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2006/01/07

初詣の代わりの巨石文化?

 年末の帰省の列車中で、あるいは仕事始めの車中でジャン‐ピエール・モエン著の『巨石文化の謎』 (蔵持不三也/監修 後藤淳一/訳 南条郁子/訳 、創元社、「知の再発見」双書 91、2000年7月)を読んでいた。同時に文中の豊富な画像群を眺めていた。
 出版社のレビューでは、「巨石建造物は大昔から伝説で彩られてきた。環状列席石で有名なストーンヘンジをはじめ、ヨーロッパ各地にはさまざまな巨石建造物が存在する。単なる謎解きにとどまらず、歴史に託されたメッセージを考察する。」とある。
「巨石建造物は大昔からさまざまな伝説で彩られてきた」…例えば、「とある地域の巨石建造物は荒地の真ん中で、踊る少女たちの行列がやってくると、身を起こして少女たちを通してやったという。」
 著者のジャン‐ピエール・モエンは、「フランス博物館研究所の所長。アンドレ・ルロワ=グーランの指導の下で、先史学の国家博士を取得。グラン・パレで“ケルト王の宝物展”(1987年)など数々の展覧会を開いてきた。主な著作に「巨石建造物の世界」「先史時代の冶金」などがある。’92年まで、サン=ジェルマン=アン=レー国立先史学博物館館長」だった人。

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→ 山田 英春著『巨石―イギリス・アイルランドの古代を歩く』(早川書房)

 巨石文化。古代において建造物を作るとするなら鉄や青銅などを精錬する技術が生まれる以前は、石(岩)を利用するか木を利用するかのどちらかとなる(そこに土を加えたかかぶせただろうけれど)。
 巨石文化というと、ガキの頃に夢中になったムー大陸の話やアトランティスの話を想ってしまう。ギリシャ・ローマ文化からの連想か、そうした古代の(想像上の?)文明と言うと、石の柱であり屋根であり廊下であり壁というわえけで、石(岩)とは切っても切れない関係と(連想の上では)なっている。

 小生は学生時代にカスパー・ダヴィッド・フリードリッヒというドイツ・ロマン主義の風景画家の存在を知った。書籍の中の小さな画像だったけれど、一目見てその世界に魅了された
 そのフリードリッヒに巨石の墓の前に佇む絵がある。

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2006/01/06

初鏡…化粧とは鏡の心を持つこと?

「初鏡」などと、冬一月の季語の中でも無骨で野卑な小生には凡そ無縁な季語を選んだ。
 昨年の一月に採り上げた「初化粧」の時も、冒頭で「初化粧だなんて、これまた小生には一番、似つかわしくないような季語(季題)を表題に選んでしまった」などと書いて忸怩たるというか、一応は躊躇いがちに書いているのだという謙遜というより、以後の小文の中身の貧相さを弁解するような口ぶりを示していた。
 化粧は小生は記憶する限り自分では試みたことがない。
 遠い昔、悪戯でお袋の鏡台にあった口紅をちょっと差してみたことがあったような気がするが、何事にも臆病な小生のこと、その紅の先には赤い闇が口を開けて潜んでいそうで、深入りすることもなくさっさと逃げ去ってしまった。
 とはいっても、関心は少なからずあるようで、恐る恐る及び腰でとなるが先月も「鏡に向かいて化粧する」の中でも化粧を扱ったばかりである。

 さて、「初化粧」でも書いているが、「初化粧」と「初鏡」とは(もっと言うと、化粧と鏡とは)切っても切れない関係にある。余程慣れているか、急いでいる時でもない限りは、化粧は鏡を使わざるを得ないはずである。化粧は鏡に映る自分の顔姿を見ながら施されていく。美容院のように他人(専門家)の手に委ねる時でさえ、鏡は必需品のようだ(男の小生は推測・憶測するしかないのだが)。
 そのことを「初化粧」の中では、一言で、「化粧と鏡、鏡と女性、この三角関係の中にだけは男性は立入る術もない」と書いている。
 実際、俳句の世界でも、「初鏡」の類題・傍題が「初化粧」なのである。

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2006/01/05

聴初には何がいいだろう

 年末から昨日にかけて、モーツァルト作曲の「フィガロの結婚」をラジオであるいはテレビで繰り返し見聞きした。といっても、ラジオではさすがに序曲だけである。
 モーツァルトの序曲の中でも人気の上位に来る曲のようだけど、どうして年末年始に幾度も聞くことになったのか。友人の車に同乗した際に、自宅で画面の映らないテレビで、仕事中ラジオを聴いていてと、シチュエーションは違う。
 ベートーベンの第九(合唱)が年末になると、あちこちのイベントで聴かれる(というか歌われる、というべきか)のは恒例みたいになったけど(もしかして、第九は冬12月の季語になっている、もしくはなっていてもおかしくはない。詠み手がその気になって第九の合唱される風景などを句に織り込めば、間違いなく季語になる?!)。

 でも、「フィガロの結婚」は、一体、どうしたわけなのだろう。モーツァルトの生誕250周年の年に当たるからって、他にも名曲は一杯あるじゃないか(誰か何故、「フィガロの結婚」が今、頻繁に流れるのか、教えて欲しい。ただの偶然?)。

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← hirononさんから拝借した画像です。「妻籠宿」だとか。島崎藤村を想ってしまう。冬の山は音をも雪に変えるのか…。

(先に進む前に、「フィガロの結婚」については、「フィガロの結婚 - Wikipedia」などでネット検索して調べてもほしい。情報はネット上でも豊富に満ち溢れている。ここでは、「フィガロの結婚(Le Nozze di Figaro)は、フランスの劇作家カロン・ド・ボーマルシェ(1732年 - 1799年)の書いた風刺的な戯曲、ならびに同戯曲を題材にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲したオペラ作品である。(Le Nozze di Figaro, K.492)」だけ、転記しておく。それにしても、『セビリアの理髪師』(伊: Il Barbiere di Siviglia)は、1775年にフランスの劇作家カロン・ド・ボーマルシェ(1732年 - 1799年)の書いた風刺的な戯曲」などの原作を読んだ人はどれほどいるのだろうか。まあ、モーツァルトの音楽の世界とは別個の世界なのかもしれないが。)

 確かに、今年はサッカーであればワールドカップドイツ大会の年だが、音楽界では「モーツァルト生誕250周年」の年であることは今更口にするのも気恥ずかしいくらいだろう。
 音楽にも疎い小生でもモーツァルトの曲を聴くと何か人間業でないものを感じてしまう。そもそも曲を作るということ、メロディを着想するということが小生には驚異だ。

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2006/01/04

年賀状の代わりのメルマガ

 表題に1月の季語である「年賀」を選んだが、特にこの話題について言及しようというのではない。
 小生は、五年前の二月初め頃にホームページを開設した。文章しかない地味なサイトで、全くの手探りの状態から始めたのだが、お蔭様で既に72000ヒットを超えている。
 ありがたいことである。ひたすら感謝するしかない。
 当初はアクセスが日に一度か二度で、つまり自分しか覗かないサイトだったのが、あれこれ悪あがきなどもして、徐々にアクセス回数も増えていった。が、日に50前後で頭打ちとなっている。これが限界なのか…。

 ところで、ホームページを開設して五ヶ月も経たない同じく五年前の七月にメールマガジンの配信を始めている。
 それは、ホームページへのアクセス回数が伸びないことからの焦り(?)もあったが、当時を思い返してみると、その前の年だったか、田口ランディ氏がメールマガジンを配信していて、人気を呼び、ついには本を出版されてベストセラーになったという話を聞いて、小生、色気を出してしまったのである。
 そうだ、小生の地味なサイトも、メールマガジンとタイアップすれば、うまくいけば認知度も人気度もアップして、うまくいけば本だって出せるかもしれない、なんて。
 全くの誤算に終わったことは言うまでもない。
 思えば、実のところ、ホームページに文章などをアップするのが(自分には)結構、面倒だったことがメールマガジンに走った理由でもあったと告白しておかないといけない。
 そもそもホームページを開設したときは、文章などをネットにアップするには、そのための専用ソフトが必要だと言うこと自体、知らなかった。開設に際し、業者任せにしてしまったツケが回ってきたわけである。
 アップするたびに業者にお願いしていたのでは埒が明かないと、友人にアップの方法を学んだのは開設してから一ヶ月近く経った二月末のことだった。
 確かに方法は学んだが、やはり面倒なことに変わりはない。

 そこへ、メールマガジンという媒体の出現である。
 メールマガジンなら、書いた文章をそのままにネット上に載せることができるではないか!

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2006/01/03

野老から倭健命を想う

 1月も12月ほどではないが、季語(季題)が多い。
 年末年始ということで年中行事もあれこれあるし、1月は、「門松、 飾、注連飾(しめかざり)、飾臼、鏡餅、蓬莢」といったいかにも正月らしい季語も多い
 が、なんと言っても「初鶏、初鴉、初雀、初明かり、初日、初空、初富士、初凪、若水、初手水、乗初、初詣」や、「初化粧、初諷経、新年会、初金毘羅、笑初、泣初、掃初、書初、読初、仕事始、山始、鍬始、織初、縫初、初商、売初、 買初、初荷、飾馬、初湯、梳き初、 結い初、初髪、初鏡、稽古始、謡初、弾初、舞初、初句会、初芝居、 宝船、初夢、御用始、帳綴、騎初、弓始、出初」などといった、年初ならではの季語が句に織り込まれてきたことが一月の季語を豊かにする上で大きいことが分かる。

 一月は、当然ながら何をやっても初物となる。季語にあるのかどうか確認が取れていないが(以前にも採り上げたことがあるが)、「姫始めとか、初屁の出とか、初小水とか、初喧嘩とか、初料理とか、嘘始め… 」なども、年の一発目であれば、初物であることは間違いない。
 これらが季語になるかどうかは、句をひねる人の力量次第だ。話題になってしまい、多くの人が同じキーワードで句をひねって作品を争うようになれば、一部に顰蹙を買う向きがあろうと、断固、季語の座の末席に連なるに違いない。

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2006/01/02

歌留多よりも読初

 今日の季語随筆の表題は1月の季語である「歌留多」にするつもりだった。
 ネットで検索すると、「猫がいて歌留多遊びの邪魔が好き   城山千夏」「恋歌に手の重なりし歌留多取り    析積」「座布団の下に逃げ込む歌留多かな    眠兎」「歌留多札人に取られてゆくばかり   草野玉葱」「歌留多していつしか日が傾きぬ   川原妙子」(以上、いずれも「インターネット俳句大賞・八木健選・12月の結果」より)とか、「歌留多の灯一途に老いし母のため   みづえ」(「游氣風信 No97「めでたい俳句」 三島治療室便り'98,1,1」より)などの句が見つかる。

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← 紫苑さんに戴いた年賀の画像です。今年もこの薔薇の花のように咲き誇りそう!

 最近ではトランプなどに押されてカードゲームとしても一つの風景として遠ざかってしまったように思えるけれど、それでも、ファミコンなどが流行る現代だからこそ、敢えて楽しむ方も一方では増えているのかもしれない。
 似たような正月ならではの遊びとしては、他に花札や双六などがある。ほんの数年前までは郷里の家でもお正月には欠かせぬ遊びとしてやったものだったが、両親が札遊びどころではなくなって、すっかり遠のいてしまった。
 こうなると、一層、「歌留多」を俎上に採り上げるべきだと思った矢先、「歌留多」を扱うこの上ないサイトが見つかってしまった。
 それは、「日本国語大辞典第二版オフィシャルサイト:日国.NET  季節のことば  新年 其の一 歌留多」である。

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2006/01/01

創作アップのお知らせ

物語…虚構…世界…意味」の中で書いたように、物語とか虚構作品を綴る意味を今年は一層、考えていきたいと思っています。
 一切が不透明である現代こそ、物語の重要性を痛感しているのです。

 ということで、早速、創作の館である「無精庵方丈記」にて、新作をアップしました。できたてのほやほやです。うっかり触ると火傷するかも。
 タイトルは、「兄ちゃんの姫始め」です。
 タイトルで連想されるほど、生易しい内容ではないかも。

 楽しげな(?)作品を好まれるなら、「姫 始 め」のほうがいいかもね。

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年頭に当たって…あいも変わらず

 12月は季語・季題が豊富にあり、その中から幾つか一昨年採り上げたものを「12月は季題が豊富にあります」の中で示し、昨年の12月にも幾つか採り上げた

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← なずなさんにいただいた年初の挨拶の画像です。共に歩める相棒が居るのは羨ましいね。小生は、どうなんだろう?!

 お世話になっているのはネットで覗くことができる、「俳句歳時記」や「俳句ステーション」「よっちのホームページ」などのサイトで、他に手元(電子ブック)の俳句歳時記(子規)などを参照している。
 さて、「俳句ステーション」を覗かせてもらうと、1月も負けず劣らずに多い
 参考に昨年の正月に採り上げたものを列挙してみる(表題を見て直ちに気づくのは、その頃はまだ表題が季語・季題だけで、実にシンプルだということ。中身はともかく、段々、表題が賑やかになっていく…)。


「蓬莱(ほうらい)と徐福」(January 04, 2005
「寝正月」(January 05, 2005
「鳥総松(とぶさまつ)」(January 06, 2005
「お屠蘇と雑煮」(January 07, 2005
「明珍火箸」(January 08, 2005
「寒稽古」(January 09, 2005
「新年会」(January 10, 2005
「初化粧」(January 11, 2005
「冬籠(ふゆごもり)」(January 12, 2005
「冴ゆる」(January 13, 2005
「冬薔薇(ふゆさうび)」(January 14, 2005
「氷柱」(January 15, 2005

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← マコロンさんにいただいた年賀状の画像です。ああ、今年も一枚も年賀状を出さなかった。もらって喜ぶ人が居たらいいのだけど…。

「薮入り」(January 16, 2005
「雪女郎」(January 17, 2005
「青木の実」(January 18, 2005
「初金毘羅」(January 19, 2005
「初金毘羅(続)」(January 19, 2005
「風花」(January 20, 2005
「寒月」(January 21, 2005
「月冴ゆる」(January 22, 2005
「悴(かじか)む」(January 23, 2005
「侘助(わびすけ)」(January 24, 2005
「日脚伸ぶ」(January 25, 2005
「(雪)しまき」(January 26, 2005
「懸想文(売)」(January 27, 2005
「10円カレー」(January 28, 2005
「雑炊と粥とカレーと」(January 29, 2005
「春着(はるぎ)」(January 30, 2005
「淑気と春隣と」(January 31, 2005

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← tanuさんにいただいた年初の画像です。なずなさん共々、小生がファンになって勝手にお邪魔しているサイト。他にもこっそり、でも日参しているサイトが幾つかある。和みと温みを戴く一方で何もかえすものがないのが情けない。

 継続は力なりと言うらしいが、こうして総覧してみると、少しはあれこれ勉強はしようとしていることを感じる。小生は既に三十年以上、日記をつけている。実際にはネットに参入したこの数年は特に(紙の)日記にはその日の天気や買い物の記録、読み始めたり読了した本の著者名と題名、外出先などの項目をメモしているだけになりがちだが、それでも、いずれは自分にとってのかけがえのない資料になることだろう。

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