初詣太田神社で決まりです
帰郷していた際に、郷里の神社に初詣しそびれたからというわけではないが、東京での地元の神社である太田神社へ初詣に行ってきた。
旅の疲れも取れたことだし、今年の仕事が始まる前に、近所をもっと知りたくて。
小生の居住する区は大田区。だから、太田神社、というわけではない。
また、太田神社にちなんで(由来して)大田区と命名されたわけでもない。
→ 太田神社の鳥居
大田区は、「大森・蒲田両区から一字づつ取る」形で生まれた名称なのである。だから、決して「太田区」ではないのだ。
地名など、詳しい情報は、「大田区の地名の由来」が非常に参考になる。
大田区という名称に決まるまでには、「区名案には東海・南・六郷・羽田・城南・森田・京南・港・本門寺・臨海など多くの案が出されたが論多くして纏まらず」、結局、上記のような結果になったのだとか。
また、江戸が太田道灌によって切り拓かれた地だから、その太田道灌に何かの関係がある、というわけでもないようである(但し、「太田神社」の「太田」は、太田道灌の「太田」に由来するという説がある)。
← 太田神社
太田神社は、大田区の旧名・市野倉(古くは「一之倉」あるいは「市ノ倉」とも。のちに、池上と中央に分割・改名させられてしまい)、今の地名では中央にある(「旧市野倉町小史」参照)。
太田神社については、「明治から昭和20年にかけて、武運長久の祈願者がお参りした太田神社」なるサイトが詳しい。
また、太田神社で戴いてきた、宗教法人・太田神社(旧名・八幡神社)の由緒書きのパンフレットを参照させてもらう(ネットでは、「太田神社由緒」! 但し、手元の紙のパンフレットのほうが格段に詳しい)。
ちなみに、「太田神社」のみでネット検索すると、我が太田神社は上位には浮上せず、何故か、京都の「大田神社」が上位に来る。
小生、検索する文字を間違えたのかと確かめたが、ちゃんと「太田神社」となっているのに、「大田神社」が我が大田神社を押しのけて上位に来るなんて、「Google 」さんも人が悪い。
でも、表紙には、「大田」と「太田」の両方が載っている。今の大田神社という名称に落ち着くまでには、それなりの事情もあったようである。
めげずに検索すると、それでも十一番目ほどに我が「太田神社」関連サイトが登場してくれた。
それが、既出の「太田神社由緒」なのである。
→ 表の通りから神社に至る石段を見上げる。
我が太田神社に至る参道は池上通りから折れて、歩いて数分で神社に至る。
小生は、他に用事もあったし、初乗りしたかったので、我が愛車、レッド号に乗って神社へ向った。
まだ二日だし、詣でる人の数も少なからずいるのかと思ったら、予想に反して人影は疎ら。しかも、たまたま自転車で追い越した人も、神社の手前で曲がってしまった。
神社へ向う人ではなかったのである。
急ということはない石段を上る。苔生している。ハト(カラス?)の糞が目立つ。初詣の人のために石段を掃除したりはしないのかと思ったが、掃除すると苔も掻き落とされることになるから、反って風情を壊すことになりかねないし、痛し痒しなのだろうか。
不謹慎なことに、犬の置物(フン)害が多いようで、憤慨する看板が幾つか石段の脇に。
← 石段を登りきると、石畳の道が神社へ導く。高台にあることが分かる。
石段の両脇の樹齢数十年という樹木が神社へ至る道を覆っている。夏場など、少しは涼しくしてくれるのだろうか。
さすが神社らしく、鳥居が立っている。また、「石段の左には道標(写真右)があり、むかしは長勝寺の門前道と池上旧道との交差点右角にあったらしい。近くに桐里の地名もあり、この付近が桐の産地だったことが分かる」という。
長勝寺も表の通りからチラッと覗いてみたのだが、境内から神社へは行けないような気がしたので(未確認)、長勝寺は素通りしてしまった。
上記したが、太田神社の名称の由来は、「当時(江戸時代末)の市野倉から六郷までを太田新六郎が所領していて、太田新六郎の氏神だったため「太田神社」と改称された説があります。また、太田道灌が江戸城築城の際、この地を候補地とし、遊猟の折に検分したので、「太田神社」と改称された説もありますが、いずれも確証はありません」という。
「古くは「八幡社」」だったという。ということは、高台にあって、海など周辺への展望も利いたというから、海に関係するということか。
→ あと数歩で拝殿・本殿へ。
「昭和20年5月24日の大空襲で、残念ながら社殿と舞殿が焼失してしま」ったとか。
「メッセージ-憲法九条に思うこと」なるぺいじの中の、「九条と私丸山 昇 (中国文学・東大名誉教授)」という項を覗くと、「戦中、縁故疎開も集団疎開もせずに残ったので、本門寺や太田神社が空襲で焼けるのを見た。もちろん現場に行った訳ではないが、本門寺の火が池上駅の方向へ飛ぶのは自宅から見えたし、太田神社の火は裏の山から降るようにかぶさってきた。中学2年生の子どもながら隣の長勝寺の物置に落ちた焼夷弾を消す手伝いもした」など、興味深い話が載っている。
そうした苦い過去もあってか、「戦後間もなく氏子会が結成され、昭和28年に拝殿が造営されましたが、本殿の造営は近年で、平成6年です。万一の火災に備え、完全耐火構造の鉄筋コンクリート造りで、社殿焼失以来49年振りの再建となりました」という。
宗教法人・太田神社(旧名・八幡神社)の由緒書きにも記載してあるが、「江戸幕府開闢以前より、沖行く魚船も目印にした大きな松があったと言われる太田神社。古くから市野倉と言われた武蔵野台地にあり、ここから見る眺望はすばらしかったと言われる」。
← 参拝。賽銭を投じて、二拝、一拍、一拝。
ちょっと驚いたのは、続く記述。「万葉集に歌われた「荒磯」とは、この付近の風景を歌ったものであるとの説もある」だって。
「荒磯」の歌というと長歌を別にしても少なからずある:
沖つ島荒磯の玉藻潮干満ちてい隠りゆかば思ほえむかも
網引する海人とや見らむ飽浦(あくのうら)の清き荒磯を見に来し吾(あれ)を
荒磯(ありそ)ゆもまして思へや玉之浦離さかる小島の夢にし見ゆる
神(三輪?みわ)の崎荒磯(ありそ)も見えず波立ちぬいづくゆ行かむ避道(よきぢ)は無しに
沖つ波寄する荒磯の名告藻(なのりそ)の心のうちに靡きあひにけり
荒磯越す波を畏み淡路島見ずか過ぎなむここだ近きを
荒礒越す波は畏ししかすがに海の玉藻の憎くはあらずて
みさご居る荒磯に生ふるなのりそのよし名は告らせ親は知るとも
大崎の荒磯(ありそ)の渡りはふ葛の行方もなくや恋ひ渡りなむ
あじの住む渚沙の入江の荒磯松吾を待つ児らはただ一人のみ
阿胡の海の荒磯の上のさざれ波吾(あ)が恋ふらくはやむ時もなし
家人の待つらむものを連れもなき荒磯を枕(ま)きて伏せる君かも
渋谿の崎の荒磯に寄する波 いやしくしくに古(いにしへ)思ほゆ
荒磯べにつきてこがさね杏人の濱を過ぐれば恋しくあるなり
などなど…。
ピンと来る歌が見つからない。
→ せっかくなので、拝殿の中を覗かせていただいた。
「木造衣冠装束の御神体が、那須与一宗隆公の守本尊と伝えられている」こともあって、「太田神社は古来、家運隆昌・武運長久の神として、氏子はもちろんのこと他所からの参詣者も多かった」とか。
また、「那須与一宗隆公は、屋島の戦や壇の浦の戦に、この御神体を守本尊として身に付け、戦いに挑んだので、明治から昭和にかけて戦争が起こる度に、多くの出征軍人が参詣し、武運長久を祈願したそうです。当然ながら太田神社と那須家との関わりも強く、後世には那須家から御供物の寄進があり、戦前までその額が社殿内に掲げられていました」という。
← 脇には朱塗りの鳥居があり小さな祠が見える。その正体を確かめもせず。
「太田神社の御神紋は「一菊紋」」だが、「「一菊紋」はやはり那須家縁の御紋でもあり、那須家家系図にも「那須家定紋一文字下菊花賜」と記されています」とも。
せっかくの参拝だったのに、狛犬の雄姿を画像に収めるのを忘れている。
さて、何を祈ったかは、秘密。
それにしても、人影が疎らすぎる。
午後2時から初午だというから、小生が行った時間が正午前後だし、丁度一番、空いている時間だったということか。
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コメント
三が日も終わりますが、今年も宜しくお願いします。
初詣…祈った内容は秘密ですか?!
私は…何も祈ってなかったなあ。 希望をなくしてたような気がします。
ストレスなんでしょうか? 昨日DVDを続けて10時間近く見たら疲れましたが、今日はビックリするぐらいスッキリしています。
これでまた頑張ります。
投稿: ヨッピ | 2007/01/03 22:28
ヨッピさん
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
あれこれあったようですが、厄は昨年で全て払い終えたということで、今年は元気が回復することを祈っています。
神社で何を祈ったかは、元気なヨッピさんにこっそり教えるかもね。
神経をすり減らすことも多いでしょうが、体を労わることが大切。
ご自愛ね。
投稿: やいっち | 2007/01/04 08:24