お寺の鐘が鳴ると胸が疼く
明治は遠くなりにけり、ではないが、小生にとって学生時代は遥か昔のことになっているような気がする。
ひたすら懐かしいばかりである。
まして、小学校や中学、高校となると、夢のようでもある。
いろいろ脳裏に思い浮かぶことはあるのだが、ふと、思い出されるのは始業・終業時間を告げるチャイムの音。そして懐かしい馴染みのメロディ。
この音は、学校の傍を通りかかったり、あるいはテレビのドラマで学校のシーンが登場すると、その雰囲気を醸し出すためだろうか、格好の小道具としてチャイムの響きがメロディと共に流れてくる。
→ ミレー 「晩鐘」 「鐘の音色に合わせ、死者へ祈りを捧げる農夫婦。本作は、夕刻の畑で、鐘の音に合わせて死者のために天使の祈りをするように祖母から教えられた、ミレーの幼い頃の思い出から描かれたとされている」(「ミレー-晩鐘-」より)
あのメロディには当然ながら原曲があり、曲名もある。
さらに、作曲者も分かっている。
「C&K Kompany」の中の「学校でお馴染みのあのチャイムはオルガン曲」によると、原曲はオルガン曲であり、曲名は「[Pieces de fantaisie pour orque Op.54/Carillon de West minster]...「幻想的小品 ウエストミンスターの鐘」」であり、作曲者は「ルイ・ヴィエルヌ(Louis Vierne 1870-1937 )」なのだとか。
「学校でお馴染みのあのチャイムはオルガン曲」では、この曲が戦後、日本の学校現場で採用されるに至った経緯と同時に、7分以上あるというオルガン曲も聴くことができる!
なお、「「ウエストミンスター・チャイム」。ウエストミンスターの鐘ですが、ロンドンのビッグ・ベンが奏でる時報のメロディーに由来」するということも、知る人は知っているのだろう(「a+ discovery 日本人と「ウエストミンスター・チャイム」」参照。また、「ビッグ・ベン」も)。
ところで、「ビッグ・ベン」を覗くと、「時計塔の高さは95m、鐘の直径は9フィート、重さは13.5トン。15分ごとに鳴る」などと書いてある。
特に、「15分ごとに鳴る」に引っかかる。
話は変わって(実は関連するのだが)、鐘というと、下記のような句が思い浮かぶ:
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規
名句なのか単に人口に膾炙しているだけなのか、迷ってしまう、まさに迷句である。
まあ、名句であることの重要な用件に誰もが知っており、且つ、すんなり口に出せるという点があるのなら、押しも押されもしない名句なのだろう。
さて、何も今日、この句の評価を小生が施そうというのではない。
それは不遜というものである。
あるいは、この法隆寺の鐘は一体、何時頃を告げているのかをも今は問わない。
それより、鐘が問題なのだ。
といって、最近、銅などの金属の取引値段が高騰していて、盗難が頻発している。だから、鐘の盗難に注意するべし、などと警鐘を鳴らすわけでもない。
鐘の音を問題にしようというのだ。
でも、音色ではなく、音を鳴らすタイミングの問題である。
ビッグ・ベンは上記したように、「15分ごとに鳴る」のだという。
その15分はどうやって知る?
時計によって時間を計っている。
当たり前である。
今では電波時計もあって、10万年に一秒も狂わない正確な時計も手ごろな値段で手に入る、そんな時代だから、15分が15秒であっても、困ることはないだろう。
尤も、鐘が15秒ごとに鳴らされたりしたら、煩くて困るだろう、多分。
問題は昔のことである。
昔も時計があったのかどうか。時計の起源はどうなのか、これを主題にするとまた長くなる。機械仕掛けの時計が発案され実用化されたのはそんなに昔はないようだ。
「古時計再生工房」の中の「時計の歴史」なる頁を参考にさせてもらう。
日時計などはバビロニアで紀元前約2000年には実際に使われていたとか。
(小生などは腹時計も時計の歴史に加えてもらいたいが、ま、課題として残しておく。)
機械式の時計は、今の所、遡ってもせいぜい14世紀のようである。
日本にも「和時計」なるものがあった。
「日本に初めて器械時計が持ち込まれたのは1543年の鉄砲伝来と同時と考えられており、当時より国産化へ向けての取り組みが為されていたものと思われる」というから驚きである。
小生などは、1543年の鉄砲伝来より、時計の伝来のほうが、ある意味、歴史的意義は大きいような気がする。
鉄砲の登場も世の中を変えたが、時計の伝来と実用化は、日常レベルで生活の在り方を、あるいは日常生活の意識の在り方を根底から変えたのではなかったか。
明るくなると同時に起きて、日没と共に仕事を、あるいは日々の生活自体も終えてしまう日常。
夜の深さを月が出ていたら、その月の位置などで見当をつけることもできただろうが、曇天や新月付近だとそれも無理(あるいは他に刻限を知る方法があったのかどうか)。
が、そんなことより、時計が日常の中に組み込まれることで、逆に人々の生活が時計の中に、つまり時間の進行の中に組み込まれていく。
でも、今日はそんな厄介な問題に深入りしない。
ちょっと気になるのは、機械式時計もない、そんな江戸の世での時間の計り方である。
大名や裕福な商人などは別として、庶民が時間を知る手段というと、チャイムならぬお寺の鐘だったのだろう(あるいは、他に太陽の位置そのほか、知りえる方法があったのかどうか分からない。今は問わないで置く)。
何かの本で仄聞したのだが、江戸時代、お寺の鐘は(今で言う)15分ごとにゴーンと鳴らされたという(「和時計 - Wikipedia」参照)。
15分おきなのかどうかは別にして、仮に半時おきだったとしても、問題は正確な時間をお寺ではどのようにして知っていたのか、である。
分からないのだが、恐らくはお寺は何らかのノウハウを持っていて、正確な時間を割り出し、決まった刻限に(恐らくは)きちんと鳴らしていたのだろうと思う(小生の推測)。
江戸の世にお寺がどのくらいの数があり、また全ての寺に鐘があったのかどうかも怪しい(あやふや、という意味)のだが、少なくともそこそこの町や村では、一つの行政単位には一つの鐘があったのではなかろうか。
鐘の音がどれくらいの範囲、鳴り響き届いていくのか、これも、恐らく文献に載っているのだろう。
江戸の世は既に商業が盛んになっている。
ということは、時間にシビアーな世になっているという意味でもある。
「ベニスの商人」ではないが、量や質に拘るのが商業のはず。当然、時間にも戦(いくさ)同様、徹底して拘っていたはずである。
商人がお寺の鐘の音で動いていたのかどうかは分からない。懐中時計に類したようなものを常時所持していたのかどうか。
けれど、日常的には、お寺の鐘の音を相当に頼りにしていたと思っていいのではなかろうか。
鐘の音を聞いて、誰もがある共同体の一員となる。
時間という基準座標軸を得る。共通の生活の地盤に立てるわけである。
江戸の世においては、すでに「時は金なり」の世に成り代わっていたようだし。
江戸時代の半ばには機械式時計もあるいはあったかもしれないが、町中の何処にも目立つように置いていあるというものでもなかろう。
やはり、お寺の鐘の音は重要だった。しかも、商人や役人、そのほかの人々にとっても、家の内外にあって、共通の尺度となる正確な時間(を知る手段)は重要だったわけである。
ネット検索したら、「重箱の隅|バックナンバー 710 「お寺の鐘」というメルマガの記事が浮上してきた。
曰く:
江戸城の時計の間には、江戸初期には砂時計、中期以降はオランダから来たゼンマイ時計があり、それが公式時計。この時計の間の時計係が太鼓の音で時刻を知らせる。すると、それを聞いた日本橋本石町の「町の時の鐘」の係が「カンカンカン」と鐘を鳴らす。その鐘の音を聞いて、お寺が鐘を撞いていた。
しかも、案の定なのか:
「町の時の鐘」の音が聞こえる範囲のお寺の鐘の音を聞いて、遠くのお寺が鐘を撞く、さらに遠くのお寺が…という具合に遠くまで伝えられていく。だから、同じ江戸といえども、場所によってかなりの時差があったようだ。
このメルマガの話は江戸城についての話。地方はどうだったのだろう。基本的に図式は同じだったのか。
江戸時代などはゼンマイ時計も貴重品だったろうし、日常的にはお寺の鐘が頼り。なので、後の世のように、夕方の五時にだけ鳴らすのではなく、一時や半時間隔ではなく、もっと木目細かく鳴らしていたと聞いたことがある(但し、典拠は忘れた。未確認情報としておく。地方によっては事情が違うことも考えられる。「和時計」参照)。
が、明治ともなると、時計が日用品に近くなってくる。懐中時計を持つ人も少なからずいるようになる。
学校にはチャイムに相当するものも設置されていったのだろう。
となると、お寺が鐘を撞く時間も、夕方の五時くらいに限られていったと考えられる(推測)。
よって、正岡子規のあの「柿食えば……」の句の鐘の音も夕方なのだと当たり前に思い込んでいる(思い込める)わけである。
← 今月6日の夕刻。運河脇に立って。
つまり、江戸のように時間を知るという切迫感や実用感より、一日が終わったよ、みんな、帰りなさいよという、郷愁感や寂寥の感に満ちた音色として聞こえるようになったわけである。
そのお寺の鐘も、実際に鳴るところは減っているのだろう。
その代わり、夕方五時の、役所からスピーカーを通じて流される郷愁の念を駆り立てるメロディが役目を果たしている。
あのメロディは、地域によって、時期によって違うのだろうか。役所で決めているのだろうか。これもささやかな疑問だが、まあ、そのうち調べてみよう(「裏・21世紀の歩き方大研究 夕方5時に流れてくる「たき火」のメロディー」参照)。
昔は刻限を正確に告げるものだったお寺の鐘。それが今では、夕方5時だけに撞かれるものになり、それさえも今ではスピーカーからのオルゴール音のみに。
♪夕焼け小焼けで日が暮れて山のお寺の鐘が鳴る。お~手々つないでみな帰ろ、カラスと一緒に帰りましょう。♪
などと口ずさみつつ、今日のブログはお開き!
(「夕焼け」と「小焼け」の違いは、という素朴な疑問にも今は封印!)
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コメント
♪夕焼け小焼けで日が暮れて山のお寺の鐘が鳴る。お~手々つないでみな帰ろ、カラスと一緒に帰りましょう。♪
懐かしいですね。やはり、こんなチャイムが鳴っていましたね。
また、ピンポーンピンポーンというチャイムも記憶にありますね。
小学校のころは、カランカランと守衛さんのような人がベルを手で鳴らしていた記憶もあります。(私って何歳?)
オルガンの曲が、やけに郷愁を誘います。
このごろ、チャイムなど聞かなくなってしまいました・・・。
投稿: elma | 2007/02/28 19:23
小学生の頃、夜9時半になると遠くから「トロイメライ」の音楽が流れてきて、家では消灯の時間と決まっていて、少し切ないような気持ちで、読んでいた本を閉じたことを思い出しました。
(今思えば何故あのころは、いろいろな所で、チャイムや音楽が流れてきたのだろう。誰も文句を言ったりしないで。それだけのどかな時代だったんでしょうか?)
投稿: maru | 2007/02/28 19:51
elma さん、コメント、ありがとう。
チャイムの音やメロディは、遠くなってしまった日々を思わせて懐かしい以上に切なくなってしまいます。
守衛さん! そう、学校には必ず(?)おられましたね。
先生もそうだけど、守衛さんというと、ズボンのお尻の辺りにベルトから手拭をぶら下げているっていうイメージがある。
チャイム、時間的に合うと近所の学校で今でも聞ける。思わず校庭や校舎を覗き込むけど、今の時代だから、不審者と間違えられそうで、ジッと見惚れているわけにはいかないのが寂しい。
まして、田舎の学校のように校庭を気軽に歩くことも許されないし。
これまた寂しい限り。
投稿: やいっち | 2007/03/01 07:55
maruさん、いろいろあった中、コメント、ありがとう。
夜の9時半にトロイメライ。初耳。確かに消灯・就寝に相応しいような。一体、どんな人が選曲しているのだろう。
チャイム、お寺の鐘、灯油の販売車のお知らせメロディ、豆腐屋さんのラッパ、火の用心の声や拍子木を打つ音……。
懐かしい音はいろいろありますね。
その分、中には煩い音もあったような。
現代は、夜中に聞こえる音というと、救急車などのサイレン。ちょっと侘しいですね。
投稿: やいっち | 2007/03/01 08:18