野見山朱鳥…ただに見る死して滾れる赤と火と
「2月26日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗いて、ちょっとびっくり。
昨日付けのブログ「ホラなのか島清の言悲しかり」で採り上げた島田清次郎(1899-1930)は、1899年の今日26日に生まれたんだって。
これは全くの偶然。
島田清次郎のような悲劇の<天才>作家がいたこと、今では地元など関係者の間以外では忘れられた存在だということなどは小生、個人的に銘記しておくつもりである。
← 横山大観《生々流転》(「東京国立近代美術館 所蔵作品展 近代日本の美術 特別公開 横山大観《生々流転》」より部分)
余談ながら、小生の迂闊さを物語るものなのだが、島田清次郎は東京は白金台の明治学院に転校し、一時的ながらでも在籍していたことに、今、気づいた!
明治学院については、我が敬愛する作家・島崎藤村が教鞭を取った学校であることもあって、仕事柄、都内を走り、明治学院の傍を通ることも少なからずある小生、直接の関係はまるでないにも関わらず、妙に気にかかるのである。
その近くに小生が十年弱ほど居住していたのだった:
「岡本綺堂『江戸の思い出』あれこれ」
だが、そうしたことだけなら、ほとんどこじつけの域を出ないかもしれない。
実は、過去、好きな女性が……。
あとは書けない!
今日は他に、室鳩巣、ヴィクトル・ユゴー、オノレ・ドーミエ、岡本太郎、日高敏隆、山下洋輔、三浦知良らが生まれている。
今日が忌日という人物はというと、間宮林藏や橋本関雪や横山大観、衣笠貞之助、ヤスパース、野見山朱鳥ら、いろいろいるが、このブログは、もともとは季語随筆を謳い文句にしていたこともあり、今日は野見山朱鳥(本名は野見山正男)のことを少しだけ採り上げてみる。
評論などはおこがましいので、できる限り、朱鳥の句を掲げるようにする。
→ 橋本関雪「枝頭暮月」(「姫路市立美術館デジタルミュージアム 橋本関雪」より)
小生は、既に過去、下記の2句を紹介している:
逢ふ人のかくれ待ちゐし冬木かな
うれしさは春のひかりを手に掬ひ
ネット検索してみると、やはり、「閑話抄」サイトの「野見山朱鳥」(のみやま あすか)なる頁が筆頭に現れる。
以下の2句が紹介されている:
蝌蚪に打つ 小石天変地異となる
火の隙間より花の世を見たる悔
「蝌蚪(かと)」とは、「オタマジャクシの別名。[季]春。《この池の生々流転―の紐/虚子》」のようだ。
「蝌蚪の水」と書くと、「オタマジャクシの泳いでいる水たまりや池」だとか。
「悔(かい)」とは、「悔悟(かいご)」のこと。
野見山朱鳥は、「絵画を志すが胸を病み、版画に転向、後句作に集中する。病は回復再発を繰り返し、人生の三分の一は病床にあった」という。
「昭和20年「ホトトギス」に投句し始め、虚子に『曩に茅舎を失ひ今は朱鳥を得た』と賞賛される」とも。
但し、この頁では、「2月21日、52歳で死去」となっているのだが、さて。
野見山朱鳥(あすか)については、さすがに地元が紹介に熱心である:
「西日本シティ銀行:地域社会貢献活動:ふるさと歴史シリーズ「博多に強くなろう」 野見山朱鳥 彗星のように出現した朱鳥」から「西日本シティ銀行:地域社会貢献活動:ふるさと歴史シリーズ「博多に強くなろう」 旅を愛し駆けぬけた人」
名前の朱鳥(あすか)の由来も含め、縷々語られていて、これらの頁(対談)を見つけ出しただけで、本稿を書く意義はあったような気がする。
野見山朱鳥は八女(やめ)に住んでいた坂本繁二郎(さかもとはんじろう)画伯を敬慕していたというが、坂本繁二郎(1882 / 1969 )は没後40年にもならないので、画像を掲げるのが難しい。
← 「坂本繁二郎展図録」(「坂本繁二郎展ブリヂストン美術館ミュージアムショップ - gooショッピング」より)
ここでは、下記の句の数々を掲げつつ、朱鳥について語っている:
火を投げし如くに雲や朴(ほお)の花
なほ続く病床流転(るてん)天の川
われ蜂となり向日葵(ひまわり)の中にゐる
爪に火を灯(とも)すばかりに梅雨貧し
生まれ来る子よ汝(な)がために朴(ほお)を植(う)う
雪を来し足跡のある産屋(うぶや)かな
炎天を駆ける天馬に鞍を置け
永劫の涯(はて)に火燃ゆる秋思(しゅうし)かな
絶命の寸前にして春の霜
つひに吾れも枯野のとほき樹(き)となるか
愁絶(しゅうぜつ)の眼を見ひらける大暑かな
水飲みに兵士の如く蟻来(きた)る
蟻の列吹き飛ばしたる帚(ほうき)かな
大蟻の飛ぶがごとくに駆けりけり
鮎食べて音のよろしき竹筒酒(かっぽざけ)
天高く地に菊咲けり結婚す
蝶の恋まぶしきまでに昇りつめ
吾子(あこ)の吸ふ乳房よ雲の峯より張れ
さくら咲き露天坑底一草(ろてんこうていいっそう)なし
秋風や日向(ひゅうが)は波の大き国
大卯浪(おおうなみ)青島びびとうち震ひ
「西日本シティ銀行:地域社会貢献活動:ふるさと歴史シリーズ「博多に強くなろう」 旅を愛し駆けぬけた人」にはさらに10句余りが紹介されている。
やはり、この句がいい!
うれしさは春のひかりを手に掬(すく)ひ
なお、野見山朱鳥の絶句は:
腹水の水攻めに会ふ二月かな
亡き母と普賢(ふげん)と見をる冬の夜
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- オレは…待つだけの男!(2024.09.13)
- いまだにアゲハ蝶が一匹で舞ってる(2024.09.12)
- 我がブログ日記20周年!(2024.09.10)
- 痒いというより痛い!(2024.09.09)
- 夏の終わりを告げる小さな異変?(2024.09.08)
「文学散歩」カテゴリの記事
- 吾輩は庭仕事で咆哮してる(2024.07.23)
- 徒労なる情熱それとも執念(2024.02.20)
- 指紋認証は止めた!(2023.11.29)
- あまりの寒さに我慢がならず(2023.11.19)
- 横川の釜めし今も健在(2023.11.15)
「俳句・川柳」カテゴリの記事
- ナイチンゲールのローズ・ダイアグラム(2023.05.26)
- 蝉時雨に梅雨明けを予感する(2020.07.29)
- アレホ・カルペンティエール『バロック協奏曲』へ(2019.07.09)
- オリオンの真下春立つ雪の宿(2016.01.12)
- 苧環や風に清楚の花紡ぐ(2014.04.29)
コメント
>うれしさは春のひかりを手に掬ひ
「春のひかり」は、すてきですね。
やいっちさんの以前の投稿も拝読いたしました。
さすが、やいっちさん!
投稿: elma | 2007/02/26 06:33
elma さん、来訪、コメント、ありがとう。
自分でも過去、いろんな人に接しているんだなって、我ながらびっくり?!
elma さん、毎日、覗かせてもらっています。
また、10キロの街中散歩。あのでっかい甕にはびっくり。
島田清次郎の31歳は夭逝だけど、野見山朱鳥の52歳での死も小生には若いと思える。
病弱を抱えて旅に明け暮れたとか。
齧る程度だけど、調べてみるに価する俳人でした。
投稿: やいっち | 2007/02/26 09:24
やいっちさん、○回目のお誕生日おめでとうございます。以前は日付が変わってすぐに掲示板にカキコしたけれど、今回は眠っていました。すみません!
やいっちさんの今日からの1年がまた、素敵なことがたくさんありますよう、お元気で執筆活動ができますようにとお祈りしています♪
投稿: ゆうこ | 2007/02/26 19:12
ゆうこさん、忙しい中、来訪、メッセージ、ありがとう。
小生、これからも淡々とやっていくつもり。
まずは体を大事にと思っています。
投稿: やいっち | 2007/02/27 07:50