百年の風流夢譚に愉悦せん
過日、掌編「図書館へ行こう!」を書いた。
文中、以下の記述がある:
本が合計で六冊。しかも、予約の本が予想外に大きかった。ほとんど図鑑のような本なのだ。
オレは、用意してきたビニールの袋を取り出して収めようとするのだけど、入りきらない。
→ ウンベルト・エーコ著『美の歴史』(植松 靖夫【監訳】・川野 美也子【訳】、東洋書林)
創作は基本的に虚構なのだが、この点は事実を(少し変更した形で)踏まえている。
サンバも好きだが読書も楽しんでいる。だからこその創作でもある。
実は、予約した本などはなく、借りたのは全部で四冊で、そのうちの二冊は、以前から借りていた本を再度、借りたもので、下記:
ウンベルト・エーコ著『美の歴史』(植松 靖夫【監訳】・川野 美也子【訳】、東洋書林)
G・ガルシア=マルケス著『わが悲しき娼婦たちの思い出』(木村榮一訳、新潮社)
[G・ガルシア=マルケス著『わが悲しき娼婦たちの思い出』については、「放蕩娘の縞々ストッキング!- BLOG 【本】 『わが悲しき娼婦たちの思い出』 G・ガルシア=マルケス」の書評エッセイが読み応えがあった。(07/09/02 追記)]
『美の歴史』については既に若干、触れているが、実に面白い。少しは西洋絵画を見てきた小生だが、初めて見る絵画作品・彫刻などの画像が満載で、つい見惚れ、読む手も止まってしまう。
二週間では楽しみきれないので、更新してしまったのだ。
← G・ガルシア=マルケス著『わが悲しき娼婦たちの思い出』(木村榮一訳、新潮社)
後者の『わが悲しき娼婦たちの思い出』は、「作者七十七歳にして川端の『眠れる美女』に想を得た今世紀の小説第一作」という謳い文句に惹かれて予約したもので、『百年の孤独』を二度も読んだガルシア=マルケスファンの小生、じっくり読ませてもらった。
「満九十歳を迎える記念すべき一夜を、処女と淫らに過ごしたい! これまでの幾年月を、表向きは平凡な独り者で通してきたその男、実は往年、夜の巷の猛者として鳴らした、もう一つの顔を持っていた。かくて昔なじみの娼家の女主人が取り持った、十四歳の少女との成り行きは……。悲しくも心温まる、波乱の恋の物語。二〇〇四年発表」とあっては、川端の『眠れる美女』は我が垂涎の書であるだけに、読まざるを得ない。
川端の何処か寂しげで禁欲的な楽しみ方からすると、とにかく淫らに堪能するというのは果たしている。
思い返してみると、マルケスの『百年の孤独』(鼓 直訳、新潮社)は、そうした倒錯した(と狭苦しい倫理観に囚われた、窮屈な発想法しか出来ないものには倒錯したと思われがちな)世界の、さらに密林風に輻輳した物語世界ではなかったか。
新規に借りたのは、下記の二冊:
『ちくま日本文学全集 52 深沢七郎』(筑摩書房)
『集英社ギャラリー 世界の文学 (9) フランス4』
「2007年リベルダージ New Year Party (4)」の末尾にも書いたが、『ちくま日本文学全集 52 深沢七郎』は、深沢七郎の作品集なのに、肝心の「楢山節考」や「風流夢譚」が入っていない!
でも、まあ、深沢世界を楽しんだけれど、お目当ての作品を読めないのでは欲求不満が残ってしまう。
『集英社ギャラリー 世界の文学 (9) フランス4』には、カミユ「異邦人」サルトル「壁/水いらず」ジュネ「泥棒日記」セリーヌ「なしくずしの死」シモン「ル・パラス」ロブ・グリエ「ジン」などの諸作品が収まっている。
それぞれに興味深かったり懐かしい作家名・作品が並んでいる。
→ 『ちくま日本文学全集 52 深沢七郎』(筑摩書房)
実は、『美の歴史』がまず、図鑑並みに大きく且つ重いのである。紙が上質だし、図録が多いから、当然だろう。
それ以上に大部なのが『集英社ギャラリー 世界の文学 (9) フランス4』で、1200頁以上ある。
これら二冊だけで既に持参したビニール袋だけでは間に合うはずもなかったのだ。
『集英社ギャラリー 世界の文学 (9) フランス4』は、『世界の果てへの旅』が我が青春の書である小生が、かねてより読みたいと思っていた、セリーヌの『なしくずしの死』を読みたくて、マンの『ファウストゥス博士』の次に挑戦したくなり、発作的に借りたのである。
秋から冬は小生は文学の大作を読みたい時期なのだ。
とはいっても、せっかく、「異邦人/壁/水いらず/泥棒日記/なしくずしの死/ル・パラス/ジン」といった作品が所収されているのだし、最初から最後まで全部、読み通すつもりである。
まあ、二ヶ月ほどで読了できるだろうか。三月一杯には解説も含め、読み果(おお)せるだろうと思うのだが、さて。
余談だが、『集英社ギャラリー 世界の文学 (9) フランス4』の装丁は山本容子氏、口絵にはバルテュスの初期の代表作である「山(夏)」(色合いが、かなり原作とは違うような気がするが、「第5回 バルテュス夫妻」の中の「山」を参照のこと)が使われているのが嬉しい。
余談ついでだが、今日、『異邦人』を読み出したのだが、主人公のムルソーの仕事が小生のサラリーマン時代の仕事と少し重なっていることに、ちょっと驚いた。
『異邦人』というか、カミユは60年代の終わり頃、まあ、せいぜい70年代の初め頃まではよく読まれていて、小生など『異邦人』は学生時代に二度三度と読んだ。
でも、大学を卒業してからは、サルトルやカミユ、ジュネの世界からは随分と離れてしまった。
サラリーマン時代は、海辺にある倉庫で働いていたのだった。
仕事は、輸出代行業で、『異邦人』のムルソーの仕事とも関わる「船荷証券」などの輸出書類を扱い、働く場も倉庫なのだった。無意識裡に「異邦人」たることを意思していたのだろうか、なんて考えすぎか。
『ちくま日本文学全集 52 深沢七郎』(筑摩書房)は解説が中沢新一氏だった。深沢七郎の生地(山梨県の石和地方)とは川を挟んだ地区に生まれ育った中沢氏には深沢文学の世界は多少は馴染みの世界だったようだ。
それにしても、解説はともかく「楢山節考」や「風流夢譚」を外すという編集方針も中沢氏の案なのだろうか。
深沢文学は、彼という人間を通じて、石和の地に色濃く残る古代からの独特の風土や気質が噴出したような世界だ。本人も何も誰とも違う、独自の世界を描こうという大そうな目論見などもっておらず、内にあるモノがあふれ出るがままに描いてみたら、「楢山節考」や「風流夢譚」のような世界になったというもの。
文学など恐れ多いものだったのだ(しかし、権威や素養など度外視した、根深い何かが深沢には断固としてあったということでもある)。
深沢は、石坂洋次郎という作家とは対談を通じて知り合ったようだが、石坂氏も酒を飲まないことに安堵して、自分も作家になれるかもと思ったとか。
→ G・ガルシア=マルケス著『百年の孤独』(鼓 直訳、新潮社)
深沢はまた、「笛吹川」という作品を書いている時、家に植えておいた笛吹川の月見草を植えておいたものを、芽がたくさん出たので石坂先生のお宅へ植えてもらいたいと持って行ったことがあるという。
けれど、いざ石坂先生の家の玄関に立ったら、臆してしまって、塀の外から中の様子を覗こうとした。深沢には気の弱い、取り越し苦労するところがあるのだ。
塀は高くて覗けないが、うまいことに大きい松の木がある。枝を伝ってのぼってみた。
家の中は見えないが庭は見える。が家の犬が彼を見つけてしまった。
犬の吼え声で女中が飛び出してくる。
そのうち、石坂先生も出て来る。
とうとう、
「そこにいる方は、何をしているのですか?」と、声を掛けられてしまう破目に。
深沢はというと、
「あの……、鯉のぼりが……」
と云うばかり。
そばで見ている女中は呆気に取られている。
それでも深沢は女中に顔を見られないよう、顔を背けている。
発見されてしまった深沢は、
「ごめんください」
と、玄関に立ったのだった。
結局のところ、石坂先生は気安く月見草を植えさせてくれたのだった。
こんな、いかにも深沢だと思わせるエピソードが満載の「言わなければよかたのに日記」など、実に面白かった。
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コメント
ガルシア=マルケスもここのところ世間で話題になっていますね。
僕は外国の翻訳ものはどうも手が出ない。
訳が悪いのではと思うと原書を読んだほうが益し、しかしその時間がないときています。
ところで弥一さんお住まいの区では図書館何冊まで借りられるのですか?
CDも図書館で借りておられるのですか、今はネットで聴くとかいって中古CDが売れないらしいですね。
僕は寝ながら聴きます/苦笑。
投稿: oki | 2007/01/18 12:40
ガルシア=マルケス、あの年齢でこのような作品を書くってのは凄いです。
近いうちに「族長の秋」など読んでみたい。
翻訳もの。確かに原書で読むほうがベターなのは明らか。
でも、現実にあらゆる国の語が読めるわけもなく、それより読めるものはドンドン読んだほうがまし。
小生は、学生の時、その点はハッキリ割り切っています。
本を読む時間はないですね。なので、外出も(バイクがまだあった頃から)バスや電車を使うようにしてきました。移動時間に読む。
常に本を所持する。銀行、待合室、何処ででも読むのです。
音楽は(特に若い人は)ネットでダウンロードして聴くみたいですね。
「千の風になって」がオリコンでトップになったのも、CDを直接、買うのが年輩層だからという事情もあるとか。
投稿: やいっち | 2007/01/19 08:42