ぬりかべを透かしてみても壁のあり
奇縁というものは続くものなのか。
先々週だったか、ラジオで久保田 早紀さんへのインタビューを聴いた。かの「異邦人」を自作・自演しヒットさせた歌手である。
残念ながら仕事中だったので、話に聞き入るというわけにはいかなかった。今は(それとも一時期は)久米小百合という名前で活動されているらしい。
小生、1979年か80年頃にヒットしたこの曲が好きである。東京でフリーター生活を始めて間もない頃であり、小生の(頼りにならない)記憶だと、真冬の近づいた頃にヒットし始めたはずである。
東京という大都会の片隅で一人、ポツンと暮らしている自分の前に、突然、何処か遠い中東世界からベリーダンスを生業(なりわい)とする謎の女が現れたような…。
いずれにしても、かの<久保田 早紀>さんが健在であることを知り、ちょっと嬉しかった。
13日の土曜日に借り出してきた数冊の本のうちに『集英社ギャラリー 世界の文学 (9) フランス4』がある。
この中には(以前にも書いたが)、カミユ「異邦人」サルトル「壁/水いらず」ジュネ「泥棒日記」セリーヌ「なしくずしの死」シモン「ル・パラス」ロブ・グリエ「ジン」などの諸作品が収まっている。
そう、「異邦人」が収まっているのである。
小生は、セリーヌの「なしくずしの死」を読みたい一心で本書を借り出したのだが、あるいは、本書を借りる動機の相当程度は、カミユの「異邦人」を読みたかったからではないか、そう、何処かあの80年頃に心を寄せていた(言うまでもなく振られてしまったけれど)女性のことなどイメージでダブらせて…。
まあ、それはともかく、今日(既に日付の上では昨日だが)、カミユの「異邦人」(とサルトル「壁/水いらず」と)を一気に読み終えた。
サルトルは「嘔吐」が入っていたら最高だったのだが、まあ、今はカミユだ。
初めて「異邦人」を読んだのは72年頃だったろうか。サルトルとの論争の余熱も醒め始めた頃で、「反抗的人間」「シーシュフォスの神話」その外も読んだのだが、小生が感心したのは、「異邦人」であり、この作品だけは、幾度も読んだ。
作品としての完成度が高い。今、読んでも新鮮だ。やはり、サルトルとは作家、小説家としての資質が格段に違う。
一旦、作品世界に分け入ったなら作品の中での完成だけを志向する。思惑など抜きだ。あるいは政治的思惑があってさえも、小説は小説として自律してしまう。
さて、奇縁(と称するほどのものではないのだが)の二つ目は、「壁」である。
14日の我がサンバエスコーラ・リベルダージの新年会では、サンバのダンスや演奏、ランバダ、ベリーダンスその他が披露されたのは無論だが、併行して仮装大会も催された。
その優勝者は、「ゲゲゲの鬼太郎」の「ぬりかべ」の仮装をした人だった(「2007年リベルダージ New Year Party (1)」参照)。
壁である。
仮装は分かるが、何ゆえ、「ぬりかべ」なのか。突飛過ぎて理解不能。でも、愉快痛快だった。
→ 水木しげる原作の漫画に材を得たと思われる、「ゲゲゲの鬼太郎」の「ぬりかべ」。画像は、リベルダージの新年会より。
で、上記したように、新年会の前日に借り出した『集英社ギャラリー 世界の文学 (9) フランス4』には、サルトルの「壁」も含まれていた、という語るには恥ずかしい奇縁なのである。
サルトルの「壁」は、朝には銃殺刑を運命付けられている主人公が語り手である。
だがその最後は、ドストエフスキーの銃殺刑という悲喜劇的な茶番劇を思わせる、しかし、思いっきりグロテスクにデフォルメされたエピソードで結末を迎える。
主人公は哄笑するしかない結末を迎えるのだ。ここにサルトルという小説家としては知性偏重の書き手の作為が透けて見えて、ちょっと抵抗を覚えるところでもある。
それにしても、昨年はサルトル生誕100年だったのだが、少なくとも日本ではあまり話題に上らなかった。もう、日本では忘れられた、あるいは意義の薄れた存在となってしまったのか。
そうは思いたくないのだが。
カミユの「異邦人」も、主人公は「太陽のせいだ」というしかない殺害の咎で捉えられ、刑務所へ。やがてこれという弁明も叶わぬまま、死刑判決を受ける。
そう、主人公のムルソーは、壁を背に、あるいは四方八方を壁に囲まれて死刑という死の時を待つ。司祭の神への信仰も拒否して。
ストーリーよりも、とにかく文章が素晴らしい。
それにしても、『嘔吐』や『なしくずしの死』以後、文学は一体、何処へ向ったのだろう。もう、「壁」を自覚するどころか、フォートリエではないが、絵の具という土の…、否、コンクリートの虜(とりこ)になってしまっているのだろうか。
まさに、「ぬりかべ」だ!
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