事故現場なのである。それも、花束がわざわざ手向けられているということは、死亡事故だと思って間違いない。
 都内は人口比率からすると死亡事故の数は北海道や千葉その他に比べると、相対的に少ない。
 それでも年間、数百件の死亡事故がある。

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2007/03/05

国芳の多彩な画業猫ゆずり?

3月5日 今日は何の日~毎日が記念日~」を今日も覗く。
 あれこれ興味のある事項がある。
 ピエール=シモン・ラプラスなど、「ラプラスの悪魔」(「ラプラスの魔物あるいはラプラスの魔」などとも)なる有名な主張もあって、天文学や物理学ファンや、さらにはある種の哲学好きには瞑想に誘う人物である:

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。(『確率の解析的理論』1812年)

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→ 今 市子「百鬼夜行抄」(「平成18年度(第10回)文化庁メディア芸術祭 優秀賞 百鬼夜行抄 文化庁メディア芸術プラザ」より)

「後に明らかにされた量子力学により、原子の位置と運動量の両方を正確に知ることは原理的に不可能であることが分かり(不確定性原理)、また、原子の運動は確率的な挙動をすることが示され、ラプラスの悪魔でさえも未来を完全に計算することはできないということになった」というが、必ずしも命脈が絶たれた主張というわけでもないようだ。

 ここには、さすがにキリスト教などの絶対神の存在への畏怖の念が読み取れるようでもある。
 物理学の観点からは魔物は、とりあえずは棺桶に眠らされたのかもしれないが、罪と自由という宗教的な疑問との絡みからは今も厳しい問い掛けに繋がっていると思われる。

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2007/03/04

ドンドンアップしている!

無精庵方丈記」なるブログ、ドンドン、アップしています。
 最近、駄文系が多いけど、いいよね!

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藤原新也…鳥葬も地・水・火・風の証かも

[表題の「鳥葬も地・水・火・風の証(あかし)かも」については、「鳥葬」なる頁など参照。]

3月4日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗いてみる。
 気になる事件や人物が少なからずいる。
 今日が誕生日の人というと、『四季』のアントニオ・ヴィヴァルディ、『カインの末裔』『或る女』の有島武郎(高校時代に『或る女』を読んだ興奮は今も鮮やか。ガッカリしたくないので、未だに再読を控えている)、理論物理学者のジョージ・ガモフ(ガモフの本には随分、お世話になった)、俳優の天知茂、写真家の藤原新也……。

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← ジョージ・ガモフ著『不思議の国のトムキンス 新版ガモフ全集1』(白揚社) 小生はまるで理解など及ばないながらも、中学生の頃、読み漁っていたっけ。懐かしさもあって、91年頃に出た『G・ガモフコレクション』(白揚社)を揃えようとした。中途でやめたけど。

 今日が忌日の人には、考古学者のシャンポリオン、俳優でもあったアントナン・アルトー、歴史学者のカール・ヤコブ・ブルクハルト(学生時代、ブルクハルト著の『イタリア・ルネサンス期の文化』( 柴田 治三郎訳、中央公論社・世界の名著)も読んだが、カール・レヴィット著『ブルクハルト── 歴史の中に立つ人間』(西尾幹二/滝内槙雄訳、TBSブリタニカ)を読んだっけ。本書を読んだのは、小生、何故かカール・レヴィットの著作に魅せられていたこともあり、また、確か、ブルクハルトというのは、ニーチェが畏敬の念を抱いている人物だったからでもあって、これらの関心事を同時に満たしてくれる本ということで選んだような)、鈴木信太郎(ボードレールの『悪の華』)……。

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2007/03/03

南北に東西越える劇を見る

 過日、『日本史を読む』(丸谷 才一vs山崎 正和対談、中公文庫)を読了した。
 その中で、鶴屋南北(の芝居)はシェイクスピア劇の影響を受けているのではという指摘があった。

 シェイクスピア著『ロミオとジュリエトの悲劇』(本多顕彰訳、岩波文庫)なる本がある。
 映画は見ていないが、さすがに「ロミオとジュリエト」は読んだことがある。ずっと昔のことで、読みの浅い小生のこと、単なる悲恋ものという先入観を打ち破れたものかどうか覚束ない。

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← 豊国「糸や娘おふさ 岩井半四郎」(「心謎解色糸」より)

 この本の宣伝文句は、下記のようである:

五幕二十四場よりなるシェイクスピア初期の恋愛悲劇.積年のうらみをいだいて対立するヴェローナの二名家,モンタギューの青年ロミオと,キャプレットの美女ジュリエトの悲恋物語は,わが国でも古くは鶴屋南北が「心謎解色糸」として翻案し,またグノーの歌劇によっても紹介された.華麗な,みずみずしい抒情にあふれた傑作である.

 今更ながらなのだろうが、「(前略)悲恋物語は,わが国でも古くは鶴屋南北が「心謎解色糸(こころのなぞとけたいろいと)」として翻案し」という説明に引っかかった。

 これを読む限り、鶴屋南北(1755年-1829年)はシェイクスピアの作品を読み、彼なりに翻案したことは明らかであるように理解される。
 自明のことなの?
 歴史的事実?

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2007/03/02

春雨を待ちわびる日々花粉症!

 例によって月初めは索引の日、先月一ヶ月の小生の収穫一覧表を供する日である。
 と言いつつ、3月1日には、「クラスターなき世の中で暮らしたい!」なるクラスター爆弾を扱った記事を書いてしまった。その前夜にラジオで聴いた内容が深甚なもので、メモ書き程度に終わろうと、印象に鮮やかなうちに書き残しておきたかったのだ。
 同日の夜には、タミフルの問題もラジオで特集されていたので、両方ともメモしておいた。
 タミフルは、厚生労働省が1日になって徹底的な聞き取り調査を行なうことを決めたという情報があった。
 タミフルを備蓄するという政府の方針の是非が問われるだけに、政府の腰が重かったのも分からないではないが、ことは人命に関わる問題であるだけに、しがらみに囚われることなく調査してもらいたいものだ。
 インフルエンザは海外では安静第一が基本だという。
 日本は、風邪でもすぐに薬やお医者さんに頼ってしまう。これって悪い癖、安易な習慣なのではなかろうか。
 まず、安静を保ち、自分の体に免疫力を養うことが肝要に思うのだが、小生の考えは古いだろうか。

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→ 「剣幸/槇村レイ役」(「東海テレビ | 美しい罠」より) 

怪談は封印したの怖いのよ」(「白いドレスの女2007/02/01
「夢うつつ気づかぬうちの月替わり」(索引 2007/02/02
「あれこれとくねり捩(よじ)って書いてきた」(ミミズにオシッコ 2007/02/03
「妖怪に容喙しての要悔悟」(妖怪…幽霊? 2007/02/04
「「あれは夢ではなかった」のこと」(2007/02/05
「「あの場所から」書いた」(2007/02/06
「何想う今日は北方領土の日」(2007/02/07
「水鳥の戯れしごと我もけふ」(左 時枝 2007/02/08
「鼓聴きハナ肇から藤舎花帆へ」(2007/02/09
「オノレにはドーミエていたキホーテか」(オノレ・ドーミエ 2007/02/10

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2007/03/01

クラスターなき世の中で暮らしたい!

 昨夜、ラジオでクラスター爆弾の話題を聞いた(「J-WAVE」でだったかな。曖昧な記憶で申し訳ないが、JVC清水俊弘氏がゲストだったような)。
 クラスター爆弾の廃絶を目指す「オスロ会議」が開催されていたことは、テレビ・ラジオでも報道されていた:
クラスター爆弾廃絶目指す「オスロ会議」始まる」(2007年02月22日19時28分)

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← 『So Cartola』( Elton Medeiros / Nelson Sargento / Galo Preto、レーベル:Rob Digital) 最近、毎晩、寝る前に「リベルダージ愛唱歌集」(←我が愛盤である! 必聴!)と代わる代わるに聴いている。

「市民を無差別に死傷させ、人道面からの批判が強いクラスター爆弾の廃絶を目指して、ノルウェーが提唱した国際会議が22日、オスロで始まった。48か国と国連機関、NGO(非政府組織)が参加した」というもの。

 日本はというと、安倍首相の曖昧路線を反映してか、「米国、ロシア、中国は不参加。日本政府は会議の直前に参加を決めたが、「国際的にどう論議されているか理解を深めるため。CCWの枠組みで話し合うべきだという基本姿勢に変わりはない」と一定の距離を置いている」。
 つまり、様子見である。日和見主義というべきか。

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