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2006/03/25

ウィットネス( Witness)のこと

 今朝は会社で明集(あけしゅう)があった。
「明集(あけしゅう)」とは社内だけに通用する言葉なのか、それとも営業所内だけに限定されるのか、あるいはタクシー(その他)業界内部の用語なのか分からないが、「明け番集会」の略語である。
「明け番」とは、前日の午前からの仕事が翌日の朝(早朝)になって終わった、つまり前日から仕事がスタートし20時間とうい拘束時間の終わった(当)番の面々を指している。
 タクシー業務は拘束時間においても働き方においても多様になっていて(多様は大袈裟だが、数通りはある)、一概には言えないのだが、いずれにしろタクシードライバー全員が日中や夕方、夜などに一堂に会するのは難しく、実際には朝の8時半から集会が始まる。
 その時間帯に働く人が少ないからということだが、それでも、営業所やタクシー業務に支障が生じないよう二日に分けて集会が行われる。

Asaha-1

→ 「Charlie K's Photo & Text」の「Asaha's Belly Dance - WomenFest 2006 -」から。ベリーダンス!サンバやフラメンコ同様、瞬間を切り取った画像からその動きを想像するのは不可能に近い。それでも、食い入るように見入ってしまう。魅入られてしまう(例によって本文と画像とは関係ありません)。

 主催者は会社(月ごとに定期的に行われるのは営業所)である。年に一回は会社主宰の集会(大講習会)が行われる(これも、二日間に分かれて行われる。わが社の場合、運転手は4千人ほど(多分)いるので、一回の大講習会には二千人ほどのドライバーが参集する。
 で、今朝は毎月恒例の(といっても、最近は朝礼が密度濃く行われているので、二ヶ月に一度のこともある)営業所が主催する集会があったのである。
 開始時間は朝の8時半。小生は7時前には業務報告(日報の提出)も含め仕事を終えるので、眠たい目を擦りつつ八時半までを潰す。これがなかなか辛い。小生は仕事が終わったら、さっさと家に帰って、自宅では牛乳を飲みお茶を飲みつつネットを軽くサーフィンして、とにかく寝る。在宅したら布団の中かロッキングチェアーに腰を埋めて終日を過ごす。
 なのに、集会となると起きていないといけないし、仮眠を取って八時半を待つとしても、集会が終わるのは日によって違うが九時半過ぎだったりし、まっすぐ帰宅すると十時を回っている。
 普段なら八時過ぎには寝入っているはずが、十時半頃になってようやく就寝となるのだから、体が参る。
 何より、生活のパターンが崩れるのが辛い。
 

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2006/03/24

蒲公英(タンポポ)の名は何処から

 水曜日だったか、深夜に女性の二人連れのお客さんを乗せた。二人で雑談していたので、こちらは運転に集中していたのだが、そのうち、ある有名な歌(短歌)を二人で思い出そうとしている。
 それは、「風さそふ…」の歌。
 忠臣蔵にゆかりの有名な歌で、浅野長矩が切腹の際に詠んだとされる辞世の歌だが、小生も即座には口から出てこず、二人が懸命に思い出そうとしている様子を見守るばかり。
 念のため、その歌を掲げると、次のようである:
 

風さそふ花よりも猶我はまた 春の名残をいかにとかせん

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→ 「Charlie K's Photo & Text」の「KEDI's Hindy Belly Dance
- WomenFest 2006-
」から。ベリーダンス! 例によって本文と画像とは関係ありません。

「蒲公英(たんぽぽ)」は春の季語である。「三省堂 「新歳時記」 虚子編」によると、「鼓草(つづみぐさ)」とも言うとか。
 とっくに採り上げてしまっていると思い込んでいたのだが、実際は未だだった。
紫雲英」は昨年の三月に採り上げているというのに、今頃の季節となるとふと思い出す懐かしさの感を呼び起こす「蒲公英」を扱ってこなかったのは、自分にしてはお粗末だ。
 まずはきく科のこの植物を画像で見てみよう。
 いかにもきく科の植物という花びらだが、中でも蒲公英の花は一際地味である。思い出の中では蒲公英は黄色い花のようだが、こうした白い花の種もあるようだ。
 昔から疑問だったのだが、生来の無精ゆえに放置してきたことに、まずは「蒲公英」という漢字表記がある。

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2006/03/23

清正公信仰とハンセン病

 別頁(窓)で示すが、2年ほど前、表題の題名の「清正公のこと」という雑文を綴ったことがある。
 東京は港区白金にある覚林寺で清正公五月大祭があったことにちなみ、清正公という交差点や祭りの大元である加藤清正公のことを、そして加藤清正公の位牌のある(つまり決して菩提寺ではない!)覚林寺のことなどをあれこれネットで調べてみたのである。
 清正公(覚林寺)からは数分のところに以前、居住していた小生としてはただの雑学的知識以上の関心を抱いていたこともあった。

 記したように、覚林寺は加藤清正公の菩提寺ではなく、加藤清正公が朝鮮出兵の際(文禄・慶長の役)に連れてきた朝鮮国の王子(のうちの一人)の菩提寺なのである(まだ不明の点が多い)。
 ただ、いずれにしても、覚林寺が(加藤)清正公と深い縁のある寺なので、清正公(せいしょうこう)と呼称されるのだろうと理解し納得して済ませていた。

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→ 22日の午後、間もなく雨が降りそうな空模様の下、都内某所の公園の脇で小憩を取った。開花宣言が東京では21日に出ているので、どうかなと思ってジッと見てみたら、ホントだ、咲いている! 見つけたのは一輪だけだけど。梅がそろそろ終わりそうなこの時期、今度は自分の出番だとばかりに桜が咲き始める。示し合わせたようだ。その日は実際、本降りの雨になったけど、逸早く咲き誇った桜の花びら、明日はどうなっているだろう。

 春の空降りみ降らずみ花時雨

 ところが、「清正公(せいしょうこう)」という言葉について、新たな知見を得た。
 前にも書いたが、車内での待機中に読む本として、「呪術的な響きを聞き分けるハーンの耳を魅了した琵琶法師,大黒舞,門づけの歌….近代日本が捨て去った物語の調べ,冥界と交信する民衆の音楽を再生し,『耳なし芳一』がもつイメージの官能性,濃厚なエロスの所以を掘り下げる」という西 成彦氏著の『ラフカディオ・ハーンの耳』 (同時代ライブラリー、岩波書店)を持ち込んでいる。
 いろいろ教えられることが多いのだが、昨日読んでいたら、「清正公(せいしょうこう)」には単純に加藤清正公の名前に由来するだけではない事情があることを教えられたのである。
 どうやら、「清正公」信仰なるものがあるらしいのだ。
 一つは、「加藤清正公 御生誕の地 日蓮宗正悦山妙行寺」に見られるように、「清正公は熱心な法華経の信者であった」だったという側面である。彼は「本妙寺を初め妙法蓮華経の五文字を冠した五つの寺を建立した」のだった。

 さらに、「ふるさと寺子屋塾<No.18> 「 肥後と加藤清正 」 講師/本妙寺住職  池田 尊義 氏」によると、「清正公信仰」の項に「清正は土木治水の名手として知られている」とある。戦国時代ファン、歴史ファン、城郭(史)ファンならずともこの事実は知られているようである。
 このサイトでは、「そのためか熊本には昔から清正を「神」として尊崇する「清正公信仰」が根付いている」として、「清正公信仰」について縷々教えてくれる。

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2006/03/22

羽根、あるいは栄光と悲惨の歴史

 別窓で掲げる記事は、昨年の夏にサンバパレードの画像を掲載するために(!)書き下ろしたレポート(の一部)である。基本的に書いた当時のまま、ここに記事のみ掲載する。画像を御覧になりたい方は、それぞれの項目の頭をクリックすれば、覗きにいける。
 わがサンバチーム・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)のただの追っかけに過ぎない小生だが、一ファンとしては(質・内容はともかく)書いた文章の量はなかなかのものがあるのではと自負している(誰も褒めてくれないので、自分で自分を褒めておきます)。

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→ 「Charlie K's Photo & Text」の「YASMEEN's Belly Dance  - WomenFest 2006 -」から。ベリーダンス! 例によって本文と画像とは関係ありません。

 サンバは眺めるより自分で体験するものなのは言うまでもないが、ま、理屈を言えば小生は文章で踊っているつもりなのである。文章は体どころか頭の中まで曝け出してしまうものなのは、日々実感しているところだ。
 書くとは、恥を掻くことなのである。
 さて、なかなかサンバについては調べる時間を取れない。ブログ(ネット)を見ても、当然ながら自ら踊っているか、でなかったら、小生のようにギャラリーし、遠巻きに眺めているだけというケースが多い。サンバの音楽も、思いっきり専門的だったりして、初心者が知りたいこと、素朴なことが書いてなくて、隔靴掻痒の感を否めない。
 かくなる上は自分で調べるしかない。
 浅草サンバカーニバルに向けてのテーマを自分なりに考えたいが、本場を見ないうちに語るのもおこがましく、ちょっと表向きは手が出せない(そのうち、恥を忍んで書くことがあるだろう。但し、一般論として)。

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← 「Charlie K's Photo & Text」の「YASMEEN's Belly Dance  - WomenFest 2006 -」から。ベリーダンス! イナバウアーじゃないってば!

 サンバというと、音楽とダンス。今回はダンス、特に羽根に焦点を合わせる。
 サンバを知らないものとしては、紋切り型とはいえ、人が身に纏う羽根というと、インディアンの羽根をまず思い浮かべてしまう。
 別頁ではサンバのタンガでの羽根について若干、書くので、その前置きとして、ほんの少しだけ、北米の先住民族であるインディアン(と呼称される)の栄光と悲惨の歴史を少々。

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2006/03/21

モーツァルトのクラリネット五重奏曲!

 今年はモーツァルト生誕250年ということでモーツァルトの曲を聴く機会が多い。営業中、車中での楽しみというと音楽なので、歌謡曲などポップス系も好きだが、モーツァルトのいろんな曲を聴けるのは嬉しい。
 昨日は、NHK-FMを正午のニュースからずっと聴いていた。
 言うまでもないが、お客さんをお乗せしている間は消すかボリュームを下げるか、お客さんの要望する局に切り替える、などなどの注意事項は当然のことだし、今まで何度も書いてきたので、もう繰り返さない。よって聴いたと書いてあっても、結構、途切れ途切れだったりする。残念だけど、仕方がないよね。
 実際、午後は5・10日で祭日の前日ということもあり、息つく暇もないほどに忙しかったのだ! トイレへ行く暇があるのかと心配したりしていた。

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→ 同じく二十日に撮ったもの。その稲荷神社の脇にある公園の角にたつ巨木。通り過ぎようとしたら、その幹の迫力に思わずパチリ。見ようによってはエロチック?!

 下記するが、四時頃郊外の地に向かったので(平和島)、近くの公園の脇に車を止め、お茶で一服しつつ、たまたま流れてきた「ミュージックプラザ 2部 -ポップス- つのだ☆ひろ」でのキャンディーズ特集を聞いて、やっと人心地付いたのだった。
 逆に、ラジオはそこそこに(断片的にでも)聴けたが、何処かの駅で待機(お客さん待ち)しつつ、その時間を使って本を読むというわけにはいかなかった。せっかく、レビューによると、「呪術的な響きを聞き分けるハーンの耳を魅了した琵琶法師,大黒舞,門づけの歌….近代日本が捨て去った物語の調べ,冥界と交信する民衆の音楽を再生し,『耳なし芳一』がもつイメージの官能性,濃厚なエロスの所以を掘り下げる」という西 成彦氏著の『ラフカディオ・ハーンの耳』 (同時代ライブラリー、岩波書店)なる本を持ち込んだのだけど。

 昨日、嬉しかったのは、「ひるの歌謡曲」(丘 みどりさんのDJ)でキャンディーズのヒット曲の数々を聴けたこと。曲名だけを挙げておくと、「あなたに夢中」「年下の男の子」「ハートのエースが出てこない」「哀愁のシンフォニー」「やさしい悪魔」「春一番」「暑中お見舞い申し上げます」「アン・ドゥ・トロワ」「わ な」「微笑がえし」「つばさ」。どの曲も好きだ。偶然なのだろうけど、他の時間帯(しかも同じ局。4時からのつのだ☆ひろさんDJによる「ミュージックプラザ 2部 -ポップス-」の中で。大体が同じ曲だが、「危い土曜日」が新規だった)でもキャンディーズの特集をやってくれた。
 キャンディーズのヒット曲の数々をこれだけたっぷり聴けるのは嬉しいけど、毎日、一曲は聴けるほうが嬉しい。どうして特集が同じ局の中で重なるのだろう。勿体無い。ビフテキを一日に二度、食べるようなもので、ありがた迷惑ではないが、工夫が欲しい気がする。

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日本、野球、世界一へ!

 今までWBCを見ていた。今、終わった。キューバを倒した。勝った。王ジャパンがWBCの初代王座に。王選手の引退でやや野球から引き気味だったけど、今回は見ちゃった。

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→ 紫苑さんに戴いた「アダモコンサートの時おすそ分けでアダモにいただいた花束」の画像です。紫苑さんも優勝決定戦のようすを一喜一憂しつつ見ていたとか。

 野球を見直すいい機会になった。こうした大会を積み重ねたらオリンピックへの復帰も可能だろうな。
 イチロウ、凄いね。頑固者で酒豪で寝相が悪いという人間臭い王監督の采配も凄い。
 金メダルが30人の選手それぞれに。王監督にも金メダル、そしてチャンピオントロフィが。
 MVPは松坂投手だった。
 イチロウ選手は国民栄誉賞を今回は受けるのだろうか。小生は、彼が自分がもうやるだけのことはやった、燃え尽きた、向上する自信がなくなったというとき、つまり、現役を引退した時に受賞してもらいたい気がする(別に受賞しなくてもいいんだけど)。


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2006/03/20

白鯨と蝋とspermと

蝋燭の焔に浮かぶもの」という雑文の中で、バシュラール「蝋燭の焔」を、あるいはジョルジュ・ド・ラ・トゥールの炎を、はるか遠くにはフェルメールを想いつつ、あれこれと瞑想に耽ってみた。
 そこに最近、高島野十郎の蝋燭画が加わって、蝋燭のイメージには似つかわしからぬほどに豊穣なる想像の世界が広まった
 あるいはそこにファラデーのロウソクの科学を加えてもいいかもしれない。

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→ 20日、都内某所の公園脇にある稲荷神社。扁額(?)の文字が読めない!

 さて今日はそこに、ささやかな付け足しをしてみたい。
 先月末以来読み始めているハーマン・メルヴィルの『白鯨―モービィ・ディック (上・下)』(千石 英世訳、講談社文芸文庫)からである。読了できるのは小生のことだから今月中というわけにはいかないし、ちょっと感想文など綴れそうにないだろうから、脇道に逸れたことをメモっておきたいという意味もある。

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← 神社の外観。周りに築山も林もなくて寂しい。

 読書するとは、上記の雑文で示したように、「薄闇の中に灯る蝋燭の焔という命の揺らめきをじっと息を殺して眺め入るようなものだ。読み浸って、思わず知らず興奮し、息を弾ませた挙げ句、蝋燭の焔を吹き消してはならないのだろう」そんな営みなのに違いないのだし、だとしたら「大切なのは、読書とは、何時か何処かで生まれた魂の命の焔を静かに何処の誰とも知らない何者かに譲り渡していく営みだということに気付くことだ。読むとは、自分がその絆そのものであることの証明なのではなかろうか。」

 ところで『白鯨』を読んでいて、鯨の脂から蝋燭が出来ているという記述を読んだ。
 そういえばそんな話を何処かで聞いたことがある。

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2006/03/19

お知らせ

 小池 真理子氏著『闇夜の国から二人で舟を出す』(新潮社)をめぐる書評エッセイを書きました。
 ここ「無精庵万葉記  闇夜の国から二人で舟を出す」だよ。

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ブレスダン…版画と素描と

 ネット散策していたら、懐かしい名前や題名の本に出会った。いずれも版画(銅版画)に関係する名前。それは、ロドルフ・ブレスダン(ブレダン)であり、駒井哲郎であり、『銅版画のマチエール』である。
 出会ったのは、小生が折々覗かせてもらっている「artshore 芸術海岸」というサイトにおいてであり、その記事は、「ロドルフ・ブレスダン 1:魔術的」と「ロドルフ・ブレスダン 2:希望」である。
 ロドルフ・ブレスダンというと、多くはオディロン・ルドンの師として言及されることが多い。まるで傍流扱いである。それだけに、彼に焦点を合わせて向き合ってくれるとなると、ちょっと嬉しくなるのだ。

 別頁に、数年前に書いた関連の雑文「版画からあれこれ想う」を掲げておく(既にメルマガやホームページで公表済み。ついでなので、関連もあるし、「素描からあれこれ連想する」も載せておく)。再掲するのは、当時は有効だったリンク(URL)が今も閲覧可能か確かめる意味もある。
 その上で、若干の追記、主に新規のリンク(閲覧)先の紹介を行っておきたい。
 実際、ネットの世界(も、なのか)ほんの数年前には閲覧・参照できたサイトや頁も削除されてしまう。逆に、この変幻自在・融通無碍(?)なところこそがネットの長所でもあるのだろうけれど。

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