« あれこれとくねり捩(よじ)って書いてきた | トップページ | 「あれは夢ではなかった」のこと »

2007/02/04

妖怪に容喙しての要悔悟

 ようやく待望の(!)週末、連休がやってきた。正月以来のハードな営業の日々も一段落。昨日の土曜日の朝から今日の昼近くまで寝たり起きたり、ロッキングチェアーとベッドとを往復する、まさにグロッキー状態だった。
 今日の昼過ぎになって、頭は(いつものように?)ぼんやりだが、一応、眠気と疲労感は薄らいでいる。
 お陰で買い物も行けず、昨日からは買い置きのもの、有り合わせの物で空腹を誤魔化す。
 カップ麺(夕食も今日の昼食も)にパック入りの鱈にビスケットに…。
 
 さて、お馴染み「2月4日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗くと、あれこれ気になる事項・人物が載っている。
 既に採り上げた人物もいるが(岡田節人や加藤剛)、関心がありいつかは採り上げたいと思いつつも手が出せずに来た、喜多郎や伊東深水などなどがいる。

Leger11

→ Women with a Parrot 1952 「フランス国立 フェルナン・レジェ美術館」より。中学の時、複製で観たのは、これではないが、こんな風な……。

 最終的に誰にすべきか迷った候補は、共に今日が誕生日のフェルナン・レジェ(Fernand Léger: 1881年2月4日-1955年8月14日)と井上円了(井上圓了、1858年生まれ)だった。
 フランスの画家であるフェルナン・レジェの画は、確か、中学生時代に取っていた「蛍雪時代」の付録として彼の複製画が挟まれていたのを観たのが最初だったと思う(曖昧)。
 フェルナン・レジェの画は、(当時の小生には)あまりに奇怪な絵。

 あまりに変わっていたので、かのモディリアーニに負けず劣らず、印象に強く残った。
 でも、フェルナン・レジェについては後日、機会を改めて設けるつもり。小生の覚束ない記憶では、彼の作品(現物)を観たことがないはず。実作を見る機会を得たら、そのときに採り上げるのがいいだろう。

Reje0862

← The camper , definitive 1954 「フランス国立 フェルナン・レジェ美術館」より。不思議な魅力に満ちている。

 さて、井上円了(井上圓了)である。
 彼に付いては、小生は格別な思い入れがあるわけではない。
 過去、下記のような短文を綴ったことがあるだけ(「『明治東京畸人伝』を読みながら」より抜粋。一部、リンクを張り替えた):

 本文中に井上円了という名前が出てくる。小生には懐かしい名前である。といっても、別に彼の哲学思想に傾倒したというわけではない。小生は78年に学生時代を過ごした仙台から東京に越してきたのだが、我が東京での最初の居住の地は、新宿は西落合にある哲学堂公園の近くだった。
 その公園は、哲学者で東洋大学の創立者である井上円了が四聖(孔子・釈迦・ソクラテス・カント)を祀る三間四面の小堂「四聖堂」を建立したのが始まりなのである。
 その地に小生があった頃は、アルバイトに励みつつ、暇な折には哲学堂公園を初め、新井薬師など近所を歩いて回ったものだった。住んでいたアパートの名前がプリンス荘で、未だ若き哲学徒だった小生は、密かに哲学プリンスかと、自負の念にも駆られていたものだったが…。
 参考のため、哲学堂公園を紹介するサイトを示しておく:
哲学堂公園
 その若き哲学のプリンスがこのようになるとは、なんともはや、語るべき言葉を失う。
 さて(気を取り直して)、その円了だが、「妖怪学」の権威というか創始者として有名である。また、コックリさんの研究を始めてもいる。 彼は僧侶出身の仏教哲学者で、且つ国粋主義者でもあり、上掲の四聖の中にキリストが含まれず、代わりにカントが入っているのは、微笑ましいと思うべきなのか。とにかく興味深い人物ではあったのだ。

 転記した文中にもあるが、井上円了は「妖怪学」の権威であり創始者なのである。
 小生は、つい先日、「怪談は封印したの怖いのよ」なる文を書いている。
 妖怪と怪談を一緒くたにしては拙いと思うが、それでも無縁とも言い切れない。
 なんだか、一旦、幽霊だとか妖怪とかといった話を持ち出すと、後に尾を引くものらしい。
 困ったものである。
 余談だが、西落合については、苦い思い出がある(「我がガス中毒死未遂事件」参照)。

046354_1

→ 『稲生物怪録絵巻集成』(杉本好伸編、国書刊行会)

(たった今、思い出したというか気づいたのだが、小生、妖怪モノではないが、「ハイキング」なる掌編を書いたことがある。また、「手塚治虫作「雨降り小僧」」において、手塚治虫の妖怪漫画を紹介している。幽霊に関する雑文は、「幽霊の話を恐る恐る…」に纏めて収めてある。幽霊画(妖怪画)というと、歌川国芳、月岡芳年、河鍋暁斎、葛飾北斎らと共に、真っ先に名の挙がる円山応挙(や円朝)については、「円山応挙のこと/回向院のこと」を参照のこと。
 そうそう、一読すると幽霊モノのようだが、その実……、というサスペンス調の掌編に「幽 霊」がある。「蜘 蛛 の 巣」は、その関連というか延長の作品。)

041393

← 『国芳妖怪百景』(須永朝彦文/悳 俊彦編解説、国書刊行会)

 小生、こう見えても(どう見えているんだろう?)、臆病者で、幽霊の話は避けたい。
 でも、幽霊さんや妖怪さんから見れないように、こっそり姿を垣間見たいという欲求も(内緒だが)ある。
 ま、小生らしく、文献で窺い知るのが穏当だろうか:
国書刊行会  あやしき者どもを愛するすべての人におくる妖怪画集シリーズ

 不思議なのは、ここのところ、幽霊モノはテレビや映画では流行らないこと。小生がガキの頃は、夏ともなると、必ずテレビで映画で幽霊に関係するドラマが放映されたものだったが。
 ムンクの「叫び」がデフォルメされて玩具として売り出される昨今なのだから、その意味で、人間の情が薄れてしまった、情念などといったドロドロしたものなど、最初から相手にされない、深入りなどしない、ひたすら滑らかで棘のない人間関係が是とされているということなのだろうか。
 日々を大切に生きるとは、案外としんどいこと。今日とは明日の日へのただの一里塚に過ぎないと思ったほうが楽なのだろう。
 けれど、人間の情念は執拗に追ってくる。向き合うことを迫る。幽霊や妖怪を見て腰を抜かすってのは、驚くからというより、<わたし>を正面から見なさいってことなのかもしれない。

 妖怪に容喙すれば悔悟かもとか、お化け見て腰を抜かして介護乞う! なんてことにならないよう、幽霊や妖怪話からは、やはり早々に撤退したほうがいいかもね。
 題名、「妖怪に容喙すれば悔悟かも」から「妖怪に容喙しての要悔悟」に変えた(07/02/05 追記)。

|

« あれこれとくねり捩(よじ)って書いてきた | トップページ | 「あれは夢ではなかった」のこと »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

美術エッセイ」カテゴリの記事

創作・虚構・物語」カテゴリの記事

思い出話」カテゴリの記事

コメント

井上円了、妖怪学ですね、科学博物館で開催された「化け物」の展覧会にもちゃんと紹介されていましたよ。
川崎の市民ミュージアムでも河童が展示?されていましてね、実在するのか。
カントが入っているのは若きカントが霊能者スウェーデンボルグの影響を受けたためかと思ったり。
ところで本好きの弥一さん、ISBNコードが変わりましたね、ISBNのあとに978が付け加わりましたね

投稿: oki | 2007/02/04 22:14

さすがあれこれ見聞が幅広いですね。

河童に限らず幽霊や妖怪は、存在しないという証明は難しい。特に幽霊の類いは、人の情念が絶え果てない限り、<存在>し続けるのでしょう。

ISBNコードの件、情報、ありがとう。これもさすがの情報です:
http://ja.wikipedia.org/wiki/ISBN

四聖(孔子・釈迦・ソクラテス・カント)にキリストが加わっていないのは、彼が「国粋主義者でもあってキリスト教を排斥してい」たからだとか:
http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/photo/nakano/tetsugakudo.htm

>カントが入っているのは若きカントが霊能者スウェーデンボルグの影響を受けたためかと。

井上円了は「迷信を打破する立場から妖怪を研究し『妖怪学講義』などを著した」り、「「こっくりさん」のなぞを最初に解明」したりした経歴からしても、小生には疑問なのですが。
むしろ、カントを四聖の一人に加えたのは、井上円了のカントへの傾倒ぶりを示すのでしょう。

投稿: やいっち | 2007/02/05 04:57

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 妖怪に容喙しての要悔悟:

« あれこれとくねり捩(よじ)って書いてきた | トップページ | 「あれは夢ではなかった」のこと »