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2006/05/06

草むしり

 夕方近くになってまた自転車に乗って海鮮市場へ買い物へ。
 今夜の分と明日の朝食のためのあれこれや乾電池、お菓子などを買って、いつもの道を自転車で走って帰ったら、富山ライトレール線(旧富山港線)の踏み切りに差し掛かったところでカンカンと踏み切りの音が聞こえてくる。
 電車だ。その名もポートラムだ。絶好のタイミング。
 電車が踏み切りを通り過ぎると、踏み切りの棒が上がる。
 電車は踏み切りの直後に上り下りのホームがある。電車は駅に止まっていて、客の乗り降り。
 絶好のシャッターチャンスだとばかりに携帯電話をポケットから取り出し、止まっている電車を撮った。
 急いでいたことと、ズームしたこともあり、やや画像のピントが甘いが、ま、仕方ないだろう。

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→ 富山ライトレール線を走るポートラム!

 今日は三食の準備と片付けのほか、草むしりをやった。父がタマネギを植える畑の区画周辺を小さな移動式の腰掛に腰を下ろしながら鎌を手にやっているので、黙ってみているわけにいかない。
 決して広いわけではないが、庭や畑などを合わせると少々の土地がある。野菜類を植えない場所は除草剤を撒くが(以前は除草剤を撒くことを知らなくて、庭もせっせと草むしりしていたっけ)、タマネギ、チューリップ、ナス、キュウリなどを育てるエリアは、小まめに草刈、草むしりするしかないわけだ。
 草むしり。当然、雑草を刈るわけである。
 けれど、雑草とは状況によるもので、路傍に咲いていたなら可憐な紫露草 (むらさきつゆくさ)も、タマネギ畑のフィールドで咲かれると、雑草扱いせざるをえない。もう少し、ほんの少し違う場所で咲いていてくれたなら、引っこ抜いたりせずに済むのだけれど。
 何が雑草で何がそうでないのか。結局のところ、人間の我がまま勝手が決めると言うことか…。
 そういえば、路肩や中央分離帯などグリーンベルトの植物としてよく使われるツツジのことを好きだと、あれこれ綴ってきたが、そもそもその場にあって動くことの侭ならない植物の花や葉っぱについてあれこれ思いをめぐらしたことがあったっけ。

 草むしりといっても、普段は小生がするわけじゃない。大概は父が、あるいは可能な時は嫁いでいる姉が来てやる。
 今は五月の初めだが、梅雨が来ると、雑草はうんざりするほど生えてくる。
 梅雨が明けると夏。
 夏は夏で炎天下での草むしりは難行苦行となる。麦藁帽子を被っているけど、辛さに変わりはない。蚊も纏いつくので、蚊取り線香は常備する必要があるし、虫除けのスプレーも使ったりする。
 小生は、帰省の折に、気まぐれに草むしりするだけ。
 その前は、草むしりなどしたことがなかった。父や母が小生がいない間、せっせとやっていたのだ。
 父は田圃や樹木の世話を主にやっていて、母は畑や植木、草花の世話をするという役割分担があったから、普段、草むしりはほとんど母が炊事やその他の仕事の傍ら、時間を見つけてはやっていた(他にも習っている民謡の腕(三味線と歌)を生かすべく、福祉活動で仲間と一緒に福祉施設を回る活動などもやっていた)ようである。
 小生にしても、そんな父母の姿を気付かない筈がないのだが、生来の怠惰さと勘の鈍さがあって、分かっていても気が回らない。頭が動かない。
 そんな人間なのである。ボーとしているばかり。何を考えるわけじゃないのだが、我ながら自分が掴めない。

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芝浦のこと、「城の崎にて」のこと

 小生は78年の春に陸奥(みちのく)の杜の都・仙台から上京してきた。三年ほど落合近辺でアパート暮らしをしたあと81年の三月末から高輪へ引っ越した。
 早々に哲学や文学への自分の能力に見切りを付け、港区は海岸にある会社に勤め始めたのである。それは当時としてはその辺りでは目立つ大きな倉庫の一角にあった。倉庫の屋上にはへリポートがあるから、尚のこと、目立ったものである。
 思えば、天気のいい日など、屋上で運河を眺めたりして日向ぼっこなどしたものだった。へリポートは屋上の更に上にあって立ち入ることはできなかったが。
 会社が港区海岸にあるから、住む場所も歩くかバスで通える範囲ということで物色しようと思ったら、ひょんなことから高輪のマンションの一室が紹介されたのである。狭い部屋だったが八階建ての八階にあったので、当時だと、それなりに高い建物で、眺めも良かった、と書きたいところだが、目の前に都営の巨大な団地が何個も並んでいるし、しかも、それらはやや高台になった地の上に建っているから、眺望を阻まれるような圧迫感があった。
 すぐに馴れたけれど。
 
 さて、地図を見ればすぐに分かるが、会社のある海岸に向かうには芝浦という地を経由する。会社の最寄り駅というと、山手線の田町駅か品川駅なのだが、小生の住む一角からはバスの運行ルートからしても田町駅が一番利便性があるということになる。
 入社した当初はバイクもなく、バスを利用しての通勤となった。
 バスは自宅からは田町駅まで行く。そこで高架ともなっている駅の改札口脇を渡り抜け、駅の裏に出る。そこが芝浦である。
 駅の裏。当時は、まさに駅の裏だった。うら寂れたような、場末の感が濃厚だった。屋形船の店があったり、ポツポツと建物があるのだが、目立つのは倉庫だった。田町駅から海岸にある倉庫へ歩いていくと、途中、運河の支流に渡された橋を幾つか越えることになる。
 溝(どぶ)臭くて、水は濁っているし、橋も古臭く、場末の雰囲気が濃厚だから、映画やドラマの撮影によく使われた。撮影の場に遭遇することもしばしばだった。主に刑事モノ、犯罪モノドラマで、人影の疎らな寂れたような、何処か荒んだかのような、この町に紛れ込んだなら、たまに見かける人はみんな訳ありなような、そんな雰囲気は、横浜の埠頭とか、芝浦や海岸の埠頭と並んで人気の撮影スポットだったのである。
 そんな芝浦を抜けて更に駅からは遠い、海辺(正確には運河縁)に近い海岸へ歩いていく。あるいは相乗りする乗客も疎らなバスに揺られていく。
 なんだか、ものを書くことを諦めた人間の遺棄場所のようでもあった。自分でそのように落ち込んでいた。

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2006/05/05

青いチューリップ

 帰省している。今日は町ではお祭りの日。神輿を担いで回る声が聞こえてくる。写真を撮ることができなかったので、昨年の画像を。

 我が家の庭は今、チューリップが満開。これ以上ないほどに咲いている。おりしも、砺波市では連休の時期に合わせてだろうか、チューリップフェアが開催されている。
 そこで今日は歳時記上は初夏だけれど、春の花チューリップを採り上げる。富山や新潟では平野部だと今が旬の花だし。実際、両県の県花でもある。

Sionreye

→ おなじみ紫苑さんから戴いた画像です。お庭は花盛りだとか。近々ピンクの額紫陽花の画像も届けてくれるというから楽しみ。
 ところで、この花の名は?

 ネットで検索してみたら、いきなり野の花Stepping Out チューリップ (鬱金香)」なる頁が登場した。
「名の語源は、ペルシャの古語の「tulipan(頭巾)」トルコのオーストラリア大使が 花の名前を聞いた時 ターバン(チュルバン)に似ていると答えた通訳の返事から。」と、小生の好きな話題、語源の話が載っている。
 そう、画像の豊富な「毒草:チューリップ」なる頁にもあるように、「チューリップといえばオランダですが、もともとはトルコの花でオランダ同様国花にもなってい」るのだとか。

 チューリップの投機が過熱しすぎてオランダを滅ぼしかねなかったという話は有名なので、今回は割愛する。そのうち、俎上に乗せてみるかも。

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2006/05/04

ポートラム!

庭のチューリップと衣更えと」で書いたけど、夕方、夕食や明日の朝食のための買出しに行った。その帰り、ポートラムの駅舎脇を通るので、電車を待ち受けて、パチリ、パチリ。五枚目を撮ったら、バッテリーが切れてしまった。

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 ポートラムのことは、「帰省の列車から」などにて簡単に説明してある。
 来年の秋(?)までは大人は百円、子供は五十円という乗車賃。今が乗り時だ!

 携帯電話のカメラ機能で撮るので、撮るのはともかく、画像の保存に若干の時間を要し、電車の近影をタイミング良く撮影、というわけには行かなかった。電車の運転士やお客さんたちにジロジロ見られて、ちょっと恥ずかしかった。
 驚いたのは、お客さんが一杯で、席は埋まっているのは勿論のこと、立っている方もいたこと。
 でも、一両編成だからね。バスの電車版みたいなもの。
 風景に溶け込んでいるようで、キャワイイ! 
 英語で言うと、キャイーンってか。

乗る人も撮る人一緒にキャイーン


[ この、「富山ライトレール」の「ポートラム」については、「富山 女二人旅 ~ライトレールに乗って~ 小川もこ&FMとやまアナウンサー・田島悠紀子のやじきた旅日記~【YAJIKITA ON THE ROAD】」が読んで楽しいし画像も情報も豊富。
 沿線にはさまざまな、ややローカルな名所(観光地)があるが、この記事では終点の岩瀬近辺についてのレポートが載っている。
 しかも、この記事、レポーターが可愛い女性二人組! 
「流線型の車体と大きな窓がヨーロッパの雰囲気を漂わせていてオシャレ」な外観。実は、「車体デザインは、成田エクスプレスでデザイン賞を受賞した「チームGK」が手がけている」ことを初めて知った。乗っていても、オシャレで乗り心地も滑らかでグッド。
 富山駅の南側も工事が始まって、やがては北側と繋がる、その日が早く来ることを願う。(06/10/03 追記)]

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庭のチューリップと衣更えと

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 田舎の我が家の庭に今を盛りにと咲き誇っているチューリップ。
 我が寓居の机にも3輪のチューリップが籐の花瓶に生けられている。

 もう、十年ほどの昔、富山は礪波市のチューリップフェアにお袋を連れて行ったことがあったな。
 その頃はお袋も歩くのも達者だったし。
 今は小生が歩くのがしんどくなっている。
 それでも、昼前は姉と一緒に炬燵を片付け、居間の大掃除。炬燵の上掛け類をコインランドリーで洗濯。持ち帰って庭で干す。今日は快晴なので、気分良く部屋の衣更えだ。
 ただ、今日の午前まで炬燵に入っていただけに、体の弱いお袋には炬燵なしでは寒く、灯油のストーブに頼ることに。
 夕方は自転車に乗って買い物へ。夕食の準備と世話。洗い物。
 そうそう、買い物の帰りに、ポートライナーの駅前を通ったので、電車の来るのを待ちうけ、雄姿をパチリ

咲く花に面影探しただ見入る

衣更え母の監督背に受けて

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お知らせ

落句拾遺 4-2」アップしました!

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2006/05/03

帰省の列車から

 画像は、帰省の列車中から撮ったもので、そろそろ越後湯沢に到着かなという場所からの景色。窓に車内の模様が映っていて、外の様子が分かりづらいけど、遠くに雪の残る連山が見える。
 窓に映る弁当は小生のものじゃなく、お隣の男性のもの。
 小生は、自宅で炊いたご飯が余ったので、でっかいおにぎりを作った。中には梅干を三つ、外には焼き海苔を二重、三重に巻いて。
 海苔が分厚すぎて、食べるのに難儀したけど、案外と美味しかった。
 これが小生のおにぎり作りの初体験なのだった。

 おにぎりの我が手に余るでっかさよ

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 そうそう、列車のお供に、本は当然、持参している。
 一冊は、菊池寛著の『真珠夫人』(文春文庫)、一冊は、マーカス・デュ・ソートイ著の『素数の音楽』 (冨永 星訳、新潮クレスト・ブックス)である。
 前者は、割合と最近(もう昨年?)、テレビドラマ化されたから、題名を知っている人は多いだろう。昔の大ベストセラーなのだね。
 後者は、「世界で最も乾いた土地」の末尾で若干、触れているが、後日、改めて紹介するかもしれない。面白い。数学(数式)が苦手な人にも楽しめるように叙述する技術に欧米の学者はホント、長けているね。
 出版されて十ヶ月にもならないのに(図書館の蔵書になってからは、当然、もっと短いはずだ!)、本はかなり手垢が付いている。
 ということは、相当、借り出され読まれているということを意味するし、たまたま図書館で物色していて発見できたのは運がよかったということか(実際、数学の本のコーナーは行けば必ず物色するが、目にした記憶はない。素数というのは、小生のお気に入りのテーマだし、見逃すはずがないのだ!)。

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世界で最も乾いた土地

 アリエル・ドーフマン著の『世界で最も乾いた土地―北部チリ、作家が辿る砂漠の記憶』(水谷 八也訳、ナショナルジオグラフィック・ディレクションズ、早川書房)を読了した。
 静謐なる感動を覚えた…と書きたいが、何処か茫漠たる、掴みどころのない憤怒のようなものも、感動という大河の底で渦巻いているようでもある。苦い読後感。

 本書については、「久々の読書拾遺」の中で既に若干の紹介を試みている。
 再度の転記となるが、レビューが簡潔に梗概を示してくれているので、以下、余談を綴る前に、一読しておいていいだろう:
「ノルテ・グランデ―チリ北部の砂漠地帯は一滴の雨も降らない世界一乾いた土地。すべてを砂漠で覆い、過去をも腐食させることなく保っているそこで目にするのは世界最古のミイラ、南北アメリカ大陸最古の足跡、かつて権力者たちが覇権を争った硝石鉱山、一時の夢のように花咲いた工場街の跡、そしてピノチェト政権によって親友が銃殺された現場…。旅はいつの間にか、砂漠の近代史、人類の歴史、さらには生命の起源をも現在に重ねた時間を巡る壮大な瞑想となっていく。無尽蔵に貯め込まれた“砂漠の記憶”が紡ぎ出す過去と未来から垣間見える現在の意味とは…。 」
 この「南米チリで1万3千年前の人間の足跡の化石が発見された」のも、「世界一乾いた土地」柄の賜物なのだろう。
 本書は人類史に近代史、そして現代に生きる人々の亡くなってしまった人々、殺されてしまった人々への思いとが幾重にも重ねられて綴られている。
 人は今に生きているし、これからを生きるのだけれど、過去のない人はいないし、まして過去を引きずらない人などいない、ある程度以上の年代の人でそうした人がいたら、むしろ怖いくらいのものだろう。
 作家のアリエル・ドーフマンは、独裁政権によって惨くも殺されてしまった親友の、あるいはそのほか多くの語ることのない、語りえない、あるいは空漠たる虚空に叫んだであろう言葉と思いを今を生きている人々の伝手(つて)や思い出を頼りに探り出そうとする。
 その結果、何が見出されたか…。
 本書はカフカの城のような迷宮を壁伝いに、痕跡を糸口に、尋ねまわり、少しずつ、あるいは思いがけない僥倖に恵まれて一気に、真実が見出されるその過程こそに味わいを求めるべきなのだろう。

 小生などの感想など脇に退けておいたほうがいいだろう。
 それより、例によって余談である。

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2006/05/02

2005年05月の索引…富山情報…浅野総一郎

 このところ恒例になりつつある月初めの索引作りだが、今月はちょっと変則的だが、索引の頁は2日になって作成することになった。
 例によって昨年の五月の目次・索引である。
 決して今年の五月の索引でも目次でもない!(今年の五月は、これから書く…はずだ!)
 今後とも、基本的に月初めには前年同月の索引・目次(内容)の頁を提供するつもりである。

「青葉繁れる…目に青葉」(「青葉茂れる桜井の」や、小説「青葉繁れる」、「目に青葉…」など 2005/05/01
「五月雨…一期一会」(語義探索 2005/05/02
「立夏…幻想の未来」(カール・セーガン著『百億の星と千億の生命』 2005/05/06
「夏の蜘蛛」(「我が友は蜘蛛!」後日談 2005/05/07
「梅雨の話じゃないけれど」(カメママさんとのこと 2005/05/08
「若葉雨…桜若葉」(ライダーズハイとは 2005/05/09
「五月闇…回り道」(2005/05/10

 富山は、「北陸新幹線の富山駅周辺高架化工事が本格的に始まり、富山市は新幹線開通に向けて大きく変わろうとしている」とかで、この数年で駅周辺を中心に市街地の風景が大きく変わりそうである。

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雨上がりのツツジ

 野暮用があって、雨模様の中、バスで大森駅前へ。
 雨模様と書いたが、自宅を出た時点では、幸いにも小ぬか雨になっていたので傘を持たずに出た。
 手には過日、某所で拾った塩野七生著の『ローマ人の物語 1』(新潮文庫)を持って。駅のみどりの窓口で切符を買う必要があり、どうせ待ち時間があるだろうからと、用心のために持っていったのだ。

 所要を済ませ、帰途は徒歩で。途中、図書館に寄ろうと思ったから。
 そこで一休みすれば、疲れることもないだろうし。
 前日の月曜日も図書館に行ったのに、連日、行くのは、小生が勉強好きだからでも、本の匂いが好きなわけでも(嫌いじゃないが)、図書館の女性たちの働く姿を見たいからでも(見たいのは山々だが)なくて、月曜日に予約した二冊の本のうち、一冊が早くも翌日の今日、届いたという連絡を昼過ぎに貰ったからだ。
 ならばと読了していた一冊を手に図書館へ。

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 届いた本とは、志治美世子氏著の『逆癒しの口紅(ルージュ)』(社会評論社)である。 
 選書の大きさの本なので、車中で読むことにする。楽しみだ。

 図書館を出てしばらくすると、ツツジが一叢(ひとむら)咲いているのが目に。雨上がりで日頃、陽光を真正面から浴びて、へたれかかっている花びらたちが、一息ついている。
 ホッとする、その溜め息が聞こえてくるようだ。雨滴が花びらに付着していて、シャワーを浴びたあとの女性という風情。
 思わず、携帯電話のカメラ機能を生かして撮影。


陽を浴びし日頃を忘れ吐(つ)く息仄か

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2006/05/01

漱石とモナリザ・コード

 通常なら小生は日曜日は営業の日に当たらないよう日程が組まれている。が、昨日、日曜日は連休での日程調整もあって営業の日となった。
 が、土曜日の営業はかなり忙しかったらしいのだが、日曜日は都内はいつもの休日とは比べ物にならないほど閑散。
 けれど、営業しているタクシーも極端に少ない。営業が忙しいかどうかはお客さんとタクシーの台数との比による。お客さんが少なくても、稼動しているタクシーが少なければ、相対的に忙しいことにありえる。
 その意味で昨日は中途半端に暇なような忙しいような、つかみどころのない一日だった。
 駅などに車をつけてお客さんを待つと、普通なら休日ならば空車のタクシーの列が延々と続くはずだが、案の定、休みを取っているタクシー(ドライバー)が多いらしく、列は数台。なので、タクシー乗り場にポツポツといらっしゃるお客さんを数人、待っていたら自分の番が来る。
 感覚的には、駅に車をつけて実際にお客さんを乗せるまでの待機時間は普段とあまり変わらないような気がした。
 駅やホテルなどに空車のタクシーが溜まりがちになる一方、街頭ではタクシーを待つお客さんもポツポツといる。流して走っているタクシーが、お客さんが見つからず諦めて駅や繁華街に向かってしまう傾向にあるので、お客さんの数は人数としては多くはない(はず)だが、結果的に空車のタクシーを待ちわびているお客さんが目立つようになる(のだろうと推測される)。

 それでも真夜中過ぎともなると、車中での読書時間が増えてしまう。思い出したように流してみるが、お客さんとの出会いの機会に恵まれなくて、結局は何処かに車を付けてしまうようになるのだ。
 そして……、朝方までに読了してしまった!

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→ 勿忘草 ( わすれなぐさ )さんから戴いた「墨田区東白鬚公園の鯉のぼり」の画像です。ホントに五月の空を飛んでいるようで、爽快! 五月早々の頁を飾るに最高! 勿忘草さんはダンスのインストラクターをされています。「DANCIN' FUJI」へ飛んでみてください。

あの空は鯉の踊るステージさ!

 それより、昨夜というか未明近く、NHKラジオで作詞家の丘 灯至夫氏の特集があった。恥ずかしながら、この名前だけ聞いてもピンと来ない。「あこがれの郵便馬車(岡本敦郎)」や「高原列車は行く(岡本敦郎)」の作詞(カッコ内は歌手名)をされた方だと言って分かったら、あなたは小生よりちょっと年上。
 他に、「山のロザリア(スリー・グレイセス)」「東京のバスガール(コロムビア・ローズ)」…。
 これでも分からないなら、「高校三年生(舟木一夫)」の作詩をされた方なのだ。
 え? まだダメ? じゃ、極めつけ(?)だ。「ハクション大魔王のうた(テレビまんが「ハクション大魔王」から)」の作詞家であるぞよ!
 →「Amazon.co.jp:あの青春(ゆめ)この詩(うた)~丘灯至夫作品集 音楽」参照。

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2006/04/30

路傍のツツジ

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→ 30日の午後、都内、恵比寿にて。尿意を堪えてお客さんを乗せて渋谷へ。その帰り、トイレに駆け込みホッと一息。駆け込む前の小生の頬っぺは、このツツジより紅かったかも、なんて。
 小生、ツツジが大好き。それとも今の時期が好きなのか。昼も綺麗だけど、夜もヘッドライトに浮ぶ赤紫や淡いピンクや真っ白のツツジたちは疲れたり神経が苛立ったりする小生を慰めようと微笑んでいるようだ。

昼夜と精魂尽くし咲くツツジ

 

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