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2006/04/15

掌編アップ!

 幻想モノとオレものの中間的な掌編。モノローグ風かもね:
闇夜に躑躅の花の咲く

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保田義孝個展へ

 保田義孝氏の存在を知ったのは、いつだったろう。小生のホームページで勝手ながら保田氏のサイトをリンクさせてもらったのは、今年の二月。
 但し、大急ぎで断っておかなければならないのは、保田氏のサイトと書いたが、正確には、「「大分県佐伯市在住の画家、“保田義孝先生”のもとで、色鉛筆画を描く仲間達のサイト」である「アトリエピースブランチ」というサイトなのである。

 保田氏のサイトを知ったのは、ある詩人で最近は色鉛筆での絵の制作に励んでおられる女性のサイトを通じてだった。彼女は、ご自身が色鉛筆を描かれるということで、色鉛筆画家の保田氏の存在を知ったのだろうか。彼女が「アトリエピースブランチ」を知ったのは、今年の1月23日だったとか。ということは、小生が保田氏の存在を知ったのも、その直後だったろうと思われる。
 ネットで「保田義孝」をキーワードに検索しても、ヒットする数はそんなに多くはない。ということは、一般的にはそれほど知られていないということなのか。
 それとも、高名ではあるけれど、ネットの世界で扱う人が少ないということか。

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→ 15日、紫苑さんに戴いた「造幣局の夜桜」画像です。最近は連日の桜巡りの日々だとか。動かざること弥一の如し、そう「静」の弥一に比べ「動」の紫苑さん。凄い好対照だ!

 さて、保田義孝個展会場を訪問したレポートを書く前に、できれば同氏の絵をじっくりと眺めてもらいたい。上掲のサイトを通じて、かなりの作品を見ることができる(最近、サイト内を衣替えされたようで、サイト内で閲覧できる作品の数がかなり増えている。そうはいっても、同氏の作品は累計すると一万点以上になるとか):
 http://www.saiki.tv/~gizmo/nsal.htm 
[↑既にファイルは見当たらなくなっている。代わりに、「第47企画展 『保田義孝展』 山田和宏氏代行」なる頁を紹介させてもらう。「アトリエピースブランチ」と併せてみると、保田義孝氏の詩情溢れる世界を堪能できるのでは。 (06/04/15 追記)]

 使用する画材は、ほとんどが色鉛筆だけ。なのに、「雪の舟だまり」を見ても、「漁船のある風景」(パステル画)を見ても、惚れ惚れする作品世界が創造されている。小生の比較的最近のお気に入りは、「晩秋のひざし」である。これも、色鉛筆画なのだ。

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誰も皆 笑顔の帰り 待っている

副題:「今日は日比谷大講習会」余談

 この記事は、余談というよりは、直前の記事「今日は日比谷大講習会」を書いたあとで思い出したことであったので、追記に近い。

 文中、警視庁の交通関係の方より講話を賜ったと書いている。いろんな話を聞いた。子供や高齢者の事故が増えている。自転車の事故が増えている。オートバイの事故が増えている。などなど。

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→ 帰りのバスの車中から携帯電話のカメラで東京タワーの雄姿を撮った。ビルの陰になりがち。夜だとライトアップされていて綺麗なんだろうけど。

(余談だが、その方は、タクシーに乗る機会が増えている。乗ったら、乗務員と話をするのが楽しみの一つだと語っておられた。が、最近は運転手の方はお喋りをする人が減ってきているような気がする、と。
 不況のせいで、無口になりがちなのか。売り上げが思ったように伸びない状況がここ数年続いているし…。
 そんなこともあるのかもしれないが、ドライバーの側からすると、会社からは余計なお喋りをしないようにと教育されている。
 とにかく、会社や東京タクシーセンターへお客さんからの苦情が持ち込まれるのが何より困るので、運転手としては、若干、警戒気味、守りの姿勢に入っているのかもしれない。
 無論、お客さんから話しかけられたら、雑談に応じるのは言うまでもない。
 あるいは、近頃は、一人で乗り込んできたお客さんであっても、運転手とお喋りするより、他の人とお喋りしたり何かに夢中になっていることが多いことも背景として考えられるだろう。
 そう、察せられるように、携帯電話の存在である。車中では、仕事の延長だとばかりに携帯でお喋りされている、あるいは携帯の画面に向かってメールを打っている、それともゲームに興じている、などと、とにかく以前ほどには乗っている時間に乗務員に話しかけることが少なくなった。
 だからだろう、お客さんが運転手に話しかけても、つい、返事を躊躇ったりする。何も話しに応じるのが嫌なのではなく、携帯電話の相手と話しているのか、それとも自分に話しかけてきたのか、一瞬、分からず途惑ってしまうことがありえるのだ。
 まあ、そんな時代だということだ。)

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2006/04/14

今日は日比谷大講習会

 今日は明け番の日だったが、日比谷で行われる大講習会に行ってきた。これは小生の所属する会社東都自動車株式会社の行事として毎年一度、二日にわたって行われるもので、今年で二十年目となる。名称にも日比谷大講習会と、「大」の文字が被せられている。
 我が社は、「タクシー、ハイヤー、観光バス、ゴルフ場、自動車教習所、賃貸マンション、ホテルマロウドチェーン、スポーツクラブ、民間車検場、他」などを営業するグループ企業で、小生はそのタクシー部門のタクシードライバーなのである。
 タクシー部門について言うと、「現在2,105台は業界トップクラス」とか。タクシードライバーも嘱託を含めると、4,000人以上(5,000人近く?)いる。

東都自動車交通 - Wikipedia」をネット検索してみたら、ほとんど書きかけの状態に留まっている。
 ただ、「ボディカラーはベージュ(余談だがこのカラーはトヨタ純正色であり、色名はそのものズバリ「トートベージュ」)」というのは、初耳で、へえー、であった。
 この頁には、当社のタクシーの雄姿画像が載っている。
(ちなみに、だが、当社のタクシーの営業用(無線で呼ぶ)の名刺には、当然ながら当社のタクシーのボディ写真が載っているが、その車は、小生がその当時乗っていた、まさにその車なのだ。中古とは言わないが、既にロートルの域に入ろうという車を何故、撮影するのか小生には理解できなかった。新車が何台か駐車場にはあったのだし。)

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← 講習会が始まるまでの待ち時間の間、日比谷公園にて散策。チューリップが満開だった。

 大講習会とはいえ、全員が一堂に介する介するわけにはいかず、二日に分けて行われるわけだが、それでも日比谷公会堂はさすがに立つ人は居ないが、立錐の余地もないほどで、満杯である。分からないが管理する会社の社員らには会場の中には座席は用意されていない。運転手で二階席まで含め鮨詰め状態で、運転手らは制帽はないが制服着用で公会堂の狭い席に押し込められるようにして座っている。
 肩を寄せ合い…と表現したいが、肩をすぼめないと座れない。何も悪いことをしたわけでもないのに、身を縮こまらせての窮屈な状態なので、それこそ一時期、飛行機のエコノミー症候群が話題になったが、下手すると講習会が終わる頃には血の巡りが悪くなってからだの具合が悪くなってしまいそう。
 たださえ、明け番というのは、その日の朝まで営業してきたのだから、体は疲労の極にある。都合があり、営業は早めに切り上げ(そのため営業収入も減る!)、営業所の休憩所などで仮眠を取ったりするが、正午近くまで大切な行事とはいえ目をサラにして起きて話を聞いていないければならないから、体が辛い。朝、仕事を終えたらまっすぐ帰宅してお茶の一杯も飲んだら、寝るというパターンが崩れる。
 いつもと仕事や休憩の生活リズムが狂って、午後、帰宅してすぐにベッドに潜り込んだが、今もいつも以上に体が熱っぽい。
 愚痴はここまで。

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2006/04/13

「春光」とは春の色のこと

 夜半に読了した久世光彦氏著の『時を呼ぶ声』(立風書房 学研M文庫)の感想文を書こうかとも思ったが、これは後日に回して、今日の季語随筆の題材は、「春光」とする。
 
季節のことのは・季語 春 の 章 Ⅰ」の「季語 2  春光(しゅんこう)」の項に「「春の日」は日光をさしますが、「春光」 春の風光すなわち、春のやわらかい日の光りをいいます。春は空と地中からいち早く動き始めるという通り、光りと影が相まって春を実感させる言葉といえます」とあるように、とても爽やかさを感じさせる季語だ。

 実は、ふと、この季語、昨年、扱ったことがあるはずと、「2005年04月の索引…悲しい二周年」を覗いてみたが、ない。「風光る…杉菜…こきりこ」にて、「風光る」という似た(ような)語感を持つ季語は載っているが。
 勘違いなのか。でも、扱ったはずと遡ってみると、やはり、あった。
 四月ではなく昨年の三月に「春光・色の話」という表題で採り上げていたのだ。
 それにしても、「春光」と「色の話」を結びつけるのは我ながら強引だなと読み返してみたら、ネット検索の結果もあって、「春の色 春色 春景 春景色」などを傍題に持つ、「春光」に行き当たったのだった。
 肝心の季語である「春光」については、実際には糸口乃至は申し訳程度に触れているに過ぎず、大半は「色の話」に終始している。なんといっても、「古代には色の表現はなかった、あったのは、(色の)濃淡であり、明暗なのだ」というラジオで聴いた話のインパクトが大きかったのである。

 ということで、ここに改めて、季語としての「春光」に焦点を合わせてあれこれ綴ってみたいのである。このところ天候に恵まれない日が続くだけに、春らしさを待望する意味も篭めて。

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2006/04/12

私の耳は貝のから 海の響きをなつかしむ

高速船が衝突事故、49人負傷~鹿児島、クジラの可能性」といったニュースが、つい先日、マスコミを通じて流れた。
9日午後6時ごろ、鹿児島県・佐多岬の北西沖約3キロの錦江湾入り口付近を航行していた鹿児島商船(鹿児島市)の高速船「トッピー4」(281トン、赤瀬強一船長、乗員5人、乗客103人)から、「何かに衝突し、多数のけが人が出ている」と第10管区海上保安本部(鹿児島)に118番通報が入った」というもの。
「赤瀬船長は「船左後部の水中翼に何かが当たり、船が前のめりになった。目視では確認できなかったので流木ではなく、クジラのような海中生物の可能性が高い」と話しているという」のだが。
「鹿児島商船によると、トッピーは午後4時20分、屋久島・宮之浦港を出港し、種子島・西之表港、指宿経由で鹿児島港に午後7時20分に着く予定だった。事故当時は全速力に近い時速約80キロで航行していた」というが、そんな高速の船に鯨が衝突したのなら、被害甚大になるのも当然だろう。
「船にはクジラが嫌がる音波を出す「アンダーウオータースピーカー」を備えていたが、クジラの種類によっては効果がないという」。そもそも高速の船が運航していたら、スピーカーからの音だけじゃなく、船からの並を蹴散らす衝撃波(の音、高周波も低周波も含めて)が鯨には察知可能だろうと思えるが、実際には、そうでもないのか。

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→ 先週末、都内某大学の構内にて。数日前なら桜吹雪の中を走れたはずだが。

 今朝のニュースだと、会社のトップは、ぶつかった跡が見えるのが「船左後部の水中翼」や船底の一部だけで、前部の水中翼にはぶつかった徴候がないことなどを挙げて、衝突したのは鯨ではない可能性を示唆していた。
 実際、ぶつかった相手を確認(現認)していないようだから(夕方とはいっても、真っ暗だったのかどうか、視界はあったのかどうか)、正確な事故原因については、明日(13日)、海上保安庁による(警察も交えて行われるという)、衝突の相手や衝突の原因・メカニズムについての詳細な調査結果を待つべきなのだろう。

 鯨というと、過日も鯨絡みの事故があったばかり。
 二月の下旬からハーマン・メルヴィル著の『白鯨(上・下)』(講談社文芸文庫)をゆっくりじっくり読み続けている小生としては、他人事ではなかった。

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2006/04/11

風車が春の季語なのは

 例によって、「季題【季語】紹介 【4月の季題(季語)一例】」なる頁に並ぶ季語の数々をぼんやり眺めていた。今日はどの季語を扱うか。どの季語も俳句上での使われ方、歴史、篭められてきた意味合い、知らないものばかり。
「チューリップ、ヒヤシンス、シクラメン、スイートピー、シネラリヤ、アネモネ、フリージア」と並んでいる。
 昔からお袋が田舎の我が家の庭で丹精篭めて育ててきた、富山県の産する花としても有名なチューリップを扱おうか。
 そういえば、先週末、仕事で都内某所の住宅街を走ったら、公園の片隅の歌壇に色とりどりのチューリップがはちきれんばかりに咲き誇っていて、思わず写真に収めようと思ったが、折悪しく、そこにはお子さん連れの若奥さんが憩いのひと時を過ごされていて、そんな傍にタクシーを止め、車を降りて写真を撮りにいくのも、窮屈な気がして、後ろ髪を引かれる思いをしつつ、走り去ってしまった。惜しかった!
 でも、富山じゃ、四月の終わりか五月の頭にピークが来る。気持ちが田舎の富山と居住している東京の両方に跨っている小生、どっちつかずになってしまって、その気が失せてしまった。

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→ 先週末、都内某所の公園にて。八重桜だろうか、雨上がりの空の下、今にも芽吹きそうな蕾たち。青空になったら一斉に咲こうとでもいうようだ。

咲くを待つ蕾も我も空見つめ

 ヒヤシンス、シクラメン、スイートピーのどれもいい。「赤いスイートピー」は、誰しも…、少なくとも小生は松田聖子の歌を連想してしまう。そしてその時代の破れた恋のことも。以前、この季語随筆でちょっとだけ触れたことがあるし、まだとことん書ききるには早すぎる気がする。

 ぼんやり眺めていたら、ふと、「風車」に焦点が合った。
 が、「風車」は、「ふうしゃ」なのか、それとも「かざぐるま」なのか、分からない。分からないままに、頭の中では、昔、流行った「回れかざぐるま かざぐるま いつまでも♪」というメロディと歌詞がリフレインしている。誰の歌だったか…。そう、松山千春の歌「かざぐるま」だ。彼の歌には好きなのが幾つもあるが、特に歌「恋」にはこれまた思い出も思い入れもある。「男はいつも~またせるだけで~. 女はいつも~待ちくた~びれて~♪」

 実のところ、松山千春の歌「恋」と松田聖子の「赤いスイートピー」とは、同じ人に絡むのだが。ま、これ以上は野暮になるから書かない。
 とにかく、今日は読み方が分からないままに「風車」に決定!

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2006/04/10

硬さと堅さ…翡翠の謎

 ようやく厳しい営業日程も終えて、ホッと一息ついている。丁度、二週間前に体調を崩して、3月27日の営業を4月の2日にずらしたため、この二週間、完全な隔勤になり、体を休めることもできず、アップアップの日々が続いていたのだ。
 日曜日は、久しぶりに翌日が休みという状況。これは二週間ぶりだ。体が喜んでいる。
 日曜日の日中は、ひたすら寝て過ごした。夕方くらいになって、ようやく溜まった疲れが少し抜けた感じがする。「あの日の空の青さは何だったのか。五つの小学校を転々とした少年期、都市が全焼する空襲の夜の美しさ、軍人だった父の晩年、戦後の歌や映画、文学という女人への恋…。『北日本新聞』連載をまとめる」という、久世光彦著の『時を呼ぶ声』(立風書房)を手にしつつ、居眠りする愉悦も味わえた(本書については後日、感想文を書くかも)。

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→ 「勿忘草 ( わすれなぐさ )」さんサイトで見つけた、「花篝(はなかがり)」をイメージさせる、あまりに素敵な画像です。

朧なる春の艶夜(あでよ)に惑ふとも
        たわぶれてみん君が袂に

 また、小林 達雄氏編の『古代翡翠文化の謎を探る』(学生社)を金曜日の夜から読み始めている。
 なんだか、今時、珍しいほどに堅苦しいというか、窮屈な題名で、たまたま「翡翠(ヒスイ)」に関心があったから手を出したけれど、そうでなかったら、題名だけで敬遠したかもしれない。
 また、内容も、「古代日本のヒスイ文化はなぜ消えたか? 翡翠とは何か、縄文時代の玉文化の展開や翡翠をめぐる生産と交易など、姿を消した謎のヒスイ文化の全貌を解き明かす」と、やはり研究者や関係者でなければ、読む人、その以前に手を出す人も限られている、かもしれない。
 編者の小林達雄氏を「ビーケーワン:古代翡翠文化の謎を探る」からの転記の形で紹介しておくと、「1937年新潟県生まれ。国学院大学大学院博士課程修了。文化庁文化財調査官を経て、国学院大学文学部教授、新潟県立歴史博物館館長。浜田青陵賞受賞。著書に「縄文土器の研究」など」とある。

小生が何ゆえ柄にもなく、自分で贔屓目に省みても似合いそうにない翡翠(ヒスイ)に関心を抱いているのか。

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2006/04/09

ユダの福音書とマリヤと

 最近、「ユダ」についての衝撃的(?)なニュースがネットや新聞に踊っていた。さすがにテレビでは採り上げられたのかどうか、小生はテレビ鎖国の状態にあるので分からない(ニュースとして流れても、見逃したかもしれない)。
 ネットで関連の記事を探すと、「ZAKZAK」では、「解読で判明!「ユダの裏切り」はキリストの指示だった」という題名の記事が見つかる。
 その一部を転記すると、「米地理学協会(本部ワシントン)は6日、「異端の書」としてほとんどが破棄されたとみられていた「ユダの福音書」の写本を解読したと発表した。キリストを敵に売った使徒として知られるユダが、実はキリストの指示を受けていたと記されており、今後論争を呼びそうだ」とか。
 このサイトではさらに、「写本は古代エジプト語(コプト語)でパピルスに記され、放射性炭素による年代測定などで、3-4世紀(約1700年前)の本物と鑑定された」とか、「ギリシャ語の原本から訳されたとみられ、キリストは、自分を人間の肉体から解放する手助けを、教えの本当の意味を理解していたユダに頼んだとの内容になっている」とも記述されている。

中日新聞ホームページへようこそ」では、「ユダの汚名すすぐ 米で福音書の写本を英訳」と題されたより詳しい記事が見つかった。
 ここには、新聞でも載っていたが、写本の画像も掲げられている。
「聖書を元に、イエスの受難はユダの裏切りが原因という解釈から、ユダとユダヤ人が重なり、世界史の悲劇であるユダヤ人の大虐殺が起きたとの見方がある」といった記述がある。

 破棄されあるはずのないユダの福音書(翻訳)の出現は、関心のあるものには、マリア像(女性像)をどう描きなおすかも含め、場合によっては哲学・思想・宗教観の根幹を揺るがすかもしれない事態かもしれない。

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