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2006/04/01

2005年04月の索引…悲しい二周年

 このところ恒例になりつつある月初めの索引作りだが、今月も索引から始めることにする。
 例によって昨年の四月の目次・索引である。
 決して今年の四月の索引でも目次でもない!
 ざっとだが、こうして目次(索引)を作成しつつ読み返してみると、我ながら頑張っていると思う。いろんな分野の話題を扱っている。とにかく知らないことばかりだから、何を調べても、へぇー、の連発だ。
 別に雑学的知識を蓄えようという発想はない。本やささやかな経験や、そして何と言ってもネットの力を借りつつ、あくまで知らないことを探求し網羅し渉猟し、コト(事それとも言)とモノとの根源に迫りたいという願望と衝動があるばかりなのだ。
 哲学的営みの一種もである。

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→ 31日の夜半を回って、そろそろ未明かという時間。都内某所の公園脇で小憩。日中は人の目に晒され落ち着けない桜の花も、深い闇の中でまったり。
 
「万愚節(ばんぐせつ)」(エイプリル・フールのこと、早生まれの意味 April 01, 2005
「春宵花影・春宵十話」(松林桂月の「春宵花影」、岡潔の「春宵十話」 April 02, 2005
「鳥雲に入る」(夏目漱石の「わかるゝや一鳥啼て雲に入る」 April 03, 2005
「春の塵…塵の河」(ハナ・ホームズ著『小さな塵の大きな不思議』や月の粉塵 April 04, 2005
「柳絮:植物状態の<人間>」(アメリカの尊厳死事情 April 05, 2005
「沈丁花の思い出…」(石川さゆりの「沈丁花」をめぐって April 06, 2005
「朧月…春の月」(月影は狂想を誘う April 07, 2005
「桜餅・草餅・椿餅・鶯餅…ソメイヨシノ」(桜餅が誕生! ソメイヨシノのこと April 08, 2005
「春宵花影…」(句を織り込んだ創作 April 09, 2005
「黄砂…地球環境の主役?!」(エアロゾル…黄砂はいまや世界の注目を集めている April 10, 2005

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2006/03/31

ペンギンは歴史にもクチバシをはさむ

 上田 一生 氏著の『ペンギンは歴史にもクチバシをはさむ』(岩波書店)を読了した。
『白鯨』の合間にのんびり読もうと思っていたのに、あまりの面白さに一気に最後まで読まされてしまった。
 まだ読み止しだったつい先日、「南極物語…それとも難局物語?」で、本書のことは若干、紹介している。

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→ 3月31日、都内某所にて。走行中に撮ったのでブレてしまった。相変わらず冷たい風が吹いていて、夜桜見物も厳しそう。でも、人の出は凄かった。みんな元気だ。

 そこでも、出版社側の謳い文句として、以下の一文を示している:
「氷原の上をよちよち歩くタキシード姿、好奇心いっぱいの「かわいい」やつ。遠く大航海時代以前から、ペンギンは「未知の海域」「白い大陸」のシンボルとしてさまざまな場面で大活躍してきた。だが、その一方で彼らには食料や燃料などとして大量に殺戮され、利用されてきた受難の歴史もある。二〇世紀以降は、ペンギンは数多の本に登場し、広告のキャラクターとしても絶大な人気を誇ってきた。しかし、ペンギン好きの日本人なればこそ、かわいさばかりでなく、彼らのたくましさ、そしてその生存の危機にも、もっと注目をして良いのではないだろうか。ペンギンから見た、貴重な図版満載の異色の文化史。 」とある。
「欧米(ペンギンの逞しさ)と日本(縫いぐるみなど、愛らしいキャラクター)などではペンギンに対するイメージ、思い入れが随分と違うようだ」が、それも要するに欧米と日本との文化論などで説明されるのかなと勝手ながら予想していた。
 が、まるで違う!

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2006/03/30

バルテュスの優雅な生活(序)

 節子・クロソフスカ・ド・ローラ/夏目 典子著の『バルテュスの優雅な生活 とんぼの本』(芸術新潮編集部編集)を過日、借り出してきた。これもまた『白鯨』を読む傍ら気分転換に目を通そうと選んだ本。画集でもあり写真集であり紀行文のようでもある。
 バルテュス(1908~2001)についての逸話は数多くある。
 絵の内容や彼の絵の特徴を語るというと、ちょっと専門用語が必要になったりしがちだし、なんといっても少しは見る目が必要だが、ちょっとした裏話なら記憶の片隅に留めておいて、必要に応じて小出しに話題にまぶしておけば、気が利いている(かのようだ)。

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→ 29日の夜半も回って30日の丑三つ時頃だったろうか、某公園脇で小憩そして仮眠。そう、小生も桜も。画像を見て松林桂月の「春宵花影」をイメージしていると思った方、さすがです! 初めて本物の「春宵花影」を観た時は感激した。で、模したクロス張りの壁紙を買ったのだけど、実物の気迫と気品に敵うはずもなく、一週間もしないうちに剥がしてしまったっけ。

 春眠やそれぞれの夢貪らん

リルケが序文を書いた猫の画集「ミツ」を出版したのはまだ13歳の頃」だったとか、これは逸話にはならないかもしれないが、「晩年には、ヴォー州の山村ロシニエールの古い農家グランシャレー(当時はホテル)を買い取りアトリエ兼住まいとし、2001年に亡くなるまで創作を続けてい」たとか(この山村の写真が本書に載っているが、実に美しい! それと随分と高齢になるまでご存命だったが、既に亡くなられていることは銘記しておくべきだろう。
 バルテュスが二月二十九日生まれというのも、そんな誕生日に生まれたものならではの感懐を抱いていたに違いない。
 ちなみに小生、ガキの頃、物心付いた直後の頃、自分の誕生日を二月二十九日と思い込んでいて、多分、カレンダーなるものを初めて意識的に見た(多分、日めくり。今も田舎の我が家には日めくりのカレンダーが活躍している)。すると、二月は28日しかない。29日がない! 自分には誕生日がないんだ…。内気な弥一少年は、そのことを誰にも言えず一人、悶々としたことがあった。)。

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2006/03/29

都良香の涙川

「呪術的な響きを聞き分けるハーンの耳を魅了した琵琶法師,大黒舞,門づけの歌….近代日本が捨て去った物語の調べ,冥界と交信する民衆の音楽を再生し,『耳なし芳一』がもつイメージの官能性,濃厚なエロスの所以を掘り下げる」という、西 成彦氏著の『ラフカディオ・ハーンの耳』(岩波ライブラリー)を読んでいたら、遠い昔に聞きかじったことのあるような名前が出てきた。
 それは、都良香(みやこのよしか)という名前。

都良香 - Wikipedia」によると、「都良香(みやこのよしか、承和元年(834年) - 元慶3年2月25日(879年3月25日))は、平安時代前期の漢詩人・文人。父は桑原貞継。本名言通(ことみち)。対策(律令制における官吏採用試験の一種)に合格した後、少内記・掌渤海客使を経て従五位下文章博士兼大内記に至った。文才に秀で、詩歌のみならず多くの詔勅・官符を起草している。「日本文徳天皇実録(略称・文徳実録)」の編纂にも関与したが、完成する前に亡くなっている。家集「都氏文集(としぶんしゅう)」には詔勅や対策の策問などの名文がおさめられている。また「本朝神仙伝」「十訓抄」には良香に関する逸話が収められている。漢詩は「和漢朗詠集」「新撰朗詠集」などに入集している。」とある。

 これでは遺漏がないかもしれないが、堅苦しい。

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→ 29日の午後、冬を思わせる冷たい風の吹く春霞の空を背に桜が咲き綻んでいた。

 咲くならば風に負けじと春の花

 一般には、「貞観12年(870)、道真公が26歳のときに都良香邸において弓を射ると、百発百中の腕前であったといわれます。道真公が学問だけでなく、文武両道であったことがわかります。ちなみに都良香(834~879)は道真公が方略試を受けたときの試験官でした」(「道明寺天満宮・天神縁起絵扇面屏風の解説」)とあるように、菅原道真公との絡みで知られるかもしれない。
 このエピソードについては、「菅原道眞公」なるサイトの「第十話 その⑤文武を磨く」という頁(【後篇】)が読みやすく且つ面白く語ってくれている。

 しかし、都良香というと羅城門の鬼とのエピソードを触れないわけには行かない。大概、高校の古典か国語の授業(恐らくは菅原道真の話をする際)の時の恰好のネタとして先生が語る(今は分からないが)。

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2006/03/28

夕暮れ

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← 土曜日(26日)の夕方、図書館を出ようとしたら、夕景が目に。思わず携帯で撮ってみた。画像が鮮明じゃないのが残念。この日の真夜中過ぎから大変なことになったのだった

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肉体のファンタジア…目と髪と

 小池真理子氏著の『肉体のファンタジア』(集英社)を過日、読了した。
 レビューには、「ふくらみはじめた「乳房」を意識したころ。互いに「目」を見つめあうだけでわかりあえる関係。どこか性的にひかれる「毛」。中年男性の「背中」にただよう倦怠の魅力。受話器のむこうからこぼれる吐息のような「声」。そして女しか持ち得ない「子宮」の秘密とは。肉体のさまざまなパーツに刻まれた官能の風景、記憶が鮮やかに蘇る。五感を刺激するファンタジックなエッセイ集。」とある。
 小池氏のエッセイ集としては、『闇夜の国から二人で舟を出す』(新潮社)を先だって読んだばかりである。簡単な感想文も綴っている。
『闇夜の国から二人で舟を出す』を読んだばかりだし、彼女の小説をとも考えたが、今はメルヴィルの小説『白鯨』の世界にどっぷりと浸っているので、他の小説を平行して読むのは閉口だし、息抜きを兼ねて読むにはエッセイ集のほうが気軽だ。
 実は、『肉体のファンタジア』は前々から気になっていた本でもあった。
 図書館で手にとって拾い読みしたことは幾度となくある。だから、いざ、借り出して自宅で読み始めてみたら、最初のうち、もしかして以前、既に読了しているんじゃないかという思いがしたほどだ。
 それに、小池氏は小生より二つほど年が上だし、よほど前向きな方なので、なんとなく勝手ながら姉貴分風に思い入れしている面もある。

 女性が自ら女性の肉体のパーツをめぐってあれこれファンタジー的文章を綴る。興味津々である。そこに誤魔化しや綺麗事が含まれるとうんざりだが。
 扱うパーツは、「骨 指 歯 顔 乳房 唇 毛 目 贅肉 臀 背中 声 皮膚 鼻 爪 舌 臍 子宮 」であり、本来、多くのパーツは男性と共通のはずだが、そこはそれ女性と男性とではまるで違う成り立ちになっているように感じる。男の体を見たいとか、触りたいとか、まして舐めたり弄ったりしたいとは思わないが、魅力的な女性となると違う。全身、それこそ骨の髄までしゃぶってみたくなる(勿論、比ゆ表現だが)。不思議といえば不思議なような気もするが、これが現実である。

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2006/03/27

南極物語…それとも難局物語?

 過日、上田 一生 氏著の『ペンギンは歴史にもクチバシをはさむ』(岩波書店)を借りてきた。図書館の新刊コーナーに立てかけてあって、その表紙が借りてくれ! とあったような気がしたのだ。
 出版社側の謳い文句に拠ると、「氷原の上をよちよち歩くタキシード姿、好奇心いっぱいの「かわいい」やつ。
遠く大航海時代以前から、ペンギンは「未知の海域」「白い大陸」のシンボルとしてさまざまな場面で大活躍してきた。だが、その一方で彼らには食料や燃料などとして大量に殺戮され、利用されてきた受難の歴史もある。二〇世紀以降は、ペンギンは数多の本に登場し、広告のキャラクターとしても絶大な人気を誇ってきた。しかし、ペンギン好きの日本人なればこそ、かわいさばかりでなく、彼らのたくましさ、そしてその生存の危機にも、もっと注目をして良いのではないだろうか。ペンギンから見た、貴重な図版満載の異色の文化史。 」とある。

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→ 画像は、「Charlie K's Photo & Text」の「Hichi's Arabic Belly Dance - WomenFest 2006 -」から。「ベリーダンスは大人でもゼロから挑戦できる、芸術性の高い踊りだと思います。「シュミ」という腰やお腹をぶるぶると振動させる基本の動きも、何気なくやっているように見えて割れるほどの腹筋が必要ですし、指の動きひとつとっても自由に動かせるようになるには血の滲むような努力が必要」だとか。(例によって本文と画像とは関係ありません。以下同様)。

 まだ、読みかけなのだが、プロローグの部分を読んだだけでも、なかなか面白そう。特に欧米(ペンギンの逞しさ)と日本(縫いぐるみなど、愛らしいキャラクター)などではペンギンに対するイメージ、思い入れが随分と違うようだ。
 後日、感想文を書くかもしれない。

 このペンギンの本に関心を持ったのは、ご他聞に漏れず(という表現が相応しいのかどうか分からないが)ペンギンの愛らしさに堅物の小生たりとも惹かれるからだが、どうやら、遠因として、過日、ラジオで映画「南極物語」のことが話題に上っていたことが大きいような気がする。

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← 画像は、「Charlie K's Photo & Text」の「Hichi's Arabic Belly Dance - WomenFest 2006 -」から。ベリーダンスのサイトは美麗な作りのものが多い。「Dance Arabesque ベリーダンスグループ・ダンスアラベスクへようこそ」も、その一つ。

 つまり、『キタキツネ物語』の蔵原惟繕監督がドキュメンタリー・タッチで描いた動物映画、空前の大ヒット作だった83年の邦画である『南極物語』(書籍では、藤原 一生氏著の『タロ・ジロは生きていた―南極・カラフト犬物語』)のディズニー版『南極物語』が今、劇場公開されているが、そのディズニー版(リメイク版?)とオリジナルの映画との対比がラジオで話題になっていたのだ。

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2006/03/26

「異端の数 ゼロ」…あるいは豊穣なる無

 チャールズ・サイフェ著の『異端の数 ゼロ』(林 大訳、早川書房)を過日、読了した。本書に付いては、読み始めの頃、「ヨハネによる福音書第一章第一節の冒頭にある有名な言葉、「はじめに言葉ありき」」という有名な文言をめぐって、「本書では、「はじめに比があった。比は神とともにあった。比は神だった。」なる形でヨハネの冒頭の言葉が掲げられている」ことに素朴な驚きを覚えたため、ちょっとした感想文を綴っている:
ロゴスって言葉? 光? 尺?『異端の数 ゼロ』をめぐって
 数学や物理学の歴史に関する書であり、いくら数式が省かれているとはいえ、小生が書評を試みるのはおこがましい。ただ、一読して面白かったので、感想をメモしておきたいだけである。

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→ 画像は、「Charlie K's Photo & Text」の「Sariah's Hindy Belly Dance - WomenFest 2006 -」から。今は更新されていないというサイト「♪ Arabian Dance Night! ♪」だが、なかなか充実している。このまま埋もれさせるのは惜しい!「Costume 」「Tools 」「Movement」「Music」ほかの部屋があって勉強になる。(例によって本文と画像とは関係ありません。以下同様)。

 一応、出版社側のレビューというか謳い文句を示しておくと、重複引用になるが、「本書は、史上もっとも危険な概念―ゼロの“伝記”である。バビロニアに生まれたゼロは、そのなかに潜む“無”と“無限”ゆえ、人類の知的営為を揺るがしてきた。ゼロは、古代ギリシアの諸賢によって禁じられ、キリスト教世界では異端視された。パスカル、デカルト、ニュートンらの業績の裏には常にゼロの問題が潜んでいたが、その脅威は、科学が進歩を遂げた現代でも変わりはない。ゼロを追放しなければ、一般相対性理論の無限大問題は解決できないように。歴史を通じて排除の対象でありつづけたが、消えることはなかったゼロ。有用でありながら、多くの矛盾や論理の崩壊をもたらすこの概念の全貌を、まったく新しい切り口で描くポピュラー・サイエンス」とある。

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← 画像は、「Charlie K's Photo & Text」の「Sariah's Hindy Belly Dance - WomenFest 2006 -」から。今は更新されていないというサイト「♪ Arabian Dance Night! ♪」の中を勝手ながら覗いてみるよう。まずは、 「Movement」なる部屋である。「Belly Danceの舞踊動作」の部屋なのだが、どの舞踏動作も一筋縄では会得できそうにない。また、シュミを始め、それぞれがベリーダンスに特有の動きのようだ。

 本書に付いての書評は余りなされていないようだが、その中では、関心の対象がやや文系らしき方の書評が目立った:
サイフェ-異端の数ゼロ」(ホームは「Rogi073.Room」のようだ。表紙に掲げられている「川に投げ捨てられた一つの水滴。それはやがて大海を漂うのか。それとも気化して雲にでもなるのか。」という文言がなかなか。)

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「白鯨」…酷薄なる自然、それとも人間という悲劇

 あれこれ読み散らしていて、感想文を書く暇もない。チャールズ・サイフェ著の『異端の数 ゼロ』(林 大訳、早川書房)や西成彦氏著の『ラフカディオ・ハーンの耳』(岩波書店)、小池 真理子氏著の『肉体のファンタジア』(集英社、集英社文庫版あり)のどれについてもメモっておきたいこと、感想など書いておきたいが、返却期限が来ているので、感想文を書くのは諦め気味である。
 土曜日は「明集」で生活のリズムが狂って、いつも以上に寝たきり状態になり、今朝、未明になってやっと起き上がれるようになった。といっても、ベッドからロッキングチェアーに塒(ねぐら)を移動させただけという見方もあるが。
 さて、今日は『白鯨』について若干。

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→ 画像は、「Charlie K's Photo & Text」の「Suiren's Arabic Belly Dance - WomenFest 2006 -」から。「ベリーダンス はエジプト、トルコ等、アラブ全域で踊られる女性による即興のソロダンスとして有名ですが、名の由来腹部や腰をくねらせて踊る為、欧米ではBelly(腹部)Danceと呼ばれているところもあります。アラビア語でのベリーダンスはRaks Sharki(東方の踊り)という呼びかたをします」という。「ニューヨークでベリーダンス ニューヨークへ旅行♪」なんていうブログを発見!(例によって本文と画像とは関係ありません。以下同様)。

 先月末以来読み始めているハーマン・メルヴィルの『白鯨―モービィ・ディック (上・下)』(千石 英世訳、講談社文芸文庫)の世界にますます引き込まれている。読むのが遅い小生のこと、ようやく半分ほどを読んだだけだが、その凄みは、ブロンテの『嵐が丘』並みだと感じている。
 これはあるいは、英語にも弱い小生が言うのもおこがましいが、訳が従前に増して日本語になっているから、翻訳された本を読んでいるという特有の違和感を覚えないから、という側面があるのかもしれない。
 といっても、『白鯨』は学生時代に一度読んだきりで、当時は(前にも書いたが)河出書房新社グリーン版世界文学全集所収の版で、訳者は「冬の宿」の作家・阿部知二氏だったと思う。
 では阿部知二氏の訳がまずかったのかというと、記憶が定かでなく、覚束ない。
 当時の読解力では歯が立たなかったというのが正直なところなのかもしれない。

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← 画像は、「Charlie K's Photo & Text」の「Suiren's Arabic Belly Dance - WomenFest 2006 -」から。「ベリーダンス の起源には古代エジプトでは出産を助ける三人の女神を奉り、繁栄と豊穣を祈って女性により女性のために踊られたことからはじまります。やがて宮廷に入りエンターテイメント性を帯び、ダンサーは王家の指示のもと、高い地位につくようになってきました。オスマントルコ帝国にアラブ諸国が支配され、王宮の奥深いハーレムで踊られたのがベリーダンスの原形とも言われています。七世紀、イスラム教が起こり、その預言者ムハンマドが歌や踊りは魂を惑わすものとして嫌った為、ベリーダンスはストリートやハーレムで踊られるようになっていきました。ハーレムでは男主人の気を引くために踊らなければならない場合もあり、またストリートではダンサーはガワジーと呼ばれる集団となり、顔を隠すベールもつけず金の為に踊らなければならなかったので、忌まわしい職業と見なされ、もはや宗教色はなくなってしまっていきました」という。

『白鯨』という作品全体のトーンとしてある、「その一番奥にあるのは、アメリカ文化の底流に流れるキリスト教、それも厳格なカルヴィニズムに対する懐疑と信仰」の感覚を掴むこともできず、さりとて、「クジラと人をめぐる冒険譚として、捕鯨船についての膨大かつ詳細な記述から19世紀当時の捕鯨のドキュメンタリーとして」読むには、本文には(少なくとも当時の小生には)冗長な鯨学の薀蓄を語る部分が多く、そうした箇所でやたらと退屈してしまったりする。

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