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2006/07/01

2005年07月の索引(香月泰男の世界)

 恒例となった月初めに提供する昨年同月索引・目次である。
 つまり、毎度、断っているが、昨年の七月の分。念を押すが今年の七月の目次ではない。今月、これから何を書いていくか、神様はともかく小生には皆目、見当も付かない。
 例によって、「表題」(主なテーマ 日付)である。

 それにしても、今年も半分が終わってしまって、残すところ、半年。半分まではそれなりに長いように感じられることもあるが、残りが半分となると、減るのが目に見えるような気がする。梅雨が終わったら暑い(はずの)夏。なんとか乗り切ったとして、秋風が身に沁みる、そうして気が付くと、今年も終わりだと嘆くわけだ。
 さすがに人生五十年以上も生きると、このパターンに慣れる。

Musosetogawa

← 今日、借り出してきた瀬戸川 猛資著の『夢想の研究―活字と映像の想像力』(創元ライブラリ)は、「ミステリマガジン」に連載されていたもの。映画と本とをクロスオーバーだって。瀬戸川氏は既に亡くなられている。車中で読むのが楽しみ!

 慣れてはいかんのだろうが、ちょっと例えが間違っていることを承知で言うと、オッカムの剃刀であろうとする。
「オッカムの剃刀( Occam's Razor)とは、14世紀の哲学者・神学者のオッカムが多用したことで有名な哲学原理で、 「ある事柄を説明するのに、必要以上の仮説を立ててはならない」というものである」が、人生を恙無く、憂さ辛さ面倒さを最小にして生きるのに、不必要な波風を立てることなく、人生の荒波にもあくまで無抵抗勢力で柳に風と生きるべきだということ。
 曲がりなりにも哲学を齧ったものが、こんなふうに惰弱の徒に成り果てるとは、嘆かわしい限りである。

 なんちゃって。ま、ボチボチ、のんびり愉しみつつやっていく。毎日、書くってのも結構な仕事なのだ。

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2006/06/30

ビートルズ来日40周年

 テレビでもそうだが、ラジオでは、今年に入って、そして特に先週から今週にかけては、ビートルズ来日40周年関連の話題が頻繁に採り上げられてきた。
 小生がビートルズを意識したのは中学校に入った頃。
 来日公演のあった1966年には、小生は花の小学生。
 訳も分からず、とにかく当時は白黒のテレビ画面に家族と共に見入っていた。
 マスコミ(特に読売新聞が先行か)ではその年の4月頃から、ビートルズが日本にやってくると、盛んに宣伝していた。世間知らずで、音楽に限らず芸術の高貴な香りの全く漂っていない我が家も、みんな素直な性格なので、マスコミに煽られるがままに、ビートルズって何じゃらホイ状態だった。

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→ 今も大事にしているビートルズのアルバム「赤盤」。1973年に購入!

 とにかく、来日公演のテレビ放映は、最初から最後まで、訳の分からないままに見ていたような。
 実はというと、「日本に於て、1964年という年は東京オリンピックとビートルズの登場という大事件が重なった重要な年」ということで、既にビートルズブレイクは始まっていたのだが。
 男性の長髪が大流行。グループサウンズが花開く。ジーンズ。サブカルチャーの開花。

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← 今も大事にしているビートルズのアルバム「青盤」。「赤盤」と一緒に購入!

 来日公演のあった武道館は、小生にとって、そして父にとっては尚のこと、プロレスなど、格闘技の聖地だったが、その日から武道館のイメージが変わった(実際、武道館の在り方も変わった?)。
 そういえば、ビートルズって、日本語だとカブトムシだと覚えたっけ。

 率直に言って、父はビートルズの音楽に付いては????????
 小生も負けずに??????????????????????
 中学の一年の時だったか、学校でビートルズの話題になり、そのうち、じゃ、メンバーのうち、だれが好きかという話題になった。
 で、小生も聞かれたので、小生は、リンゴ! と答えた。

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2006/06/29

むすんで ひらいて…

 拙稿「グリム童話…昔話の深層」に戴いたコメントで、あれこれ思うことがあった。
 せっかくなので、ちょっとだけ、改めて童謡や童歌の周辺を散歩してみたい。

 童歌(わらべうた)には謎めいたものが多い。有名な童歌だと、「かごめかごめ」だろうか。
かごめかごめ - Wikipedia」によると(拠らずとも)、歌詞が「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀と滑った 後ろの正面だあれ?」なのは、知っている。

Rengehasuppa

→ 蓮華草さんに戴いた蓮の花の画像です。ちなみに、「蓮っ葉」でネット検索したら、小生の頁が浮上したとか。

 尤も、小生の記憶が曖昧で、ガキのころ、もしかしたら「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀とが滑った 後ろの正面だあれ?」と歌ったような気もする。
 でも、「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に つるつる滑った 鍋の鍋の底抜け 底抜いてたもれ」なんて歌詞は、全くの初耳。
「このかごめかごめは江戸中期以降に現れる。『後ろの正面』という表現は、明治末期以前の文献では確認されていない。さらに、『鶴と亀』『滑った』についても、明治以前の文献で確認されていない」という。明治の代に、何か表沙汰になること、あるいは表立って口にすることの叶わない政治的不祥事か何かをあてこすっているのだろうか。

 童歌なのか童謡と呼ぶべきなのか、「とおりゃんせ」も歌詞が謎めいている。
川越の歌と文学(1) 通りゃんせ」によると、「〝行きはよくても帰りはこわい〟と歌われた『通りゃんせ』のモデルとなった場所は、埼玉県の川越市だといわれる。」のだとか。

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2006/06/28

第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり

 もうすぐ、小生が勝手に応援しているサンバチーム・リベルダージG.R.E.S.LIBERDADE)の今年最初のパレードの日がやってくる。
 その名も「牛込パレード」で、7/2(日)、「14:30-16:30」、場所は「新宿区内の外苑東通り歩行者天国(柳町交差点~仲之町交差点)」である。
 以下は昨年の「牛込パレード」レポートです。画像は多めだけど、拡大はできません。チームのメンバーになったら、あるいは見れるかも、ね:
牛込パレードへ
牛込パレード(2)

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→ 執念(?)のネット検索で、『第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり』のチラシ(画像)を発見。このポスターをクリックしたら画像が大きくなるよ。
 しかし、よく見ると、この元の画像(パレードの様子)は、3年前の牛込パレードの時のもののような。小生が初めてリベルダージのパレードを見たのはそのときだった。あの日は暑かった! 

「牛込パレード」と呼称しているが、略称というか俗称で、正式な祭りの名称は、『第28回 薬王寺・柳町 七夕まつり』です。

 この祭りの詳しい内容や予定については、「「試衛館+サンバ」-日野宿本陣文書検討会」が詳しい。ここにも昨年のパレードの巨大な画像が載っている。
 この祭りで、「天然理心流の演武と市谷柳町試衛館、新選組流山隊の殺陣が披露」されるという。
 何故なら、新宿区市谷柳町は試衛館跡があるなど、「新選組青春の聖地である」からなのだとか。
 新撰組に関心のある方は、ブログ「日野宿本陣文書検討会」を御覧ください。

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「蛍は…火垂る? 星垂る?」追記

蛍は…火垂る? 星垂る?」の中で、「~2005年 ある日の日記より 抜粋~」(「八ヶ岳ホタル通信:2006」がホームページ)からとして、「日本書紀(720年)には早くも「蛍」という文字が使用されている。 」という<事実>を示している。
 が、時間がなくて、文献的裏付けを取ることも叶わなかった。
 ここに若干の追記をメモしておく。

 ネット検索してみたら、「蛍(ほたる) - 万葉の生きものたち」という素敵な頁が見つかった。
 もう、この頁を見つけていたら、敢えて「蛍は…火垂る? 星垂る?」なんて雑文を綴る気にはなれなかったかも。

Milkywkei

← 掌編「屋根の上の猫」中の挿画(by kei)。

 この頁の中に、「このようなホタルに関する歌は、現在までに俳句や短歌としても数多く知られており、古くは日本最古の歌集『万葉集』にも詠まれていました。」として、以下の歌が紹介されている(太字は小生の手になる):

この月は 君来まさむと 大船の 思ひ頼みて いつしかと 我(あ)が待ち居(を)れば 黄葉(もみちば)の 過ぎて去(い)にきと 玉梓(たまずさ)の 使ひの言へば 蛍なす ほのかに聞きて 大地(おおつち)を 炎と踏みて 立ちて居て 行くへも知らず 朝霧の 思ひ迷(まと)ひて 杖足らず 八尺(やさか)の嘆き 嘆けども 験(しるし)をなみと いづくにか 君がまさむと 天雲(あまくも)の 行きのまにまに 射ゆししの 行きも死なむと 思へども 道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに  音(ね)のみし泣かゆ
                (作者不詳 万葉集 巻十三 三三四四)

 歌意については「生きもの歳時記 - 万葉の生きものたち」の中の当該の頁を覗いてみて欲しい。他にも興味深い記述が見られるし、画像も楽しみ。
蛍なす」については、「この歌は、防人の妻が夫の死を伝えられて嘆き苦しむ悲恋歌で、この中で使われている「ほのか」の枕詞として「ホタル」が用いられています。」と説明されている。

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2006/06/27

蛍は…火垂る? 星垂る? 

 このところ、本ブログのメインのテーマである季語随筆関係の記事を書いていない。その代わりというわけではないが(になるかどうか分からないが)、「無精庵方丈記」にて、連句の試みをしている。
 といって無粋な小生に気の利いた話題があるわけではない。
 実は、今回は、薪(たきぎ)のことをちょっと採り上げようかと思っていた。
 先週末から読み始めている八岩まどか著の『匂いの力』(青弓社)の中で、薪についての興味深い、小生には初耳の知識を得たからである。
(本書については、「匂いの力…貴族のかほり」の中で既に一言、触れている。)

Hasu

→ お馴染み、蓮華草さんに戴いた雨の蓮の画像です。「水玉の音楽」と表現されています。雨が似合うというと紫陽花、そして蓮なのでしょうね。

 小生の下手な説明より、当該の部分を転記させてもらう:

 映画やテレビの時代劇を見ていると、戦が始まり陣を張ると、そのシーンには必ず薪が焚かれているものだ。夜陰に浮かび上がる炎は、緊張感を盛り上げる効果的な舞台装置だといえる。戦陣においてなぜ薪が焚かれるのか。十八世紀、原昌克という医師によって書かれた『砦草』のなかには次のように述べられている。
「湿地に陣を張る時には必ず病を生じるということを、陣取りの心得の第一としなければならない。湿気と不正の気を避けるのに、火に勝るものはない。ことに霧や雨の時には、不断に火を焚くこと。だからこそ、古代の人々は松明を入れた袋を必ず身につけて手放さないなど、さまざまな用意をしていたのである。およそ生き物のなかで人が霊的な存在であるのは、火を生み出したことがその第一の証であるとされている。空き家や、人が長く入ったことがない庭や林、窪んだ地形の底にあるような池、さらには廃寺、古塔など久しく開かれたことのないような場所には、みだりに入るべきではない。もちろん、そこで寝るなどはもってのほかである。そこに存在する鬱陰の気は、人を害するものである。だから十分に火を焚き、煙を立てて、毒虫や悪気を去るべきである。」

 ここでは前後の脈絡を略しての引用なので、文意を十分に汲み取るわけにはいかないだろう。機会があったら、補筆・加筆を試みたい。

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2006/06/26

グリム童話…昔話の深層

手塚治虫作「雨降り小僧」」で民話風な話を採り上げたことが契機で、またまた昔話や童話、民話モノに興味が湧いてしまった。
 といって、今、大部な本を何冊も読み進めている最中なので、すぐには手出しできない。
 なので、ここでは、童話・民話といっても、やや裏読み的な本を(多分、大方の人が知っているだろうけど)を幾つか挙げておくことにしたい。

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 そういった関係の走りというか先駆け的な本を書いたのは、誰なのか、小生は知らない。
 ただ、小生を早くに関心を呼び覚ました作家の本というと、倉橋 由美子著の『大人のための残酷童話』 (新潮文庫)だったかもしれない。そもそも倉橋 由美子の『パルタイ』に刺激を受けたのは大学生になって間もない頃のこと。

 それが、こういう本で再会して、ちょっと戸惑った感もあった。
 本書は出版社の説明によると、「超現実的なおとぎ話こそ、同情も感傷もない完全に理屈にあったもので、空想ではありません。そこにあるのは、因果応報、勧善懲悪、自業自得の原理が支配する残酷さだけです。この本は、ギリシア神話やアンデルセン童話、グリム童話、日本昔話などの、世界の名作童話の背後にひそむ人間のむきだしの悪意、邪悪な心、淫猥な欲望を、著者一流の毒を含んだ文体でえぐりだす創作童話集です。 」で、あくまで創作童話集。
 決して童話論ではない。が、邪道ながら、幼い頃より読み(読み聞かされ)親しんだ童話は、このように読めるし、料理できるという観点・感想を抱かせたのだった。

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2006/06/25

鏡と皮膚と化粧と…白雪姫の謎

 ある事情があって、「鏡 化粧」をキーワードにネット検索してみた(by Google)。
 すると、驚いたことに、「検索結果 約 1,100,000 件中」の3番目に拙稿「初化粧」が浮上するではないか。
「化粧」も「鏡」も、有り触れた言葉だし、その組み合わせも突拍子もないものとは言えない。化粧と鏡はほとんどセットのようなものだし。
 現に110万件の検索結果が如実にその自然な組み合わせを物語っている。
 けれど、何ゆえ、小生の雑文が上位に登場してしまったのか。挿入されている画像群のお蔭か。文章が優れているとか面白いのか。
 
 ある事情が…と書いているけれど、実のところ、「匂いの力…貴族のかほり」の中に、つい浜崎あゆみの広告画像を使わせてもらったので、彼女について、ちょっぴり大人っぽくなった雰囲気を演出していることだし、何かしら小生も本能において思うことがあったのかもしれない。
 演出もさることながら、化粧の力も大きいのだろう。
 別に化粧が濃いということではなく、化粧で以て少女っぽい面を強調したり、最近のように大人の雰囲気を醸し出したりしているのだろうということだ。

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初化粧」から若干、転記する:

 女性が初めて化粧する時、どんな気持ちを抱くのだろうか。自分が女であることを、化粧することを通じて自覚するのだろうか。ただの好奇心で、母親など家族のいない間に化粧台に向かって密かに化粧してみたり、祭りや七五三などの儀式の際に、親など保護者の手によって化粧が施されることもあるのだろう。
 薄紅を引き、頬紅を差し、鼻筋を通らせ、眉毛の形や濃さ・長さそして曲線を按配する。項(うなじ)にもおしろいを塗ることで、後ろから眺められる自分を意識する。髪型や衣服、靴、アクセサリー、さらには化粧品などで多彩な可能性を探る。

 見る自分が見られる自分になる。見られる自分は多少なりとも演出が可能なのだということを知る。多くの男には場合によっては一生、観客であるしかない神秘の領域を探っていく。仮面を被る自分、仮面の裏の自分、仮面が自分である自分、引き剥がしえない仮面。自分が演出可能だといことは、つまりは、他人も演出している可能性が大だということの自覚。
 化粧と鏡。鏡の中の自分は自分である他にない。なのに、化粧を施していく過程で、時に見知らぬ自分に遭遇することさえあったりするのだろう。が、その他人の自分さえも自分の可能性のうちに含まれるのだとしたら、一体、自分とは何なのか。

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連句の新作!

 早くも、連句の新作です。
連句巻く(梅雨・海苔編 2)」を覗いてみてね。

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