会うことの叶わなざりしをただに知る
一ヶ月以上にわたるハードな日程の日々が続いている。今日は、ちょっとだけ骨休みができる。
休日の前の日はロッキングチェアーで寝て過ごすのが小生の癖(要するに本を読もうとしていて、そのまま寝入ってしまう)なのだが、昨夜はとうとうベッドへ。
体が仕事の疲労で悲鳴を上げているのだ。
来週末、ようやく待望の連休が来る。少しは寝溜めができそう。
外出する時間的(経済的)余裕がないので、読書は別格として(今はジュネの「泥棒日記」とウルフの「オーランドー」を読んでいる最中)、ネットで散歩する。
日記に独特のセンスがあって、折々(こっそり)覗きに行っているサイト(加藤思何理 ・ 詩の屋根裏部屋)でやや久しぶりという画家の名(や作品名)を目にした。
一人はジョージア・オキーフ(georgia o'keefe)であり、もう一人はデイヴィッド・ホックニー(david hockney) 。
まあ、この二人はいずれも高名な画家だから、今更、小生が紹介するまでもないだろう。
それぞれについて、せっかくなので、ネットの上だけでも作品を目にしてみたいとネット散策。
← デイヴィッド・ホックニー著『秘密の知識 ―巨匠も用いた知られざる技術の解明―』(木下哲夫訳、青幻舎)
例えば、「AllPosters.co.jpのホックニー・デビッド ポスター」なんてサイト(頁)があって、ホックニーの爽やかで清潔感溢れる世界の一旦に接することが出来る。
驚きだったのは、小生の無知に過ぎないのだろうが、ホックニーには『秘密の知識 ―巨匠も用いた知られざる技術の解明―』(木下哲夫訳、青幻舎)なる著作があるのだった。
出版社サイドの謳い文句によると、下記のようだ:
ダ・ヴィンチやカラヴァッジョをはじめ、西洋絵画における巨匠たちの作品制作に鏡やレンズがいかに用いられたか―――
現代の巨匠、ホックニーが科学的、視覚的根拠により初めて実証した好著。500点に及ぶ膨大な絵画やスケッチの複製がホックニーの解説とともに掲載。さらに多くの古文書や近現代文書の抜粋が、一層興味深いものとして示されている。
主な掲載作家は、カラヴァッジョ、デューラー、ベラスケス、ファン・エイク、ホルバイン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アングルなど。豊富な図版、詳細な解説は、美術学的にも必携の大著。
世界中で一大センセーションを巻き起こした美術史における新発見。
→ ブーグロー「<ニンフ達> 1872年 (California, Haggin Museum) 144.8 x 209.5 cm」
本書で扱われている画家の一人、ブーグロー(Adolphe-William Bouguereau 1825~1905)の「水浴する女」なる作品が気になってネットで探したが、画像が見つからない。
けれど、ネットの有り難さを痛感するのはこんな時なのだが、「アドルフ-ウィリアム ブグロー(ブーグロー) の超 甘美」なるサイトを発見(そのホームページは、「我が人生表紙」である)。
その冒頭には、「ウィリアム・ブーグロー(ブグロー)は、1884年フランス美術アカデミー会長になり、印象派の画家達(セザンヌ、ルノワール等)を、サロン出品から落選させていた人物である。」とあって、いきなりKOパンチを食らう。
そうだった! 言われて(書いてあるのを読んで)思い出した。
確かにブーグローの画風からしたら、印象派に限らず、大概の新傾向の世界はシャットアウトされるだろう。
それはともかく、この頁で「水浴する女」は見つけることは出来なかったが、もっと素晴らしい(どういう意味かは想像に任せるが)作品群を堪能できる。
← ブーグロー「<復讐の女神達に追われるオレステス> 1862年 (Norfolk, Chrysler Museum of Art) 231.1 x 278.4 cm」
少なくとも一部の男性諸氏にとっては、世界がこのままで留まっていてくれたなら、どんなにか素晴らしかったろうと痛切に感じさせる世界が<実現>されている。
けれど、上掲のサイトを覗けば分かるように、ブーグローは決して薄っぺらな画家などではない!
って、小生が力む必要もないね。
寄り道してしまった(でも、こんな寄り道なら楽しいね)。小生、『秘密の知識 ―巨匠も用いた知られざる技術の解明―』で見つけたブーグローの「水浴する女」をもっと大きな画像で観たくて、ネット検索を執拗に繰り返していた。
すると、「Kenの美術館書庫国内編#8(05年)」なる頁を見つけた(ホームページは、「Kenの我楽多館」)。肝心の「水浴する女」の画像は載っていなかったものの、いろいろ初見となる作品群に出会うことが出来た。
例えば、ゴッホの「夜のカフェテラス」(クレラー・ミュラー美術館所蔵)などは小生には新鮮な作品に思えた。静謐感が漂っていて、ゴッホにもこういう世界があったことを思い知らされる。勝手に激しいゴッホばかりの印象像(偏見)を脳裏に刻んでいた小生に心地いい衝撃が走った。
→ ゴッホ「夜のカフェテラス」(クレラー・ミュラー美術館所蔵)
星屑の鏤められた、恐らくは月影も清かなパリの夜なのだろう。ただ、それにしても、ゴッホはどんな気持ちでそうしたパリのオープンカフェを眺めていたことか、ちょっと気になる。遠い気持ち?
このサイト(頁)では、初めて出会う作家も多いし、かねてよりファンになっている画家(写真家)も紹介されている。
「李学亮シルクロード写真展」など、こんな写真家がいたんだと嬉しい発見。
ルネ・ラリックとも、久々の対面。作品名が分からないのだが(「三足鉢《シレーヌ》」だろうか)、紹介する画像だけでも垂涎モノではなかろうか。
← ルネ・ラリック「三足鉢《シレーヌ》」
「1920~30年代のアール・デコ期を代表する宝飾作家」だというルネ・ラリックの手になる作品が一つでも傍にあったなら、ちょっとは気品ある生活が送れるのだろうか(無理か!)。
三岸節子については、ほぼ一年前、本ブログでも採り上げたことがある(「三井の晩鐘…三橋節子の最後の手紙」)。ただ、画像を一つも掲げなかったのは、今更ながら悔いが残る。機会を設けて一つでも載せておきたい。
モディリアーニも採り上げたばかり(「モディリアーニ…ムンクあるかと見つめおり」)。もっともっと載せておいて、開いたらいつでも観れるようにしておきたいものだ。
アングルも紹介されている。小生の部屋の壁には何度かの引越しにもめげず(?)、アングルの「泉」の複製ポスターが貼ってある。もう、三十年近い<付き合い>になる!
レオノール・フィニも好きになって、最早三十年以上、実物を銀座の画廊で見たのは78年だったか79年だったか…。デッサンが売られていたっけ。欲しかったけど、二か月分のアルバイト料でも買えない値段だった。
→ ギュスターヴ・クールベ「シヨン城」(1874年、クールベ美術館)
名前を挙げるだけでも長くなりそう。
ここには、「写実主義(レアリスム)の巨匠ギュスターヴ・クールベ(1819-1877年)」の「シヨン城」(1874年)を紹介させてもらう。
紹介と言っても、一緒に鑑賞して堪能してもらえたらそれでいいのだが。
クールベについては、「クールベや始原の旅のあたたかき」にて若干、メモしてみたことがある。
絵画作品や素敵な写真を眺めていると、心が落ち着いてくるような…。
でも、そのうち、胸が痛くなってくることもある。
美しすぎるから?
本物の作品とはめったに会えないから?
こうした作品群が示す世界の齎すものと、自分で、そう、この目で世界を見ている、この我が身の生の感覚(聴覚であれ触覚であれ、視覚であれ)で実感しえる世界との比較をしないではいられない、凡俗な資質ゆえからかもしれない。
それとも、『世界の起源』なる深淵に呑み込まれてしまって、窒息しかかっているから?
などと、リストが作曲した曲(CD)を聴きながら書いていたのだった。
[(当日追記)本ブログ記事を書きあげてからも、諦めきれずに(諦めの悪いのが小生の数ある欠点の一つ)、「水浴する女」を探しましたとさ。すると、結局は見つからなかったものの、「ブグロー|ブログで名画」で惜しい画像を発見!「波」に「浴女」、極めつけは「水浴の後」! 口惜しい! 肝心の水浴の真っ最中の画像がないじゃん!]
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コメント
やいっち様:私の我楽多館にご来館・ご記帳いただき、有り難うございました。
ブーグローの「水浴する女」、私の画像コレクションに他の作品はありましたが、ご希望の画像は見当たりませんでした。
今後とも宜しくお願いします。
投稿: Ken | 2007/01/28 14:31
私も遅れ馳せながら訪問しました。娘たちの容姿を見ますと、かなり好みがハッキリしていますね。特に眼窩から眼元の感じが共通しています。モデルさんも存在したのでしょうが、制作時期の大きな相違の中で、その胸元、腰回り、口元と見て行きますとかなり類型化されているようです。
画家の理想像に、実際のモデルさんが修正されているのではないかと。目線や下半身の体つきからすると本人の写真を合わせて、母親像かも知れませんね。
投稿: pfaelzerwein | 2007/01/28 15:57
Ken さん、来訪、コメント、ありがとう。
「水浴する女」の絵は貴頁には、見つからないのですが、「これらのキーワードは、このページにむけて張られているリンクに含まれています」と表示されました(だから検索に架かったのです)。
リンクされていた「村内美術館」でも探したのですが、「モントロン侯爵夫人の肖像」があっただけ。なんとか大きな画像で見たいもの。
これからもよろしくお願いします。
投稿: やいっち | 2007/01/28 16:29
pfaelzerwein さん、来訪、コメント、ありがとう。
ブーグロー(ブグローとも)が一杯の頁は発見でした:
http://www.abaxjp.com/bouguereau/bouguereau.html
まあ、理想の女性像(母親像)を生涯かけて追求したということなのでしょう。多くの画家が(漫画家でも)その描き手なりの理想像となると、類型的になっていくもののようです。
その過程においては、あれこれ道草(?)もするのでしょうが!
投稿: やいっち | 2007/01/28 16:32
お探しのブーグローの「水浴する女」、下記にありましたので、お知らせします。
http://home.att.net/~hoo10/Bouguereau01.html
ここに100枚の画像あり、水浴する女は下記と思います。
http://home.att.net/~hoo10/Bouguereau/lavague.jpg
投稿: Ken | 2007/01/29 00:58
Kenさん、ありがとう!
感謝感激です。これでもやもやが晴れました!
早速、先ほど書きあげた今日のブログ記事に掲載させてもらいました:
「草城の句境を知らず人は過ぎ」
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2007/01/post_dee6.html
嬉しい!
投稿: やいっち | 2007/01/29 01:28