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2007/02/22

夢にてもいざ鄭和の大航海

 今、車中で読んでいる『日本史を読む』(丸谷 才一vs山崎 正和対談、中公文庫)がすこぶる面白い。
 本書に付いては既に何度か触れてきたが、今日も本書からネタを拾わせてもらう。

 今日は、「鄭和の大航海」である。

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→ ウィキ英語版より。鄭和に献上されたキリン

 コロンブスやバスコ・ダ・ガマなどによる大航海時代に先駆けてイスラム系中国人・鄭和(ていわ)によって、大航海時代の先鞭が付けられていたことを知ったのは、十年ほど前だったか。
 何かの本か雑誌で、それともテレビの特集でだったか、聞き及んだのだ。
 以来、気になっていたのだが、そのまま、いかにも小生らしく他の話題に掻き消されていった。

 しかし、昨夜、車中で上掲書の中で鄭和に<再会>したのだ。
 日頃、近所を、あるいはせいぜい営業の形で都内をうろうろするだけの小生、せめて想像の中だけでも大航海の旅へ雄飛したい!

 これも何かの縁、若干のことをメモっておきたい。男なら結構、こういう話題ってロマンを覚えたりする。海は好きといいながら、実際には丘の河童に留まっている小生。大海原(なんというロマンチックな響き!)へ船で乗り出していくなんて、夢を感じるけど、自分には到底、マネはできない。

 まして、地図も碌にない時代、航海の技術も(今の時点から見て、なのだろうが)未発達な、少なくとも欧(米)の一部の連中は世界の果てはどこかで途切れて、海が一気に奈落の底へ沈み落ち込んでいくなどと信じ込んでいた、そんな時代に、世界の七つの海へ乗り出していくなんて!

鄭和の大航海 1世紀早かった中国の大航海時代」(ホームは、「徹底歴史研究同盟」?)を覗かせてもらう。
 冒頭に、「コロンブスやバスコ・ダ・ガマなどによる大航海時代は知らない人はいないでしょう。しかし、それよりも1世紀早く大航海を行った明の鄭和のことは意外と知られてません」とある。
 近年は、テレビなどマスコミで採り上げられる機会も少なからずある(あった)し、少しは知られてきたのかもしれない(小生は、どの程度に知られているのか知らない。教科書には載るようになったのだろうか?)。

「鄭和は雲南出身のイスラム教徒で、永楽帝に仕えた宦官で」、「永楽帝の命を受け、1405年大航海の途についたの」だった。
「その艦隊はまさに大帝国明の国力を示すものでした。当時としては考えられない大きさの船だったようです。現在その船の櫓が残っていますが、あっけにとられるほど巨大です。その巨艦の船が数十隻、乗員は1万を越えました。ちなみにコロンブスの船は乗員50名前後でした。後に現れるガレオンと呼ばれる船でさえ300人前後でから、いかにこの艦隊が凄かったか想像でき」るという。

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→ 宮崎 正勝 著『鄭和の南海大遠征―永楽帝の世界秩序再編』(中公新書)

鄭和 - Wikipedia」はさすがに詳しい。
 大航海へ乗り出す。こんな発想は、「馬三保、すなわちのちの鄭和」の出自がイスラムであり、イスラム教徒だったことが大きいのだろう。
 詳しくは上掲の頁を覗いて欲しいが、「朱元璋の死後、永楽帝が帝位を奪取する靖難の変において馬三保は功績を挙げ、永楽帝より鄭の姓を下賜され、宦官の最高職である太監とされた」のだった。
 それまでの中国は、中華思想の国であり、わざわざ世界へ雄飛するなどという発想など持たなかった。世界の野蛮な国、未開の国が睥睨し、貢物を持ってくるのが当たり前だったのである。
 その中国がほとんど唯一(現下の中国も世界に目が見開かれつつあるが、時代が違う!「北京NOW (B) No.13:鄭和600周年の現実的意味」参照)世界へ目を向けたのがこの永楽帝の明の時代なのだった。
 今となってみれば婀娜花に終わったが。それどころか、発作的な英雄的帰途と実績を以後の中国は自らの手で掻き消そうとした形跡も見られるらしい(→「9代皇帝成化帝の時代に再度大航海の計画が出されたとき、それに反対する劉大夏<(りゅうたいか)>という人物が鄭和の残した書類一切を焼却してしまった」というのだ。「大航海」より)。

 さて、いざ、大航海へ。
 一回目の航海はというと、「1405年6月、永楽帝の命により第1次航海へと出る。 『明史』によれば長さ44丈(約137m)、幅18丈(約56m)という巨艦であり、船団は62隻、総乗組員は2万7800名余りに登る。 ちなみにヴァスコ・ダ・ガマの船団は120t級が3隻、総乗組員は170名、コロンブスの船団は250t級が3隻、総乗組員は88名である」。
 そして、「蘇州から出発した船団はチャンパー→スマトラ→パレンパン→マラッカ→セイロンと言う航路をたどり、1407年初めにカリカットへと到達した」のだった。
 以後、三回目まではほぼ同じ航路だったらしい。
 四回目からはさらに航路の足を伸ばし、アラビア海へ、さらには「アフリカ大陸東岸のマリンディにまで到達したと言う」のだ。

 中国がこのような大胆な企図を試みたのは何故なのか。上掲の頁には諸説が紹介されている。つまるところ、鄭和が永楽帝を説得しえたことにあるのだろう。一時的にイスラムの魂が中国の皇帝に乗り移ったのかもしれない。
 いずれにしても、「この大航海はヨーロッパの大航海時代に70年ほど先んじての大航海であり、非常に高く評価される」という。自画自賛かもしれないが、「彼(鄭和)は後世に三保太監・三宝太監と呼ばれ、司馬遷・蔡倫と並んで宦官の英雄として語られる事にな」っている。

「鄭和の大航海」については、「鄭和西洋下りを『瀛涯勝覧』から読む」(ホームは、「海上交易の世界と歴史」)が詳しい。


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← ギャヴィン・メンジーズ著『1421 中国が新大陸を発見した年』(松本剛史訳、ソニー・マガジンズ)

 小生は未読だが、こんな本がある:
ギャヴィン・メンジーズ著『1421 中国が新大陸を発見した年』(松本剛史訳、ソニー・マガジンズ)

 本書に付いては、下記の書評が参考になるかも:
asahi.com 国際 AAN 鄭和艦隊の米大陸到達説を大胆に 評者・加藤千洋
 この中で「著者は、その鄭和艦隊の航跡を世界各地に訪ね歩き、数々の新事実を掘り起こし、大胆な結論に達するのである。すなわち永楽帝の命を受けた大航海は伝えられた海域以外にもおよび、1421年から試みられた第6回遠征では一部の艦隊がコロンブスの「発見」より70年も早くアメリカ大陸に到達していたと」いうのだ!

 この著者というのは、「英国海軍の生粋の軍人で、潜水艦で世界の海を回り、艦長も務めて退役した。船から陸を見た経験が豊富だと、古地図から文献専門家とは違った風景も読みとれるのだと言う」。
「偶然に出会った1424年にヴェネツィアで作られた古地図に、当時のヨーロッパの知識になかったカリブ海の島々がかなり正確な形で描かれていた。そこから著者は欧州の探検家に先んじ、世界の海をまたにかけた航海者がいたはずであるとの仮説をたて」たのだった。

1421 中国が新大陸を発見した年 ギャヴィン・メンジーズ/著 松本剛史/訳 BOOKSルーエのNET通販」を覗くと、本書のプロローグ「古地図に浮かぶ謎の島々」が数頁に渡って引用されていて、参考になる。
 当該の頁へ飛んで、語調を楽しんでもらいたい。なんだかワクワクする。
 本当に新大陸を発見したのかどうか、小生には判断しかねるとしても。

本書「日本語版へ寄せて」より」だけ転記させてもらう:

 コロンブスやマゼランより前に、世界をまたにかけた大航海をなしとげた人物がいる? わたしはあるとき、古い地図や海図をきっかけにその疑問を抱き、調べはじめた。そして、コロンブスの新大陸発見よりも七〇年前の一四二一年、明の永楽帝の命をうけた鄭和の船団が、世界一周をなしとげていた証拠にたどりついた。 鄭和の艦隊が世界に残した足跡は膨大なものだったが、それをひとつひとつ調べていくなかで、わたしは「日本」や「琉球」という言葉にもたびたび出合った。 本文ではとりあげることができなかったが、たとえば、ヴァスコ・ダ・ガマはインドのマラバル海岸に到着したさい、現地の人間から、七〇年も前に「八〇〇を超える大小の船が、さまざまな国の人々を乗せて、マラッカ、中国、琉球諸国からインドへやってきた……おびただしい数の人間があふれ、海岸沿いの町という町に住みついた」という。

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→ ポーラ・アンダーウッド著『一万年の旅路―ネイティヴ・アメリカンの口承史』(星川 淳訳、翔泳社)

 尤も、大航海時代のスケールの凄さもさることながら、小生は、人類がアフリカからアジアへ、そしてアメリカ大陸へと広がっていった凄さは想像を絶するものがある:
ポーラ・アンダーウッド著『一万年の旅路―ネイティヴ・アメリカンの口承史』(星川 淳訳、翔泳社)

 本書は、「イロコイ族の系譜をひく女性が未来の世代へ贈る一万年間語り継がれたモンゴロイドの大いなる旅路」の話であり、「「一万年の旅路」は、ネイティブアメリカンのイロコイ族に伝わる口承史」なのである。

 話を東南アジアなどを含めたアジアに限っても、先祖は大陸を渡り海を越えて広がっていったのである:
海部陽介著『人類がたどってきた道』(続)

 そう、明の時代の鄭和がアフリカのみならずアメリカ大陸も発見したのかどうか、分からない。ただ、仮に真実であったとしても、あくまでそれは<再発見>なのだという認識だけは持しておきたい。


(この記事を書き終えたあとで見つけたのだが、「遺跡と歴史の旅 - 鄭和の大航海」によると、「先日NHKで明の時代に鄭和がインド洋を航海した話を題材にした特集番組をやっていました」とのこと。やはり! さらに調べたら、「ハイビジョン特集「偉大なる旅人・鄭和」(1) -運命の航海-」(前篇)がBShiで昨日午前! ああ、見逃した! というより、小生、テレビを持っていない。ましてBSなんて論外。後篇も、分かっているのに、見ることが叶わない。悲しいね。
 さらに、「惑星ダルの日常 鄭和の航海」によると、昨年五月の連休でも関連番組が放映されていたとか。

 なお、「ナショナル ジオグラフィック 日本版 明の鄭和の大航海」も画像が豊富で覗いて楽しい。
 さらに、「明の大航海家・鄭和が使った古代木造船を再現―江蘇省南京」だって!)

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コメント

 TBありがとうございました。
 鄭和は興味深い人物ですね。中国が海外遠征の
試みを断念しなかったら、いわゆる「グローバ
リズム」もずいぶん違ったものになっていたと
思えます。

投稿: 森下一仁 | 2007/02/22 20:55

森下一仁 さん、来訪、ありがとう。
TBだけして失礼しました。鄭和(の大航海)については、テレビでは幾度となく紹介されてきたのですね。小生、全部、見逃している。
中国は、現代になって、ようやく中華思想の新しい段階へ踏み出そうとしているようです。
脅威か世界を豊かにするのか、成り行きが気になります。

投稿: やいっち | 2007/02/22 21:28

TBありがとうございました。
いやはや、やいっちさんの鄭和資料オーバービューはお見事ですね。
思わず読みふけってしまいました。
TB送信機能がエラー中でいまだお返しできないのですが、復旧次第ぜひぜひお返しさせてくださいな。

投稿: まろまろ | 2007/02/23 10:32

まろまろさん、TBだけして失礼しました:
http://maromaro.com/archive/2005/07/19/1997_14.php
『鄭和の南海大遠征―永楽帝の世界秩序再編』宮崎正勝著(中公新書)を読まれたのですね。
鄭和の情熱が永楽帝を動かしたのでしょうか。
ロマンがあるからか、この記事を書いていて、少なからぬ人が関心を抱いているのだと実感しました。

投稿: やいっち | 2007/02/24 07:54

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先日NHKで明の時代に鄭和がインド洋を航海した話を題材にした特集番組をやっていました。以前東アフリカに住んだことがあって、インド洋沿岸のアラビアの影響を受けたマリンディ、モンバサ、ザンジバルなどの都市や、Gediの遺跡などを訪れたことがあり、博物館で当時の中国の陶器なども目にしていました。その時に中国の船がアフリカ沿岸まで来たことがあったと聞いて驚いたものでした。その時の印象では、せいぜい数隻の船がたまたまやってきた程度かと考えていましたが、NHKの番組を見て驚きました。...... [続きを読む]

受信: 2007/03/10 08:21

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