美に焦がれ醜に嵌って足掻く日々
ウンベルト・エーコ著『美の歴史』(植松 靖夫【監訳】・川野 美也子【訳】、東洋書林)を読了。読み終えた余韻が今も胸騒ぎめいて脳裏のどこかに響いている。
あまりに浩瀚すぎて感想など書けない。
ただ、本書の結語にはガッカリしたとだけメモしておく。
末尾近くで、ジャン・デュビュッフェやフォンタナらの名を目にしたので、嬉しかったりした。
ちょっとだけ、心と目の辺境を散歩。但し、心の塀の内側をなぞるように、用心しつつ。マージナルマン、ビートルズ風に言えば、「NOHERE MAN」らしくね。
→ アドルフ・ヴェルフリ「開かれた迷宮、閉ざされた迷宮」より
彼らに付いては、その周辺を幾度となく巡っている。
例えば、「三人のジャン…コンクリート壁の擦り傷」が比較的最近の記事かもしれない。
この記事の中で、知的障害者による<創造>の世界のことを若干、話題にしている。
せっかくなので、この機会に多少なりとも紹介しておきたい。
紹介と言っても、ネットで見つかる限りでの画像で彼らの世界を感じ取ってもらえたらそれでいい。
アドルフ・ヴェルフリ(Adolf Wolfli、1864-1930) という人物がいる。
小学校時代は成績憂愁だったが、二十歳台半ば頃から精神に失調をきたし始める。
そして……、
「14歳の少女への性的暴行未遂容疑に続いて、7歳の少女への強姦未遂により懲役2年の判決が言い渡されベルン州の聖ヨハンセン刑務所に服役。
3歳半の幼女に対する暴行未遂で再逮捕。 責任能力の試験のためベルン郊外のヴァルダウ精神病院に移送され、精神分裂病と診断される」
間もなく、病院内にて、「自発的に色鉛筆によるドローイングをはじめる」。
やがて、精神科のインターンであったヴァルター・モルゲンターラーが彼を<発見>し記録し紹介するわけである。
彼の画を「開かれた迷宮、閉ざされた迷宮」なる頁にて見つけた(ホームページは、「アウトサイダーアートの世界」)。
← オーギュスタン・ルサージュ「開かれた迷宮、閉ざされた迷宮」より
この頁には、オーギュスタン・ルサージュ(Augustin Lesage、1876-1954)の作品も載っている。
彼は、26歳の頃、「11年末または1912年1月、坑道で作業中、「画家になれ」という声を聞く。亡くなった妹の霊にも勧められてドローイングをはじめる。また、鉱山仲間や近所の人に対して霊感治療を行いはじめる」という経歴を持つ。
詳しくは、「a href="http://outsiderart.ld.infoseek.co.jp/jimmei/lesage.html">オーギュスタン・ルサージュ」を覗いてみて欲しい。
さらには、アロイーズ・コルバス (Aloise Corbaz)という人物がいた。
→ Mickens, entre 1936 et 1964. craie grasse et images cousues sur papier d'emballage, 100 x 114 cm.(「Collection de l'Art Brut」より)
ハインリッヒ・アントン・ミュラー (Heinrich Anton Muller)も紹介してくれている。
「スイスのヴォー州の葡萄農園で働いていたアントン・ミュラーは葡萄の刈り取りに関する巧妙な機械を発明するが、特許がもたらすはずの利益を奪われたことが原因で陰鬱な性格となる」という。
← ハインリッヒ・アントン・ミュラー「開かれた迷宮、閉ざされた迷宮」より
「開かれた迷宮、閉ざされた迷宮」なる頁にて見つけた(ホームページは、「アウトサイダーアートの世界」)では、カルロ・ツィネリ (Carlo Zinelli)も洩らしていはいない。
「1935年、19歳になったカルロは父の命令でヴェローナの肉屋で働きはじめる。しかし翌年には軍に入隊。前線で常に死と直面する過酷な日々を送ったことで、彼は1947年、統合失調症(=精神分裂症)により入院」というツィネリ。
→ カルロ・ツィネリ sans titre, 1961. gouache sur papier, 50 x 70 cm.(「Collection de l'Art Brut」より)
まだまだ、<気障りな>人物は数知れずいる。興味の湧いた方は、「関連人名事典」を覗いてみる?
あるいは、「Collection de l'Art Brut」など宝の山かも。
ま、何処かの病院、それともニートになっている人の家を訊ね歩くか。
でも、路上をほっついて歩くより、自分の胸をほんの少し、穿ってみたら、きっとそこには卒倒するような玉石が埋まっていることに気づくんだろうけど。
← バヤ(Baya) sans titre, entre 1947 et 1950. gouache sur papier, 74 x 99 cm. (「Collection de l'Art Brut」より)
ただ、そうはいっても、心の肉を抉るのはとっても怖いこと。大概は、街中の磨きたてられた美麗なウインドーに映る自分の姿を見て、昨日と変わらぬ自分、明日も変わり映えのしないだろう自分に落胆しつつも安堵して終わるに違いない。
無難だものね。
薬にも、映像や音にも人にも風にも、地にも、心臓の鼓動にも「おどろかれぬる」ことのない心、それが現代に生きる必要条件ってことだろう。
鏡をそんなに磨いてどうするんだ。自分しか映らないじゃないか…。あ、それでいいのか。
「Web Travelers 魂の言葉 ── アウトサイダー・アートの現在」参照。
補足の拙稿として、「谷川晃一著『絵はだれでも描ける』」を参照のこと。
アウトサイダー・アーティストではないが、表現世界ではやや食み出し気味の世界に触れようとした我が掌編に以下などがある(本になったものもあるが):
「ディープスペース:バスキア!」
「ディープスペース:ポロック!」
「ディープスペース:フォートリエ!」
「ディープスペース:デルヴォー!」
「ディープスペース:ベルメール!」
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コメント
アウトサイダーアートといえるのか知りませんが、70になって独学で絵を描き始めたアルフレッド・ウォリスという人の展覧会がもうすぐ目黒の庭園美術館でありますね。
イギリスでは高く評価されているということですが日本では世田谷美術館の「芸術と素朴」で紹介されたくらいとか。
こういう眠っている画家というか結構多くいるのでしょうね。
投稿: oki | 2007/01/25 14:06
情報、ありがとう。
目黒の庭園美術館や世田谷美術館は小生も好きな場所。
行けたらいいのですが。
眠れる才能の持ち主は数知れずいるものと思います。
紙一重の差で埋もれるか日の目を見るか…。運命なのでしょうか。
投稿: やいっち | 2007/01/26 01:58