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2007/01/06

芋銭さん牛久の魑魅を愛しけり

[今日のテーマは、画家・小川芋銭の周辺など:「芋銭(うせん)さん牛久(うしく)の魑魅(ちみ)を愛しけり」(ちなみに、「魑魅」とは、「山林・木石の精気から生ずるという怪物」のこと。他に、「人の霊魂。たましい」の意でも使われる)]

 昨日5日は、今年二度目の営業だった。晴れていて天気には恵まれていたのだが、交通事情は結構、シビアーだった。
 3日は、Uターンラッシュもピークだったようだけど、都内は車も人影も少なく、走りやすい(その分、仕事にも恵まれなかったが)。
 それが5日は、状況が一転、特に昼前などは、恐らくは挨拶回りのためなのだろう、黒塗りの車がやたらと目に付く。金曜日とはいえ、まだ、5日なのに、この渋滞ぶり!
 幾度となく渋滞のドツボに嵌り、今年が思いやられるような気がした。
 が、挨拶回りのノルマが終わった昼下がりからは、急転直下、今度は仕事が暇に。やることは終えたというのか、早々と飲み会へ繰り出したり、帰宅の途に付いたのだろう(推測)。

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← 五日の夜半過ぎ、都内某所にて。缶入りのコーンポタージュで一服。すると、自動販売機の脇にお地蔵さんが…。ん? 首がない! どんな過去があったのか…。

 となると、車中ではラジオが楽しみ。
 とくに音楽(番組)は、最近こそ自宅でCD三昧となってきているとはいえ、仕事中においては干天の慈雨なのである。久しぶりに渥美清さんの、というより、寅さんの「男はつらいよ」の主題歌も聴けた。
 正月と言えば、寅さんが定番だったのが、つい昨日のことのようだ。
 昨日は日中、晴れ渡っていたので、正月、荒川の土手を凧揚げする家族連れを尻目に、にこやかに、でも、何処か哀愁を漂わせつつ、あの顔と仕草の寅さんが歩いている、そんな映画の中の光景が彷彿としてくるのだった。
 
 寅さんに関係しては、下記の雑文がある:
風天居士…寅さん
指パッチン」(この中に、「寅さんの映画を見る」という一文を載せている)
西田敏行のこと
蓮の花が咲く時、音がする?!」(ハチス!)
葛湯から古代を想う」(葛飾・柴又の「葛」と葛西の「」は「かずら」繋がり)

 仕事の性格からして、インタビューモノ、話系の番組は苦手である。話に聞き入るわけには行かない。音楽だと一分、否、断片とはいえ数十秒でも聴けたら、その束の間の時間は楽しめるが、話は流れがある。
 そもそも、学生時代にしても授業の内容を的確に理解できたためしがない。
 まして、運転中なのだ。
 でも、時に気になる話が伺えるときがある。
 そんな時は、キーワードだけ覚えておく。話の内容は、もう最初から理解するのは諦めている(待機中などで集中して聴くことが出来る場合を除いて)。
 例えば、昨日だと、「住井すゑ 小川芋銭 近所」が鍵となる言葉なのだった。
 話の内容は、まるで理解できなかった。あるいは少なくとも、実車中でラジオはオフにせざるをえなかった。
(余談だが、車中で音楽を聴くとか、たまには話を聴くと書いているが、縷々、愚痴(?)めいた形で書いているように、実際にはほとんど聴くことは難しい。例えば、道路の混雑状況や、特にお客さんに訊かれることの多い天気情報などにしても、大概は聴けず仕舞いに終わることが多い。情報が流れる時間は決まっているが、その時間が近づいたら、今度こそ聞き逃すまいと身構えるのだが、実車になったらラジオのボリュームを下げるか、オフにする。空車であっても、道路状況によってはラジオどころの騒ぎではない場合もある。結果、数時間も天気情報などの入手をミスることも間々あったりするほどなのである。まして、普通の話は推して知るべし、である。)
 
 肝心の話の中で、どういった内容が話されたのかは分からない(聞き逃した、あるいは忘れた)。
 とにかく、今は、「住井すゑ 小川芋銭 近所」だけが手掛かり。
 住井すゑについては、「住井すゑ - Wikipedia」に頼る。
「部落差別について正面から取り組んだ」大作の『橋のない川』は、「1部から7部までの累計発行部数は800万部を超える」とか。
 読みたいと思いつつ、今日までとうとう一巻たりとも読めないでいるので、彼女については、すごすごと退いていくばかり。

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→ 今日の天気が信じられないような五日の快晴。埠頭の波止場で遊覧船を見送る。オイラも乗せてってくれよー!

住井すゑ - Wikipedia」によると、「1935年に犬田の郷里である茨城県稲敷郡牛久村城中(現在の牛久市城中町)の小川芋銭宅のすぐ近くに転居し、執筆と農作物自給生活の拠点とする」とか(「住井すゑ家族の牛久沼畔の田舎暮らしは、増田れい子のエッセイ『母・住井すゑ』に詳しい」もメモしておく)。

 今日は、小生の好きな画家・小川芋銭(おがわ うせん、本名:小川茂吉、1868年2月18日(慶応4年1月25日) - 1938年(昭和13年)12月17日)に焦点を合わせる。
 大凡のことは、「小川芋銭 - Wikipedia」に書いてある。
「生涯のほとんどを茨城県の牛久沼のほとりで農業を営みながら暮らした。画業を続けられたのは、妻こうの理解と助力によるといわれている」という。
 そうした孤高を保った画家として、昨年は、「高島野十郎」を<発見>したのだった:
もうすぐ「没後30年 高島野十郎展」
土屋輝雄・久世光彦・高島野十郎…
「没後30年 高島野十郎展」始まった!
バシュラール…物質的想像力の魔

小川芋銭 - Wikipedia」には、「水辺の生き物や魑魅魍魎への関心も高く、特に河童の絵を多く残したことから『河童の芋銭』として知られている」とも書いてある。
 この点に付いては、図録『小川芋銭展』の中で、小川芋銭自身の言葉として、以下のような一文が紹介されている:

昔素朴な人間の頭脳は天地自然の不可思議に対して必ず妖精的存在を描き出すものだが、河童は水辺に生活した我々の先祖にとって無視すべからざる関係にあった。牛久の近所には沼や河がたんとあるので、河童の話はいくらでもある。随って土民の生活を描こうとすると必ず此河童に打つ突かる。

 今、図録『小川芋銭展』を紹介したが、そう、小生は93年にこの「小川芋銭展」に行って来たのだった。
 この頃は小生のどん底時代(の一つ)であって、仕事が終わるとまっすぐ帰宅し、自宅では食事もろくに摂らず寝てばかりいた。
 休日もカーテンを開けることもない。開ける気力さえ萎えていた。精神的に追い詰められていた。とうとう体に症状が出て、たとえばメニエル症候群とでもいうのか、ベッドから不意に起き上がろうとすると、部屋の中の光景が急速に回転し、眩暈と吐き気に襲われ、そのままベッドに倒れ臥してしまう、その繰り返しになったこともある。
 その原因や背景の事情については、機会があったら書くとして、そんな精神的不能状態の小生が、重いはずの腰を上げて竹橋の東京近代美術館で催されていた「小川芋銭展」に行ったのは、やはり芋銭の絵に惹かれてのことだった…のかどうか、それすら覚えていない。
 回復期の、空回りしがちな元気の余勢を駆ってだっただけなのかもしれない。

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← でも、船はオイラに見向きもせず、無情にも行っちゃった。この向こうには太平洋が広がっている!

 小川芋銭の人気は、今日、どれほどのものなのだろうか。まさか忘れられてはいないだろうが、絵の世界の魅力に引き合うほどの高まりとは言えないのだろう。
 この点、住井すゑ人気のやや低調ぶりと似た状況にあるのだろうか(最近の人気ぶりなどの詳しい状況は分からない)。
 写生を重視しつつも、牛久という土地柄のせいなのか、河童に留まらず、水魅山妖の世界を好んで描いた小川芋銭の自由闊達な世界は、閉鎖され縮小再生産するばかりの不毛な小生の心をほんの少しは開いてくれたような気がした。
 あるいは、そう願っただけなのかもしれない。
 いずれにしても、展覧会を観た翌年、晴れて会社を首になり、同時に重石が取れたのだった。
 
 ネット検索したら、夕べのラジオでの話しに直接は関係ないかもしれないが、住井すゑと小川芋銭の関係を教えてくれる、恰好のサイトが見つかった:
草思堂から 住井すゑ、小川芋銭
 小川芋銭の近所に越してきた住井すゑが当時、生活に困窮し、近所に住む小川芋銭の世話になったという:

「橋のない川」で知られる作家の住井すゑは、昭和10年、夫である犬田卯の喘息の療養、夫妻の作品に対する官憲の圧迫などの理由により、東京から夫の実家である茨城県牛久村(現牛久市)に移住します。
しかし、その生活は非常に苦しいものであったため、同じ牛久に住み、懇意にしていた画家・小川芋銭に援助を求めます。
これに対して小川芋銭は、自分も裕福ではないのでお金はあげられないが、自分の絵をあげるから、それを売って生活の足しにしなさいと言って、絵を住井すゑに託します。
住井すゑはその絵を持って吉川英治を訪ねますが、吉川英治は何も言わずに絵を買い取ってくれ、そのおかげで生活の苦境をしのぐことができた。

 より詳しくは、「吉川英治記念館学芸員日誌」と銘打たれている「草思堂から」なるブログの中の
上記の頁を覗いてみて欲しい。


 参考サイトを幾つか:
 絵画
 小川芋銭の絵を観るなら、断然「誌上小川芋銭展」(「利根町商工会」所収)
愛知県美術館 コレクション検索 小川芋銭 (おがわうせん)
文化遺産オンライン 於那羅合戦 (おならがっせん)」なる絵は、いかにも小川芋銭的ワールド!

美の巨人たち 小川芋銭『水魅戯(すいみたわむる)』

 情報
小川芋銭記念館 雲魚亭
茨城百景85-小川芋銭の碑と牛久沼」が、小川芋銭の住み暮らした牛久の面影などが窺えて参考になる。
小川芋銭の生涯と画にかけた情熱

 山村暮鳥に、「自分は恋人に逢ひにでも行くやうな気分で沐浴し、喫餐し、折柄の糠雨を宿で借りた傘で避けながら闇の夜道をいそいだ」などといった書き出しで始まる、「小川芋銭」と題された小文がある(「青空文庫」所収)。
 暮鳥の、「土だらけのゴッホ」とまで讃える芋銭への心酔の念が窺える、いい文章である。
 此の一文を発見し紹介できるだけで、本稿を綴った甲斐があったというものだ。

 野口雨情の「小川芋銭先生と私」も素晴らしい(「青空文庫」所収)。
 この一文を読むと、住井すゑに限らず、生活に困窮した人が小川芋銭の家に行き絵を貰い、その絵を売っていたことが分かる。
 あるいは、そういった評判が事情通の中では知られていて、住井すゑも小川芋銭宅へ絵を貰いに行ったのかもしれない(推測)。

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コメント

吉川英治記念館の者です。
先程はご来訪ありがとうございました。
野口雨情の文章など、大変参考になりました。
また何かございましたらご教示いただければと思います。

投稿: 片岡元雄 | 2007/01/07 11:04

小川芋銭ですか、名前しか知りません。
93年の回顧展ってどこの美術館でやったのでしょうか?
昨年はそう、高島野十朗の発見は大きかったですね。
しかしネットの知人を見ていると江戸絵画、とりわけ若冲の復権が大きかった気がします。
今年はどんな話題が美術界を騒がせることかー。

投稿: oki | 2007/01/07 22:55

片岡元雄さん、来訪、コメント、ありがとうございます。
とても参考になりました。
野口雨情の文章、小川芋銭のことを知るのにもとてもいい文章ですね。たまたま見つけたのですが、ネットの威力・メリットを感じました。
また、お互い、刺激し合えればと思います。

PS:やはり、TBのURLが分かりませんでした。宜しければ、そちらのほうからTBしてくれたら嬉しいのですが。


投稿: やいっち | 2007/01/08 03:41

ご無沙汰しております。
なずなさんのところでお名前を見かけて、おお、と思って来てみたら、寅さんのことが……。これは書かずにいられないでしょう(笑)
本当に、お正月に寅さんが見られないのは淋しいかぎり。仕方なく、我が家はビデオで見ていました。48卷のビデオを最初から見ていく、というのも、もう何巡目でしょう。何度見ても見飽きないというのは、いったい何なんだろうと、いつも不思議に思います。

「小川芋銭」のことは、恥ずかしながら、つい先日「お宝鑑定」のような番組で初めて知りました。見たとたん惹かれてしまい、いったいどんな画家なんだろうと思っていたところなので、色々知ることができて嬉しかったです。有難うございました。

投稿: ミメイ | 2007/01/08 04:01

oki さん、コメント、ありがとう。
小川芋銭展は、本文にも書いたけど、竹橋の近代美術館です。
高橋野十郎の<発見>は小生にとっても大きかったです。
若冲については、数年前、雑誌「芸術新潮」が特集したことがあって、このときに小生は若冲に注目したのでした。
江戸時代の画家というと、英一蝶や曽我蕭白、長沢蘆雪はもう復権しているし、誰だろうか:
http://www.wombat.zaq.ne.jp/kaitekido/2005/syohaku.html
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/050416.htm
http://www.sankei.co.jp/eco/special/kodou/08.html

江戸時代じゃないけど、前にも紹介した高橋松亭も好きなんだけど:
http://www.asahi-net.or.jp/~PD4J-KTRG/kokosimi.html

あの死刑囚の平沢貞通氏の作品など、幻の名作なのかも:
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2000/hirasawa-list.htm
保田義孝さんの鉛筆画も好き:
http://www.oct-net.ne.jp/~gizmo/yyprofile.htm
牛島憲之の静謐はもっと評価されてもいいね:
http://artshore.exblog.jp/4253459/
向井潤吉は前にも紹介したね:
http://kokuhou-club.com/collection/000062.html
清宮質文がもっと評価されていいはず:
http://www.kiryu.co.jp/ohkawamuseum/kikakuten/55-tomaikiyomiya/pages/
佐野繁次郎の絵も面白い:
http://www.kurageshorin.com/ginza.html

もう、きりがないね。
とにかく、楽しみ!

投稿: やいっち | 2007/01/08 04:12

ミメイさん、久しぶり。
来訪、コメント、ありがとう。
嬉しい!

しばしばお邪魔してコメントすると、煩いかなって遠慮したりして。

寅さん、48卷のビデオがあるなんて、小生のはるか上を行く!
一時は、西田敏行が主演する「釣りバカ」がいいかなと思いかけたけど、脚本に難があるのか、監督のせいなのか、ドタバタに終わっていて、哀感が漂わず感情移入が出来ない。
やはり、渥美清という俳優の持ち味と監督の両方があって初めて可能だった世界なのだと、今更ながらつくづく感じます。

小川芋銭に限らず、素晴らしい作家はたくさんいます。
上のレスでも少し紹介したけどね。

これからもよろしく。なずなさんのところで会えるのかな。
そういえば、なずなさんにコメントを貰ったばかり:
http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/2006/12/post_4535.html

投稿: やいっち | 2007/01/08 04:24

恐縮ですが、小川芋銭に関する情報を提供させていただきます。
芋銭の『河童百図』(初版、昭和13年)が復刻刊行されます。百図全図について、図版と解説が見開きで紹介されますので、かなり分厚い図録になります。
初版は白黒でしたが、今回初めて半数近くがカラー図版化されます。
詳しくは、茨城県立歴史館HPを御覧下さい。
http://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/

投稿: 北畠健 | 2007/06/20 09:05

北畠健さん、情報、ありがとう
http://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/documents/ogawausenzurokuyoyaku.pdf
小生は芋銭展のときの図録を持っていますが、やはり、入手困難だった初版の復刻となると格別。
3千円(送料別)だと中身からすると割安だし嬉しいニュースになりますね。
7月末の予約締め切り(10月配送)。

投稿: やいっち | 2007/06/20 11:52

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