エッシャーの迷宮に今目覚めけり
[以下は未公表の旧稿である。アップし損ねていた。書いて、原稿の様子を見て、あと少し手を加えたらアップしようと思っていたが、何かの用事に気を奪われ、それきりスッカリ忘れてしまったようだ。アップしたつもりでいたのだ。
よって書いた日時が記憶に無い! 半端に終わっていることは重々承知だが、今更、書き足したりするのも面倒なので、一切、手を加えずアップする。
アップアップである。
ああ、それにしても、よりによって今日が雨とは、運が悪い。
今日から帰省だというのに……。 (06/12/26 アップ時追記)]
「座乱読後乱駄夢人名事典・歴史上のお友達?」なるサイトの記事を(申し訳なくも)漫然と眺めるのがこの頃のネット上での楽しみの一つになっている。
あまり公にはしたくないが、水墨画をこっそりと(細々と)試み始めていて、自作の絵を描くサイトの数々が気になっていて、関連するいろんなサイトをお気に入りに入れて、ああ、うまいもんだー、今の自分じゃ、どうやってもこの域の絵は描けないなーと溜め息しきりの毎日なのである。
→ DVD『M.C.エッシャー』(出演: M.C.エッシャー、レントラックジャパン)「M.C.エッシャーの作品と人生の軌跡を追う唯一の傑作ドキュメンタリー!」だって!
そうはいっても、日頃は時間がなくて練習どころか、サイト巡りも侭ならない。
が、日曜日の午前ということもあり、じっくり過去に遡って眺めてみたりした。
すると、「エッセル」という記事に遭遇した。
絵を見ただけでは、何処かの知らない小父さんである。名前からも、まるで思い当たる人物像を結ばない。
記事を読むと、明治政府のお雇い外国人の一人で、「オランダ人のジョージ・アルノルト・エッセル」と言い、「治水技術者として来日し」たのだという。
この記事にも説明があるが、「ジョージ・アーノルド・エッセル - Wikipedia」によると、「ジョージ・アーノルド・エッセル(George Arnold Escher, 1843年5月10日 - 1939年6月14日)は、明治期に来日したお雇い外国人である。または、エッシャー、エッシェルとも呼ぶ」とある。
そう、段々、焦点が合わさってきた。
「1873年(明治6年)にデ・レーケらとオランダから来日。淀川修復工事(大阪府大阪市)や三国港のエッセル堤、龍翔小学校(現在のみくに龍翔館)(福井県坂井市)の設計、指導を行った。1878年(明治11年)離日。母国に戻りエリート官僚の道を進んだという。息子のマウリッツ・エッシャー(Maurits Cornelis Escher)は、後に画家として有名になった」という。
そう、今となっては、日本では、マウリッツ・エッシャーの父として(日本の関係地などは除いて)有名な人物なのだろうか。
エッシャーという小生も好きな画家の名前が出てきた。せっかくなので、エッシャーについて、改めて調べたり、やはり絵の数々を眺めてみたい。
エッシャーについては、今更、小生如きが語る何事もないから、ネット散策のブログには載せることのない道程の、ささやかな楽しみに留めるつもりでいた。
けれど……。
「マウリッツ・エッシャー - Wikipedia」や「マウリッツ・エッシャー」などのサイトで、マウリッツ・エッシャーの人となりを見直してみる(上記の二つのサイトは、似ている。どちらかがどちらからかの引き写しなのかな)。
父ジョージ・アルノルト・エッセルと息子マウリッツ・エッシャーの関係に焦点を合わせて見ていくと、まずは、父エッセルが土木技術者としての生涯を送ったのに対し、息子エッシャーは「13歳まで彼は土木技術について学び、ピアノのレッスンを受けていた」という。
土木技術はともかく、ピアノのレッスンというのは父の影響なのか母からのものなのか、あるいは時代の流行や常識だったのか、分からない。
少年期からエッシャーは絵に才能を示していたようである。但し、学校(専門校?)では「建築と装飾美術」を学んだようで、その学校で彼に影響を与えることになる人物(サミュエル・メスキータ)と出会っている。
人生の転機となった「船旅とアルハンブラ宮殿」項は、ここでは当該の頁を覗いてもらうだけにするが、なかなか興味深い。
「モザイク模様の研究」の項を読むと、「(アルハンブラ宮殿)旅行を終えた後、エッシャーは結晶学者であった兄のB.G.エッシャーに『結晶学時報』を読んでみるように勧められた。『結晶学時報』には繰り返し模様に関する論文が掲載されており、エッシャーはその雑誌で平面を同じ図形で埋める方法(平面充填)を研究した」とある。
いよいよエッシャー的世界が開花していくわけである。
「M.C. エッシャーの公式サイト」を覗いてみよう:「The Official M.C. Escher Website」
このサイトの中には、当然ながら「Picture Gallery」があり、幾つかの年代(頁)ごとに分けられている。
実は、この中の、「Early work from 1916 - 1922」を覗いてみて、とりあえずは自分のためにもメモしておかないといけないと思ったのである。
「Picture gallery "Back in Holland 1941 - 1954」や、あるいは、「Recognition and Success 1955-1972」、そして「Symmetry; most of M.C. Eschers' Symmetry Drawings」などの頁に載せられている絵の数々は、エッシャー好きなら見慣れている、一度ならず(現物かどうかは別にして)見たことがあるものたちだろう。
が、「Picture gallery "Switzerland and Belgium 1935 - 1941」や「Picture gallery "Italian period 1922 - 1935」などの頁に載せられている絵の数々となると、次第に見たことのないエッシャー世界に踏み込んでいくようである。
まして、「Early work from 1916 - 1922」なる頁に見る絵の数々にはちょっとびっくりした。
初期の絵とはいっても、少年時代や青年時代とも言い難く、30歳前後の頃の絵なのだが、万が一、彼エッシャーが彼の次男が罹患した結核などで夭逝したとしても、これらの作品で(少なくともオランダなどにおいては)銘記されるべき画家になっていただろうと思われる。
興味ある人もそれほどではないという方も、是非、「Early work from 1916 - 1922」なる頁へ飛んで行って見てもらいたい。
初期の絵は、影響関係があったかどうかは別にして、ゴッホやムンクやマグリット、ルドンの匂いがプンプンしていて、独創的とは言いかねるとしても実に個性的である。
影響関係があったかどうかを別にするなら、「貧困にあえぐ農民や労働者、そして戦争に翻弄される民衆の苦しみを描」いたケーテ・コルヴィッツをほんの一瞬、連想させたりする。
(ケーテ・コルヴィッツについては、「企画展 ケーテ・コルヴィッツ展」など参照。)
← ダグラス・R. ホフスタッター著『ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版』(野崎 昭弘/柳瀬 尚紀/ はやし はじめ訳、白揚社)(エッシャーは、一般読者をひきつけるための添え物(挿画)に使われているような……。そういえば、エッシャーの絵を使ったジグソーパズルを昔、持っていたっけ。完成できなかった…。)
但し、やはり、エッシャーはエッシャーなのである。どんな作品の場合も、デザイン的であり構成的であり、汗や血や土や泥臭さの感は漂ってこない。表面的な意味での人間臭さとも無縁のようである。
かといって、洗練されているというのとも、違う。あくまである特殊な位相においてではあるが、特殊な観念への固着・固執が感じられる。あまりにアルハンブラ宮殿で見た図像の影響が強かった、あるいは彼の資質にマッチしてしまったのかもしれない。
どんな狭い限られた空間であっても、その限局された時空を覗き込むなら、そこにはまた無辺大の世界が広がっている、あるいは際限のなさを予感させる窓が数知れず壁面に埋め込まれている。窓という名の陥穽で埋め尽くされている。スイスの高山の雪一色の、のびやかなる自然の光景ではなく、時空間構造の不可思議に満ちている。
ここで改めて「アルハンブラ宮殿 - Wikipedia」を覗いて、頁中の画像を眺めてみよう。
「宮殿内に敷き詰められたタイルは一枚一枚当時の職人によって作られたものである。 円、四角形、複数の線を組み合わせて造形された独特な八角形のタイルは互いにぴったりと敷き詰めることができる精巧な作りであった。 一方、柱に描かれた鮮やかなタイルアートは一枚一枚のタイルが全て異なる形、大きさになっており、違う場所にはめ込むことはできない。複数ぴったりと合わさる八角形のタイルとは正反対だ」という。
全て手作りのタイルだが、片や八角形に製造され、片や「全て異なる形、大きさになっており、違う場所にはめ込むことはできない」タイルとの組み合わせ。
「天井に施された彫刻は鍾乳石を利用し、蜘蛛の巣がモチーフになっており、柱や壁の彫刻の中には女王が残したメッセージが隠されている」……「これらのアートは雨や水を象徴して描かれたもの」……。
「アルハンブラ宮殿は現在スペイン屈指の世界遺産であり世界中からの観光客が訪れる名所となっているが、これが元はスペインに屈服させられたイスラム教徒の 宮殿であるということは象徴的な意味を持っている。 即ち、現在のスペイン国家は公式にはレコンキスタの過程でそれまでのイスラム的な文化を払拭(カトリック教会側から見れば浄化。)して建てられたカトリック教国であるが、現実にはスペインをスペインたらしめる数多くの文化がイスラムにその多くを負っているということである」という。
この世界には異質な世界が、あるいは異次元の世界への扉が窓が陥穽が誘惑の罠が落とし穴が至る所に埋まっている。
というより、世界を漫然と見るなら、優雅だったりのびやかだったりする(下手すると、疲れ切った精神や愚鈍と化した感性になると、のっぺらぼうにさえ見えたりもする)が、実は、仔細に眺めるなら(あるいは尖がった神経で見直してみるなら)、もう一つの物語、もう一つの過去、もう一つの未来、もう一つの現実が輻輳して絡み合い縺れ合っている、四次元より遥かに錯綜した世界なのだということを(アルハンブラ宮殿がエッシャーに)夢想、否、実感させたとしても不思議ではない。
現実にはありえない世界を描いたとされるエッシャー。トロンプ・ルイユ(Trompe-l'œil、騙し絵)の画家と呼称されるエッシャー……。
本当だろうか。実は全く、転倒しているのは我々のほうではないのか。この世に生まれ物心付く以前の親や環境に育まれる過程で、現実をのっぺらぼうに見、感じ、理解する、極めて狭苦しい感性と常識との枷をきつく厳しく課せられ架せられて生きているのではなかろうか。
エッシャーというと、「E=MC! Website on M. C. Escher」なるサイトがいいかも。国内外の文献紹介も充実している。
関連する記事に下記がある:
「ケルト…エッシャー…少年マガジン」
「ウロボロス…土喰らうその土さえも命なる」
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コメント
こんばんわ~♪
トラバ有難うございます。
エッシャーの月並み?な絵しか知らなかったら、若い頃の絵もちょっと衝撃ですね。女性の横顔とどくろ。あるいは、ネガとポジの自画像など、なかなか興味をそそられます。
面白いことを教えていただきました。エッシャーも描いてみたい人物ですが、八角の形に魅せられた一人なのでしょうね。
傘の裏なども延々とのぞいていたりしそうです。
投稿: 乱読おばさん | 2006/12/27 16:52
乱読おばさん、来訪、ありがとう。
TBだけして失礼しました。記事を書く契機も戴いております:
http://blog.zaq.ne.jp/randokku/article/640/
なのに、アップし損ねてしまって。
この記事を書く際に、せっかくだからとエッシャーについて少し詳しく調べてみたら、若い頃に試行錯誤があって、なかなか面白い絵を描いている。
でも、このままだと一時期、こういう画家がいたと詳しい美術史の本に登場するかどうかに終わったのでしょうね。
我々は後年のエッシャーを知っているので、遡って鑑賞して、あれこれ想像に耽ることが出来ます。
小生、エッシャーに一層、魅入られるようになりました。
投稿: やいっち | 2006/12/27 20:17