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2006/12/16

裏日本・表日本…きれいは汚い!

 過日、折々覗かせてもらっている某ブログサイトで「裏日本」という懐かしい言葉(表現)に出逢った。
 小生の中では(思い込みに近い常識に過ぎなかったのだが)、「裏日本」という言葉は随分と昔に死語の範疇に入っているものと思っていた。
 差別用語というより、使わないのが良識だという、まあ、言葉の鬼籍に仕舞われている言葉(表現)なのだと思っていたのだ。
 当該のブログでは、裏日本という言葉を別に陰気な表現(一時期は蔑称的使われた、悲しい歴史のある用語)だとは思っていないようで、今も普通に(マスコミも含め)使われている言葉だと思われていたようである。
 無論、悪意の類いは一切、感じられなかった。
 むしろ、旅の記録(日記)では裏日本と呼称されている、我が富山を含めた地域を好意的に描かれている。

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← 「環日本海諸国図」。「この地図は、富山県が建設省国土地理院長の承認を得て作成した地図〔承認番号 平6総使第76号〕を転載し」たものだとか。詳しくは文末にて。

 ただ、少しは「裏日本」(当然ながら、相関する言葉、対となる言葉として「表日本」)という言葉の使われていた時代のこと(といっても、その末期のことを少々)知るもの、そして出身がまさに裏日本のど真ん中である富山である小生としては、若干のことを書いておきたい。
 願わくは、以下の記述が、当該の記事を書いた方への論難だとは誤解されないことを祈るばかりである。

 よって、以下に書くことは、「裏」と「表」、「陰」と「陽」、「黒」と「白」、「善」と「悪」、「美」と「醜」、「上」と「下」などといった対概念について、薀蓄の類いを語ってみようというものではない。それは小生には任が重過ぎる。
 小生が論じ始めると、きれいは汚い、汚いはきれい(あるいは「いいは悪いで悪いはいい」。 Fair is foul, and foul is fair)となって、収拾がつかなくなる!
 差別用語とされる言葉の数々についても、小生なりに意見がないわけではない。

 そうではなく、まずは、「裏日本」(よって「表日本」)なる表現に担わされてきた歴史の一端だけでもメモしておきたいというだけである。
 表や裏がどうした云々ではなく、過去において、「裏日本」なる表現に篭められたマイナスのイメージという歴史があることを少しだけ銘記してもらいたいという願いもある。
 その上で、新しいイメージや展望が開けるなら、それはそれで別儀の話として歓迎に値する。
 ただ、最低限、歴史的経緯は知っておいていいものと思うのだ。

 といっても、実際上は、「裏日本 - Wikipedia」にて簡潔に纏められている。言いたいことの全て、というより、小生自身、知らなかったことも含め解説が施されていて、この(古くて新しい)問題が、案外と奥行きの深い課題でもあることを教えてくれたのである。

 冒頭に、「裏日本(うらにほん)とは、日本の国土において、本州の日本海側を指す呼称である。山陰地方、北近畿、北陸地方、旧出羽国(東北地方日本海側)に当たる。尚、北海道及び九州(福岡県、佐賀県)の日本海側は含まれない」とある。
(この「北海道及び九州(福岡県、佐賀県)の日本海側は含まれない」ってのが、ミソなのだが、今はパスする。)

 詳しい記述は、「裏日本 - Wikipedia」にある通りだが、そのうち、関心の眼目と思える部分のみ転記させてもらう:
「この裏日本という語は、地理学者の矢津昌永が1895年に発表した「中学日本地誌」に最初に登場した。それまでこの地域は裏日本と呼ばれず「内日本」と、表日本は「外日本」と呼ばれていた。裏日本という言葉が使われ始めた当初は、首都である東京市を玄関口であるという意味で「表」とした場合、自然と日本海側が「裏」となる事から単に地理用語として用いられ、侮蔑的な意味合いは持っていなかった。」
 そう、その意味で、もともとは自分の居るほうを表とするなら、そうでない反対側を裏と呼ぶ。日本が表なら、ブラジルは(地球の)裏側である。無論、逆もまた真なり。日本もブラジルもその意味で等価なのである。話の主役の(居る)場所が示されているに過ぎない。


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→ 古厩 忠夫著『裏日本―近代日本を問いなおす』(岩波新書)。「「裏日本」とは本州の日本海地域,とりわけ北陸・山陰をさす.だが,これは自然地理概念にとどまらず,近代日本の歩みが生み出した呼称であり,産物であった」…。

 ところが、上掲のサイトに示されているような(主に経済的投資の対象が太平洋側に集中されたなどの)経緯があって、気がつくと(あるいは意図的に)「20世紀に入ると、裏日本という語は、自然と表日本と対比した際の経済的格差を表す語として使われるようになっていた」のだった。
 この経済格差が、結果的に「歴史的背景が絡みながら今日では侮蔑的な意味合いを少なからず持つ」ことになったわけである。

 山間部の村は寂れる一方であり、若い人を中心に町や里に出て行く。のみならず、地元では将来展望が開けず、次男坊を中心に都会へ、つまりは表日本側へと労働力として山を越えていく(都会に吸い込まれていく)。
 三ちゃん農業の傾向が歴然となったのは、東京オリンピックが開催される直前の頃だった。

 小生は富山の平野部の生まれだが、東京は遥かに遠い存在だった。親戚筋も富山に多いのは当然として、県外だと、ほとんど隣県か関西だった(文化面に限っても、加賀、ひいては関西の影響が濃かった)。
 高校生の時、大学を選ぶ選択肢に(成績を考慮するのは当然として)東京はなかった。あまりに都会過ぎて、臆してしまった。
 文学などについても、それは所与のもの、何処か遠くの偉い人が生み出すものであり、そのえらい人とは山の向こうの人、つまりは東京を中心とした表日本の人たちなのだった(あまりに素朴な発想で申し訳ないが、結構、正直に書いている)。

 結果としてミチノクにある大学へ通うことになった。

 小生の家にテレビが来たのは、東京オリンピックの直前の頃だったのではないか。
 ニュースを見る。
 すると、表日本のニュースがメインである。華々しい、神々しい発展ぶり。全ての道は東京へ続く。
 それに引き換え、我が富山は…。
 食べるものが美味しいとか住みやすいとか、全国の中でも生活水準が高いなどということは、大学を出てしばらくして、北陸が見直されて以降の認識に過ぎない。
 富山は健全な(?)県で、風俗も少ない(か乏しい)。年輩になると暮らしやすさを実感するが、若い人には退屈だったりする。娯楽施設がパチンコと競輪(と今はカラオケ、浴場)などなど。あとは美味しい食材に恵まれ、風景を愛でるのがせいぜい。

 とにかく、表日本側への憧れの念が掻き立てられるようなニュースやドラマのオンパレードだった(その先には、つまり、東京の先にはアメリカがあるのだった!)。草木は東京へアメリカへ、が少なくとも戦後(明治維新以降は欧米だったが、戦後の何十年かはアメリカ一辺倒。ホームドラマもアメリカの理想的な家庭像が描かれていたっけ。横須賀生まれ育ちの小泉さんなどアメリカしか眼中になかったようだが)。

 ここではいけない。うらびれた日本海側ではいけない。もっと豊かな、工場が一杯ある、ビルが立ち並ぶ、高速道路が走っている、車の多い、人の多い、街中に広告が多い、外人さんが多い、舗装された道が多い、大きな船が多い、観光客の多い、働き口の多い、大学の多い、それどころか光だって、裏日本より多く差している、そんな表日本!
 我が北陸そして我が富山は、特に冬など低く垂れ込めた分厚い雲を毎日のように眺めるしかない(結果として内向きな心になっていく?)。根雪に祟られる日々を送るしかない。太陽の光さえ、平等ではない?!
 今は、多くても1メートルを越える積雪になることは珍しくなっているが、高度成長時代までは真冬は最低でも1メートルの根雪が圧雪となっていた。積もった雪は春どころか五月まで溶け残っている。平野部の話!

 若い人は、ひたすら外を憧れる。山の彼方を恋う。夢は山の向こうの都会にあってこそ、叶う、そんなふうに思わず知らず思い知らされる。テレビを初めとしたマスコミがそのように煽っていたのである。ぼんくらな(正直で素直な?)小生は、つい、真に受けてしまうというわけである。

 愚痴めいた話になったが、高度経済成長の時代は、そうした風潮が蔓延していたのではなかったか。

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← 『日本海と北国文化』(網野善彦・大林太良・谷川健一・宮田登・森浩一編『海と列島文化』第1巻、小学館、1990年)

 さて、小生、一時期は裏日本という呼称で貶められた日本海側のど真ん中である富山の出身である。
 80年代の半ば頃から、東京に居住しつつも、遠くにあって富山という地のポジションを考えるようになった。
裏日本 - Wikipedia」の中の、「過去の裏日本」なる項目にあるような事情も理解してくるようになった。
 日本は中国という巨大な国と向き合っている。朝鮮半島がある。千島列島もある。琉球列島。さらには東南アジアなどもある。
 日本海という内海を考えると、むしろ、日本海側こそが「表」側だったわけである。
「他にも北陸一帯には、越(こし)など無視できない大勢力が存在した。継体天皇は越前国で成長して壮年期まで在住した後、畿内に進出して即位しているが、これをそれまでの大王とは血縁関係のない、北陸を背景にした勢力による新王朝と見る説もある」など、応神天皇王朝との繋がり(の有無)を考えると、興味津々だったものである。

 網野善彦の諸著作に触れ、日本史を幅広く観る視点を得ようとしたのも、自分なりに裏日本のみならず日本を見つめなおしたいという思いがあったからでもある。
環日本海」という発想も、網野善彦らの本や対談を読んで学んでいった。

aki's STOCKTAKING 環日本海諸国図」なるサイトにある、「環日本海諸国図」などは、是非、見てもらいたい。
 今は、さらにスケールの大きな概念図が描かれるべきだろうが、足元を踏み固める意味も含めて、まずは、ここから発想を練っていくのであっていいと思う。

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