« 2006年5月14日 - 2006年5月20日 | トップページ | 2006年5月28日 - 2006年6月3日 »

2006/05/27

加齢臭だってさ

 サイト巡りをしていたら(在宅の日は、最低でも数十個はサイトを巡る)、あるサイトの記事の中に「nlog(n) 加齢なる日々の始まり」という題名があった。思わず、クリックして覗き込んでしまった。なかなか興味深い、というか、同病相哀れむというか、読むほどにしみじみしてしまった。
 記事のテーマのキーワードは「加齢臭」である。

 小生、別に反論ということではなく、「加齢臭」なる言葉を生み出した当該の対象、同時にこうした言葉が堂々とまかり通ってしまう世の中に義憤を感じて(?)、以下のようなコメントを書いた:
 加齢臭という名称には違和感があります。いかにも化粧品会社の化粧品を売り込むための戦略が見え見え。
 年を取ることに対する偏見を助長しそうな気がする。
 皺が増え、肌が荒れ、髪が白くなり、体が弱くなる。そういった自然の加齢現象をもっと尊重していいのでは。
 って、こんなこと言っても、負け惜しみですかね。女性陣は聞く耳を持ってないんだろうな

Rengemomiji

→ 話題が話題なので、せめてもの一服の清涼剤というわけじゃないが、蓮華草さんに戴いた「椛の種が、色づいて…」という画像を。恥ずかしながら、「椛」は「もみじ」と読むらしいことを初めて知った。但し、「紅葉(もみじ)」との異同が分からない。多分、漢字表記の違いだけだと思うのだけど。

芽吹く葉に浴びる日さえも目を細め

 まあ、反論にもならない、加齢臭の元と名指されるやもしれないことに危惧する男の、ただの愚痴に過ぎない。
 さて、こんな記事に敏感になるというのも、今朝、仕事の明けに会社で集会があったからかもしれない。
 昨日の午前から始まった仕事が終わったのが今朝の6時半頃。少々、仮眠を取って、8時半前から組合主宰の話が少々、直後に会社側主宰の集会が始まった。
 タクシードライバーの休憩所となっている広い部屋に集まる面々…。
 小生は今年、誕生日を迎えて52歳となっているのだが、この小生が若手に入るのだから、恐れ入ったか、である。

続きを読む "加齢臭だってさ"

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006/05/26

タンブル・ウィード…風転草

 小生は、失業時代の94年に「スパニッシュ・モス」と題した900枚ほどの小説を書いたことがある。書き上げた分については300枚のまとまりで3部構成になっていて、あと1部300枚書いて4部で完成というところで、失業保険の給付も途絶え、時間切れに終わった幻の作品。
 手元には900枚の原稿が空しく残っている。

 この作品の題名の「スパニッシュ・モス」は、知らない人には珍しい名前かもしれないが、観葉植物に興味のある人だと、あるいは、ああ、あれか、ということになるかもしれない。

Salsola_tragus5_1

→ これは、「タンブル・ウィード (ロシアアザミ、回転草)

 念のために画像を示しておくと、「Spanish moss スパニッシュ・モス」がいいかも。
 冒頭に、「スパニッシュ・モスは木に着生する植物です。木の枝の至るところから白いボロ切れみたいにぶら下がるので、木全体をお化けみたいに見せます。昼なお暗い湿地などで、こういう木々に取り囲まれると恐い思いをするでしょう。」という説明がある。
 ホント、広い砂漠で一人、こんな光景の只中にあったら、心は荒廃するかもしれない(あるいは人によっては反ってノビノビするかもしれないが)。
「スパニッシュ・モスは木に着生する植物」ということで、「エアー・プラント」(又は、「エアプランツ」)という一般的な呼称で呼ばれる植物の一種である。
「「モス」という名にかかわらず、スパニッシュ・モスは苔(コケ)ではなく、寄生植物でもありません。根は無く、水分は空気中から、養分は漂う塵から採るのだそうです。湿気の多いところでないと生きていけないわけです。」というが、小生、「水分は空気中から、養分は漂う塵から採る」という点にイメージが掻き立てられ、小説の題名に採ったわけである。

続きを読む "タンブル・ウィード…風転草"

| | コメント (4) | トラックバック (2)

2006/05/25

読書拾遺…樹の花にて

 あと一時間ほどで仕事も終わろうという、今朝の未明、「日本一遅く咲く桜として有名」だという「千島桜」の話題がラジオから聴こえて来た。
 小生には(多分)初耳の桜。桜の好きな人、旅の好きな人なら知っているのだろうけど。
 ネットで検索してみると、「根室見所情報室 千島桜 18年5月22日の状況」という頁が浮上。画像ではほぼ満開となっているが、ラジオの話は今朝だから、今日など転記も良さそうだし、目一杯に咲き誇っているのだろう。
根室見所情報室 千島桜 開花状況! 平成18年5月12日~」を覗くと、つぼみの状態から徐々に芽吹く様子が画像を通して愉しむことができる。
「千島桜」は、「高さ1~5m、直径5~10cmぐらいになる落葉低木」とのことで、画像を見ても、本土の桜並木とは明らかに雰囲気が違う。気候風土が違いを齎したのだろうか。
 目に付く違いは花びらにもあるようで、「花の径は2~4cmで花びらの先はわずかに凹んでいる」のだとか(太字は小生の手になる)。

Kikuti1

→ 樹の花の香り漂う銀座かな

 東京では、昨日は午前中から午後にかけては晴れていて暑いくらいだったが、午後の四時前から一気に天候が急変。雷雨となった。そのため、普段はタクシーを利用されない方も乗られるということで、やたらと忙しい一日となった。さすがに本は読めない。
 それも、夜半を二時間ほど回ると、雨も峠を越し、仕事も落ち着いてきた(暇になってきた)。

 開くのは本。水曜日に持ち込んだ本は、菊地信義氏著の『樹の花にて』(白水Uブックス―エッセイの小径)というちょっと変わった題名の本。

続きを読む "読書拾遺…樹の花にて"

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006/05/24

加藤楸邨と隠岐と

詩人の眼 大岡信コレクション展」では、個々の作家に深入りはしなかった。
 せっかくなので、折々、このコレクション展で展示されていた作家たちのうちの誰彼に触れていきたい。
 今日は、表題にあるように、加藤楸邨である。
 なんといっても、このブログサイトは、「国見弥一の季語随筆読書創作日記」と銘打っていて、筆頭には季語随筆となっている。当初は、俳句に関係する記事を綴るつもりだったが、だんだん、欲が出たというか話題が広がって、今では「季語随筆読書創作愚痴日記」と相成っているのである。
 一昨日も「三鷹市美術ギャラリー カレンダー」なる頁を参照したが、小生はどのような方々との交流があるのかは知らないで会場に行ったので、まさか俳人の加藤楸邨とも交流があり、同氏の作品とのコラボレーション作品が展示されているとは思わなかった(小生の想像力の貧困を物語っているに過ぎないけれど)。

 加藤楸邨との交流を示す作品群の脇には大岡信氏によるコメントが寄せられている(文中の「花神社」とは出版社名):
 前から、藤原俊成の和歌や加藤楸邨の句に付け句をしていたので、そのうち五編くらいを持って大田区の楸邨さんを訪ねました。花神社の大久保憲一君が連れて行ってくれました。楸邨さんは友人の安東次男の俳句の師匠でしたし、その句風からも、親しい気持ちを持っていました。楸邨さんは、すばらしい筆や硯をお持ちで、いつもそれを使わせてくれて、いくつか僕もいただきました。竹をささらにした筆などもあって、それを使って、宇佐美爽子さんの絵に僕が字を書くという試みをしたこともあります。

 さて、どんな連句の試みが展示されていたのか、その全てを紹介はできない。以下、二つだけ。
 前者(のんのんと)は、「三鷹市美術ギャラリー カレンダー」に画像が載っているので、雰囲気を感じてもらいたい。

 のんのんと馬が魔羅振る霧の中   楸邨
        差す手引く手も魔羅もまぼろし   信

 牡蠣乃口も開かば月さし入らむ   楸邨
        りんりんと鳴れ舌も潮も   信

続きを読む "加藤楸邨と隠岐と"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/23

紫と言えば醤油!

紫陽花の花言葉は…移り気」なる記事に興味深いコメントを戴いた。内容はコメント欄をどうぞ。
 小生は、戴いたコメントに以下のようにレスしておいた:
 そう、紫陽花はまさに淡い中途半端な色合いですね。固執執着しないが故に移り気なのか、それとも(花びらの色合いは、土壌の酸性度に敏感に反応してのものだという事実を鑑みると)目の前の現実(土壌、相手)に固執するが故に次々と目前の相手に惚れ賛美するから、(その浮気っぽいかのような行動が他人には)移り気に見えるということかもしれないですね。

 濃い紫は、特に日本においては尋常な色とは看做されていない。古代だと高貴な色であり、神秘の色、一般人には使いこなすのが難しい色でもあったような。
 現代だと、紫色のボディの車に乗っているのは、高貴な人じゃなくて、大概、暴走族まがいのチンピラだしね。
今、映画で話題(?)の「イエス・キリストはその死に際して、紫の衣をまとわされていた」とか(古代ローマでは王が死の時は紫の衣を纏う)。
 色の事は、人の気持ちを昂ぶらせるものですね。

 あ、そうそう、今朝、バイクでの会社からの帰り道、路肩に今の時期にしては珍しく鮮やかな色合いの紫陽花を発見。あまりに意外で、思わずハンドルが取られそうになった!

 このレスを書いていて、ふと、そういえば、なるほど、紫陽花という花の名前の中にも含まれる「紫」について調べてみるのも面白いかとネット検索しようと思った。
 けれど、「紫 - Wikipedia」にて話は尽きているような気がする。
 あるいはここから話を膨らませるのも楽しからずや、だが、「江戸紫」という言葉や、それ以上に「筑波山の別名は「紫峰」である。これは、紫に霞む山裾に因んでいる。又、昔は醤油が「紫」と綽名されたが、これは筑波山に因んで「紫」というブランドを付けた事が始まりらしい。」という記述にビビビと来た(太字は小生の手になる)。

続きを読む "紫と言えば醤油!"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006/05/22

詩人の眼 大岡信コレクション展

 久しぶりの晴れ。風もそよ吹くようで、土曜日のように午後、遅くになって急変する予感も漂っていない。気温は25度以上だったと思う。
 そんな陽気に誘われて、それとも誘い出されて、「三鷹市美術ギャラリー」へ行って来た。
 会期が残すところ一週間となった「詩人の眼 大岡信コレクション展」へ足を運んだのだ。
 家を出たのが遅くて三時半を回っていたか。バイクで一路、三鷹へ。駅の周辺で会場を探すのに手間取り、会場に入ったのは四時半過ぎだったろうか。
 この頃、外出というと、帰省も含め電車を使うので、バイクでのクルージングは快適だった。吹く風が心地いい。

200605222015121

→ 壁の悪戯書き…じゃない!
 
大岡が活躍を始めた60年代とは文学、音楽、美術がそれぞれの狭い垣根を外して立体的に交錯した時代でした。そのような中にあって大岡は国や分野をはるかに超え出てあらゆるジャンルの芸術家と出会い、幅広く交流し、互いに触発し合い時代の空気を共有してきたのです。そして数多くの共同制作をも生みだし、大岡の手元には400点を超える作品が残されてゆきます」という。コレクションの数だけなら、もっと凄い人は日本に限っても少なからずいるに違いない。
 が、凄いのはその所蔵する数よりも、その作品の良質なこと、否、それよりも、どの作品も大岡氏が交流する過程で貰ったり買ったりしたものだという点である。大岡氏へ、と名指しで寄贈された作品もサム・フランシスを始め、何点もある。

続きを読む "詩人の眼 大岡信コレクション展"

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006/05/21

生命の起源 地球が書いたシナリオ

 中沢 弘基著の『生命の起源 地球が書いたシナリオ』(新日本出版社)を読了した。
Originnakazawa1

 車中で読むには嵩張るし、興味津々の話題を扱っているので、読みかけの本を差し置いて、一気に読んでしまった。

 版元である新日本出版社による紹介は、以下の通りである:
「生命は地下で発生し海に出た――依然、謎とされる「生命の起源」にまったく新しい観点から挑む探求。完全な無機世界からの有機分子の出現、生命の発生は、いつ、どのように起きたのか。解く鍵は、46億年のダイナミックな地球の歴史にあった。「太古の海は生命の母」という常識がくつがえる豊かな世界が見えてくる。 」
 この頁には、目次も細目に渡って載っているので、勘のいい人なら目次をつらつら眺めるだけで本書の概要が分かるかもしれない。

 著者の中沢 弘基氏に付いては小生は本書を手に取るまで全く未知の人だった。
 が、「生命の起源・地球が書いたシナリオ 紀伊國屋書店BookWeb」によると、「物質材料研究機構フェロー、1940年長野県生まれ。元東北大学大学院理学研究科教授、元無機材質研究所総合研究官、特別研究官、元日本粘土学会会長。主な受賞など―日本結晶学会賞(1978)、科学技術庁長官賞(1986)、井上春成賞(1992)、日本発明協会発明賞(1999)ほか。紫綬褒章(2000)」とあって、実績も業績もあって(本書の奥付けにある紹介もこの程度の著者紹介である)、その筋の人なら知らない人はいないのかもしれない。

「生命の起源」はいずこにありや、いかにして成るや、についてはこれまでも様々に語られ研究もされ、仮設も立てられてきた。

続きを読む "生命の起源 地球が書いたシナリオ"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2006年5月14日 - 2006年5月20日 | トップページ | 2006年5月28日 - 2006年6月3日 »