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2006/06/24

匂いの力…貴族のかほり

 今週初めから車中で読み始めていた佐藤俊樹著の『桜が創った「日本」―ソメイヨシノ 起源への旅―』(岩波新書)を読了。
「桜」については、小生はこれまでも若干のことを書いてきたが、小生の理解については、特に「坂口安吾著『桜の森の満開の下』」にて示してある。
 が、本書で改めて日本人にとっての「桜」のイメージの位置付け・意義・思い入れを再認識。後日、感想を書く(かも)。

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 とりあえず、出版社サイドの内容説明を載せておく:
 

 桜のなかでも最も普及しているのが、ソメイヨシノです。日本の桜の7~8割がソメイヨシノといわれています。この桜は、近代の幕開けとともに人工的に生み出され、またたくまに日本の春を同じ色に塗り替えていきますが、その中で、この花にまつわる無数の「語り」が生み出され、いろいろな「歴史」を人々に読み込ませてきました。それを読み解いていくと、人々が「日本」や「自然」をどうとらえてきたのかということも、浮かび上がってきます。

 八岩まどか著の『匂いの力』(青弓社)を読み始めた(小生が「匂い」「臭い」関係への関心を抱く理由については、既に書いたことがあるし、今回は改めて書くつもりもないので、気になる方は、「匂いを哲学する…序」や特に「「匂い」のこと…原始への渇望」を参照のこと)。

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 本書は出版社によると、「自然臭を排除し、香料や芳香剤に満たされた現代の生活空間──。しかし古来匂いは生きて匂い死して匂う、存在の証だった。悪霊を調伏する護摩の香りから死や病の匂い、悪臭公害までの「匂い史」をすくいあげ、ダイナミズムを検証する。」と謳われている。
 まだ、読み始めたばかりなので(寝床に入っての睡眠導入剤代わりに楽しみつつ読ませてもらっている)、本書に付いての感想は後日にさせてもらうとして、今日は気になる記述に焦点を合わせる。

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2006/06/23

藤原作弥…香月泰男…蜘蛛の糸

 今、何かと話題の日銀総裁・福井俊彦氏と対比する意味もあるのだろうか、昨夜、NHKラジオから日銀の副総裁を勤められたこともある藤原作弥氏の話が聴こえて来た。
(余談だが、ネット検索で関連情報を探すのに、藤原作弥氏の名前をすぐに思い出せなくて、最初、「藤原咲平」で検索していた。何か、変?! 当然だ。別人だもの!  06/06/25記)
 車中にあって、聞くともなしに聞いていた(まあ、一応は仕事中なので、一心に聞き入っていたとは言いづらい)。
 同氏の父は、民俗学分野の比較言語学研究者で、主にウラル・アルタイ語関係に関心を持ち、フィールド・ワークを常とされていたとか。祖父はジャーナリスト。
縄文東北人の「放浪型」DNA」が、ご自身の自己紹介として面白い。

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← 紫苑さんに戴いたエスカイヤ花束の加工画像です。「ディモルフォセカ」を覗いてみてね。

私の昭和史体験』など参照。
 やがて研究の場は大陸となり満州へ。藤原作弥氏らも父に付き従って満州へ。
 話の内容は、今日は扱うつもりはないが(覚えていないし)、戦争が終わっての帰国の際の辛酸が語られていた。軍やその関係者はさすがに情報が早く、ソ連が日ソ中立条約を破って日本側に宣戦を布告、「9日午前零時を持って戦闘を開始、樺太・千島列島及び、事実上日本の植民地であった満州国等へ侵攻した」ことを知っており、大陸からの撤退を逸早く敢行したが、一般民間人は置き去りになってしまった。
 要するに民間人を遺棄したままに自分たちだけがさっさと逃げ出したわけだ。
 この日本軍の体たらくは沖縄戦と同様のようだ。

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2006/06/22

高島野十郎の周辺

没後30年 高島野十郎展」を見ての感激は、まだ言葉に出来ないでいる。
 ここでは、例によって、表題にあるごとく「高島野十郎の周辺」を辿ってみたい。

 多田茂治著『野十郎の炎』(葦書房)から、いかにも高島野十郎を髣髴とさせる記述を抜書きしてみる:

 落魄した高島野十郎は昭和十年、郷里の久留米へ帰る。生家は次兄(野十郎の弟)健太のものとなっていた。 屋敷の庭の片隅に小さなアトリエを建てる許しを乞い、器用な彼はほとんど自力でバラックのアトリエを造り、「椿柑竹(ちんかんちく)工房」と名づけた。広い庭のあちこちに繁る椿、蜜柑、竹林をそのまま採り入れたものだが、トンチンカン(頓珍漢)にも似た呼称には、四十にして未だ立たずの己れへの、いささかの自嘲も込められていただろう。
 この頃、朝倉郡出身で、中学の図画教師をしていた大内田茂志(しげし。のち芸術院会員)が、友人の姉が重松喜六の嫁という縁があって、椿柑竹工房を訪ねてきた。そのときに見た光景を、大内田はこう語っている。(昭和六十一年秋、福岡県立美術館で初の高島野十郎展カタログ)

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→ 「魚の骨の観察図」(福岡県立美術館蔵)
   細部に渡る緻密な観察と描写。学術名と和名とが付されている。優れた水産学者にも成れた…。

 

 そのアトリエで変わった光景を目にしました。絵の具を伸ばし、キャンバスを二つ折りにして切りとった一方を、壁のところに何枚も張ってあったのです。これはなんだろうと思ってアトリエの内に入ってみると、同じ絵の具を塗られたもう片一方の切断されたキャンバスがありました。「これはどういうことなのでしょう」と尋ねてみました。すると「一枚は室内に、もう一枚は野外で天日にさらして、絵の具の変色の具合を調べているのだ」と言うんです。
 ……こうして油や絵具に対して随分と研究されたからでしょう。この人の絵は今でもちっともひび割れてないし、傷が少ない。先日、有名な修復所にクリーニングに出したところ、そお修復の人が「この人はとても絵具や油のことに精通している」と驚いていました。

 東京帝大水産学科を主席で卒業して、すぐれた生物学者にも成り得た頭脳の持ち主である。それに、とことん物事を突きとめる緻密さもあり、ねばり強い持続力もあった。
                            (引用終わり)

 野十郎は大正と改元された年から帝大生となった。絵に専念できず、恋の葛藤もあったようだが、勉学に励むことも忘れなかった。

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2006/06/21

蝋燭の周辺

 三鷹市美術ギャラリーにて開催されている「没後30年 高島野十郎展」へ火曜日の午後、行ってきた。
 月曜日の営業を二時過ぎにて切り上げ、三時前には帰宅。少々ネット巡りなどをしたあと、寝入り、朝方、「豪戦での審判のこと」を書き上げた(こんな記事を書くつもりじゃなかったのだが、つい)。
 ちょっと睡眠時間が不足しているので、ロッキングチェアーで居眠り。目覚めたら十時過ぎ。最近、マイブームになっているタコヤキで食事。集に二度はタコヤキだ(ホントは三度以上かも)。
 十一時過ぎ、ようやく重たい腰を上げる。このために早退したんだものと、自らを叱咤して。
 バスで大森駅前へ。あちこちのおカネのやりくりを済ませ、電車で東京駅を経由して一路、三鷹駅へ。
 三鷹市美術ギャラリーは駅の真ん前のショッピングセンター内にあるのだ。先月、観に行った「詩人の眼 大岡信コレクション展」も同じ会場だったので、周知の場所。
 但し、その時はバイクで行ったのだが、民間駐車管理制度が始まったこともあり、三鷹駅周辺の管理事情が分からないので、用心の意味もあって、バス・電車の利用と相成ったのである。

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 さて、肝心の「没後30年 高島野十郎展」だが、実に素晴らしかった。
 書籍(多田茂治著『野十郎の炎』(葦書房)←新装版が会場で売られていたので、既に図書館で借り出して読了しているのだが、買ってしまった。本を文庫文も含め買わないという自制が2年と3ヶ月にして、ついに破られた格好に。でも、これは例外だ!)やネット、パンフレットなどで高島野十郎の画の数々を観てきただけで、実物を観るのはまさに初めてなのだが、やはり実物は凄い。溜め息の連続。口をあんぐり開けて見入るばかり。
 会場での感激は、実物に会えるということもあるが、書籍などで紹介されていた以外に、想像以上の数の小生には未知だった傑作たちと出会えたことも大きい。

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2006/06/20

豪戦での審判のこと

 クロアチア戦での引き分け。負けなくてよかったのか、勝てるチャンスを逸してしまったのか。
 いずれにしても、ブラジル戦が楽しみになった。

 サッカーにおいてある選手の行為がファウルかどうかは、審判が決める。
 そしてその判定は基本的に覆ることはない。
 また、一旦、下された判定が覆ってもらっては困る。有利、不利の如何を問わず。
 同時に、正式な審議の場以外では、あの判定は誤りだったとか、間違って不利な判定をしてしまった相手チームの誰彼に試合の後でだろうと、安易に謝るのも余計なことだろう。内心、どれほど忸怩たる思いがあって、謝罪したいと思っていても。

 どの誤審のことを念頭においての話か、言うまでもないだろう。
 ドイツW杯で日本代表が残念ながら1-3と敗れた12日のオーストラリア戦での前半の中村俊輔選手の得点のことだ。中村俊輔選手が彼らしい鋭い軌道を描くセンタリングをオーストラリアのゴール前に放り込み、そのボールを目掛け、相手GKシュワルツァー選手がパンチング(あるいはキャッチングか)を試みようとした…が、日本の選手(柳沢敦選手)らと交錯(実際には結果的か意図的かは別にして、柳沢選手の体の入れ方の)した結果、中村選手のセンタリングがそのままゴールインし先制点となった。

 本当かどうかは分からないが、「GKシュウォーツァーによれば、この試合の審判を務めたエジプト人のエッサム・アブデルファタ主審が、中村俊輔のゴールは誤審だったと謝罪したという」。
 彼に拠ると「この審判は試合後、主将のビドゥカと言葉を交わした際、「最終的にオーストラリアが勝ったので、神は自分の側についている。(自分の審判は)最終的に結果に悪い影響を与えなかった」と話したという」のである。

 日本人のサポーターは、試合会場の人も、テレビなどで観戦している人も先取点となった得点を(素直に?)喜んでいた。が、あの得点シーンをビデオで見る限り、あれれと思った人もいたのではないか。

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2006/06/19

手塚治虫作「雨降り小僧」

 日本対クロアチア戦、惜しかったね。負けなくてよかったけど、勝つチャンスもあった!

 坪内 稔典氏著『季語集』(岩波新書 新赤版)を読んでいたら、懐かしい漫画に出会った。
 再会というと大袈裟かもしれない。内容を読んで、ああ、そんな話もあったっけ、という程度なのだし。
『季語集』の「雨ふり小僧」なる項の冒頭には、「雨が続いてなんとなく憂鬱な日には、手塚治虫の漫画『雨ふり小僧』を読むとよい。心が晴れる」とある。

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→ 手塚治虫『雨ふり小僧』(1975/09 「月刊少年ジャンプ」(集英社)読切) (画像は「Tezuka Osamu @World -雨ふり小僧-」より。ホームページ:「TEZUKA OSAMU @ WORLD FOOTER」) 手塚治虫さん(について)のホームページ:「Tezuka Osamu @World -トップページ-

 内容は、「雨降り小僧 - Wikipedia」によると:
 

戦後のある時期の日本。 おばけの雨降り小僧は、いじめられっ子の少年と仲良くなり、その願いを聞き入れてやる。その見返りに、雨降り小僧は少年と同じ長靴を要求するが、少年は突然の引越しで約束を果たせなくなる。それから数十年たって、かつての少年は大人になり、急に約束を思い出した。あわてて雨降り小僧の下に駆けつけると、小僧はボロボロになりながらも少年を信じて待っていた。そして……。

 おばけの雨降り小僧がいじめられっ子のモウ太に聞いてやった願いがどんなものか分からないと、興味が半減する。

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2006/06/18

「連句しましょ(梅雨編)」巻いた!

連句しましょ(梅雨編)」をアップしました。
 梅雨の雨の降り続く中、吉兆順兆凶兆の三人で数時間を要して編んだ連句(?!)です。歌仙(「三吟歌仙」)の真似事を試みてみたものです。
 一読の価値はあるかどうか分からないけど、今日の日本対クロアチア戦、見る人も見ない人も、御笑覧あれ、です。 

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ヴォルス…彷徨う線刻の美

 今、こうして今日のブログに何を書き綴ろうかと考えるけれど、頭の中は雲をつかむようで、漫然たるばかりである。ふと、脇に置いてある「詩人の眼 大岡信コレクション展」の図録をパラパラと捲る。
 コレクションされている作品の数々を眺めていると、その大半の作家の作品を展覧会で、あるいは少なくともその会場で買い求めた図録を通して馴染みになっていることに改めて意味もなく驚いてしまう。
 それは何も小生が知る作家の数が多いということではなく、逆に小生の関心を抱く程度の作家など、大岡氏の関心の領域のごく一部に留まることを意味しているに過ぎないと承知しつつも、ついつい勝手ながら、自分の好きな作家の作品を怠惰で腰の重い小生の代わりに集めてくれていると、思ってしまったり。
 まあ、ファン心理という奴なのだろう。
 で、当然ながら図録の中にあるはずだと思っていた、フォートリエ、そしてヴォルスの作品を探した。
 フォートリエはある。フォートリエが来日した際に、大岡氏に与えた女性のヌードを描いたというデッサン。
 が、ヴォルスはない。
 あれ? という感じ。
 考えてみたら、そうだった。基本的には大岡氏が交流の輪の中でコレクションしてきた作品で、大岡氏はヴォルスとは直接の関わりを持ったことはないのだろうし。

 小生が好きな画家の名を一人、挙げるとなると、オディロン・ルドンパウル・クレーハンス・ベルメールジャン=ミシェル・バスキア、それともジャン・デュビュッフェアントニ・タピエスかなと思いつつも、やはりヴォルスである。
 彼らに共通するのはある種の音楽性でありメロディだろう。ジャン・デュビュッフェはちと違うが。

 それにしても、ヴォルス…。その過激で野蛮なまでの繊細な詩情は鮮烈過ぎる。

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