「ボクの金閣寺」へ
実体験はエッセイやレポートの形で書く。創作には可能な限り体験は持ち込まない。
現実から得るのは切っ掛けか、せいぜい断片的な事実に過ぎない。
これが小生の書く上での小生の姿勢である。
書いた作品を実話だと思ってくれるのは、別に構わないけど。
創作においては、自分でも何を書くのか、この先、どんな展開になるか分からないで書く。この道なき道がどんな世界に導いていくのか、それは冒頭から綴られていく、その言葉の連なり次第である。
一旦、書き記されたなら、そこにはもう、虚構であっても、ある種の<現実>が生まれてしまっている。
虚虚実実。実と虚の間(あわい)は何が決めているのだろうか。
事実?
けれど、人が検証し得る事実はどれほどあるのだろうか。
まして、実際に検証される事実は現実という鵺(ぬえ)の、それこそ表皮から剥がれ落ちた、否、削ぎ落とした薄片に過ぎないのではないだろうか。
実数と虚数。実数の世界は虚数も含めた時空のほんの極小の世界。
でも、忘れてはならないのは、実ということの重み。その点、小生は古風な人間、黴の生えた発想に囚われている人間なのだと思う。
日々、都内を走らせる。車と車との鎬を削りあう世界で、実空間の密度の濃さを実感している。
その上での虚空間、複素数時空への戯れであるのだ。
今年は週一のペースで創作(主に掌編)を書いていくつもり。三年前は年間百篇を目標に掲げ、達成はしたのだが、ちょっと重すぎた課題だったようで、その後、尾羽打ち枯らした精神状態を齎したのだった。
その点、週一なら、無理せずにノルマを果たせるだろう。
応援してね。
| 固定リンク
「小説(幻想モノ) 」カテゴリの記事
- ノミシラミオレの嫉妬する(2015.04.09)
- ハートの風船(2014.11.30)
- 自由を求めて(2014.09.27)
- 脂肪の塊(2014.09.07)
- 雨絡みの創作の数々(後編)(2011.05.30)
「創作・虚構・物語」カテゴリの記事
- 奈落の夜へ(2023.04.19)
- 60年代は<砂>の時代だった ? !(2023.02.05)
- 観る前に飛ぶんだ(2022.10.25)
- ボクの世界は真っ赤な闇(2020.10.16)
- 終わらない闇夜(2020.10.15)
「お知らせ」カテゴリの記事
- あけおめ ことよろ(2013.01.01)
- 最近、セシウムの降下量が急上昇!(2012.01.09)
- 喪明け(2010.09.16)
- 二度あることは三度ある(2010.08.03)
- 父の死のこと(2010.07.14)
コメント
火を点けるという行為には、
何か神秘的で劇的な昂揚(もしくはその切れ端)がありますね。
それが燐寸であろうと瓦斯焜炉であろうと。
ヒトの遠い記憶に繋がってるからでしょうかね。。
「ボクの金閣寺」、
途中で息苦しくなりつつ読了しました。
魅力的なお話だと思います。
今後の弥一氏の創作活動に期待してますよ。
投稿: 石清水ゲイリー | 2007/01/21 23:10
石清水ゲイリーさん、メッセージ、ありがとう。
「ボクの金閣寺」、火遊びがテーマで、いかにも私小説っぽい?
ま、結末が暗示に満ちているようで、続きも書けそう。
どの作品も、完結させないで、穴が空いているので、どうでも話を展開できるように書いています。
デッサンなのです。
これからも、ボチボチ、書いて行きますので、応援、よろしくお願いします。
投稿: やいっち | 2007/01/22 01:27