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2007/02/27

オルフェ…目と耳と古今東西駆け巡る

 日曜日、二週間ぶりに図書館へ。この頃、二週間に一度のペースになっているけれど、読書のペースが落ちているわけじゃない。
集英社ギャラリー 世界の文学 (9) フランス4』を延々と読み続けているだけのこと。
 前にも書いたが、「異邦人/壁/水いらず/泥棒日記/なしくずしの死/ル・パラス/ジン」が所収となっている中、「異邦人/壁/水いらず/泥棒日記」までは読み進め、現在、セリーヌの「なしくずしの死」に取り掛かっている。

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← 『集英社ギャラリー 世界の文学 (9) フランス4

 もう、セリーヌの世界にどっぷり! 学生時代の終わり頃だったか、古本の『夜の果てへの旅』(中央公論社版世界の文学)を読み浸った興奮と現在進行形で読む興奮とが二重奏となって波打っている。
『夜の果てへの旅』が大人となったセリーヌの絶望的な旅だとしたら、本書は、セリーヌの生い立ちを彼らしい破天荒な表現で描ききっている。
 それにしても、当初は三月末には1200頁余りの本書を読み終えるつもりが、ちょっと見通しが狂ってきたというか、四月一杯になりそう。
 ま、慌てる必要はない。
 数年前から、ある意味、敬遠していた長編小説への挑戦を始めたのだった。


 学生時代、その後のフリーター時代は時間があって、一度読み始めたら、徹夜になろうと意地でも短期決戦で読み通したものだった。
 長編のそれぞれの作家の文学世界に一旦、入ったら、世事に煩わされたりするのが嫌だった。
 また、嫌だったら避けることもできた…若さの故なのかもしれない。

 が、サラリーマンになってからは、小説を含め読書はやめなかったものの、長編の本は敬遠するようになった。
 読む気力・体力も失せたからなのだろうが、纏まった時間を読書に割くなんて夢のまた夢になったからでもあった。
 途切れ途切れに大作を読んでも感銘など受けるはずがない、断片を齧り齧りでは、そもそも長編の世界に浸ること自体、難しいに違いないと思い込んでいた。
 例えば、ドストエフスキーであれば、少なくとも小説に関しては長編・短編を問わず、全ての作品を最低3回は読んできた小生だが、81年にサラリーマン生活に身を沈めてからは、長編とはほとんど一切、縁が切れてしまった。
 唯一、94年の春から95年の秋口まで、本を渉猟したけれど、それは失業時代で時間が有り余っていたからだった。
 乏しい時間を寄せ集めて、集に二冊ほど読めるような内容(頁数)の本を読んで、読書欲を満たしていくだけ。

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→ G. ガルシア=マルケス著『百年の孤独』(鼓 直訳、新潮社)

 それが、何年か前、ふと、久しぶりにG. ガルシア=マルケスの『百年の孤独』(鼓 直訳、新潮社)に手を出してから、考えが一変した。
 本書は94年の失業時代に読んで感銘を受けたのだが、どうにも消化不良の感もあった。
 で、図書館へ行った際、ふとこの本が目に入ってきた。
 消化不良を解消しよう!

 読んでみて、小生の長編を敬遠する、今の生活パターンでは長編を読むのは無理だという思い込みは一掃されてしまった。
 週に三日は仕事で不在。本は文庫本、それもエッセイ的な本を気休めに車内に持ち込むだけ。
 自宅では終日、仕事の疲れもあって、ひたすらグロッキー状態の体を休めることに終始してしまう。
 それでも、ちょっと頭が動いているかなという束の間の時を見つけては、ちょびりちょびりと読み進める。
 読めるのは、上下に二段組だと老眼の小生、日に二十頁から四十頁がせいぜい。

 なのに、驚いたことに、一旦、前回、読み終えた箇所から続きを読むと、即座に作家の世界に没入できるではないか。
 というか、作家の筆力や表現力が小生の想像力を刺激し、彼らの世界へ引きずり込むのだろうが、とにかく、日々、断片的にしか読めないにもかかわらず、一旦、読み始めると、一日以上、時には数日もブランクがあるにも関わらず、まるでほんの数十分か数時間、雑事で本を持つ手が他へ回っていただけであるかのようで、ブランクが数日だろうと、数十分だろうと、同じようなものになってしまう。

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← ジェイムズ・グリック著『ニュートンの海 万物の真理を求めて』(大貫 昌子訳、日本放送出版協会)
 
 G. ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んで、その混沌とした、密林のような分厚い人間世界を賞味できた、その<体験>は大きかった。
 なーんだ! 牛歩だって関係ないじゃん! 
 それからは、トーマス・マンの『魔の山』の学生時代以来の挑戦、ドストエフスキーの再読、トルストイの『アンナ・カレーニナ』などなど、最近のマンの『ファウストゥス博士』と、年に数冊ほど、長編を読むことをノルマ(楽しいノルマ)としてきたのだった。

(で、さて、ここまでが前ふりで、ここからが本文です。)
 今も冒頭に書いた『集英社ギャラリー 世界の文学 (9) フランス4』を読み続けていて、ようやく500頁ほどを読んだところなのだが、同時並行する形で雑多な本を読んでいる。
 というのも、長編は嵩張る。
 ベッドで手に持って読むのは重くて辛い。
 また、気分転換に軽い(内容的に軽い、という意味よりも重さや厚さの点で軽い)本も読みたい。

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→ 勝小吉著『夢酔独言』(平凡社ライブラリー) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より)

 というわけで、自宅ではショパン夜想曲集」(ピアノ:ポリーニ)や「オルフェ」(「黒いオルフェ」の現代版?!)を聴きながら、ジェイムズ・グリック著の『ニュートンの海 万物の真理を求めて』(大貫 昌子訳、日本放送出版協会)を、車中の友として、勝小吉の『夢酔独言』(平凡社ライブラリー)を読み始めている。

 前者のジェイムズ・グリックという名前を見て、ピンと来る方は少なからずいるのでは。
 そう、『カオス』の著者である。
 ある意味、「カオス」や「フラクタクル」関連の話題の一般読書人への火付け役になった書き手(ジャーナリスト)だ。『カオス』は抜群に面白い本だった。理系に弱い人、数式に弱い人、そんな人も安心して読める。挿入されている画像が凄い。イメージが掻き立てられて、宇宙から身近な自然現象を含め、世界を見る目を豊かにしてくれた。
 そんな著者の本であり、且つ、小生にとってはガキの頃からのヒーローであり続けているニュートンについての本なのである。
 まだ、読みかけで感想は書けないが、読むのが楽しい。さすがに類書は数多ある中にあって、時代背景を調べ、新たな視点を与えてくれそう。ニュートンは、とにかく複雑な人物。一筋縄ではいかないとんでもない奴なのである。

 この先、感想を書けるかどうか分からないので、一部、転記してみる(「評者・中野不二男(ノンフィクション作家)/ 読売新聞 2005.10.02」より):

天才の伝記 人間臭く

(前略)主著『自然哲学の数学的諸原理 プリンキピア』の中でニュートンは……、などというこむずかしい予備知識は、まったく必要ない。活きいきと描かれる300年前の英国社会や人々の暮らしを背景に、“家庭の事情”を恨み、ぶつくさ文句をいいつつ大学へ通ったり、ペストで休校になり故郷へ帰ったりしながら、その間に自然界の法則を考えはじめてゆくニュートンの姿からは、声をかけたくなるような人間臭さが滲(にじ)み出す。しかも著者は、こうした描写を書簡や文献、記録などをもとに再現しているのだから、かゆいところにもちゃんと手が届いて心地よい。ウチの娘が通う公立中学の若い英語教師がニュートンの末裔(まつえい)なので、ますます親しみが湧(わ)く。それにしても、よくもまあここまで調べ上げたものである。
 何よりもニュートンが少年時代から青年時代にかけて疑問に思っていたことを、時系列でたどってゆくのは、そのまま理解の手ほどきになる。高校の物理の教科書などよりは、ずっとわかりやすい。たとえば例のリンゴの話だ。それはたぶん夕刻で、「家の裏の果樹園に腰をおろし」て月をながめていたニュートンの目に、枝からぶら下がっているリンゴが見えた。そして「リンゴも月も地球に向けて落ちる。ただし月は直線からそれて、地球のまわりに落ちていくのだ」と、後になって思い至る。なるほど、そういう背景だったのか、である。


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← 映画『オルフェ』(カルロス・ヂエギス監督) 「黒いオルフェ」の現代版! 「「カーニヴァルの朝」や、亡きカルロス・ジョビンの末娘マリア・ルイーザ・ジョビンが歌う「フェリシダーヂ(悲しみよさようなら)」など往年の名曲に、現代ブラジル最先端のラップを、ブラジリアン・ポップミュージックの大御所カエターノ・ヴェローゾが見事に融合させている」だって!

 後者の勝小吉の『夢酔独言』( 勝部 真長 編集、平凡社ライブラリー)は、これで通算、三度目になる本(但し、その都度、違う版で読んできた)。
 勝海舟の『氷川清話』もこれまで幾度となく読んできたが、海舟の父である勝小吉のこの『夢酔独言』も類書にない持ち味の本。
 天衣無縫という紋切り型の冠を被せたくなる傑物なのである。
 小生、寡黙な我が父の代わりに小吉に説教されているような気分で(?)、まあ、楽しみつつ読んでいる。今の時代にあっては、彼のような人物は危険人物で顰蹙モノとされるのは必定(喧嘩に明け暮れ、惚れた女ができたから、女房に取り次がせて囲うような奴なのだ!)。古き良き時代の、しかし、紛れもなく実在した人物なのだ。
(余談だが、『氷川清話』などを読んで、山岡鉄舟への関心が掻き立てられたのだった! なんといっても、「江戸城無血開城の立役者」なのだ!)

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