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2006/10/14

いじめ事件…虐めるか見て見ぬふりが良識か

 いじめによる(と思われる)児童生徒の自殺がこのところマスコミを賑わす。
 いじめ…なんだかガキの頃のことが思い出されて、身につまされる。
 小生自身のことは、いずれ書く機会があるかもしれない。
 隠遁の術(?)でサバイバルを図ったっけ…。
 今は辛い当人たちも、とにかく生き延びて欲しいと思う。
 日本の社会は狭くとも世界は広いのだ。
 風に吹かれて流されるのではなく、ふところに風を入れてみて欲しい。

 そうはいっても、大人になってもいじめからは自由になれないのが悲しい。

 以下、採り上げる事件は、必ずしも直近のニュースではないが(この自殺報道が連日伝えられるという事実がまた悲しいが)、北朝鮮の核問題報道と前後するようにして伝えられワイドショーでも話題の俎上に上っていたものである:

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2006/10/13

アンゲルス・シレジウス…寄る人を刺すこともなき薔薇ありや

ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記―1930‐1932/1936‐1937』(イルゼ・ゾマヴィラ編、鬼界 彰夫訳、講談社)をバッハのヴァイオリン協奏曲やエンヤのCDなど聴きながら読んでいたら、シレジウスという名の詩人に言及されていた。
 シレジウス……。聴いたことは、早々と堕ち零れたとはいえ、曲がりなりにも哲学徒だった小生、名前くらいは聞いたことがあるが、どんな人と聞かれても、答えに窮する(ほんの一瞬、学生時代の一時期聞き浸ったシベリウスと混同しかけた)。
 誰にも訊かれないうちに、彼に付いてネットで拾い集められる情報をメモしておきたい。
 アンゲルス・シレジウス(Angelus Silegius、1624-77)は、一般的には、ドイツ・バロック期の神秘主義的宗教詩人と冠せられる。

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← 或る日、山間(やまあい)の道にて。

 本書『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』に拠ると、「シレジウスは神秘思想を摂取し、それは彼において汎神論的な色彩を帯びていた。彼は一貫した哲学体系を展開するのではなく、神と永遠に対する人の関係についての彼の思想を「知の断片」(W.フレミング)として表現した」という。
 また、同書に拠ると「ダニエル・チェプコの『箴言集』にならって大体は二行詩の形で書かれているが四行で対立的に構成されたアレキサンダー詩句の形で書かれているものもある」とか。

 ネットでは(小生が探した範囲内では)彼に付いてのまとまった記述は見出せなかった。
 残念ながら、以下に示すような名言の類いが(多くは、『シレジウス瞑想詩集』よりの)引用の形で掲げられているだけである。
 小生は、アフォリズムは嫌いではないが、名言・格言(集)の類いは好きではない。簡潔な表現の中に的確な指針や深い知恵が示されているとは思うのだが、読んでみても、だから何。それがどうしたの。現実は言葉とは違うでしょ、などと反発してしまう。小生は、そんなひねくれた根性の持ち主なのである。

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2006/10/12

太陽光発電…広まれば日向ぼっこも夢の夢?

 車中でラジオに聞き入っていたら(運転中に自然と耳に聴こえて来たのです)、短い期間の間に何故か太陽光発電の話題に複数回、遭遇した。
 無論、こんな話題が特集されるのはNHKラジオである(民放のラジオも聴いているのだが)。
 どういう事情があって、太陽光発電の話題が採り上げられる機会が増えているのか分からない。
 ただ、「我国の住宅用太陽光発電システムは、これまでに延べ約30万件が設置され、ようやく全世帯数の1%近くまで普及」という事情が背景にあるとは思える。

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→ 10月12日の早暁。久しぶりの朝焼けなので、思わず車を路肩に止めて、パチリ! 陽光という恵み。

 この、「全世帯数の1%近くまで普及」という「1%」という数字は、関係者によると非常に大きな意味を持つそうで、一旦、この数字に到達すると(逆に言うと、この数字に至るまでの準備期間、助走期間が大変で政府など公的機関の後押しが重要だということ、場合によっては研究開発と期待倒れに終わる可能性もあったということだ)、あとは爆発的に普及する可能性を孕む、そんな数字なのだという。
 NHKラジオでの特集でも、この数字の持つ意義が強調されていた。

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お知らせ2件

●1.弥一(やいっち)からのお知らせ
 我がホームページ「kunimi Yaichi's ROOM 国見弥一の部屋へようこそ」は、01年2月5日に開設し、地味ながら今日まで細々と生きながらえております。
 日頃、可愛がっていただき、ありがとうございます。
 このたび、ホームページ中の掲示板「ようこそ国見弥一の部屋の踊り場へ」について、あまりにスパム的書き込みが多いため、コメント投稿設定を変更しました。
 書き込みしていただいても、投稿された記事(コメント、メッセージ)は直ちには公開されません。
 内容を確認の上、管理者によって正式公開されます。公開まで、しばらく時間をいただきます。
 場合によっては、公開までまる一日を要することもあります。
 また、内容によっては掲示しないことがあります。
 公開するかしないかについて、小生自身が判断します。
 公開しない理由について、一切、説明するつもりはありません。
 不本意ながら、本日、午後より、このように設定変更させていただきます。
 

●2.ココログからのお知らせ

ココログフリーメンテナンス実施のお知らせ
 2006年10月17日(火)16:00 から 2006年10月19日(木)16:00

 この間(まる二日!)、無精庵徒然草(方丈記、万葉記)については、コメントもトラックバックもできなくなります!
 悲しくも、更新もできません!
 でも、ブログを覗くことはできるので、来てね。
 なお、更新については、ミラーサイトなどでやる所存でおります。
 メンテナンス期間中、何かあれば、ホームページの掲示板などでも情報を提供するつもりです。

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2006/10/11

ひたぶるに生きる百舌鳥ただ焦がれ見し

 今日は何の日というサイトを覗いていたら、今日11日は、「「リンゴの唄」の日」だという。
1945(昭和20)年、戦後初めて制作・公開された映画『そよかぜ』が封切られた。並木路子が歌う挿入歌「リンゴの唄」は戦後を象徴する大ヒットとなった」とのこと。
 小生もこの歌は好きである。決して同時代に生きたわけではなく、小生が物心付き、テレビにかじりつくようになった頃にはこの歌は既に懐メロ的に折々歌われていた。
 ネット検索してみると、「永遠に歌い続けられる  「リンゴの唄」の並木路子」という頁を発見(どうやら、ホームページは、「石のコロンブス」のようである)。
 一読して、もう、この頁を発見しただけで、本日のブログは書き始めた甲斐があったと思った。
 是非、リンク先に飛んで、一読願いたい。

 何故だろう、ふと、百舌鳥(もず)という鳥のことが思い浮かんだ。別に最近、その姿を見かけたわけでも、その声が耳を叩いたというわけでもない。
 まさか、小生の食卓には必ずといっていいほど、モズクが添えられているから? 帰省して食事の用意や買い物にも小生が行くのだが、あれこれ買う中の一品はモズクなのである…。
 ま、これは冗談として……。

 気になるので、季語随筆のブログでもあるし、鵙(=もず。ほかに、「百舌 鴃 伯労鳥」などとも表記するようだ)のことを調べてみたくなった。
 手元の『連句・俳句季語辞典 十七季』(東 明雅/丹下博之/佛渕健悟 編著、三省堂)を開いて、「鵙(もず)」の項を覗いてみると、以下のようである:
[三秋・動物]モズ科の鳥の総称。同類=百舌鳥、鵙の高音、鵙日和、鵙の晴。関連=春の鵙[三春]、冬の鵙[三冬]。

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2006/10/10

週末ジタバタ日記(後篇…所沢パレードへ)

 我がサンバコスコーラ(チームあるいはクラブ)・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)の「ところざわまつり」でのパレードは商店街でのパレードとしては年内最後とあっては見逃すわけはいかない。
 例によってデジカメと文庫本を一冊抱え、いざ所沢へ。
 所沢というのは、小生が仙台から上京した際、事情があって引越しの荷物を某所に仮置きさせてもらったこともあって、ちょっと懐かしい。50ccのバイクを駆って日中、車の激しく往来する所沢街道を(気分の上では)どこまでも走って、延々、二時間も走った頃、ようやく荷物のある場所へ。
 今では、所沢が遠かったという記憶しかない。

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→ パレードの先頭車両。パレードが来るよ!(今回は、画像はクリックしても、あまり大きくはなりません。あしからず! その代わり、32枚、載せます。画像は時系列のままです。)

 その所沢でのパレードは、今年で何度目になるだろう。
 リベルダージファンになり、またメンバーになって四年目の小生だが、一度、所沢へは行かなかったことがある。やはり、三度目か。
 所沢は、祭りの会場としては道路も広く、またサンバパレードについても何年も経験があるので、沿道に集う観客からの声援も他より多いという印象がある。
 やはり、観客の反応がいいと、メンバーにしても張り合いがあるのではないだろうか。

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← ここでも会えたね! 今夜は満月だよ。

 さて、持参した文庫本は、加賀乙彦著の『頭医者留学記』(講談社)である。
(小生が手にしていたのは、講談社文庫なのだが、今は、中公文庫に『頭医者事始』『頭医者青春記』『頭医者留学記』の合本の形で所収。)

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→ 懸命に撮ったけど、これがせいぜい。小生は、ぜいぜい。

 パレードへはここのところ、電車・バスを利用している。今はバイクを手放してしまったから当然だが、手放す前から公共機関を利用するようになっている。要は、時間がなくて、読書する暇がないので、移動する合間に少しでも読もうというわけである。

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2006/10/09

週末ジタバタ日記(前篇…パレード前日)

 この土日月は多くの人にとっては三連休らしいが、小生のような稼業の者には、曜日など関係がなく、決まった日に仕事、決まった日に休日で、この週末は土日が休みで月曜日の振り替え休日は仕事である。
 土日が連休じゃないか、となるが、金曜日が営業日でその日の午前から仕事が始まって、終わるのは土曜日の朝。帰宅したら七時前後となる。以下、クダクダと書くが、土曜日は疲労困憊で終日、寝たきり状態となってしまうのである。
 特に金曜日が忙しいと、その傾向は強まる。
 さすがに三連休の前という事情もあってか、それとも秋の嵐のような風雨のためなのか、今年一番の忙しさだった。息継ぐ間もなく、次から次へとお客さんが乗ってくる。

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→ マリンバ-ヴィブラフォン奏者の三村奈々恵さんのCD『プラーナ』(鷲見音右衛門文広/神坂享輔 :Adapter、ソニーミュージックエンタテインメント)

 嬉しい悲鳴である。小生が今の仕事に携わった95年末から橋本(龍太郎)不況に突入した97年8月以前の時期を思わせる繁忙ぶりだった。
 尿意を催しても我慢、お腹が空いても我慢、まして休みたくても今日ばかりは我慢で、何処かの裏通りの人影のないところを走る機会に、人目のないのを確認して空車の表示を回送に変える。表通りや人の目のあるところで下手に変えると、見ようによっては乗車拒否とも受けとめられかねない。
 空車の車を何処から見ているか知れたものではなく、何処かの柱の陰で風雨を避けながらも、空車の来るのを待っているやもしれないわけである。回送に変更するにも戦々恐々というわけである。
 それでも、体力の無い小生、昼の最中に、夜の八時頃に、そして、さすがに人影の疎らになった丑三つ時の3回、休憩・仮眠を取った。但し、最初の2回はいつもより短め。
 休まないで仕事をすると、風雨の中の営業であるし、注意力が散漫にならないとも限らない。安全と無事が何より優先する。

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2006/10/08

ウロボロス…土喰らうその土さえも命なる

座乱読後乱駄夢人名事典・歴史上のお友達?」を覗いていたら、どの記事もその画像などが楽しくて、つい前の記事まで遡ってみてしまった。
 すると、「ウロボロス」という項に目が留まった。
 古来より各地でいろんな意味合いを篭められつつ継承されてきた、興味深い(ある種の)シンボルなので、小生も以前、何かの短編の中で使ってみたことがある。
 上掲の頁にも、「自分の尾を自分で食う蛇・・というのがウロボロスの概念で、中世では死と再生を繰り返す円環として、死して復活するキリストにたとえられたり、あるいは錬金術などでは、完全・世界を現すとされたりしました」など、以下、ウロボロスについて簡潔に纏められている。

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→ 「ウロボロス - Wikipedia」より

 小生としては、もう少しウロボロスの周辺を巡ってみたい。
 例によって、ネット逍遥の手引き乃至は手掛かりにしようと、「ウロボロス - Wikipedia」を覗いてみるが、「ウロボロス (Ouroboros) は、古代の象徴の一つで、己の尾を噛んで環となった蛇もしくは竜を図案化したもの」とか、「世界創造が全であり一であるといった思想を表し、グノーシス派などが用いた。他にも終わりが始まりになる円運動、永劫回帰や陰陽など反対物の一致など、意味するものは広い」とあるが、珍しく情報が少ない。

 それでも、末尾に「今日の無限大の記号(∞)のモデルとなった」とあったのが興味深い。
 ただ、掲げられているウロボロスの像からどうやって今日の無限大の記号(∞)に成り代わるのか、分かるようで分からない。

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