ホラなのか島清の言悲しかり
[下記は、某コミュニティで昨日書いたコメント。ホラが話題になっていたので、ちょっとカキコしたのです。本日のテーマは、島清(しませい)こと「島田清次郎」]:
ホラかい? それは難しいね。 だってほら、法螺貝を吹くにゃ、肺活量が要る。 ホラを吹くにゃ、ユーモアと批評精神の両方が必要。 それにね、ホラを吹くって言うけど、本来は、ホラじゃなくってホウラだったんだよね。それが何故か音が略されてホラになっちゃった。← 地人会第99回公演 『島清、世に敗れたり』
もともとは、「「法螺を吹く」とは「仏の説法」のこと」だったの:
つまり、遠くの人にも(言い換えると我輩のような凡愚にもってことだよ)説法が届くようにってことなの。
理想って、大概、実現しないから、理想を口にする人って、大抵、言行不一致でホラ吹きで終わる。
悲しいね。小生思うに、最近の一番のホラは、安倍首相の「美しい国を作る」って宣言だね。そんな国、実現して欲しくない。ってか、無理。一つ(一人)の価値観や尺度で見て美しい国って、ヒットラーの発想だ。
安倍首相にユーモアがあるかどうかは分からないが、彼の宣言は、恐怖感を覚えさせる、とんでもないブラックホラだ!
すると、ある人に、小生の「理想って、大概、実現しないから、理想を口にする人って、大抵、言行不一致でホラ吹きで終わる」という一文に付いて、下記のコメントを戴いた:
「建前を大切にしなさい。陳腐でも正しいことを、建前と言うのだから」~愛すべき娘たち~より(白泉社)女性をテーマにしたコミックだけど、やいっちゃんがこの世界に共感してくれると嬉しいな!
小生、下記のようにレス:
もちろん、自分の夢、仲間同士が共有する夢という意味では、理想も、その意味での建前(ホラ)も大切だよね。
まあ、短文での遣り取りなので、舌足らずなのは明らか。
ホラはともかく、小生も文筆で立つという夢はあった。でも、叶わなかったし、叶いそうにない。
ってことは、小生にとっては、文筆で立つは言動としてはホラに終わっている。
まさに言行不一致でもある。
が、その夢が叶わないと実感している今も、書くことはやめないでいる。
書くことが楽しみでもあるし、仕事以外では、自宅では書くことと読むこと(眠ること)しかすることがない!
そんな感懐を抱いていたら、あるSNCサイトで島田清次郎(1899-1930)を巡るコミュニティを見つけた。
→ 地人会第99回公演 『島清、世に敗れたり』
では、島田清次郎とは(小生にとって、全く未知の人物である):
「精神界の帝王 島田清次郎 on the Net」
このサイト(サイト主には、「島清blog」や「サイコドクターぶらり旅」などのサイトがある)で紹介されている島田清次郎の言動を幾つか拾ってみる:
日本全体が己れに反対しても世界全部は己れの味方だ。
世界全部が反対しても全宇宙は己れの味方だ。
宇宙は人間ではない、だから反対することはない。
だから、己れは常に勝利者だ。
「清次郎よ、汝は帝王者である。全世界は汝の前に慴伏するであろう!」
「人類の征服者、島田清次郎を見よ!」
こんな逸話もある(「島田清次郎の生涯」より):
(前略)ちょうどその前に外遊していた皇太子に自分をなぞらえて「精神界のプリンス」と自称。実際、アメリカでは大統領と握手しているし、イギリスでは文豪ゴールズワージーやH.G.ウェルズと面会、日本初の国際ペンクラブ会員にもなっている。アメリカの老詩人エドウィン・マーカムと面会して「貴方が島田さんですか、大層お若い」と言われ、「肉体は若いが、精神は宇宙創生以来の伝統を持つてゐる……」と答えたのもこの外遊中のことである。
「島田清次郎の生涯」の末尾には、「 「文芸ビルデング」昭和4年10月号には、「明るいペシミストの唄」と題された清次郎の詩が掲載されている」として、下記の詩が紹介されている:
わたしには信仰がない。
わたしは昨日昇天した風船である。
誰れがわたしの行方を知つてゐよう
私は故郷を持たないのだ
私は太陽に接近する。
失はれた人生への熱意――
失はれた生への標的――
でも太陽に接近する私の赤い風船は
なんと明るいペシミストではないか。
「島田清次郎は、今ではほとんど忘れ去られていますが、石川県出身で大正期に人気のあった作家です」以下、詳細は当該頁を覗いて確かめて欲しい。
ただ、それにしても、最後の一文は悲しい:
(前略)傲岸不遜な言動は文壇で嫌われ、女性スキャンダルで一般の人気も急落。早発性痴呆(現在の統合失調症)と診断されて精神病院に収容され、肺結核のため31歳で死去しました。
島田清次郎の場合にホラ吹きという呼称は相応しくないだろう。ひたすらに悲しいだけである。
← 『地上』(大映、製作年:1957年、キャスト:川口浩/野添ひとみ/川崎敬三/香川京子/田中絹代、スタッフ:監督: 吉村公三郎/脚本: 新藤兼人/原作: 島田清次郎/音楽: 伊福部昭/撮影: 中川芳久/美術: 間野重雄、角川ヘラルド映画DVD)
最後になるが、「2006年国際ほら吹き大会」って、ホントにあったのだろうか?
「木戸銭 401円(4月 1日にちなんで)」ってのが、ちょっと可笑しい。
「島田清次郎 地上 地に潜むもの」をネット(「青空文庫」)で読むことが出来る。
島田清次郎に関するものとして、杉森久英著『天才と狂人の間』(河出書房新社、1962年)があるとか:
「言葉の貝殻 天才と狂人の間」
「島田清次郎の記念碑」が石川県美川町に。
「o m n i v e r s e - 島田清次郎」で「自分への説法」を読むことが出来る:
何でもせよ
地上に立つてせよ
土を忘れるな
清次郎よ、お前は狂人にならうとしてゐる
お前は死なうとしてゐる
お前は悩み疲れてゐる
それはお前が悪いのだ
お前が自信もないくせに高慢になつたからだ
お前はもうすつかりえらくなつたやうな気になつたからだ
ちつともえらくないのだ
えらくないのだぞ
汝はだめなのだぞ
よつく見よ、分ることだ
妄想してはいけない
正しく眼をひらけ
若々しくあれ
真に眼をさませ
凡人でもよいのだ
凡人でもよいのだ
外を見るな
内を見よ
ああ、やっぱり、悲しくなる!
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