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2007/02/23

土井さん、「超新星発見」から定家のこと

 水曜日の営業中、ラジオから「宇宙飛行士の土井隆雄さん、超新星発見」というニュースが聞こえてきた。
 こういう話題には目のない小生、帰宅して早速、ネットで情報を確認。
AstroArts - アストロアーツ」にて、「宇宙飛行士の土井隆雄さん、明るい超新星2007aaを発見 【2007年2月20日 VSOLJニュース(169)】」というニュースを発見。

97844800828551

← 堀田 善衞 著『定家明月記私抄』 (ちくま学芸文庫 )

「今年末にスペースシャトル「エンデバー号」に搭乗するJAXAの宇宙飛行士・土井隆雄さんが、超新星を発見しました」というもの。
 しかも、「土井さんは、天体観測が趣味のひとつです。2002年には、超新星2002gwを発見され、話題になりました。その土井さんが再び、超新星を発見されました。今回の超新星は、超新星2007aaと命名されました」ということで、ご自身、二度目(二個目)の発見なのである。
 上掲の頁には、「この超新星は、19.509日に山形県の板垣公一(いたがきこういち)さん、また19.643日に兵庫県の西はりま天文台の内藤博之(ないとうひろゆき)さん、飯塚亮(いいづかりょう)さんによって存在が確認されました」とある。

 文中の山形県の板垣公一(いたがきこういち)さんだが、斯界では有名な方。
 同じく、「AstroArts - アストロアーツ」の中の、「板垣さん、NGC 3147に超新星2006giを発見:今年6個目、通算22個目」なる記事を参照すると、「山形県山形市の板垣公一(いたがきこういち)さんが、NGC 3147に超新星2006giを発見されました。板垣さんは、9月に今年4個目の超新星2006epを発見され、その3日後には5個目の超新星2006etを発見されました。次々と自身の国内最多通算発見記録を更新中の板垣さんにとって超新星2006giは、今年6個目の超新星発見となり、これでご自身の超新星発見数は通算で22個となりました」というのだ。
 そう、通算22個というのは、あくまでご自身での通算なのである!

 かの土井さんについて、「土井さん、超新星を発見」のニュースをさらに見ておく(昨年の記事)。
「土井さんは日本人宇宙飛行士として有名ですが、昔からのアマチュア天文家としていろいろな天体を観測してい」て、「今回超新星を発見した観測所は、土井さんが2年ほど前にテキサス州ワイマー(Weimar)に建てたスター・リッジ(Starridge; 星の峰)観測所での発見です(ヒューストンから車で2時間ほどの距離にあるそうです)」とのこと。

97844800828622

→ 堀田 善衞 著『定家明月記私抄 続篇』 (ちくま学芸文庫 )

 超新星というと、「2002年度、ノーベル物理学賞を受賞」することになった小柴昌俊さん(の1987年、ニュートリノ観測、カミオカンデ)のことなども思うが、日本の古典好きな方なら、藤原定家(の「明月記」)を思い浮かべられる(かもしれない)。

藤原定家の明月記 ~M1かに星雲の超新星爆発の古記録~」なる頁を参照させてもらう。

 藤原定家の「「明月記」の中にある「客星」の記事を、日本のアマチュア天文家が英文で世界に紹介した事で、世界中の天文学者の知るところとなりまして、それまでは理論上のものであった「超新星爆発」の初の実証例として認められるようになりました」というのである。
 文中の「客星」とは、「通常でない一時的な天文現象で、今日言うところの超新星又は彗星その他発光を伴う気象現象なども一部含まれる幅の広い意味に使われて」いたのだとか。

 嬉しいことに、「明月記」の当該部分を引用してくれている:

 後冷泉院・天喜二年四[五]月中旬(1054年5月20日~29日[6月19日~28日])以後の丑の時、客星觜・参の度に出づ。東方に見(あら)わる。天関星に孛(はい)す。大きさ歳星の如し。

 日本にも日本なりの天文学乃至は天文観測の伝統はあるのだろうが、多くの貴族は月も星も風情を感じる対象、風流ネタの一つに留まっている。

 実際、藤原定家の「明月記」に「客星」の記事が載っているとしても、彼が(後にM1かに星雲の超新星爆発と判明するところの)爆発当時の異常な輝きを見たわけではなかったようだ(超新星の爆発は1054年。一方、「定家が生まれたのは1162年」!ただし、「客星」の一つとしての彗星は肉眼で見ている!)。

 この点については(も)、「藤原定家は超新星を見たか?」が参考になる。
 定家は彗星を見て仰天し、「客星の事、不審により泰俊朝臣(やすとしあそん)に問う」たのであり、その返事として、かくかくの事実がありましたという返答を「明月記」に記したのだという。

「明月記」は、「難解にして厖大な漢文日記」であり、いざ読むとなると、なかなかしんどい。
 その点、堀田善衛著の『定家明月記私抄』(ちくま学芸文庫)は、堀田善衛の世界へ、あるいは藤原定家(の明月記)の世界への格好の入門書あるいは案内書になってくれる。
紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ―源平争闘し、群盗放火横行し、天変地異また頻発した、平安末期から鎌倉初期の大動乱の世に、妖艶な「夢の浮橋」を架けた藤原定家」なのである。

 引用文中の「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」については、拙稿を参照願いたい:
侘と寂と宗教と

 この冒頭近くで、下記のように書いているが、堀田善衛著の『定家明月記私抄』などを読んで、その余韻というか読後感が濃厚な時期だったとあからさまに分かる:

 その藤原定家は、「世上、乱逆追討耳に満つと雖(いえど)も之(これ)を注せず、紅旗征戎(せいじゅう)吾事に非ず」と嘯いた。「紅旗征戎(せいじゅう)」とは、「朝廷の旗を掲げて、外敵を征する」の意である。世が戦乱に明け暮れようと、そんなことは日記に書かない。そんな戦ごとなど俺の知ったことではないというのである。
 こう、定家が日記「明月記」に書いたのは彼が18歳の時のことだった。彼は徹底して身辺雑記など等身大の関心事を書きつづけたのである。

 藤原家の傍流で出世は望めなかった。だからといって18歳でこのような決心を固めるとは!
 が、その故に、彼は時代を超えて生き残っているのだろう。

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コメント

「今年末にスペースシャトル「エンデバー号」に搭乗するJAXAの宇宙飛行士・土井隆雄さんの話題を採り上げながら、延び延びになっていた「政府の情報収集衛星としては4機目となる衛星」のことが気になっていた。
それが、本日、ようやく成功。スパイ衛星の一つなのだろうけど、そんなことは抜きにして、宇宙へ衛星が打ちあがられたってこと(成功も含め)自体に感激する単純な小生なのです。

「情報収集衛星打ち上げ成功」
http://www.nhk.or.jp/kagoshima/lnews/01.html

政府の情報収集衛星としては4機目となる衛星が、24日午後、種子島宇宙センターからH2Aロケットで打ち上げられ、予定通り地球を回る軌道に入って打ち上げは成功しました。

政府の情報収集衛星を載せたH2Aロケットの12号機は、打ち上げ5秒前にメーンエンジンに点火、続いて2本の補助ロケットにも点火され、24日午後1時41分、ごう音と共に発射台を離れました。

ロケットはこのあと補助ロケットや1段目を切り離して上昇を続け、打ち上げから23分後までに予定通り、衛星が切り離されて地球を回る軌道に入り、打ち上げは成功しました。

情報収集衛星は、カメラとレーダーを使って500km上空から地上にある1mのものを見分けることができる事実上の偵察衛星です。

3年前、打ち上げに失敗したため、現在、配備されている3機では撮影できる場所や回数が制限されていましたが、今回の打ち上げで計画の4機がそろい、地球上の全ての場所を1日に1回撮影することができる体制が整いました。

この計画のJAXAの責任者は、立川敬二氏! あれっ、どこかで見聞きしたことのある名前……。
そう、NTTドコモの社長だった方:
http://www.jaxa.jp/article/interview/vol13/index_j.html

投稿: やいっち | 2007/02/24 20:07

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