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2007/01/29

草城の句境を知らず人は過ぎ

1月29日 今日は何の日~毎日が記念日~」によると、今日29日は日野草城の忌日だという。
 つまり、今日は「草城忌」なのである。

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→ 室生幸太郎編集『日野草城句集』(角川書店2006年1月29日再版)。「生誕100年にあわせて編纂された日野草城句集がこのほど没後50年ということもあり再版されました」とのこと。

 振り返ってみると、小生は日野草城についてブログで採り上げたことがない。
 僅かに、「初鏡…化粧とは鏡の心を持つこと?」にて「初鏡娘のあとに妻坐る」を、「冬ざれ」にて「冬ざれのくちびるを吸ふ別れかな」を挙げているだけである。

 ちなみに、それぞれのブログ記事で、小生は駄句を連発している:

初鏡覗き見る我睨む君
初鏡見る見るうちの他人顔
化粧して初めて心寛(くつろ)げる
はがれない化粧を素顔と君の言う
初鏡想い描く人誰でしょか
目の奥の瞳さえもが鏡張り

冬ざれてやがて分かるる枝と葉と
冬ざれて今日も一人の夜の果て
冬ざれて身を縮ませる木の葉かな
冬ざれて砂場の隅のやもめかな
冬ざれて軒端の窓の影恋し
冬ざれて梢の先に揺れる葉よ
冬ざれて裸木の枝間の月の影
冬ざれを口実にする添い寝かな
冬ざれた樹幹に憩う蛹かな


 ととと、いきなり脱線してしまった。

 日野草城(ひの そうじょう、1901年(明治34年)7月18日 - 1956年(昭和31年)1月29日)は高名な俳人だから、小生が今更、説明を試みる必要もないだろう。
「高浜虚子の『ホトトギス』に学び、21歳で巻頭となり注目を集める。1929年(昭和4年)には28歳で『ホトトギス』同人となる」ものの、「ミヤコホテル論争」を端緒にやがて虚子から『ホトトギス』除籍され、虚子と袂を分かった。
「無季俳句、連作俳向を率先し、モダンな作風で新興俳匂の一翼を担った」というのが一般的な理解なのだろうか。

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← ブグロー(ブーグローとも表記)「浴女」(「浴女|ブログで名画」より)

  浴後裸婦らんまんとしてけむらへり   日野草城

 日野草城の風貌やプロフィールなどは、「特別展「日野草城生誕100年」」を覗かれるといいかも。

日野草城 - Wikipedia」には幾つかの句が掲げられている:

春暁やひとこそ知らね木々の雨
松風に誘はれて鳴く蟬一つ
秋の道日かげに入りて日に出でて
荒草の今は枯れつつ安らかに
見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く

「俳句グループ「船団の会」(代表:坪内稔典)のホームページ」である、 「e船団」 の表紙や、昨年の今頃の「日刊:この一句 バックナンバー 2006年1月30日」などには、下記の句が載っている:

草枯れて断礎に鬼の哭く夜かな
一つ寝のはじめての夜の粉雪かな
思ふこと多ければ咳しげく出づ

(「断礎(だんそ)」とは、文字通り、「こわれた礎石」の意である)

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→ ブグロー(ブーグローとも表記)「水浴の後」(「水浴の後|ブログで名画」より)

  菖蒲湯を出てかんばしき女かな   日野草城

 ブログ「ふるさとおはれてはないちもんめ草城忌」では、下記の句を載せてくれている:

誰が妻とならむとすらむ春着の子
春灯や女は持たぬ喉佛
白々と女沈める柚子湯かな
重ね着の中に女のはだかあり
菖蒲湯を出てかんばしき女かな
行水の女に灯す簾越し
浴後裸婦らんまんとしてけむらへり
ちちろ虫女体の記憶よみがへる
えりあしのましろき妻と初詣
手袋をぬぐ手ながむる逢瀬かな

「インターネット俳句協会」の中の、「日野草城の俳句」なる頁を覗くと、さらに幾つかの句が詠めるし、鑑賞が施されている句もある。

日国.NET:俳人目安帖 モダニスト草城」なる頁を覗くと、草城の代表的な句と共に、(上でも書いたが)「草城が全俳壇的に注目される存在になったのは、昭和9年、創刊されてまだ2号目の「俳句研究」(改造社)に、「ミヤコ ホテル」と題する連作を発表し、これが毀誉褒貶の的になったからだった」という一連の句(の一部)を詠むことができる。

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← ブーグロー「水浴する女」(「Mike's Adolphe William Bouguereau Page 1 of 4」より。ホームページは、「Mike's Photo Album - Home Page」。「Kenの我楽多館」のKenさんが教えてくれました!)

 季節感の狂いがちな昨今だが、だからこそ写生句なのであり、そしてこんな時節だからこそ季語は大切にしたいと思いつつも……。
 その実、生活感を大事にし、短詩だからこそ実感の篭った句境でありたいと思うとき、子規に惹かれつつも、子規と袂を分かった松瀬青々日野草城の生き方や句境にも惹かれてしまう、どっちつかずの小生である。
 季語も大事、だけれど、いずれにしても、挨拶、即興、滑稽が妙味の俳句(や川柳)なのだと思う。そう小生に教えてくれたのは、山本健吉だった。
 その彼は日野草城(の句)を小器用で軽いと非難している。

 草城の句が軽い?
 俳句って芭蕉のように荘厳なる軽快さとは違う、ある種の卑俗な軽薄さがあってもいいのでは。
 大切なのは、感じたことを詠い切る勇気だと思う。

 せっかくなので、駄句を少々、ひねっておく:

草城の句境を知らず人は過ぎ
草城や女の影に引きずられ
草城忌二の舞になるを覚悟せん
草城や雲と道行きするならん
ひといろにゆびのなぞるを夜半の伽

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コメント

こんにちは。サイトの宣伝?ありがとうございます(笑)。

ブグロー、かなり官能的かつ肉感的。
弥一氏好みの女性像でしょうか?
「浴女」を検索したら、
サルヴァドル・ダリが所有していたという記述があって、
ちょっと驚き。

日野草城、女性の肉体が好きだったんでしょうね。
特に「重ね着の中に女のはだかあり」などを読むと。
ブグローと通ずる視線を感じます。

ここで一句。
ブグローと草城つなぐは弥一の慧眼のみ。

投稿: 加藤思何理 | 2007/01/29 09:42

加藤思何理さん、サイトの宣伝というより、記事を書くネタをいただいた小生こそが感謝しております。
実際、毎日書くとなるとネタに瀕していますから。


日野草城は正直だったのでしょう。子規以降は、俳句を高尚なものとしたいと思っている人が多いようで、愛欲的なものも品良く婉曲に表現しないとって。
侘び寂び志向が未だに強いみたい。

俳句の世界に与謝野晶子的な方、あるいは俵万智的な方が登場したら、斯界の様相も一変するでしょうね。

「重ね着の中に女のはだかあり」、これも小生、お気に入りです。男ならではの実感かな。

ブグローと草城をつないだのは苦し紛れ。

ただ、ブグローにはもっと違う側面があることをもっと強調しておきたかったという思いがあります。
その面にスポットを当てると、世間の評価も上がるかもしれない。

>ブグローと草城つなぐは弥一の慧眼のみ  (思何理)

画像観て目が眩んでる弥一なり    (や)

投稿: やいっち | 2007/01/30 07:15

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