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2006/03/18

掌編、書きました!

 掌編「夜明け前」を書きました。
 今回は、ボクものです。

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ベックリンの「死の島」と髑髏

 WBCでメキシコがアメリカに勝ってくれたおかげで、日本が準決勝進出! 誤審か確審か分からないけど、きっとアメリカは、自国の審判振りが恥ずかしくて戦意を喪失していたんだろうね。
 今度こそ、日本は雪辱を果たして欲しい。松井さん、オープン戦、ホームラン1号、おめでとう。今からでも遅くないからWBCに応援に来なよ!

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→ アルノルト・ベックリン『死の島』(1883年 ベルリン美術館) (画像は、「アルノルト・ベックリン - Wikipedia」より)

 久世光彦著『怖い絵』(文藝春秋)の中で使われている絵で、小生も好きな絵が幾つもあったが、今回はアーノルド・ベックリンの「死の島」をめぐって若干の感想を。
 まあ、本稿も相変わらず、久世光彦著『怖い絵』の周辺を廻っての「久世光彦著『怖い絵』の周辺(続)」に引き続く、周辺物である。
 小生は、もう、二十年ほどの昔、何処かの展覧会(多分、国立西洋美術館)でベックリンの「死の島」を観る機会を得たことがある。仙台での学生時代には気になる絵の一つだったし、何処か憂愁の念に駆られがちの若い時には誰しもこの絵の世界に魅入られるものだろうけれど、実際、展覧会で実物を見て、死の世界に吸い込まれるような思いがあった。
アルノルト・ベックリン - Wikipedia」によると、「文学、神話、聖書などを題材に、想像の世界を画面に表わそうとする象徴主義の画家たちも同時代に活動していた。ベックリンはこうした象徴主義・世紀末芸術の代表的画家の1人である」ということで、絵を文学や思想、音楽その他と絡めないでは観られない、何処か文学趣味に走りがちでもある鑑賞の技量の未熟な自分だと、こうした象徴主義の絵画やゴッホやムンク、ルドン、モローなどの絵は分かりやすいし入りやすいかのようである(あくまで、かのようであるに過ぎないことは、絵を観る機会を積み重ね、絵をその他の分野と絡めないで観る楽しみを知ると、一筋縄では行かないことを思い知らされるのだが)。

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2006/03/17

春の嵐…勧酒

 昨夜は、「日本列島は17日、低気圧が関東を通過した影響で、太平洋側の広い地域で未明から強い風が吹き、東京・大手町で午前2時ごろに最大瞬間風速32メートル、千葉市で32・8メートルを観測した。」という春の嵐の一日だった(「Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 春の嵐、千葉で風速32・8m…各地で交通機関乱れる」参照)。
 小生もタクシードライバーの端くれとして昨日の午前10時半過ぎから本日の午前6時過ぎまで風雨の中、営業していた。
 風雨の中と書いたが、昨日の午後は小雨が断続的に降っていて、そこに次第に風が加わり、夜半を回ってからは、予想に反して雨が早めに上がったはいいが、風のほうは強まるばかりという天気だった。
 だから、風と雨が相俟って道行く人を、交通機関を、庭や塀や看板を乱しあるいは吹き飛ばしたりしたのは、そんなに長い時間ではなかった。

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→ 激しい風雨の中、都心を目指して…。車中からの撮影。

 強い風が吹くと路上にいろんなものが舞う。しかも雨上がりとなると、多くは傘、デザインの施された布地の傘も散見されるが、大概は(印象かもしれないが)ビニール傘である。不意の雨というわけではないが、それでも用意が間に合わず余儀なく買い物求めた傘だから、用が済めば棄てられるか、置き去りにされるか、意図的ではないのかもしれないが忘れられていくビニール傘。
 他にゴミ捨て場のゴミが風に飛ばされ路上を行き交う。ペットボトル、空き缶(中には自動販売機から、あるいはコンビニなどから回収された多数の空き缶の詰まった大きなビニール袋も)、空っぽのビニール袋、工事用のコーン、コーンから剥がれたのだろうコーンベッド…。不思議に枯れ葉も多く舞っていて、その舞い踊る様だけを車中から眺めると、さながら木枯しに枯れ葉が散り舞い踊るといった風情だった。そして、稀に路上にまで看板が倒れ込んでくることもある。
 ニュースによると、春の嵐がアパート屋根を剥ぎ取ったとも!

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2006/03/16

久世光彦著『怖い絵』の周辺(続)

 相変わらず久世光彦(てるひこ)氏著の『怖い絵』(文藝春秋)を読んでいる。すっかり彼の文章のファンになってしまった。が、小生には彼の文章・文学の評など書けないので、やはりここでも「久世光彦著『怖い絵』の周辺」をもう少々。
(車中で読んでいた小池真理子氏著の『闇夜の国から二人で舟を出す』(新潮社刊)はある意味、意外なほどに楽しみつつ読めたので、読了したことでもあり、感想ぐらいは後日、綴りたい。)
『怖い絵』は大部の本ではないのだが、絵の絡む本となると、どうしても登場する画家や絵画を前にしばし瞑目したり、久しぶりに見る絵(画家)を懐かしんだり、逆に聞き慣れない(見慣れない)名前に戸惑って調べてみたくなり、気になってなかなか先に進めないのである。
 そこはネットのありがたさで、音楽だと曲そのものを聞くというのは、例外的にのみ可能で、せいぜい作曲家らの周辺を廻るだけだが、絵画(画家)となると、大概は関連サイトに絵が掲げられている。小生も許されるなら載せたいし、そのための手間は惜しまないつもりだが、未だ、その手続きが分からないでいる。
 ギュスターヴ・モローやビアズリー(ビアズリー(1872~1898(イギリス)「享年25歳 結核で死去」だとか)らのサロメも採り上げたいが、後日を期す。
 ビアズリーについては、「BERDSLEY  ビアズリー」なるサイトがいい。オスカー・ワイルド著「サロメ」の押絵(岩波文庫)からなど、ビアズリーの数々の絵が載っていて壮観である)、ここでは日本の画家、主に挿し絵画家の周辺を廻ってみたい。

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→ 15日の夕方、外に出たら満月が。でも低い空。なので、密集する住宅に月影が見え隠れする。ほぼ真ん中に位置する月影に気づかれるだろうか。今頃は高い空に上っていることだろう。あとで、外に出て夜空を見上げてみようかな。

 挿し絵画家。多くは世に知られている画家だろう。名前は初耳でも、絵を観ると、ああ、この絵なら観たことがある! と思うに違いないと思う。特に久世氏と近いある年輩以上の方は、きっと。
 小生にとっては年代がやや上だが、それでも歴史小説・時代小説がとりわけ好きな父の書斎や書棚には、時代小説の専門月刊誌や単行本・文庫本が日本文学全集などと共に並んでいた記憶がある。今も並んでいるが、当時は父の書斎といっても、ガキだった小生が勝手に入り込めるような襖の部屋で、家族のいない間にこっそり本を手に取ったものだった。

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2006/03/15

三人のジャン…コンクリート壁の擦り傷

 久世光彦(てるひこ)氏著の『怖い絵』(文藝春秋)を読んでいるのだが、中身に付いて感想もさることながら、それぞれの章で扱われる画家(絵画)や挿画につい関心が向かってしまう。先ほど、読んだ章には、小生が二十代の後半から三十代にかけての頃に、一番、好きだったギュスターヴ・モローの名や絵が話のモチーフになっていて、懐かしくなった。
 小生はその前はムンクやエゴン・シーレ、ルドン、パウル・クレーなどが好きだったが(今も、勿論だ!)、次第にモローの世界に傾いていった。というより、官能的な世界に我が身が浸潤されたというべきか。
 しかし、三十代の後半からは、下記の雑文で示すように、次第に抽象表現主義やアンフォルメルの絵画作品に圧倒されていく。三十代の半ば頃、残業続きの上、友人の仕事の手伝いなどで睡眠時間がただでさえ数時間もなかったのに、朝までの乏しい睡眠時間を削って、ジャクソン・ポロックやジャン・デュビュッフェジャン・フォートリエらの作品(言うまでもないが、展覧会で見てきた印象や買い求めてきた画集の中のいずれかの作品)を前にして、掻き立てられるイメージのままに、まさに抽象表現的な文章、虚構は虚構だが、詩といえば詩であり、友人曰く、まるで文章になっていないものを書いていた。

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→ 紫苑さんから画像掲示板にいただいた薔薇の画像です。アダモはコンサート40曲近くを歌いきったとか。紫苑さん、「コンサート終了後楽屋まで押しかけサインと握手とキッスをいただいてまいりました!」だって。小生もその情熱の欠片でも戴かないとね。

 自分としては他人には支離滅裂なのは最初から承知の上だった。文章を無理につなげようなんて、まるで考えていなかった。なりふりなど構っていられなかった。
 とにかく掻き立てられ、湧き上がるイメージ…、というより、例えば闇の宇宙をあてどなく漂っていて、時に心地よく浮遊していくのだが、時に方向感覚も上下の感覚も失われ、メニエル症という頑固な病に冒されたように(実際、92年から93年の頃は、振り返ってみると、明らかにメニエル症かメニエル症候群の渦中にあったとしか思えない苦しい症状に悩まされるようになった)吐き気と眩暈に苦しまされ、そのまま水平に意識を失うようなことになるのかと思いきや、闇の海の中に目には見えない岩盤か何かがあって、思わず頭から衝突してしまって、悶絶してしまう、その末期の瞬間のオレンジ色の閃光に射抜かれるようにして、言葉の断片を書き綴っていたのだった。
 懸命だった。生きる証というと大袈裟かもしれないが、本人は必死だったのである。肉体的実在感、希薄な存在感からの脱出…。

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満月の夜

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↑ これは昨夜、携帯で撮ったもの。見た目には満月だった。
 日中、冷たい風が吹いて冬に逆戻りした寒さとなり歩くのも辛かった分、空気が綺麗になった。お陰で、目には月影が冴え冴えとして見え、思わず撮りたくなったのだ。
 孤独になりがちな仕事柄、月影を追うのがささやかな楽しみである。
 撮った場所は日比谷公園の中の小さな丘の上。正確には今日、15日が満月である。
 今日は、高層ビルの上層階からは東京タワーは勿論、昼間は遠く富士山もよく見えたとお客さんが言っていたっけ。

 我が心映し返すか眩し君

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2006/03/14

久世光彦著『怖い絵』の周辺

 久世光彦(てるひこ)氏著の『怖い絵』(文藝春秋)をようやく読み始めることができた。
 今日は私事があれこれあって忙しく(郵便局、歯医者、クリーニング、図書館、スーパー、掃除機のクリーニング、風呂場の掃除、その上、思い立って久しぶりにメルマガの配信作業に取り組んだ)、ゆっくり本を読む時間があるのかと危ぶんでいたけれど、さすが休日の威力で、一時間余りは読書に勤しむことができたのである。
 といっても、読むのが遅い小生のこと、半分も読めていない。それにあちこちで引っかかって、ついメモったりして、尚のこと、牛歩となってしまう。
 別に慌てる必要はないのだが、読みたい本、書きたいことが山積みとなると、ちょっと忙しい気分での読書となるのは仕方がない。

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→ 14日の午後だったか、都内某駅のロータリーで謎の生き物を発見遭遇! 

 それにしても、今日、図書館で返却・借り出しをしてきたのだが(「アートレスをアートフルに(承前)」などの文章を綴る参考にしていた、鷲田 清一氏著の『〈想像〉のレッスン 』(NTT出版ライブラリーレゾナント015)も期限が来て、仕方なく返却してしまった。なので、志半ばにして、『〈想像〉のレッスン 』にて言及・引用・参照されているアーティスト名を列挙の形でメモする試みは頓挫と相成った。いつか再度、借りてきて続きをとは思っている)、その帰り、リサイクル本のコーナーを見たら、驚いた。
 真新しい全集が十数冊も並んでいる!
『コレクターズ版世界文学全集』(日本ブッククラブ)である。小生が図書館を出ようとしたのは四時過ぎだったので、恐らくは既に相当程度の巻は貰われていったのだろうと思う。
 装丁からして古びたデザイン、懐かしいという雰囲気の漂う、いかにも本はかくあるべきという全集だったが、案の定、72年に初版が刊行されたもので、並んでいた全集は第五刷のもの。でも、ほとんど手付かずといった感を強くする、頁が一切、捲られていないような新鮮さ。

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2006/03/13

送信実験です。

携帯でのメール送信実験です。さて。

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メルマガを配信しました!

 二ヶ月ぶりにメルマガを配信しました。通巻351号で、今回は索引号です。
 内容の大よそは別頁に表示しました。
 メルマガの登録は、ホームページの下段に窓口があります。

[ この記事に「刷りバカ日誌」@にわけんさんよりコメントを戴いている。その文面はコメント欄を覗いてみて欲しい。そのコメントの中に、「心臓移植費用を求めている一人の少女がいます。まなちゃんを応援して下されば幸いかと存じます。」とあるけれど、肝心の当該のサイトは以下:
まなちゃんを救う会
 このブログサイトの冒頭の文面をここに転記させてもらう:

東京都多摩市在住の石榑愛(いしぐれまな)ちゃんは平成17年6月28日に元気な産声をあげました。しかし生後5ヶ月で「拡張型心筋症」であることが分かり、心臓移植をしないと余命半年との宣告を受けました。
現行の日本の臓器移植法では、15歳未満の小児からの臓器提供は認められていません。
そこでご両親は、海外での移植手術を決断し、関係者の尽力によって、米国カリフォルニア州にあるロマリンダ大学病院への受け入れが決まりました。しかし海外での医療費には日本の健康保険は適用されないため、心臓移植手術費、滞在治療費・渡航費などで合計1億3600万円もの費用が必要となります。これは、一般家庭では到底用意することができない金額であるため、まなちゃんを助ける為には多くの皆さんのご支援を必要としています。
まなちゃんが一日も早く渡航できるよう皆様のご協力をお願いいたします。

 詳しくは当該のブログサイト「まなちゃんを救う会」を覗いて確認してください。 (記事作成当日追記)]

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ロゴスって言葉? 光? 尺?『異端の数 ゼロ』をめぐって

 チャールズ・サイフェ著の『異端の数 ゼロ』(林 大訳、早川書房)が面白い。
 まだ、読み止しで半分も読んでないけれど、楽しめそう!

 レビューによると、「本書は、史上もっとも危険な概念―ゼロの“伝記”である。バビロニアに生まれたゼロは、そのなかに潜む“無”と“無限”ゆえ、人類の知的営為を揺るがしてきた。ゼロは、古代ギリシアの諸賢によって禁じられ、キリスト教世界では異端視された。パスカル、デカルト、ニュートンらの業績の裏には常にゼロの問題が潜んでいたが、その脅威は、科学が進歩を遂げた現代でも変わりはない。ゼロを追放しなければ、一般相対性理論の無限大問題は解決できないように。歴史を通じて排除の対象でありつづけたが、消えることはなかったゼロ。有用でありながら、多くの矛盾や論理の崩壊をもたらすこの概念の全貌を、まったく新しい切り口で描くポピュラー・サイエンス」とある。

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→ やはり11日の夜半過ぎ、都内某所で客待ちしながら、看板の綺麗なお姉さんをぼんやりと。日中のように路上を行く女性を眺める機会もないし。広告のモデルさん、一体、誰に微笑みかけているものやら。

 過日、ダン・ブラウン著の『ダ・ヴィンチ・コード』 (越前 敏弥訳、角川書店)を読んだけど、確かにキリスト教の秘密に迫るようで、面白くはあったが、そうした凝った意匠を剥ぐと、物語として、というより語り口としてつまらなかった。ほんの数十頁読んだだけで、大方の一般の読者が知らないような、意表を突くかのようなキリスト教や欧米での封印されてきたかのような秘密が満載になっていて、それが好奇心を掻き立ててくれるけれど、文章そのものは殺人ミステリー物としては平凡で、ああ、先行きが読めるようでうんざりだなと予感しつつ、とにかく読み切った。
 魔の数666のことにしても知らないではなかった。「最後の晩餐」というダ・ヴィンチの大作が修復されていて、新鮮な衝撃を与えつつあるとも仄聞していた。
 小生は未読だが、『ダ・ヴィンチ・コード』が出版され話題になる数年前には、マイクル・ドロズニン著の『聖書の暗号』〈麻生 暁訳、アーティストハウスパブリッシャーズ)が話題になっていた。「2001年9月11日、米国で起きた同時多発テロ―世界中を震撼させた事件は、3000年前から『聖書』に予言されていた。聖書には、さらに驚くべき予言が暗号化されていた。「聖書の暗号」の鍵が、ヨルダンのリサン半島にあるというのだ」云々といった、やはりミステリー調の本。
 古来より聖書の<暗号>を先にあげた666を含め、数字の魔術でひも解く試みは縷々行われてきたし、現在も倦むことなく営々と続けられているようだ。

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2006/03/12

アートレスをアートフルに(承前)

 昨日の営業は、夜中になって疲れが出たのか、寝すぎるくらいに寝てしまった。どこかの公園の脇に車を止めて、ちょいと小一時間ばかり仮眠を取ろうと思ったのだが、カーラジオをオフにし、眼を閉じたのは草木も弥一も寝る丑三つ時の二時頃だったのが、目が覚めたらゴ、ゴ、ゴ、松井だ、じゃない、ゴジラ、じゃない、五時だ!
 いくら車の中がダンボールや故障した電気製品、古着、そして埃だらけの自室より居心地がいいからって、これだけ寝ちゃ、アカンね。
 春爛漫、春爛々弥一の本領躍如といったところか。
 さて、気を取り直して、閑話休題

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→ 11日の夜、都内某所で撮影。一度くらいこんな場所で野球をやってみたかったなー、なんて思いながらパチリ。

アートレスをアートフルに(序)」で以下の二つを3月10日に、今日は何の日として紹介した:

  3月10日は、第9回冬季トリノパラリンピックの会期が始まる日である(日本時間だと11日だが)。→「トリノ通信、2006年トリノ冬季オリンピック、パラリンピック
(覗かれた方はすぐに気づくだろうが、末尾にある「トリノ冬季五輪会場(山岳部)3D衛星写真地図」は壮観だ。)

 3月10日は、東京大空襲の日である。→「春の川(はるのかわ)」(March 10, 2005 )「冴返る(さえかえる)」(February 27, 2005 )「花炭…富山大空襲」(August 17, 2005

 ところが、早速バイアスロン女子12・5㌔視覚障害で小林深雪選手が金メダル、女子12・5㌔立位で日本選手団最年少16歳の太田渉子選手が銅メダルを獲得したなどと報じられた前者のトリノ冬季パラリンピックはともかく、後者の東京大空襲は(ラジオではNHKが少々やっていたが)テレビでは(ほとんど乃至は民放は皆無か)関連番組はなかったようだ。他に事件があったのだとしても、ちょっと情けないような気がする。
 アメリカとの関係重視の現われか、単に認識不足なのか。勘ぐり過ぎ?

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