安藤百福…我あるは即席麺の賜物さ
日清食品の創業者で元社長の安藤百福(ももふく 1910年3月5日 - 2007年1月5日)さんが、5日、96歳で亡くなられた。
7日には告別式も盛大に行なわれたようである。
「祭壇には、柔和な表情の遺影と法名「清寿院仁誉百福楽邦居士」と書かれた位牌(いはい)を安置、棺には愛用のサングラスやチキンラーメンが納められた」とか。
← カップヌードル! 随分とお世話になってきた。今も常備!
関連して「「ミスター・ヌードル」安藤百福氏の功績評価 米紙」といったニュースも聞こえてきた。
「9日付の米紙ニューヨーク・タイムズは5日に死去した日清食品創業者で即席ラーメンを開発した安藤百福氏の功績を称える社説を掲載。「ミスター・ヌードル」とのタイトルに感謝を示すカットをつけた異例の扱いで同氏を追悼した」というのだ。
さらに、「社説は即席ラーメンが、ホンダの「シビック」やソニーの「ウォークマン」などのように戦後日本の会社組織が生み出した「奇跡」でなく、あくまで安藤氏個人の開発であることを強調。この開発で日清食品は大企業になり、現在「世界中の1億人が毎日食べ、2006年にはカップヌードルは250億食に達した」と世界の国民食ともいえる存在になったサクセス・ストーリーとして紹介している。」とか。
一人暮らし歴の長い小生、即席ラーメン歴も長い。
高校までは田舎で家族と一緒だったから、兼業農家でもあり、畑もあって、食に関しては恵まれていた…。
但し、逆に野菜が嫌いで、しかも、お袋の作ってくれる料理より外食、それが無理なら、出前が楽しみだったような。
野菜は自宅の庭で、あるいは農家の親戚からももらえるし、米も自前(農家!)、卵は裏庭の隅にニワトリ小屋があって、採れたてのがある。
魚は近所の魚屋さんで買う…のではなく、毎日、魚屋さんが小さなトラックに新鮮な魚を積んで売りに来るのだった。
日曜日など、居間(兼茶の間)で寛いでいると、昼前などに「ちわー」という元気な馴染みの声が聞こえてくる。魚屋の若いあんちゃんだ。
→ 出前一丁
お袋は、どうしようかなと思案し始める。
何を考えているかは分からない。
野菜はある。食べるものは材料に関して不足していない。米はある。その上、魚。
メニューはどうする。魚を入れたほうがいいか。だったら、どんな魚。
あるいは、今日は間に合っているから断りたいんだけど、若いあんちゃんに悪いから何か買おうかな、なんて考えていたのだろうか。
小生はというと、野菜は嫌い、魚は嫌いじゃないけど、まだ肉類が食べたい盛り。
でも、肉以外の素材が有り余っている以上は、肉類が食卓に並ぶことはめったにない。
さらにめったにないのは出前の食べ物。
お袋が何かの用事で出かけた際、父が食事を考えるのだが、大概、面倒なので出前となる。
それが楽しみだった。
お袋の調理ではないラーメンなどが楽しみであり美味しい時代だったのだ。
学生になり、一人暮らしとなった。
といっても、最初の二年は下宿。朝と夜の賄い付き。
無類の偏食家だった小生。物心付いてしばらくは、ご飯に塩、ご飯にマヨネーズ、そういったものしか受け付けなかったのだった。野菜など、持ってのほか! 出前のラーメンだってシナチクやネギを避けていたっけ。
なのに、下宿では、夕食の食卓に八宝菜が並ぶ!
タマネギ、ニンジン、タケノコ、ピーマン、シイタケ(か松茸。小生は区別が付かない)。口に入れられるのは、肉の細切れが少々と鶉(ウズラ)の卵とご飯だけ。
小生はどうしたか。
下宿には同じ母校(高校)の友もいる。下宿の小母さんも見ている。
小生は偏食家だが、同時に、見栄っ張りであり意地っ張りでもある!
野菜のオンパレードといっていい八宝菜を残さずに食べたのである!
というか、下宿で出されたものは全部、食べた。
ただただ意地と見栄の賜物。
食べた、というより、飲み込んだといったほうが正確かもしれない。
下宿の二年間の間の地獄の特訓というか試練(?)のお蔭で、野菜嫌いは直らなかったものの、食べられない野菜はなくなった(但し、未だにシイタケやマツタケはダメ。二つの区別もできないし、するつもりも、必要も感じない。経済的に余裕ができたら、シイタケかマツタケを焼いて食べてみたいと思っている。煮てあると、食感がダメだが、焼いたものだと口に入りそうな予感が少し、あるので)。
さて、朝晩は下宿の食事という猛特訓の日々だっただけに(でも、みんなとの食事自体は楽しかった。部屋にはないテレビもたまに見れたし。小生は漫画っ子でありテレビっ子なのだ!)、昼の食事は息抜きにもなり、部屋では近所で買ってきた食パンをトーストし、バターを塗って食べた。
朝夕の食事がつらいだけに、あっさりとした食事にしたかったのだ。
アルバイトでおカネがあったときは、外食。
それは漫画の本を読むためであり、ラーメン・ライスを食べるためであった。さすがにチャーシュー麺は贅沢で食べられなかった。
さて、肝心の即席ラーメンはどうしたか。
記憶が曖昧なのだが、印象に残る即席ラーメン体験は、友人のアパートにおいてだったはず。
友人が数人、居て、週のうちの四日は誰かのアパートに泊まりこむのが決まりみたいになっていた。
友人宅に行く際には、何処かの店で酒と食べ物(ツマミ)を買い込むのだが、ツマミだけでは足りず、即席ラーメンを用意する。
店が開いている時間だったら、夕食を食べてから、誰かのアパートにしけこむ。
即席ラーメンといっても、鍋で煮るタイプは面倒なので、カップヌードルのお世話になったのだった。
お湯を注ぐだけで食べられる。
凝った料理を楽しむという発想は、お喋りがご馳走だった学生時代には、友の集まりの際にはありえなかった(たまに二人での集まりになると、鍋で煮るラーメンを食べることもあったが)。
「安藤百福 - Wikipedia」によると、「1972年、世間を驚かせたあさま山荘事件のテレビジョン中継放送で、厳寒の中、湯気の上がるカップヌードルを食べる機動隊隊員の姿が映され、視聴者は何を食べているのか興味を持った。これが事実上の宣伝となって、爆発的な売れ行きを示した」という。
小生が大学生になったのは、まさにその72年なのである。
事件の映像に影響されたわけではないが(カップヌードルを食べる隊員の姿をテレビで見たという記憶もない)、友人連との徹夜の付き合いには、カップヌードルは不可欠な食品だったのだ。
学生時代の食体験というと、このカップヌードルであり、友人たちと食べたピザであり(友人のうちの一人が比較的裕福というか新しい文化に敏感だった?! 当時の小生にはピザは食の上でのカルチャーショックだったっけ)、学食(学生食堂)でたまに食べるハンバーグ定食である。
学食なのでリッチはハンバーグ定食も、アルバイトでおカネを稼いでいた小生には、必ずしも贅沢ではなかった。
(ハンバーグ定食は、ごくたまにであり、学食では一人きりの時は、カレーライスの大盛りを食べるのが通例だった。大盛りというか山盛りというか、若かったから食べきれる量だった。)
「印象に残る即席ラーメン体験は、友人のアパートにおいてだったはず」として、カップヌードルの話になってしまったが、下宿でも、そして学生になって三年目からのアパート暮らしからなおのこと、所謂即席ラーメンは不可欠の食品になっていた。
気に入ったラーメンがあると、そればっかりを買って、夜となく朝となく昼となく即席ラーメンを食べた(という印象が残る)。
電気コンロと鍋と割り箸と。
ラーメンに何かを浮かべるという知恵もなかった(必要も感じなかった)。
即席ラーメンに飽きたら、バイトの金もあるし、歩いて十分ほどの食堂というか食事のできる喫茶店へ向う。月に数度の贅沢として。食べるのは焼肉定食!
一人の時は、外食ではラーメンは食べなかった。ラーメン三昧の日々だったから。
それに、最後の一年余りを覗くと一人で過ごすことは少なく、大概、誰かしらと一緒なので、友人らと食事というと、ラーメン屋さんへ足が向くのだ。
やがて、フリーター時代を経て、サラリーマンに。
夜は一人で過ごすので、料理もするようになった(学生時代は、アパート暮らしのときに、随分と料理に挑戦した。特にチャーハンやハンバーグ。ハンバーグ作りには一度も成功したことがない。ハンバーグにならなくて、スクランブル状態になってしまうのだ。小麦粉か何かが足りなかったらしい。というか、知恵が足りなかったというべきか)。
作るのは野菜タップリの焼肉と決まっている。
肉を買うことが出来なかったときは即席ラーメン。
が、学生時代とはリッチの度が違う。
ラーメンにはホタテやら卵やらキクラゲ、ワカメ、モヤシなど、冷蔵庫にあるだけのものを麺が見えないほどにトッピングする。
↑ 日清のどん兵衛
こうして書いて来ると、気付く人は気付くだろう。
そう、小生、チキンラーメンを三十代の半ばを過ぎるまで、食べたことがない。
あるいは食べたことがあったかもしれないが、食べた記憶がないのだ。
噂では、あるいはテレビの宣伝ではチキンラーメンの存在を知っていたのだが、何故か手に入らない。時間があるときは、鍋で煮るタイプの即席ラーメン。
時間がない、あるいは作るのが面倒なときはカップヌードルになり、チキンラーメンはややその中間で、小生の眼中に入らなかったのだろうか。
チキンラーメンを食べてみたい。もう、十数年も前だろうか、テレビでチキンラーメンを懐かしい味がそのままといった内容のコピー内容でCMが流れたことがある。
その宣伝に呆気なく影響され、そうだ、オレはチキンラーメンを食べたことがない(食べた記憶がない)! と、再認識し、チキンラーメンをどうしても食べたくなり、近所のスーパーで入手、食べたのだった。
時代の違いだろうか、初めてカップヌードルを食べたほどの美味しさは感じなかった。
確かに少しは舌が肥えているし、カップヌードルには具が入っている。それにやや味が濃い目。
その点、チキンラーメンは、あっさりしているし、具がない。
その具のなさと、あっさりしているところが親しみやすいのだが、やはり、学生時代にお世話になっておけばよかったと後悔している。
どうして、学生時代やフリーター時代に食べる機会を得られなかったものか。
周りに影響されやすい小生のこと、友人の誰かがチキンラーメンを食べていたなら、間違いなく、真似したはずなので、その意味で、小生はチキンラーメンとは縁がなかったというべきなのだろう。
だからというわけでもないが、スーパーで即席ラーメンのコーナーを通ると、カップ麺を買うはずが、つい、チキンラーメンに手が伸びることがある。
(数年前にヒーターが壊れたので、煮るタイプの即席ラーメンとは縁遠くなっている。ごくたまに、電気鍋を引っ張り出して調理するが、洗って仕舞うのが面倒なので、引っ張り出すのが嫌なのである。なので、近年の即席ラーメンというと、カップ麺オンリーなのだ!)
18歳からの一人暮らしは今も続いている。冷蔵庫には即席ラーメン(カップ麺)が常備している(壊れた冷蔵庫を棚代わりにしている)。
少なくとも二三個はカップ麺がないと不安でならない。最後の一つになったら、パニックである。翌日のスーパーの買い物では、他の何を忘れても、即席ラーメンは買う!
「安藤百福 - Wikipedia」によると、戦後間もない頃、「アメリカ合衆国から送られた援助物資の小麦粉からパンを製造し、パン食を奨励する運動を厚生省(現・厚生労働省)が行っていた。安藤はこのパン食奨励に不満を持ち、東洋文化であるめん類を粉食奨励の一環として取り上げないのはなぜか、厚生省職員に質問した。職員からは、麺類製造には零細業者が多く、供給体制に問題があることが指摘され、自分でやったらどうかと突き放された」という。
後に、「安藤は自邸の庭に建てた小屋でインスタントラーメンの研究を始め、1958年8月25日にチキンラーメンを商品化することに成功した。どんぶりに入れて湯を注ぐだけでおいしく食べられる簡便な食品は、瞬く間に人気商品となった」わけである。
簡易な食品が身近にあるのは、安藤百福さんのお蔭である。
同氏がいなくても、遅かれ早かれ、誰かが即席ラーメンやカップ麺を発明したのだろうか。それは日本人の手になってだっただろうか。
あるいは、全く、違うタイプの即席食品が普及していたのか。
いずれにしても、小生が今日も健在なのは、安藤百福さんのお蔭なのは間違いない。
安藤さんは、その名の通り、百福を小生に、否、人類に与えてくれたのだった。
合掌!
| 固定リンク
「伝記」カテゴリの記事
- 隣家との間の側溝が地震で破損(2024.02.12)
- 西之島の運命を気にしてる場合か(2022.02.08)
- 富田木歩の周辺(2007.12.28)
- ベラスケス「侍女たち」の風景(前篇)(2007.11.30)
- 命と引き換えの自然描写:大下藤次郎(後篇)(2007.11.17)
「訃報」カテゴリの記事
- 俳優の中山美穂さん死亡(2024.12.09)
- 親族の訃報…(2024.10.24)
- いきなりの金木犀(2024.10.20)
- 一難去ってまた一難(2020.02.28)
- 梅原猛さん死去(2019.01.15)
「思い出話」カテゴリの記事
- 入浴も体力消耗の因?(2024.11.28)
- タクシードライバー談義(2024.11.19)
- 玄関の戸(鍵)を交換(2024.11.17)
- 柳 宗悦著『民藝四十年』に学ぶこと多し(2024.11.11)
- 早くも暖房に縋る(2024.10.21)
コメント
中学生の頃、ラジオの深夜放送を聞きながら、レモンちゃん(落合恵子さんの愛称)がナレーターで「お湯を注いで食べるだけ!」ってカップヌードルのコマーシャルを聞いて、「いったいこれはナニモノだろう???」って不思議に思い続けてたのを思い出した。
インスタントラーメンも、ジャンクフードとしてのそれよりも、非常食から果ては宇宙食までと、その社会的地位を上げてきたよね。
ちなみにチキンラーメンは、ノスタルジーを強調するコマーシャルにノセられて、夫と一緒に食べてみた。
で、「これは食事ではなく、駄菓子である」という共通の結論に達したよ。
投稿: 志治美世子 | 2007/01/10 21:21
志治美世子さん、コメント、ありがとう。
レモンちゃん、今も頑張っているようですね:
http://www.crayonhouse.co.jp/home/ochiai.html
残念ながら小生は深夜放送で活躍していた当時のレモンちゃんの放送は聴いていない。勿体無いって思っています。
その後、テレビのコメンテーターで活躍した頃に姿を見て、もっと早くに見てみたかったって。
カップヌードルの登場は、衝撃的というと大袈裟かもしれないけど、驚きでしたね。一人暮らしの人が増える時代に応えるように出現した恰好の食材。
随分、お世話になったし、今も、これからも世話になりそう。
チキンラーメン、お菓子の袋に入ったものは、ジャンクフードかもしれないけど、お湯を注ぐタイプは、小生には今以て、主食に準じた存在であり続けています。
小生の食生活の水準は、そんなものなのです。
投稿: やいっち | 2007/01/10 22:16
こんばんは!
いつもコメントをいただきありがとうございます。
カップラーメンは、ほとんど食しませんが、なぜか、懐かしい!
「シーフード」を時々・・・。たまに、食べたくなります。
でも、野菜を食べないという生活は、信じられませんね。身体に必要なものは、野菜かと思うのですが・・・。
しかし、これだけ、「語れる」という能力に乾杯!というべきか。
すごい!です。
安藤百福さんのことを始めて知りました。すごい人ですね・・・。
やいっちさんは、温かい人ですね。お人柄が伝わってきます。ありがとうございます。
投稿: elma | 2007/01/10 23:30
年賀状の画像は、大阪府池田市の“インスタントラーメン発明記念館”で撮ったもの。カップヌードルの製造工程でした。
こんな偶然も嫌いではありません、あけましておめでとうございました、今年もよろしくお願いします。
投稿: 青梗菜 | 2007/01/11 01:08
elma さん、来訪、コメント、ありがとう。
「カップラーメンは、ほとんど食しませんが」だというのは、小生には驚き。驚く小生が情けない食生活なんだろうけど。
少なくとも二日に一食はインスタント。
小生はインスタントな人間なのです。
野菜。あれば食べます。ただ、スーパーに行っても、そのコーナーは素通りする。たまに惣菜コーナーに調理されたものがあったら買うかも。
安藤百福さんのことは、以前、テレビで特集されているのを見て知ったような。同氏には頭が下がります。世界の食糧事情を考えると、場合によっては人類の救世主になるのかも。
elma さんにしろ、その前向きさが好きなのです。元気を貰っています。
投稿: やいっち | 2007/01/11 02:10
青梗菜さん、ご指摘、ありがとう。
「年賀状の画像は、大阪府池田市の“インスタントラーメン発明記念館”で撮ったもの。カップヌードルの製造工程でした」ってのは、凄い。予感していたのでしょうか:
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2007/01/post_3948.html
ここでも改めて、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
投稿: やいっち | 2007/01/11 02:13
予感・・・。予感的中、なんていう人は、常日頃いろいろ妄想している人なんでしょうねえ。100の想像のひとつが当たった途端に、そのひとつの想像が強く照らし出されて、99を見えなくしてしまう。だから、僕の場合も日ごろからなにやらたくさん種を蒔いているからたまたまひとつ芽が出た、って感じかなあ。
それにしては、はまりすぎですけど(〃^∇^〃)。
投稿: 青梗菜 | 2007/01/11 02:32
ってことは、青梗菜さんの<妄想>の凄さを物語っている?!
これで、百個の妄想の種が全部、芽が出たら、怖いよね!
投稿: やいっち | 2007/01/11 02:54
日清のカップヌードルずいぶん食べました。
昭和40年代の初め、日曜日は銀座4丁目の交差点は歩行者天国、当時の若者が闊歩していました。
確か、三越前あたりで、お湯を注いでくれる
カップヌードルをオープンカフェよろしく皆食べていましたね。
その当時では最先端のおしゃれな食べ物???
カップヌードルを東京へ出て来てこんな風に銀座のど真ん中で食べられるなんて、わくわくしていました。
古いふるいお話ですが、一時カンスイ(水酸化ナトリウム)が問題になり、胃酸を中和して胃の働きが悪くなるようにも聞いていましたが、今は
炭酸水素系のカンスイを使っているようで胃にも
優しいのでしょうか。
美味しいですよね。
投稿: tibisato | 2007/01/11 18:10
tibisatoさん、コメント、ありがとう。
さすがtibisatoさんですね、一味も二味も違う思い出話、貴重な話ですね。
カップヌードルは、オシャレでハイカラな食べ物だったのですね。
今はカップ麺も多彩。小生もいろんなカップ麺を食べるのですが、カップヌードルは定番として、必ず用意しておくのです。
即席麺についてもいろいろ問題があったのでしょうね。
小生など、即席麺で生きているような人間。
今はともかく、昔は添加物にどんなものがあったか分からないし、塩分などが怖いような。
でも、不可欠なんだから、食べるのみ!
投稿: やいっち | 2007/01/12 08:05
今日の東京新聞の「こちら特報部」に安藤さんの記事が出ています。
アメリカンドリームを超越というのだからすごい!
今はどうなのでしょう。
発光ダイオードの中村さんなんか日本にいたら発明できたかしら。
それはともあれ今はお湯を注ぐではなく、レンジで温める方式のそばうどんラーメンも増えてますね。
コンビニだけかと思ったらスーパーもつくっている。
僕はレンジのほうが簡単で好きです。
投稿: oki | 2007/01/12 13:30
>今日の東京新聞の「こちら特報部」に安藤さんの記事が
読みたかったな。特集で扱うに価する人物だしね。
電子レンジで調理できる食品が出てきつつあるのは嬉しいけど、タイミングが悪いことに、小生の電子レンジの調子が悪くて、使うのが厄介。
タイマーに不具合。
今は幸い、昨年買った電気ポットがあるので、お湯を注ぐタイプのカップ麺が何よりなのです。
投稿: やいっち | 2007/01/12 17:06
おお、懐かしの青梗菜さん。
さて今週の「週刊新潮」に安藤百福の娘が大阪でゴミ拾いのリヤカー引きになっていた、という記事が載っています。
なんでも遺産相続を求めて裁判を起こしているとかー。
お金持ちの家庭はなにかとやっかいなことがありますね。
それにしても中央線はよく止まる、今日は信号故障とか、疲れ果てていますー。
投稿: oki | 2008/06/09 22:16
oki さん
青梗菜さん、最近、音沙汰ないです。
あそこの掲示板はあらされ放題で、カキコするのが憚られるし。
>「週刊新潮」に安藤百福の娘が大阪でゴミ拾いのリヤカー引きになっていた、という記事
新聞で見出しだけ読みました。
そうか、遺産の問題で揉めてるのか。
こればかりは即席で解決ってわけにはいかないんだろうね。
中央線って、どうしてなんでしょう。でも、今回は人身事故じゃなくてまだまし…。でも、待たされるのは辛いね。
投稿: やいっち | 2008/06/10 09:58