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2006/12/02

夢の中大河を見しも枯れ葉道

 年末の繁忙期が始まったのか、昨日の営業は忙しかった。
 とにかく回数だけはあった。
 が、こんな日に限ってトラブルめいた、ちょっとした出来事も多くなる。
 書きたい、書いて鬱憤を晴らしたいけど、愚痴にしかならないし、営業の中身に関わるから、手元の手書きの日記帳(メモ用紙)に書き留めるだけにする。

 こういう忙しいときだと、稼ぎ時のはずなんだけど、忙しさに久しく縁遠かったせいもあるのか、体がびっくりしてしまって、夜半を回ってから疲労が出てきたりして(過日の洗車の疲労が今頃になって出たのか?!)、肝心の丑三つ時前後に、グッスリ、寝込んでしまった。

 水銀灯の灯りに照らし出される枯葉の舗道の光景があまりに綺麗で、車を路肩に止め、ちょっと見物のつもりが、夢の中で大河映画を見てしまったようだ!

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→ 水銀灯に照らし出された枯葉の並木を撮りたかったけど、失敗。撮れたのは、うら寂しい落ち葉の舗道。ここでしばし…じゃなく、グッスリ寝入ってしまった!

 忙しいと言っても、実際の稼動(実車になっている)時間というのは、多いなと感じた場合でも、拘束時間帯の半分もあればいいほう。まあ、せいぜい4割くらいの時間だろうか。
 ということは、残りの時間は空車か回送か、いずれにしても空気を運んでいる状態。車内の空気とお友達ってわけである。
 そんな中、さすがに本を読む時間は取れなかったが、ラジオは健在。
 ラジオから音楽は勿論だが、あれこれ雑学的情報も得た。

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2006/12/01

グリューネヴァルト…絵の奥に息衝く真(まこと)美か醜か

 早いもので、つい先日、一か月分の索引と、埋め草となる雑文を綴ったと思ったら、もう、月が替わって月初め。しかも12月。師走だ!
 今日は何を書こうかな、師走だし、何か師走に関連する雑文でも書こうかなと思ったら、うん? 月初め? ってことは、索引・目次を書く日じゃないか! と気がついた次第。
 とにもかくにも、一ヶ月を乗り切ったわけである。

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← 29日、午後、皇居のお堀脇で信号待ち。

 毎日、何を書く当てがあるわけではない。画面に向ってから考えるのが常。ロッキングチェアーに腰を沈めている間にテーマなどを考えればいいのだが、腰どころか脳味噌まで沈み切ってしまって、アイデアを練るなんて、とてもとても、なのである。
 なので、そろそろブログの記事を書く時間だなとなると、居心地のいいロッキングチェアーを離れる時間ということで、憂鬱というとちょっと違うのだが、億劫だったり、時には途方に暮れたりもする。

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→ 29日の夜、六本木ヒルズ近くにて信号待ち。期待してたけど、誰も乗ってくれなかった! 尚、画像の中の奇妙な数字は、宮島達男氏の手になる「COUNTER VOID」という名のアート作品である。

 でも、時間だって限りがあるので、パソコンに向ってまでクヨクヨしても始まらないので、ネット検索したり、いろんなサイトをダダダーと、あるいはダラダラと巡って……、要するに悪足掻きの時をしばし過ごすわけである。
 とにかく、記事を書くために割ける時間は二時間。しかも、そこにはアイデアを練る時間や、記事を裏付けるネット情報サイトを百以上も検索し、参照するサイトを選び出すための時間が含まれる。

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2006/11/30

ジャズ…時を越え黄金の海を揺蕩へり

 過日、4台の車を洗車する機会があった。
 日頃、運動とはまるで縁のない小生である。
 一台、洗車しただけでも結構な運動であり、草臥れてしまう。

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→ 都内某所にて。枯れ葉が風にゆらゆら揺れていた。「Autumn Leaves」など思い出しながら見ていた……。

The falling leaves
Drift by the window
The autumn leaves of red and gold.

 風に揺れ黄金(こがね)の日々刻む葉よ

 それが、ひょんなことから一気に4台も洗車したのだ。
 洗い終わると、下着は汗でビッショリ濡れていた。洗車というとホースで水をかける、雑巾を洗う、など水を使うので合羽を羽織って作業したので、仕事の負荷もあって余計に汗を掻くことになったのだろう。
 合羽を着たのは、実は思いがけず何台も洗車することになったので、仕事着そのままでやるしかなく、服が水に濡れないためだった。

 さて、4台を洗い終わって疲れきってしまったことは言うまでもない。
 自転車に跨り、颯爽と家路を辿ろうとしたのだが、さすがに漕ぐペダルが重く感じられる。
 あーあ、明日は、疲労困憊で起きられないだろうな。年を取ると疲労は遅れて症状として現れるし。
 その前に、今日は帰ってからも何もする気力がないだろうな……。

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2006/11/29

ハエさんの五月蝿かりしは遠き夢

 昨日のブログの末尾に、「昨日から車内で読み始めた灰谷 健次郎著『兎の眼』(角川書店)に話の小道具として扱われている「ハエ」の話をするつもりだったのだ」と書いている。
 またの機会に書くつもりでいたが、小生のこと、また今度と思っていると、いつになるか分からない。
 なので、鉄は熱いうちに叩けではないが(喩えの使い方が違うかも)、今日のテーマは「ハエ」。

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→ 都内某所の公園にて。少し、紅葉が始まっている…。でも、ちょっと、変。そもそも何の木なのか…。(正解は、頁の下を見てね。)

 この小説は、小生、読み始めたばかりなので、感想は書くとしても先のことになる。
 知っている人も多いだろうが、例えば、「兎の眼 解題  畠山兆子」が本書を知るに参考になるだろう。
 あまり先走っては、これから読もうという方には迷惑だろうから、「物語の舞台は、工業地帯の中にある小学校。地域でも学校でも差別されている塵芥処理場に住む子どもたち、その1人でハエ博士と呼ばれている1年生の鉄三と、新米教師の小谷先生、子どもたちに慕われる熱血教師の足立先生との交流を中心に物語は進む」という概要だけ、ここにメモしておく。

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2006/11/28

海亀やドジなカメとは君じゃなく!

悲しいってわけじゃない、ただ…」と題した記事にヨッピさんに戴いた『カメの日向ぼっこ』を載せたから、というわけでもないだろうが、昨夜半過ぎ、NHKラジオでカメの話を聴くことができた。
「ラジオ深夜便」の中の、「ないとエッセー」というコーナーでのこと。
 テーマは、以下のよう:

  「海亀にロマンを求めて~太平洋2万キロの旅」
             日本ウミガメ協議会会長…亀崎 直樹

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→ ヨッピさんに戴いた『カメの日向ぼっこ』に再登板してもらう!

 仕事中でもあり、ほとんどまともには聞けなかったが、 「海亀にロマンを求めて~太平洋2万キロの旅」というテーマにも示されているように、稀有壮大で、それでいてカメを愛する気持ちが溢れているのが感じられて、久しぶりにちょっとほのぼのした気がする。

 ……、それでも、丁度、仕事も佳境に入っているころなのに、それにしては聞き入っていたなと思ったら、そうだ、忘れ物があって、それを届けるため、肝心の夜中の時間帯に車を回送にしていたのだった。

 夜半過ぎの一時過ぎだったろうか、お客さんを下ろし都心方向へ向けて空車で走っていたら、後部座席から不穏な音が。

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2006/11/27

スクリャービン神秘の扉開けてみん

 過日、車中で何気なくラジオに耳を傾けていたら、ちょっと聴いたことがないような曲調のピアノ曲が聞こえてきた。小生のような音楽音痴には全く未知な雰囲気の曲。
 曲名は聞き逃したが、作曲したのはスクリャービンだという。
 名前だけは小生も聞いたことがある。でも、どんな人物かと問われても全く分からない。

 例によって「アレクサンドル・スクリャービン - Wikipedia」なる頁を覗いてみると、アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン(1872年1月6日 - 1915年4月27日)は、作曲家としてはもとより、ピアノ演奏家としても、さらに思想や人間的にも極めて興味深い人物だと分かる。
 もう、この頁を読むだけで、十分、楽しめてしまう。彼に付いては、小生如きが付け加える何もない。

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← 一夜を過ごした或る宿。

 ただ、個人的な興味から、「作曲家スクリャービンの誕生」なる項の、以下の一文だけはメモしておきたい:
「かろうじてオクターブをつかむことができたと言われるほど小さな手の持ち主だったにもかかわらず、学生時代の同級生ヨゼフ・レヴィーンらと、超絶技巧の難曲の制覇数をめぐって熾烈な競争を無理に続け、ついに右手首を故障するに至った。快復するまでの間に、左手を特訓するとともに、ピアニストとしての挫折感から作曲にも力を注ぐようになる。右手以上の運動量を要求され、広い音域を駆け巡ることから「左手のコサック」と呼ばれる独自のピアノ書法をそなえた、作曲家スクリャービンの誕生であった。」

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2006/11/26

掌編書いた&サンバ記事引越し

 掌編「今夜も兄ちゃんがやってくる」を書きました。ボクもの(やや幻想味があるかも)。

 無精庵徒然草に所収していた、サンバ関連記事の引越しがほぼ完了。
 → 「無精庵サンバ館
(書評エッセイの館だった、旧「無精庵万葉記」を改装したものです。書評エッセイは残してあります。なお、ホームページその他(メルマガなど)に掲載していたサンバ関連記事は、今冬のうちに、多分、来春までには再掲をしたいと考えております。)

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悲しいってわけじゃない、ただ…

 悲しいってわけじゃない、ただ…

 だだっ広い世界にポツンと一人、放り出されている。
 一人って、自分で言っているけど、自分が一人なのかさえも分からない。
 自分では自分の姿が見えないから。
 迷子になった心が疼いている、ただ、それだけのことなのかもしれない。
 誰かに触れたい。誰かに触れて欲しい。
 何の拘りもなく、ただ、触れ欲しい。触れてみたい。
 たった、それだけのことが、どうしようもなく難しい。

Yoppikame

→ ヨッピさんに戴いた『カメの日向ぼっこ』です。オイラがちっちゃなカエルなら、カメの甲羅で日向ぼっこするんだけど…。

 誰のせいでもなく、私は、やはり、独り、闇の中でポツンと、いる。
 通り過ぎた電信柱に貼られたチラシ、それとも白い壁にペイントされた落書き。
ガード下の薄暗い壁の剥がれ切れないでいる広告。
 私は、そういったものほどにさえ、確かに生きているとは感じられない。

 何を今更と、思う。

 生きていることに何の感懐も抱かずに来たことは、分かりきったことではなかったか。
 心が、分けのわからない淋しさに引き裂けんばかりだったとしても、それだって、やっぱり、今更、何を事々しく喋るんだって、言われかねない、自分に。
 引き千切れて、何処とも知れない遠い空に飛び去った心の欠片。
 闇の壁に頬を擦り切れるほどに押し付けて、そうして寂しさを誤魔化して、それでも、やりきれないものは、やりきれない。
 闇の底に、吐いて、吐いて、もう、吐くものは何もないほどに吐いてみても、胃の腑は裏返りさえしない。闇の穴を埋め尽くすには、俺程度の悲しみじゃ、足りないってこと。

 そう、世界は私には、あまりに茫漠としている。

 世界は決して混沌となど、していない。
 だって、道端の草も、何処かの庭先に零れて垂れる柿の木の枝も、遠くに見える団地のベランダに干された洗濯物も、それぞれに意味があることが理解できないことはないんだから。

 ただ、そうした意味の数々は、私には届かない、私に触れることはないってだけのこと。

 都会の雑踏を足早に歩く。私にはゆっくり歩くような心のゆとりなど、ないから。サッサと歩いて、その場を、行過ぎる。すぐそこにあるショーウインドーの中に飾り付けられた衣裳も、そこここにある居酒屋も、私には立ち入ることの永遠にない世界であることに気付きたくないから。
 まるで用事があって急いでいるような振りをして、行過ぎて、さて、部屋に帰って、私はしばし呆然とする。何の用もない部屋の片隅に蹲って、天井から吊り下がる照明の傘に積もった埃に、ふと、気が付く。今日の自分の発見は、それだけ。

 私がここにいることに気付く人は、誰もいない。もしかしたら窓の外のカーテン越しに揺れる影だけは、私に何事かを囁いてくれるかもしれない、なんて、思って、でも、カーテンを開ける勇気など、私にあるわけもない。
 窓の外の影が揺れるのは、私の心が揺れているから、ただ、それだけの、つまらないお話。そう、部屋の明かりを、未だ点けていなかったんだ。だから、外の空間が内より明るいって、それだけのこと。

 神様がいて、世界を眺めている、そんな気がすることが昔、あったような。

 でも、夜の町を歩けば、何処までもお月様がついてきてくれる、そのようには、私に寄り添ってはくれない。神様は、この世界のあらゆるものに対して平等に接しているんだ。
 神様から見たら、私は、地球の裏側の誰かと同じ一人の人間。遠い昔に死に果てた誰かと同じ人間。いつの日か生まれるかもしれない誰かと同じ人間。 

 それどころか、主を見失って町を彷徨う野良犬と比べたって、私が格別、偉いわけでも愚かなわけでもない。
 否、風に舞う木の葉と比べてさえ、私は見るべき何物でもない。
 それほどに神様の目は、地上を、世界をとことん平等に見つめている。私が私である必要など、何もないのだ。土や埃や風に成り果てたって、気付かないに違いない。

 ああ、私は触れたい。何か、生きるモノに。触れて欲しい、血汐の滾る何物かに。
 人間に触れたい、触れて欲しいなどと贅沢は言わないから。
 気が遠くなるほどに脳髄は動いてくれない。心が朽ち果てて、まるでそよとも風の吹かない夏の日の昼下がりのようだ。
 寂しさの果ての眩暈のする白い一日。
 気が狂わないでいるためには、悲しさを粉微塵に砕いてしまうしかない。それが叶わないなら、せめて凍てついた心を終日、爪で引っ掻いていよう。
 私が生きている実感とは、ガリガリというその感覚のこと。

 私とは、透明すぎる闇なんだ。

                                         (01/11/18作)

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