« 2006年2月5日 - 2006年2月11日 | トップページ | 2006年2月19日 - 2006年2月25日 »

2006/02/18

ぶんぶというて…

 ただの偶然なのか、それとも無意識裡の結果なのか、全く違う脈絡で松平定信の名前が浮上してきた。
 季語随筆「西行忌だったけど」に寄せてくれたコメントへの返事で、小生は、例によって頓珍漢な内容を書いている。
 小生が倫理学は苦手だと書くと、倫理学は哲学の一分野じゃないですか、と来る。

 確かにその通りだが、小生の中には倫理(学)や道徳への苦手意識がある。苦手意識の因って来る所以については入り組んでいるし面倒なのでコメント欄には書いていないし、当面、書くつもりもないが、まあ、その倫理(学)が嫌い乃至苦手だということを書くのに、小生、何故か、以下のように書いている(一部、表記を変えている):
 

ちょっと飛躍した根も葉もない連想だけど、倫理学ということで、「世の中に 蚊ほどうるさき ものはなし ぶんぶというて 夜もねられず」という、松平定信による寛政の改革を皮肉った蜀山人の狂歌を思い出した。
 実は、恥ずかしながら小生、当初、「ぶんぶというて」じゃなくて、「りんりというて」というふうに誤って覚えていた!

 どうしてこんな脈絡もない連想作用が働いたのか自分でも分からない。

2006_02160602160019

→ 16日、雨のそぼ降る日比谷公園脇の舗道。周辺は霞ヶ関の官庁街。文武両道の方々が集う街?!

文武とも縁遠くなりにけり

(蜀山人という人物はこれまた途方もない人物なので、後日、機会があったら触れてみたい。今は、「太田南畝・蜀山人」という頁を挙げておくにとどめる。)

 さて、実は、ロッキングチェアーでの居眠りというか睡眠導入剤代わりに一昨日から手にしている本が小生が勝手に敬愛するところの上田正昭氏著『講学 アジアのなかの日本古代史』(朝日選書)である。
 まだ、読みかけなのだが(内容が充実している。書評など書けないが、メモ書きだけは後日、試みたい)、今日読んでいた本書『講学 アジアのなかの日本古代史』の記述の中でたまたま松平定信という名が登場していたのだった。

続きを読む "ぶんぶというて…"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/02/17

フィギュアスケートの魔力

 梅田 香子及び今川 知子両氏著の『フィギュアスケートの魔力』(文春新書)を車中で読んだ。
 凡そ、スポーツに関する本を読むのは、久々である。
 まして小生がフィギュアスケート!
 過去、小生が買ったスポーツの本は、ゴルフの本(や雑誌)、オートバイの本(ロードレースやツーリング関係。70年代後半から80年代前半、買って読んだ本の3分の1はオートバイ関係だったかもしれない?!)くらいのものか。

2006_02160602160016

→ 16日、営業の途中、日比谷公園で休憩。画像では分からないが小ぬか雨がそぼ降っていた。

 念のために断っておくが(ほとんど小生自身のために!)、フィギュアスケートとは漫画のフィギュアでもなければ、スケートするキャラクターのフィギュアでもない。
 ある自薦の文(自著を語る)の中にあるように、「いま「世界で通用する」日本人選手が最も多いスポーツ、それがフィギュアスケート女子シングルです。村主章枝(すぐりふみえ)や荒川静香の活躍はもちろん、4回転ジャンプの安藤美姫をはじめとする若手の成長も著しく、2006年のトリノ五輪では表彰台独占も夢ではありません。本書は、フィギュアの歴史、選手をとりまく環境、伊藤みどりら往年の名選手の肖像など、さまざまな面からその魅力に迫ります。ジャンプの種類も分解写真で解説していますので、鑑賞ガイドとしても役立ちます」ということで、あくまでフィギュアスケートである。

続きを読む "フィギュアスケートの魔力"

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006/02/16

西行忌だったけど

今日は何の日」を覗いていたら、今日、2月16日(但し旧暦)が西行の忌日だという。
 あれ? いつも覗いているサイトに西行忌が載っていない、そうか、だって西行って歌人だもの、俳句の世界に直接関係していないから…かなと思ったら、違うサイトでは西行忌は立派な春の季語とされている。
 それはともかく、小生のような粗忽・粗雑なものにも西行は気になる存在であり続けてくれている。人麻呂と西行と芭蕉と。
 念のために断っておくと、西行の忌日は上記したように2月16日(但し旧暦)だが、西行忌は2月15日である。
 これは何も旧暦との齟齬などが関係しているのではなく、彼の有名な歌に由縁する。
 つまり、西行の有名な歌、「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」の故なのである。

2006_02150602150013

→ 画像は2月14日の夜半過ぎ、都内某所の公園にて枝越しに月影を撮ってみたもの。小生の腕前では、ほぼ満月の月影も、ただの光の煌きに過ぎなくなってしまう。桜の入り組んだ枝もほとんど見えない。そのように、小生の感性では西行の歌の世界も焦点の定まらぬものになっている…のかもしれない。残念なことだ。

 西行の思いに届く日も遠く

 季語随筆では、「利休忌・西行忌」で若干、西行忌に言及している。
 その冒頭付近で、この歌に付いて、以下のように記している:

 

知る人は知るだが、「西行の享年は73才であるが、この歌は60才代中ごろの作といわれているから死に臨んで詠まれたものではない。然し如月(2月)、望月(15日)と所望した通り2月16日になくなった」のであり、しかも、「2月15日は釈迦の入滅の日であり」、「平安時代から涅槃会として釈迦の遺徳を偲ぶ習慣があった。これらの関連は単なる偶然の一致とはいえないものを感じる」のは、当時の人々なら、今の我々より遥かにそうだったのかもしれない(引用は、「渡部陽のホームページ」の中の「桜と西行」より)。

 この時は、西行忌についてはこれだけで、すぐに利休忌の記述に移行し、ほとんど素通りしている。なので、今日は、幾分、西行忌の周辺を丁寧に巡ってみたい。

続きを読む "西行忌だったけど"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006/02/15

アクセスいろいろ(続)

 過日、「アクセスいろいろ」ということで、半年、あるいは一年以上の前の記事でアクセスが多いものをピックアップしてみたが、二週間を経過して、多かった札幌の雪祭り関連の検索もさすがに途絶えて、アクセスの模様もすっかり様変わりしている。

 最近アクセス回数が上位の記事(無論、半年以上以前の記事に限る)を幾つか挙げてみる:

「淡雪・春の雪」(March 04, 2005
「春の雨」(March 11, 2005
「東風吹かば」(March 07, 2005
「日記拾遺…いちこつ」(June 08, 2005
「猫柳(ねこやなぎ)」(February 07, 2005
「バレンタインの日」(February 14, 2005

 二月も半ばということで、さすがに春らしい季語(題名)の記事のアクセスが多いようだ。
 けれど、明日はまた、一気に冷え込むというから、皆さん、ご用心!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

居眠りには読書だ…『日本人の起源―古人骨からルーツを探る』

 昨日の日中は東京は春も春、今までが寒かっただけに体感的には五月頃の陽気にさえ感じられた。
 そうはいっても、朝方は冷え込むかと警戒していたが、仕事を終えて太陽の昇りきった方向目指してバイクで帰宅の途に着いてもヘルメットの隙間、手先や肩、脛の辺りへの風当たりも、拍子抜けするような程度の寒さ厳しさだった。
 となると、自宅でのロッキングチェアーでの居眠りに一層、拍車が掛かろうというもの。
 居眠りに心地よく誘われるためには、本を手に取るのが一番なのが小生、トルストイの「アンナ・カレーニナ」をメインに、合間には手に軽い(重さのこと。中身は別)本を持って、転寝(うたたね)の時の到来を待つのである。

2006_02150602150015

→ 15日夜半過ぎ、都内某所の公園にて。写っているのはトイレ。夜中ともなると使うのは不審者か小生くらいのものか。撮影にフラッシュは使っていない。満面の笑みを湛えた月光がやんわりと世界に満ちているのみ。

 過日は島泰三氏著の『はだかの起原―不適者は生きのびる』(木楽舎)を読み、この季語随筆でも「はだかの起原、海の惨劇」(February 06, 2006)や「「はだかの起原」…シラミから衣類の誕生を知る?」(February 12, 2006)などで若干の感想を書いたりしてきた。
 この本にやや重なるようにして、中橋孝博氏著の『日本人の起源―古人骨からルーツを探る』(講談社選書メチエ)も就寝前などに読み、つい先日読了した。
 前者は、人類が誕生したと思われる数百万年前から現生の人類につながるクロマニヨン人までの歴史を遺伝学や人類学などの最新の知見を総覧しつつ、「はだか」になったと筆者が考える約7万年あまり前の<出来事=突然変異>を考察している。
 後者は、ブックレビューに「日本列島の旧石器時代はどこまでさかのぼれるか。縄文人から弥生人への移行の真相は。遠くアフリカ大陸に誕生した人類は、どのような道のりをたどり日本列島にたどり着いたのか??。最新の知見をもとに、「日本人の起源」へのさまざまな疑問を解き明かす」とあるように、日本列島に焦点を合わせて日本人の起源を探っている。

続きを読む "居眠りには読書だ…『日本人の起源―古人骨からルーツを探る』"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/02/14

俳句と人間…白々と

 季語随筆日記を綴り始めて一年と半年近くになる。日々、季語(季題)の意味合いをその基礎から学ぶことに汲々とするばかりで、一向に俳句そのものについての考察には至らないが、ま、今は地盤固めの時、土壌の地味を豊かにする時期、土の上に芽を出し、まして花を咲かせるのはまだ数年先のことだと自分に言い聞かせている。
 そうはいっても、たまには俳句って何という自問の念が湧かないわけではない。
 自分なりに俳句の周辺について感懐を述べてみたいという気持ちがないわけではない。
 ただ、その前に世の先人がどのようなことを俳句に付いて、あるいは俳句が四季や自然に関係するもの、天気、生活、風習、風土、人情の機微、日常の中のちょっとした発見に関係するものとして、感じ考えてきたのかを見ておきたいと思う。

renge-yukikesiki

→ 蓮華草さんに戴いた丹後路の雪景色です。

誰も皆夢の中かな雪布団

 こんな殊勝な(?)ことを書くのも、今日、ネット検索していたら、「Doblog - 格言日記 - 格言-ブランコは春の季語、いちごは夏の季語なのです。---俳句の季語---」なる頁に遭遇したからである。

「俳句に季語はつきものである。また季語を入れないと俳句にはならないのであるから当然ではある。季語というのは不思議な魅力を持つ。その言葉が入ることによって一挙に情景が浮かんでくるようになる。人のイメージをわきたてる大きな力があるのだ。それだけ、日本人は季節の変化に敏感に対応してきたというわけだ」という一文から始まって、「たぶん稲作農業を中心として生活をしてきたのだから、この季節感がつかめないと生活に直接影響があるからに他ならない」、「人間の体は季節と親戚なのだ。それは食べ物が原因している」、「心は別として、身体の方は自然と素直に向き合っているのだ。「旬」は健康の基本みたいなものだ」、「心の中から、季節感が消えていく。心が「旬」ではなくなっている」といった気になる、気にすべき指摘が続き、最後の「季節は心の栄養素であるはず!なのに」という印象的な言葉で締めくくられている。

続きを読む "俳句と人間…白々と"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/02/13

菠薐草(ほうれんそう)…野菜なれど植物だ!

今日も冷たい雨が降る(索引)」」を見ていただければ分かるように、今月になって採り上げたものも含めると、「季題【季語】紹介 【2月の季題(季語)一例】」のうち、半分ほどは季語随筆で採り上げたことになる。
 2月の季語例がそれほど少ないというわけだが、それでも幾つか扱っていない季語がある。いずれも苦手だったり、話の発展性が見込めそうにない(という先入観)感があって、やや敬遠気味な言葉たちである。
 本日、俎上に載せる季語「菠薐草(ほうれんそう)」も、根拠のない推測に過ぎないが、あまり季語として人気を呼びそうにない季語だと思っていた。
 実際、「菠薐草 季語」で検索しても浮上する事例が極めて少ない。
 と思ったら、なんのことはない、「ほうれんそう 季語で検索したら、他の季語群と同等程度に検索結果が得られるではないか。
 やはり、馴染みのない表記など(身の程知らずにも気取って)使うものではないと痛感。
 せっかくなので、「菠薐草 季語」での検索結果から幾つか事例を挙げておく。

続きを読む "菠薐草(ほうれんそう)…野菜なれど植物だ!"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/02/12

「はだかの起原」…シラミから衣類の誕生を知る?

 昨日の日中は、東京に関しては、13度近かった。
 それが、今朝、未明頃から寒波が襲来し、冷たい風が吹きすさんだ。夕方、図書館に出かけたが、ジャケットは勿論だが、喉の弱い小生、外出はマスク着用である。
 こんな寒風吹く中、裸で出歩くとなると…。想像もしたくない。
 衣服のありがたさ、家の温みをつくづく思う。
 それにしても、人間は何故に体毛を、天然の毛皮を失ってしまったのだろう。
 間違っても、2002年4月頃に書いた駄文「『ヒトはいかにして人となったか』(蛇足篇/及び補足)」で示した想像が妥当するはずもない(いつかここ数年で得た知見を加味し、装いも新たな妄想的人類考察を試みてみたいものである)。

 今月6日の季語随筆「はだかの起原、海の惨劇」では、島泰三著の『はだかの起原―不適者は生きのびる』(木楽舎)を俎上に乗せつつも、その数日前に起きた海の惨劇との関連で、ダグ・スタントン著の『巡洋艦インディアナポリス号の惨劇』(平賀 秀明訳、朝日新聞社)や、「海にまつわる恐ろしい話」というサイトの「生死のはざま  ~米海軍乗組員の体験した身の毛のよだつ恐怖~」などの記事をメインに紹介するに留まっている。

2006_02110602110015

→ 真っ裸の桜の枝並み。よく見ると枝に苔(それとも茸)が。穏やかな陽気だった11日午後、都内某所にて。

 枝越しの空の高みや春寒し

 記事の末尾にあるように、「人が裸になったこと、体毛を一部を除いてほぼ失ったことの意味は大きい。だからこそ、火の意味、家を作る意味、着物を作る意味が大きかったし、クロマニヨン人がネアンデルタール人(島泰三氏は、ネアンデルタール人は未だ毛もの=獣だったと考えているようだ)を長年の戦いの末、打ち破り、生きる世界を広げ、現代につながって行ったのだ…、という説が本書では展開されるのだが、それはまた別の機会に」としているので、ここで若干の追記を施しておきたい。

 といっても、本書を批評する優れたサイトの紹介の形での追記となる。

続きを読む "「はだかの起原」…シラミから衣類の誕生を知る?"

| | コメント (4) | トラックバック (1)

« 2006年2月5日 - 2006年2月11日 | トップページ | 2006年2月19日 - 2006年2月25日 »