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2007/01/31

雪降る日待てど暮らせどこんものか

[テーマは、文部省唱歌「」の歌詞「雪やこんこ」について]

 小生のホームページ「国見弥一の部屋へようこそ」(の掲示板)に遠来の客があった。
 バス・バリトン歌手の大畑理博(おおはたみちひろ)氏である。
 彼のオフィシャルホームページは、「Hiro Songs Album-MICHIHIRO OHATA OFFICIAL WEB SITE-」であり、彼のプロフィールは、風貌もあわせ、「大畑 理博(バス・バリトン)」で観ることができる。
「富山県立呉羽高等学校普通科音楽コースを経て、東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。現在、東京ミュージック&メディアアーツ尚美ディプロマコース在籍。これまでに毛利準、直野資、黒田博、黒崎隆憲、在原美江子、日本歌曲分野を塚田佳男、青山恵子の各氏に師事」以下、詳しい経歴などはサイトを見てほしい。

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→ 昨年末、帰省した折、28日朝方には雪は全くなくて。

 彼の歌のレパートリーは幅広く、「日本歌曲(ソング含む)」、「童謡・唱歌・子供の歌」、「歌謡曲、ポップス」、「ミュージカルナンバー」などである。
 彼には、「千の風になって」を歌ってブレイクしたテノール歌手・秋川雅史氏のように早く全国区の歌手になってもらいたいものである。
(なお、「2007年3月10日「大畑理博ソングリサイタル」」とのこと。)

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2007/01/30

ブグローの官能の美の徒(ただ)ならず

 ブーグロー(Adolphe-William Bouguereau 1825~1905)なる画家を最近、個人的に(再)発見した。既に、「草城の句境を知らず人は過ぎ」(や「会うことの叶わなざりしをただに知る」で若干の画像と共に簡単な紹介を試みている。

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← ブーグロー……ダ・ヴィンチの画を想わせる。

  ブグロー(ブーグロー) については、定番の「ウィリアム・アドルフ・ブグロー - Wikipedia」や、前にも参照させてもらった、「アドルフ-ウィリアム ブグロー(ブーグロー) の超 甘美」なる頁を覗かれるのが、彼の世界を知るに一番、小生のような初心者には無難だし相応しいのかもしれない。
「ウィリアム・ブーグロー(ブグロー)は、1884年フランス美術アカデミー会長になり、印象派の画家達(セザンヌ、ルノワール等)を、サロン出品から落選させていた人物であ」り、「古典を尊重し理想を求めて、熟練した高度なテクニックを有し、かつ、19世紀後半のフランス美術界で強烈な権力を握っていた」人物である。
 さらに、「古代神話の主題から風俗画に至るまで美の極致と言えるほど、甘美で精緻な技術を駆使し、親近感を覚えてしまう現世的な美しい顔立ちで表現」した人物でもあるのだ。

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→ ブーグロー「Childhood Idyll」……こういう画風なら所有したいと思う人は古今東西を問わず多いだろう。

 が、小生のような絵画についても素養のないものが鑑賞しても、「一目見てラファエロ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの要素がひらめく」画風である。
 通俗性がプンプン匂っていて、衒学性を事とするものは、彼の作品を好きだとは表立ってはなかなか口にしえないだろう。
 ある意味、絵画が古典的な表現ではなく、当代においてのリアルということを旨とするなら、彼において理想的であり且つリアルな女性像は臨界点に達していたと言えるのかもしれない。

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2007/01/29

草城の句境を知らず人は過ぎ

1月29日 今日は何の日~毎日が記念日~」によると、今日29日は日野草城の忌日だという。
 つまり、今日は「草城忌」なのである。

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→ 室生幸太郎編集『日野草城句集』(角川書店2006年1月29日再版)。「生誕100年にあわせて編纂された日野草城句集がこのほど没後50年ということもあり再版されました」とのこと。

 振り返ってみると、小生は日野草城についてブログで採り上げたことがない。
 僅かに、「初鏡…化粧とは鏡の心を持つこと?」にて「初鏡娘のあとに妻坐る」を、「冬ざれ」にて「冬ざれのくちびるを吸ふ別れかな」を挙げているだけである。

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2007/01/28

会うことの叶わなざりしをただに知る

 一ヶ月以上にわたるハードな日程の日々が続いている。今日は、ちょっとだけ骨休みができる。
 休日の前の日はロッキングチェアーで寝て過ごすのが小生の癖(要するに本を読もうとしていて、そのまま寝入ってしまう)なのだが、昨夜はとうとうベッドへ。
 体が仕事の疲労で悲鳴を上げているのだ。
 来週末、ようやく待望の連休が来る。少しは寝溜めができそう。
 外出する時間的(経済的)余裕がないので、読書は別格として(今はジュネの「泥棒日記」とウルフの「オーランドー」を読んでいる最中)、ネットで散歩する。

 日記に独特のセンスがあって、折々(こっそり)覗きに行っているサイト(加藤思何理 ・ 詩の屋根裏部屋)でやや久しぶりという画家の名(や作品名)を目にした
 一人はジョージア・オキーフ(georgia o'keefe)であり、もう一人はデイヴィッド・ホックニー(david hockney) 。
 まあ、この二人はいずれも高名な画家だから、今更、小生が紹介するまでもないだろう。
 それぞれについて、せっかくなので、ネットの上だけでも作品を目にしてみたいとネット散策。

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← デイヴィッド・ホックニー著『秘密の知識 ―巨匠も用いた知られざる技術の解明―』(木下哲夫訳、青幻舎)

 例えば、「AllPosters.co.jpのホックニー・デビッド ポスター」なんてサイト(頁)があって、ホックニーの爽やかで清潔感溢れる世界の一旦に接することが出来る。

 驚きだったのは、小生の無知に過ぎないのだろうが、ホックニーには『秘密の知識 ―巨匠も用いた知られざる技術の解明―』(木下哲夫訳、青幻舎)なる著作があるのだった。

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2007/01/27

愛のファンタジア(リベルダージ新年会番外編)

愛のファンタジア(リベルダージ新年会番外編)」を編集アップしました!

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→ 『ラヴェル:夜のガスパール,カーター:ナイト・ファンタジーほか』(ワーナーミュージック・ジャパン)

 モーリス・ラヴェルの「夜のガスパール」(やエリオット・カーターの「ナイト・ファンタジーズ」)などを聴きながら作成していました(いずれもピアノは、ピエール=ロラン・エマール)。
 番外編の題名は「愛のファンタジア」に決めたけど、苦し紛れだった。
 でも、もしかして、このCDに影響されていた…、のだろうか。

PS:
 余談ながら、本編は「花小金井パレード番外編:地上の熱帯魚たち」の路線を踏襲していることを書き添えておきます。

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2007/01/26

ヴァージニア・ウルフ……クラゲなす意識の海に漂わん

 昨日の日記でヴァージニア・ウルフ(『ある作家の日記』を巡って)を採り上げた こともあって、夕方になって久しぶりに図書館へ行った際に、彼女の本を物色してしまった。
 日記にも書いたが、実のところヴァージニア・ウルフ(Virginia (Adeline) Woolf (nee Stephen)、1882年1月25日 - 1941年3月28日)は、未だ『ある作家の日記』しか読んだことがない。彼女の本業である小説を読んでいないのだ。

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← ヴァージニア・ウルフ

(ウルフの日記に付いては、ここではもう触れないが、関心のある方は、以前にも紹介したが、「The Diary of Virginia Woolf  新訳 ヴァージニア・ウルフ 日記」なる頁を覗いてみてほしい。「作家の日記を読むことの意味はなんだろう。それが初めから公開を意図したものであればその段階で「作品」であるし、私的なものであればその作家を研究する上での「資料」だと言える。しかしまれに、発表を意図しない私的なものでありながら「作品」としての鑑賞に堪えるものがある。本書はそのような貴重な日記のひとつである」などとあって、実に興味深い。)
 図書館には、ヴァージニア・ウルフ・コレクションがあることを思い出し、当該の書架へ。

 棚には、『燈台へ』、『ダロウェイ夫人』、『壁のしみ――短編集』、『オーランドー ある伝記』があった。
ある作家の日記』も、以前、見かけたはずなのだが、見当たらない。借りられている最中ということか。

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2007/01/25

天神とウルフつなぐは弥一のみ

 今日1月25日は、「1月25日 今日は何の日~毎日が記念日~」(ブログ「今日は何の日」)によると、「左遷の日」だとか。
「901(延喜元)年、右大臣・菅原道真が醍醐天皇によって九州の大宰府に左遷された」という。

彼の才能を妬む左大臣・藤原時平は、道真を罪に陥れてやろうと策略し「道真は国家の政治を私物化している」と醍醐天皇に何度も讒言した。これにより、天皇も道真のことを逆臣と思いこむようになり、901年1月20日に菅原道真を太宰権帥に左遷、筑紫国に流罪とすることとした。
 長年住み慣れた自宅の庭に植えられていた梅が咲いているのを見て東風吹かば匂ひ送来せよ梅の花 主無しとて春な忘れそと詠み、この日、都を旅立った。その梅は菅原邸から太宰府の庭まで飛んで行ってそこに根づいたという「太宰府の飛梅」の伝説がある。

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→ 酒井美意子著『加賀百万石物語』(角川文庫)

 小生は富山生まれで、富山という土地柄もあって、天神信仰への関心は浅からぬものがある。なんといっても、今は分からないが、昔から富山は天神信仰熱が篤い地なのである。

 菅原道真は無念の思いを抱きながら、2年後の903(延喜3)年2月25日に亡くなった。
 小生は、惜しくも2月26日に生まれている。25日だったら、道真公の生まれ変わりだと(密かに!)自負しえたかもしれないのだが。

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2007/01/24

モディリアーニ…ムンクあるかと見つめおり

 昨日、1月23日は、サルバドール・ダリ(1989年)やムンク(1944年)らの忌日である。
 ダリは、高校の時、フロイトを読み齧っていたこともあり、ちょっとかぶれかけたこともあったが、奇矯過ぎて、というわけでもないが、好きになれなかった画家である。

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← ムンク「マドンナ」(「Edvard Munch Online」より)

 ムンク…。1944年に亡くなったというのは、なんとなく意外な感がある。19世紀の画家という思い込みがどうしても拭いきれないのだ。
 それ以上にしっくり来ないのは、ムンクが80歳以上という長生きだったということ。
 まあ、小生が勝手にこのような不安と狂気にギリギリ接していた画家が長生きが可能だったことに不思議がっているだけなのだが。

                             (以下 ココに転記

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2007/01/23

美に焦がれ醜に嵌って足掻く日々

 ウンベルト・エーコ著『美の歴史』(植松 靖夫【監訳】・川野 美也子【訳】、東洋書林)を読了。読み終えた余韻が今も胸騒ぎめいて脳裏のどこかに響いている。
 あまりに浩瀚すぎて感想など書けない。
 ただ、本書の結語にはガッカリしたとだけメモしておく。

 末尾近くで、ジャン・デュビュッフェやフォンタナらの名を目にしたので、嬉しかったりした。
 ちょっとだけ、心と目の辺境を散歩。但し、心の塀の内側をなぞるように、用心しつつ。マージナルマン、ビートルズ風に言えば、「NOHERE MAN」らしくね。

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→ アドルフ・ヴェルフリ開かれた迷宮、閉ざされた迷宮」より

 彼らに付いては、その周辺を幾度となく巡っている。
 例えば、「三人のジャン…コンクリート壁の擦り傷」が比較的最近の記事かもしれない。
 この記事の中で、知的障害者による<創造>の世界のことを若干、話題にしている。
 せっかくなので、この機会に多少なりとも紹介しておきたい。
 紹介と言っても、ネットで見つかる限りでの画像で彼らの世界を感じ取ってもらえたらそれでいい。

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2007/01/22

ぬりかべを透かしてみても壁のあり

 奇縁というものは続くものなのか。
 先々週だったか、ラジオで久保田 早紀さんへのインタビューを聴いた。かの「異邦人」を自作・自演しヒットさせた歌手である。
 残念ながら仕事中だったので、話に聞き入るというわけにはいかなかった。今は(それとも一時期は)久米小百合という名前で活動されているらしい。
 小生、1979年か80年頃にヒットしたこの曲が好きである。東京でフリーター生活を始めて間もない頃であり、小生の(頼りにならない)記憶だと、真冬の近づいた頃にヒットし始めたはずである。
 東京という大都会の片隅で一人、ポツンと暮らしている自分の前に、突然、何処か遠い中東世界からベリーダンスを生業(なりわい)とする謎の女が現れたような…。
 
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← 『集英社ギャラリー 世界の文学 (9) フランス4

 いずれにしても、かの<久保田 早紀>さんが健在であることを知り、ちょっと嬉しかった。

 13日の土曜日に借り出してきた数冊の本のうちに『集英社ギャラリー 世界の文学 (9) フランス4』がある。
 この中には(以前にも書いたが)、カミユ「異邦人」サルトル「壁/水いらず」ジュネ「泥棒日記」セリーヌ「なしくずしの死」シモン「ル・パラス」ロブ・グリエ「ジン」などの諸作品が収まっている。
 そう、「異邦人」が収まっているのである。

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2007/01/21

「ボクの金閣寺」へ

 もしかしたら、あの日からなのかもしれない。物語ることを夢見るようになったのは。
 或る日、テレビでだったろうか、金閣寺が炎上する場面を観たのだった。
 幼かった私はドラマの中の話だとは気づかなかった節がある:
ボクの金閣寺

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2007/01/20

掌編、書きました

 掌編作品「ピアノの音は悪魔の囁き」を書きました。

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2007/01/19

ポー世界迷路の渦に呑まれしか

 今日1月19日は、かのエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年1月19日 - 1849年10月7日)の誕生日である。
 彼に付いて今更、小生如きが語る何物もない。
 初めてポーの世界に触れたのは、一体、何時のことだったか。推理小説よりもSF小説が好きだった小生だったが、さすがにSF小説とは違うと思いつつも、推理のみに拠らない、SF嗜好の人間にも読むに堪えられる独特な幻想味溢れた世界に惹かれた。

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← 18日、都内某所の運河脇公園にて。羽田空港からの帰り。

 活字の大きな、平仮名も振ってある本を近所の貸し本屋さんで借りてきたのではなかったか。
 いずれにしても、ポーが誰かなど分からないままに、彼の世界に踏み惑っていったのだ。

 次に改めてポーの世界に読み浸ったのは、学生時代だった。高校の終わり頃から埴谷雄高に感化され始め、多少は自分が書く(書くならば)ということを意識の片隅に置きつつ、しかし、実際には創元推理文庫版の『ポオ小説全集』を買い揃え、ポーの諸作品に耽溺するばかりに終わったのである。

 小生が推理小説に必ずしも魅入られなかったのは、その推理に納得できたためしがないからである。
 不遜?
 違う!

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2007/01/18

百年の風流夢譚に愉悦せん

 過日、掌編「図書館へ行こう!」を書いた。
 文中、以下の記述がある:

 本が合計で六冊。しかも、予約の本が予想外に大きかった。ほとんど図鑑のような本なのだ。
 オレは、用意してきたビニールの袋を取り出して収めようとするのだけど、入りきらない。

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→ ウンベルト・エーコ著『美の歴史』(植松 靖夫【監訳】・川野 美也子【訳】、東洋書林)

 創作は基本的に虚構なのだが、この点は事実を(少し変更した形で)踏まえている。
 サンバも好きだが読書も楽しんでいる。だからこその創作でもある。

 実は、予約した本などはなく、借りたのは全部で四冊で、そのうちの二冊は、以前から借りていた本を再度、借りたもので、下記:
ウンベルト・エーコ著『美の歴史』(植松 靖夫【監訳】・川野 美也子【訳】、東洋書林)
G・ガルシア=マルケス著『わが悲しき娼婦たちの思い出』(木村榮一訳、新潮社)
[G・ガルシア=マルケス著『わが悲しき娼婦たちの思い出』については、「放蕩娘の縞々ストッキング!- BLOG 【本】 『わが悲しき娼婦たちの思い出』 G・ガルシア=マルケス」の書評エッセイが読み応えがあった。(07/09/02 追記)]

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2007/01/17

07新年会レポートアップ終了

 14日の日曜日に催された、我がサンバエスコーラ・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)の新年会の日記風レポート、作成終了:
2007年リベルダージ New Year Party (1)
2007年リベルダージ New Year Party (2)
2007年リベルダージ New Year Party (3)
2007年リベルダージ New Year Party (4)

 お馴染みCharlie Kさんのすばらしい画像集をどうぞ:
2007.1.14  FELIZ ANO NOVO 2007 Vol.1 "Liberdade"
2007.1.14  FELIZ ANO NOVO 2007 Vol.2  "Liberdade"
2007.1.14  FELIZ ANO NOVO 2007 Vol.3  "Liberdade"
 こちらは、まだまだ続きがあるようです。
 表情や視点が抜群。見応えアゲアゲです!

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2007/01/16

07新年会レポート(3)アップ他

2007年リベルダージ New Year Party (3)」をアップさせました。
(3)では終わらなかったので、日を改めて(4)も書くことになると思います。

 注意!
2007年1月16日(火)15:00~1月17日(水)15:00の約24時間、ココログのメンテナンスを実施」するということなので、その間、小生が記事を書けないと同時に、「コメントやトラックバックも受け付けることができないとのこと。

 但し、閲覧は可能なので、どうぞ、覗きに来てください!
 この間、メッセージなどがあったら、ホームページの掲示板へどうぞ。

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2007/01/15

07新年会レポート書いたよ

 昨日(14日)催された我がサンバエスコーラ・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)の新年会の日記風レポートを書きました:
2007年リベルダージ New Year Party (1)
2007年リベルダージ New Year Party (2)

2007_0114070114sinnenkai0155

→ フィナーレの一場面

 後日、「2007年リベルダージ New Year Party (3)」を書く予定。この際には、リベルダージ関連以外の画像を主に載せるつもりでいます。

 なお、お馴染みCharlie Kさんのすばらしい画像集をどうぞ:
2007.1.14  FELIZ ANO NOVO 2007 Vol.1  "Liberdade"

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2007/01/14

掌編を書きました

 掌編「図書館へ行こう!」を書きました。

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2007/01/13

マン世界エヒョー挿話に垣間見る

トーマス・マン全集6』 (円子修平訳、新潮社)を読了した。
 借り出したのは昨年11月の25日だったか。読み始めたのは、師走に入ってからだったろうか。
 案の定、越年。しかも、一月の半ばにならんとしている!
「ファウストゥス博士」そのものは、正月七日に読了しているのだが、帰省の間は手にしていないとはいえ、ゆったりしすぎ?
 でも、楽しい一ヶ月余りの読書だった。

 本巻には、「ファウストゥス博士」(円子修平訳)のほかに、「自作について」として、「『ファウストゥス』について」(円子修平訳)「『ファウストゥス博士』の成立」(佐藤晃一訳)などが載っており、最後に森川俊夫氏の手になる解題が付せられている。
(マンの諸著作に付いては、「トーマス・マン(Thomas Mann)」が参考になる。史実のゲオルグ・ファウストなどについては、「ゲオルグ・ファウスト - Wikipedia」参照。)

 マンの『ファウストゥス博士』の大よその内容は、ネットで幾らでも調べられるが、下記の説明(ドイツ文学に興味ある人!(2ちゃんねる) 73)が小生には分かりやすかった:
 マンの『ファウストゥス博士』はニーチェの生涯をモチーフにある音楽家の 芸術活動と破滅を描いた文学作品。梅毒で発狂し滅んでいく音楽家の人生 の悪魔との契約とドイツのナチスという名の悪魔との契約の二つをかぶせて描写し ています。ある意味、ゲーテ的ファウスト像へのアンチテーゼでもあり、悪魔がい くつかの登場人物に姿を変えて登場させられています。
 主人公の作曲家アドリアン・レーバーキューンが自ら作曲した『ファウストゥス博士の嘆き』という曲は、ベートーベンの『第九』への否定形であり、「音楽的」 ドイツが不遜なナチスという悪魔との契約によって、滅亡していくという運命が そこに描かれています。マンのドイツへの自己批判、その音楽観が反映されていま す。一九世紀末から二十世紀前半にかけての最大の問題作だと思います。 ある意味で文学の極北に到達した作品で、悪魔を描写することに最も成功した 作品ではないでしょうか。

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2007/01/12

ロッシーニ…オペラのためのソナタなり!

[今日の話題の主は「ジョアキーノ・ロッシーニ」「村田英雄」「金田正一」「クリスタル ケイ」など。]

 昨日、木曜日は営業の日。ということは、車中での音楽三昧の日(?)。
 まあ、三昧ってのは大袈裟だけど、でも、特に午後の二時からの、NHK-FMの「ミュージックプラザ 1部 -クラシック- 松川 梨香」はできるだけ聴くように心がけているのは事実。
 小生は音楽にも、ましてクラシックにはなおのこと疎いので、どんな曲を聴いても初耳だったり、新鮮だったりする。

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← ザ・ビートルズ「SGT.PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND

 昨日はというと、チマローザ作曲の「歌劇“秘密の結婚”序曲」「歌劇“秘密の結婚”から 愛しい人よ、落ち着いて」「歌劇“秘密の結婚”から 息をなさっているなら」「歌劇“秘密の結婚”から 夜が白み初めないうちに」などが最初に架かったようだけど、残念ながら、聞きそびれた。
 というのも、一時半から二時半まで都内某所で仮眠を取っていたのだ。
(余談だが、文豪ゲーテはチマローザと同年生まれで、チマローザの曲を絶賛していた。聞き逃したのが惜しまれる!)

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2007/01/11

上村一夫…劇画なる世界に焦がれ戯画に生き

[今日の記事では、「山本有三」「ウィリアム・ジェームズ」「ちばてつや」「ジャコメッティ」「上村一夫」らを扱う。「劇画なる世界に焦がれ戯画に生き」というタイトルは小生自身を暗示。ちなみに、最初のタイトルは、「絵のような女絵師には会わざりし」を考えていたのだが…。]

1月11日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗くと、興味深い事項や人物の名前が多数出ていて、誰を、あるいは何を採り上げるか、迷ってしまうほど(以下、文中で敬称を略させてもらうが、有名人だからこその尊敬の念を込めて、である)。
(先に進む前に、「毎月11日」が「めんの日」だと、今日、初めて気がついた。なんでも、「「11」が細く長い麪に見えることと、「いい」と読めることから」だって。こいつぁ、うまくしてやられた。1本、取られた! 昨日のうちに、「安藤百福…我あるは即席麺の賜物さ」という麺に関係する記事を書いておいて、タイミングがピッタリ?!)

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← 45歳で亡くなった女絵師・ 上村一夫の世界。下記参照。

「1983年」の今日に「ワコールが肩ひものないストラップレス・ブラジャーを発売」したという。発売された当時は、ヌーブラの発表以上に衝撃的で、何故か小生、ドキドキしたものだった(あるいは、トップレス・ブラジャーと勘違いしたのか…。ちなみに、「トリンプ・インターナショナル、買い物袋としても利用できる特製ブラジャー「No!レジ袋ブラ」を製作」というニュースがある。そのうちヌーブラならぬヌーパンなんて出ないとも限らない…?)。

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2007/01/10

安藤百福…我あるは即席麺の賜物さ

 日清食品の創業者で元社長の安藤百福(ももふく 1910年3月5日 - 2007年1月5日)さんが、5日、96歳で亡くなられた。
 7日には告別式も盛大に行なわれたようである。
祭壇には、柔和な表情の遺影と法名「清寿院仁誉百福楽邦居士」と書かれた位牌(いはい)を安置、棺には愛用のサングラスやチキンラーメンが納められた」とか。

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← カップヌードル! 随分とお世話になってきた。今も常備!

 関連して「「ミスター・ヌードル」安藤百福氏の功績評価 米紙」といったニュースも聞こえてきた。
「9日付の米紙ニューヨーク・タイムズは5日に死去した日清食品創業者で即席ラーメンを開発した安藤百福氏の功績を称える社説を掲載。「ミスター・ヌードル」とのタイトルに感謝を示すカットをつけた異例の扱いで同氏を追悼した」というのだ。
 さらに、「社説は即席ラーメンが、ホンダの「シビック」やソニーの「ウォークマン」などのように戦後日本の会社組織が生み出した「奇跡」でなく、あくまで安藤氏個人の開発であることを強調。この開発で日清食品は大企業になり、現在「世界中の1億人が毎日食べ、2006年にはカップヌードルは250億食に達した」と世界の国民食ともいえる存在になったサクセス・ストーリーとして紹介している。」とか。

 一人暮らし歴の長い小生、即席ラーメン歴も長い。
 高校までは田舎で家族と一緒だったから、兼業農家でもあり、畑もあって、食に関しては恵まれていた…。
 但し、逆に野菜が嫌いで、しかも、お袋の作ってくれる料理より外食、それが無理なら、出前が楽しみだったような。

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2007/01/09

松瀬青々…淋しさを青山に見る薄道

1月9日 今日は何の日~毎日が記念日~」によると、今日は「青々忌」だという。
 これは、「ホトトギス派の俳人・松瀬青々の1937(昭和12)年の忌日」なのだとか。
 小生には、松瀬青々(まつせ せいせい)という存在は初耳。

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← 年末の帰省。一週間の滞在を終え駅のホームに立ち遠望する。

松瀬青々生誕地」なる頁を覗くと、以下の説明が得られた:

青々は本名を弥三郎、明治2年当地で生まれた。幼少のときから漢詩、詩歌を学び、俳句を新聞や「ホトトギス」なとに投句していた。子規に賞賛され、明治32年上京して1年ほど「ホトトギス」の編集に従事した。帰阪後は朝日新聞社に入社、朝日俳壇の選句を担当、大阪に活況をもたらした。明治34年「宝船」「倦鳥(けんちょう)」を主宰、大阪俳壇の基礎をきづいた。昭和12年没。

「子規に賞賛され」たということは、写生的な句を作った人なのか。
 ネットの威力を生かすということで、ネット検索で渉猟してみる。

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2007/01/08

印象は百聞に如くはなし

[話題に上るのは、ドビュッシーやラヴェル、サティ、ジョビン、布袋寅泰やローリー寺西の各氏。]

 昨日は営業の日。三連休の真ん中の休日というのは、営業的にはかなり厳しい日。
 それでも、運も預かって、最悪の結果にならなかったのは良しとしないといけないのだろう。
 というわけで、車中では読書と音楽三昧。
 無論、どちらも断続的に断片的に。実際には、レポートであれこれ書いてきたように、神経はお客さん探し、安全のこと、路上の綺麗な人に向っている?!

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→ 都内某所で仮眠しようとしたら、ボンネットにハトが。

 ただ、日曜日の営業で嬉しいのは、普段は聴けないラジオ番組を楽しめること。
 ジャズ番組も幾つかあるが、やはり、J-WAVE「NOEVIR SAUDE! SAUDADE..」を聴けるのが嬉しい。
 この番組では、アントニオ・カルロス・ジョビンの誕生日が1月25日ということもあり(生誕80周年)、アントニオ・カルロス・ジョビン特集を組んでくれている。
(関連情報として、「中原仁のCOTIDIANOジョビン命日に「Nosso Tom」録音完了」を紹介しておく。)
 アントニオ・カルロス・ジョビンについては、昨年秋、CD三昧を楽しんだものだった:
アントニオ・カルロス・ジョビンから西条八十の周辺

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2007/01/07

美と醜と相身互いの深情け

[本日のテーマは、カール・ローゼンクランツの「醜の美学」論考を手掛かりに、美と醜との鬩ぎあいなど。]

 本日、ようやくトーマス・マンの『ファウストゥス博士』を読了。
 但し、本巻(『トーマス・マン全集6』(円子修平訳、新潮社))には他の作品も所収されているので、『トーマス・マン全集6』全部を読み終えるのは来週末か。
 以前、何かのブログ(書評だったか?)で、ルキノ・ビスコンティ監督の映画「ベニスに死す」のことが話題になっていた。

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← ウンベルト・エーコ著『美の歴史』(植松 靖夫【監訳】・川野 美也子【訳】、東洋書林)

 無論、映画は、トーマス・マンの小説「ベニスに死す」が原作なのだが、実は、この映画はマンの『ファウスト博士』も念頭に置かないと、映画を深く鑑賞できないとか。
 ルキノ・ビスコンティ監督の映画「ベニスに死す」を観た人は結構、いるんじゃなかろうか。どんな感想を抱かれたのだろう。図書館にあったら借り出すけど、CDしかないから、当分、見ることは叶わない。
 ちと、残念。

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2007/01/06

芋銭さん牛久の魑魅を愛しけり

[今日のテーマは、画家・小川芋銭の周辺など:「芋銭(うせん)さん牛久(うしく)の魑魅(ちみ)を愛しけり」(ちなみに、「魑魅」とは、「山林・木石の精気から生ずるという怪物」のこと。他に、「人の霊魂。たましい」の意でも使われる)]

 昨日5日は、今年二度目の営業だった。晴れていて天気には恵まれていたのだが、交通事情は結構、シビアーだった。
 3日は、Uターンラッシュもピークだったようだけど、都内は車も人影も少なく、走りやすい(その分、仕事にも恵まれなかったが)。
 それが5日は、状況が一転、特に昼前などは、恐らくは挨拶回りのためなのだろう、黒塗りの車がやたらと目に付く。金曜日とはいえ、まだ、5日なのに、この渋滞ぶり!
 幾度となく渋滞のドツボに嵌り、今年が思いやられるような気がした。
 が、挨拶回りのノルマが終わった昼下がりからは、急転直下、今度は仕事が暇に。やることは終えたというのか、早々と飲み会へ繰り出したり、帰宅の途に付いたのだろう(推測)。

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← 五日の夜半過ぎ、都内某所にて。缶入りのコーンポタージュで一服。すると、自動販売機の脇にお地蔵さんが…。ん? 首がない! どんな過去があったのか…。

 となると、車中ではラジオが楽しみ。
 とくに音楽(番組)は、最近こそ自宅でCD三昧となってきているとはいえ、仕事中においては干天の慈雨なのである。久しぶりに渥美清さんの、というより、寅さんの「男はつらいよ」の主題歌も聴けた。
 正月と言えば、寅さんが定番だったのが、つい昨日のことのようだ。
 昨日は日中、晴れ渡っていたので、正月、荒川の土手を凧揚げする家族連れを尻目に、にこやかに、でも、何処か哀愁を漂わせつつ、あの顔と仕草の寅さんが歩いている、そんな映画の中の光景が彷彿としてくるのだった。
 
 寅さんに関係しては、下記の雑文がある:
風天居士…寅さん
指パッチン」(この中に、「寅さんの映画を見る」という一文を載せている)
西田敏行のこと
蓮の花が咲く時、音がする?!」(ハチス!)
葛湯から古代を想う」(葛飾・柴又の「葛」と葛西の「」は「かずら」繋がり)

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2007/01/05

漱石やグールド介しマンにまで

 年初なので、何をやっても今年初になる。
 例えば三日が初仕事だったし、四日は初図書館(返却と借り出し)、初スーパー買い物。

 さて、「今日は何の日~毎日が記念日~」の今日「1月5日」の頁を覗いて、ちょっと過去を振り返ってみる。
 哲学者の三木清や俳人の松本たかしの誕生日であるとか、いろいろある。
 ちょうど彼の著作『美の歴史』(植松 靖夫【監訳】・川野 美也子【訳】、東洋書林)を読んでいるウンベルト・エーコの誕生日でもある。

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→ 初仕事だった三日の夜。都内某所の公園脇にて。冬の夜には寒々しい光景なのだけど。

 でも、やはり何といっても、文豪・夏目漱石の誕生日なのである。
 今更、小生如きに何を語る話題もないが、触れずに済ますのも癪に障る。
 漱石についての全般的なことは、「夏目漱石 - Wikipedia」に譲る。

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2007/01/04

マンの山のぼりつめても鍋の底

 小生の敬愛する作家に故・辻邦生がいる。
 といっても、彼の作品では、『西行花伝』や『夏の砦』、『海峡の霧』(新潮社刊)などを読んだだけで、決していい読者とは言えない。
『背教者ユリアヌス』も『春の戴冠』も読んでいない!
 小生が同氏に感銘を受けたのは、94年の我が失業時代のことで、その頃から彼の随筆の類いを読み漁ってきた。
 失業時代での図書館で、何冊、読んだのかも分からない。

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→ なずなさんにネットでいただいた賀状です。絵も小説も好き。小生には感想は書けないけど、しばしばこっそり(?)覗きに行ってます。絵、拡大して見てね!

 小説作品は、むしろその流れの中で読んだというべきかもしれない。
 それなりに読んできたにも関わらず、随筆を読んでも小説を読んでさえも、彼が文学する根底の動機というか彼を突き動かすものがつかみきれなかった。
 あるいは、辻の文学にある、小生の目には古典的に感じられてしまう感覚が、小生の粗漏な感性には感受しきれない、つまり感性の目に映らないのだろう。
 何故、そんな試みをするの、という戸惑いの念が小説作品を読んでいて終始、小生の胸裏に蟠ってしまう。その蟠りを圧倒し払拭しきってくれない。
 彼の<美>とは、齟齬とまでは言わないが、違和感を覚えてならない。

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2007/01/03

初詣太田神社で決まりです

 帰郷していた際に、郷里の神社に初詣しそびれたからというわけではないが、東京での地元の神社である太田神社へ初詣に行ってきた。
 旅の疲れも取れたことだし、今年の仕事が始まる前に、近所をもっと知りたくて。
 小生の居住する区は大田区。だから、太田神社、というわけではない。
 また、太田神社にちなんで(由来して)大田区と命名されたわけでもない。

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→ 太田神社の鳥居

 大田区は、「森・蒲両区から一字づつ取る」形で生まれた名称なのである。だから、決して「太田区」ではないのだ。
 地名など、詳しい情報は、「大田区の地名の由来」が非常に参考になる。
 大田区という名称に決まるまでには、「区名案には東海・南・六郷・羽田・城南・森田・京南・港・本門寺・臨海など多くの案が出されたが論多くして纏まらず」、結局、上記のような結果になったのだとか。

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2007/01/02

詠み人の知らぬ歌にぞ思い込め

[本日のテーマは、作家の新井満氏訳詩・作曲で、テノール歌手・秋川雅史氏の歌った「千の風になって」の周辺]

 今年は、帰省していたので、大晦日はテレビで「第57回 NHK紅白歌合戦」を父母らとじっくり見ていた。最初から最後まで、ほぼ全て見ていたと思う。
 この数年は年末年始を外して帰省していたので、我が家では必ず見ることになっている紅白歌合戦も、見る機会が余り無かった(東京のテレビは画面がいじましいので、見ると疲れる)。
 DJ OZMAのバックダンサーの裸モドキのパフォーマンスには、NHKらしくなく、びっくりした。
 嬉しかった(でも、流しで食器類を洗っていた最中だったので、ジックリ観ることができなくて、ちょっと悔しかった!)。

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← 青梗菜さんにネットでいただいた賀状です。

 おお、NHKもここまでさばけてきたのかと、小生、感心することしきりだったが、「DJ OZMAのバックダンサーが裸と見間違いかねないボディスーツを 着用して出演した件について、NHKではこのような姿になるということは 放送まで知りませんでした。 衣装の最終チェックであるリハーサルでは放送のような衣装ではありませんでした」とのことで、なんだ、そういうことかい、と、逆にガッカリ。
 まあ、自分たちは知らなかったということにするしか手はなかったのだろう。
 
 演歌や歌謡曲からポップス、そして最新の若者のダンス系の曲まで幅広く聴くことができて、勉強ということではないが、感懐がいろいろあって楽しかった。

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2007/01/01

口先の謹賀新年情けなや

 例によって月初めは前月一ヶ月の目次の日。ということは、昨年の師走分ということになる。
「題名 (テーマ 日付)」は、いつもどおり(テーマが題名に含まれる場合は、「題名」(日付)とする)。
 年越しソバも我が手で作った。例年だと母が作ってくれていたのだけど。三つ葉や海老の天麩羅、蒲鉾など載せて豪勢に。

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→ 我が家の神棚。

「グリューネヴァルト…絵の奥に息衝く真(まこと)美か醜か」(目次・索引 2006/12/01
「夢の中大河を見しも枯れ葉道」(音楽エッセイ 2006/12/02
「デュモンさんライトな空の旅ならず」(「飛行機の父」デュラン 2006/12/03
中島敦の命日…遥かなる島より子恋う敦かも」(2006/12/04
「空腹で洗車!」(日記 2006/12/05
丸山真男…音の日は沈黙の声耳にせん」(2006-12-05
「誰彼と知る人多き年の瀬か」(ウィリアム・ハズリット 2006/12/07
「今日は何の日…憂鬱な日」(イラクのこと 2006/12/08
「木枯しや散らす葉もなく闇に消え」(タクシーエッセイ 2006/12/09
ウタリなる名前の担う意味豊か」(2006/12/10

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