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2006/07/08

探検家リチャード・バートン

月の山脈と天の川と」の中で、那須国男著の『アフリカ探検物語』(現代教養文庫)を紹介しているサイトということで、ネット検索の結果として「リチャード.F.バートン(Richard Francis Burton)」なるサイトを示している。
 が、その時は、掲げるだけに終わっていて、先へ進む必要もあったし、その頁内をじっくり読むことができなかった。
 書き終えてから読み返したら、懐かしい本の数々が載っているではないか。
 前回は、ホームページも示していない。「谷底ライオン」がそれで、このサイトの中に、「リチャード.F.バートン(Richard Francis Burton)」なるサイトがある。
 
 バートン! 何処かで聞いたことがあるな、とは感じていたが、あのバートンではないか!

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→ 『バートン版 千夜一夜物語』(ちくま文庫)

 懐かしい本の数々とは、まず大場 正史訳の『バートン版 千夜一夜物語』(ちくま文庫)のことで(無論、小生が手にしたのは別版)、小生は長編のこの物語を全て読破したわけではないが、古沢 岩美氏のイラストだけは、どの巻についても眺め入り妄想に耽ったものだった。
古沢 岩美氏に付いては、「古沢岩美」なる頁の挿画がことのほか宜しい。ちょっとピカソ的?
 内容案内によると、「花園の中の噴水のほとりで、たぐい稀な美貌の王妃と従う女たちは着物をぬぎすてた。そこに同じ数の男たちが挑みかかり、抱擁し交会し、いつ果てるともない淫欲に耽り始めた…妃の不倫に怒り苦しむシャーリヤル王は、夜ごと一人の処女と交わり、あくる朝に殺すようになる。大臣の聡明な娘シャーラザッドは、みずから王のもとに上り、世にも不思議な物語を夢の…(以下略)」とあって、学生時代になって、童話風のアラビアンナイトではない千夜一夜物語の奥の院への、その入り口ぐらいは覗いたのだった。

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2006/07/07

「落句拾遺 6-1」アップ!

 遅ればせながら、「落句拾遺 6-1」をようやくアップしました。
 先月は、二度も連句を巻いて、精も根も尽き果てて、「落句拾遺」に手が回らなかった、なんて言い訳したりして。

 七夕の話題というわけではないが、「洒涙雨(さいるいう)」という言葉をご存知だろうか。
 小生は、昨年、季語随筆を綴った際に、たまたまこの言葉の意味が「七夕に降る雨」だと知った。
 つまり、織姫と彦星の流す涙(雨)というわけ。

 ああ、今年も織姫と彦星は会えないのね。まるで小生のよう?!

 なんて、脈絡もなく書くのは、以下の雑文へのアクセスが今日は多いから:
青葉時雨…洒涙雨

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月の山脈と天の川と

 今日は七夕の日ということで、少しだけ七夕に関係する話を書きたい。
 といっても、今回は天の川に関連するかな、という話なのだが。
 それにしても、小生の織姫様は何処にいるのだろう。会えないのは天気のせい?

 短冊の願いを読まれ恥を掻き
 短冊に書けぬ願いは如何せん

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→ 昨日の営業中、街頭で見かけた織姫さんたち…。

「月の山脈」といっても、ここでは、「巨大クレーターができた時の周囲の盛り上がりによってつくられたと考えられてい」る、あの月の山脈のことではない(「」参照)。
「ルウェンゾリ。伝説の月の山脈」、「そこは、かつてナイル河の源と目され、多くの探検家達の憧憬の地であった」という、月の山脈である(「月の山紀行」参照)。
「月の山脈」(時に「月の山」と訳される)というと、「2世紀、アレキサンドリアの天文学者、天動説で有名なかのプトレマイオスがその著書の中で記した“ナイルの源流”」であり、「かつてはヨーロッパの名だたる探検家達の心を熱くさせた憧憬の地」、そして伝説の地なのである(「ウガンダの見どころ・行きどころ∥旅行ツアー情報∥アフリカ大辞典」参照)。
今現在、ナイル川には複数の水源があることが知られていますが、ルウェンゾリもその一つであるばかりか、アフリカ第二の大河ザイール川の水源の一つとしても知られています」という。

「冬の夜空に輝くシリウスは古代のエジプトでは重視され、「アヌビス神の星」として神格化されていました。 「エジプトはナイルの賜物」という言葉があります。この言葉はナイル川が上流の肥沃な土砂を運んでくることにより、農耕が始まり、エジプトに文明が起こったことを意味しています。当時の人々にとっては1年の決まった季節にあるナイル川の氾濫の時期をあらかじめ予測して、農耕の準備を始めることは生きていく上で必要不可欠なことでした」(「こども文化科学館-古代人からのメッセージ1」より。太字は小生の手になる)。

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2006/07/06

水たまり

 朝から雨が降っていた。
 雨が降っていることは音で分かる。庇を叩く雨音が寝入っている耳元にも響いてくる。
 一人きりの小さな部屋だから、窓の外のちょっとした音も呆気なく忍び込んでくる。
 まるで壁に目に見えない透き間があるようだ。

 それにしても、雨音が激しすぎるような。
 ベッドに寝そべったまま、無理にも首を捻って窓のほうを見遣ってみた。
 うん? カーテンがやんわり揺れている…。
 窓の隅っこが雨天にしては妙に明るい。
 なんだ、昨夜は窓を閉め切らないままに寝入ってしまったのだ。

 湿っぽい部屋。湿気が篭って鬱陶しい。
 久しぶりに舐めたワインのせいで、余計に暑苦しくなって、つい窓を開けた。
 そして、軽く酔った時の癖で、心地よさに任せて、後のことは知ったことじゃないと、ベッドに潜り込んでしまった。
 見ると、二の腕の長さほど開け放たれた窓の合間から風と共に雨までが吹き込んでいるのだった。
 やばい! 急いで閉めなくっちゃ。
 うん? 考えてみたら、今更、急いだって無駄か。
 もう、窓枠も窓際の書棚も、そうして窓辺のフローリングの床も、濡れそぼっている。

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2006/07/05

ホーソーンとアメリカの闇

 昨日というか、今朝、未明になるか、さすがに暇になったので車中で瀬戸川 猛資著の『夢想の研究―活字と映像の想像力』(創元ライブラリ)を読んでいたら、表題のナサニエル・ホーソーンのことが話題に採り上げられていた。
 小生は、ホーソーンの『緋文字』は二度ほど読んだことがある。最後に読んだのは、N. ホーソーン (著)『完訳 緋文字』八木 敏雄訳、岩波文庫)だった。
 宗教的なテーマが扱われていて、感銘深く読んだという印象が残っている。

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 が、上掲書は夢想の研究と銘打っている。映画(映像)と活字とのコラボ的な評論を目ざしたもので、出版社の説明によると、「本書は、本と映画を題材に、具体例に即して二つのメディアの想像力をクロスオーバーさせ、あくまで現実との関わりにおいて、だが大胆に想像力をめぐらせて夢想を論ずるという、まさに類を見ない試みの成果である。そこから生まれる説のなんとパワフルで魅力的なことか。文芸評論に新しい地平を切り拓いた著者の真骨頂! 解説・丸谷才一」と銘打たれている。
 題材は文学に限るわけではないのだが、焦点はあくまで<夢想>のはず。
 なのに、何故にホーソーンなのか。

 例によって「ナサニエル・ホーソーン - Wikipedia」の力を借りさせていただく。
 冒頭の、「ナサニエル・ホーソーン(ナザニエル・ホーソーン、Nathaniel Hawthorne 1804年7月4日 – 1864年3月19日)は、アメリカ合衆国の英語で書く小説家・短編小説作家。日本語では「ホーソン」と表記されることもある。」はともかく(でも、ホーソンだと、疱瘡ン?って感じで日本語的には語感が良くない? ほー、そーん?って感じ)、続く記述が興味深い。
「父方の祖先である初代ウィリアム・ホーソーンはクエーカー教徒迫害に関与し、二代ジョン・ホーソーンはセイラム魔女裁判の判事を務めており、また、母方の祖先であるニコラス・マニングが近親相姦の嫌疑をかけられ迫害されると言う過去を持つため、宗教的な内容の作品が多い」というのだ。

 これじゃ、やっぱり、ホーソーンを『緋文字』で以て代表させるのも、宗教的なテーマを扱う作家と認識するのも無理はないし、実際、そういった課題(ちょっと綺麗な表現か。日本人なら<業>と呼ぶのか)を担い続けたという理解も安易と思いつつも無理はないような気がする。

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2006/07/04

香月泰男と<神農>

 中田英寿選手が現役引退を発表した。
nakata.net -- 中田英寿オフィシャルホームページ」に「“人生とは旅であり、旅とは人生である”2006.07.03」と題されたメッセージが載っていた。
 彼はメッセージの最後に、「“ありがとう”」と書いていたけど、こちらこそ、彼に「ありがとう!」と言いたい。

Rkroomkesi

← RKROOMさんに戴いた「ヒマラヤに咲く、青いケシの花」の画像です。

 立花隆氏著の『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』(文藝春秋)をゆっくり読んでいる。
 週末の連休の間に一気に読了させようと思っていたが、挿入されている豊富な画像の数々につい見入ってしまって、しばしば本を読む手も止まってしまう。
2005年07月の索引(香月泰男の世界)」でも、本書に所収となっている1970年文芸春秋刊「私のシベリヤ」のテキストに焦点を合わせつつ、若干のことを書いているが、今日のブログにも、多少のことを書き加えておきたい。

Kaduki

→ 『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』の表紙の画像は、香月泰男の作品「日の出」である。

 表題の「神農」について、簡単に説明を試みる。といっても、例によって、「神農氏 - Wikipedia」に頼る。
「神農氏(しんのうし)は中国神話に登場する王。三皇五帝という時代の三皇の一人。人間の身体に牛の頭を持っていたとされる。また炎を司る神」とか、「鋤を使って農耕することを人間に教えたことから神農と呼ばれ、火徳(五行思想による5つの天性のひとつ)をもって王となったことから炎帝と呼ばれるという」と書いてあるが、本書では、「腹が透けており、地面に生えている全ての植物について、毒があるかないか、どんな味がするかを、実際に自分で舐めてみて調べたといわれており、このために薬の最初の発見者(薬祖)・医学の祖ともいわれている」という点が眼目である(太字は小生の手になる)。
(「神農」についてより詳しくは、「三皇五帝 - 炎帝神農氏」を参照のこと。)

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2006/07/03

第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり(3 太鼓篇)

第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり(3 太鼓篇)」へ引っ越しました。

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第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり(2 笑顔篇)

第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり(2 笑顔篇)」へ引っ越しました。

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第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり(1 牛込城篇)

第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり(1 牛込城篇)」へ引っ越しました。

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2006/07/02

ルソー…孤独な散歩者の夢想

 全くの偶然なのだが、小生は6月29日に「むすんで ひらいて…」なる雑文を書いている。この「むすんで ひらいて」という有名な曲は、ともするとかのフランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)が作曲したとも言われたりしてきた。しかし話は簡単ではないことは、以下のサイトを覗けば分かる:
むすんでひらいて~歌詞と解説 ルソーとの関係 そのルーツに迫る~『ドナドナ研究室』」が音楽ファンなら特に読んで興味深いはず。
(拙稿「「むすんでひらいて」(作詞不詳・ルソー作曲/文部省唱歌)」は、まあ、お戯れ…)

 何が偶然かというと、ジャン・ジャック・ルソーは1712年6月28日生なのである。死去したのは、1778年の今日、つまり7月2日である。
 6月29日に「むすんで ひらいて…」を書いたのは、古来より(といっても、明治以来のものもあるが)連綿と読み継がれ歌い継がれてきた昔話・民話・童謡・唱歌の、特に歌詞の意味深な世界を探る一環でのことに過ぎなかったのだが。

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→ 高島野十郎の蝋燭の焔…じゃありません。夜の東京タワーです!

 ジャン=ジャック・ルソーのことは今更説明する必要もないだろう。少なくとも名前だけは多くの人が知っている。「ジャン=ジャック・ルソー - Wikipedia」が例によって参考になる。
 小生は高校の頃にルソーの本に出会い、学生時代、そしてその後のフリーター時代に渡って、彼の著作に親しんだ。小生が読んだ主な作品を名前だけ羅列しておくと、『学問芸術論』、『人間不平等起源論』、『言語起源論』、『ジュリ または新エロイーズ』、『社会契約論』、『エミール または教育について』、『告白』、『孤独な散歩者の夢想』だろうか。
 この中で、高校時代に出会ったのが『孤独な散歩者の夢想』だった。同時期にデカルト、ベルグソン、ショーペンハウエル、フロイト、パスカル、親鸞(倉田百三的な…)、三木清らの著作に親しみ始めた。
 旺文社文庫と中央公論社の『世界の名著』シリーズ(後に『日本の名著』シリーズも)が、思想や宗教関係の本を選ぶ対象だったような。岩波文庫は敷居が高いように感じていて、学生時代になって岩波新書と併せて物色・渉猟の対象となる。

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