古今なる異形の人とトークせん
今日もまた「今日は何の日~毎日が記念日~」を覗く。
断っておくが、別に毎日、ここだけを覗いて過ごしているわけではない。記事を書くための資料や情報収集のためネット検索は別にして、特に週末などは方々の一度はコメントを貰ったサイトを覗いて回っている。先方からは来訪を賜れないけれど、小生は寂しがりやってこともあるのだろうけど、結構、先方のブログ上の近況など気に掛けている。
だからって、どういう意味があるわけじゃない。袖触れ合うも他生の縁をネットの世界にも敷衍しているだけである。
さて、「12月19日 今日は何の日~毎日が記念日~」によると、今日は、「トークの日」だって。
まあ、これは予想できる。「19」だからね。
でも、19日が「熟カレーの日」だってのは、何故?
→ 我がサンバエスコーラ・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)のアレゴリア(Alegoria)カレーをほおばる少年。幸福の時。05年度浅草サンバカーニバルでの我がチームのテーマがカレーだった!
すると、なんのことはない、やはり「19」を「ジュク」と読み、「熟」へと飛躍し、熟成なのかジックリ煮込むからなのか、「熟カレーの日」に繋げているってわけである。
うーむ。カレーも美味いが、駄洒落ぶりも上手い!
そういえば、最近、カレーを食べていない。次の休みに食べようかな。
ちなみに、小生には、カレー関連の記事もある。日頃の食生活は簡素というか貧相なものだが、ネット上では贅沢三昧なのだ!:
「10円カレー」
「雑炊と粥とカレーと」
なお、「トークの日」は、NTTが制定したもので、毎月19日がトークの日なんだとか。さすが商売上手。「電話でおしゃべりをしてほしいという意味が込められてい」るとのことだが、どうせなら、「遠く離れた同士で会話してほしいという願いを篭めて」とか言っちゃえば面白いのに。遠距離恋愛って言葉(現実)があるくらいなのだし。
← 『埴谷雄高・独白「死霊」の世界』(日本放送出版協会)…小生は、この独白の収録されているCDを所蔵している。
今日が誕生日の人物の項を見ると、画家の富岡鐵齋(1836年)、物理学者でアメリカ人として最初のノーベル物理学賞受賞者であるA.A.マイケルソン(1852年)、『死霊』などの作家・埴谷雄高(1909年)、『泥棒日記』などの小説家ジャン・ジュネ(1910年)、シャンソン歌手のエディット・ピアフなどなど錚々たる人物が居並ぶ。
一方、今日が忌日の人物の項を覗いてみると、ブロンテ三姉妹の二女である小説家のエミリー・ブロンテ(1848年)、画家のジョセフ・ターナー(1851年)、ソニーの前身となる会社を立ち上げた井深大(1997年)などなど。
埴谷雄高には小生は高校三年の終わり頃から傾倒し始め、学生時代は同氏の本が出たら片っ端から買っていったものである。単行本が何十冊、あることやら。
しかも、埴谷雄高全集も家計の苦しい中、全巻、買い揃えたのだった。『死霊』は勿論のこと、同氏の本(文章)は、断簡零墨に至るまで二度三度と読み込んできた。
なのに、あるいは傾倒し過ぎたからなのか、彼の文学世界についてまともに論じたことはない。以下のエッセイなども、周辺を巡ってみただけ:
「池田晶子と埴谷雄高にオン!?」
「作家名と駄洒落」
ジャン・ジュネは、彼の本も読み齧ったが、小生などは、サルトルの『聖ジュネ』(白井浩司・平 井啓之訳、新潮文庫)に惑わされたものである。
ジュネについては、いつか書くことがあるものと思っている。
← ヴァージニア・ウルフの『ある作家の日記』(神谷 美恵子訳、みすず書房)
エミリー・ブロンテというと、『嵐が丘』に尽きる。彼女の唯一の小説なのだし。
が、「彼女は結核を患い、1848年12月19日に30歳の若さで死去した」ことをこのたび、改めて認識した。
姉のシャーロットの『ジェイン・エア』は、ある意味、小生が文学というものに開眼されてくれた作品である。高校一年の時に読んで、それまで小生が読み漁ってきた(ちょっと大袈裟)小説の類いとは質を全く異にしていることを感じた。ここには違う世界が描かれていると痛感したのである。
なのに、『嵐が丘』を読んだのは、ずっとあと、大学生になってからだった。『ジェイン・エア』に圧倒されたなら、姉妹であるエミリーの『嵐が丘』にすぐに手を出して良さそうなものなのに、その辺りの心理が自分でも分からない。
けれど、ひとたび読むと、感激し、サラリーマン時代には既に哲学も文学も敬遠気味だったのに、改めて読もうと思い立った際、どうせ読むなら原書で読もうと丸善でペーパーバック版を入手し、傍らに翻訳(文庫本)を置いて、とにかくヒースの丘の世界の雰囲気を少しでも感じようとしたのだった。
ジョージ・エリオットの『ロモラ』(工藤昭雄訳、集英社世界文学全集)やヴァージニア・ウルフの『ある作家の日記』(神谷 美恵子訳、みすず書房)共々、これらの作品世界は小生の愛惜する世界なのである。
新訳の『ヴァージニア・ウルフ日記』(監訳:立木 勝、e翻訳堂)があるようだけど、できれば書籍の形で読みたいものだ。
風景画家のジョセフ・ターナーは、学生の頃から好きな画家で、もう十数年の昔、展覧会で傑作「雨、蒸気、速度」などの実物を観る機会を得られたのは僥倖だった。
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーは、「画面における大気と光の効果を追求することに主眼がおかれ、そのためにしばしば描かれている事物の形態はあいまいになり、ほとんど抽象に近づいている作品もある」というが、風景や風物よりも、まさに大気(光)の震えと輝きそのものを描こうとしたのである。
← ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー「雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道」
「1842年に制作された『吹雪-港の沖合の蒸気船』では蒸気船はぼんやりとした塊に過ぎず、巨大な波、水しぶき、吹雪といった自然の巨大なエネルギーを描き出している。印象派を30年も先取りした先駆的な作品であったが、発表当時は石鹸水と水漆喰で描かれたなどと酷評された。この作品を制作するために、ターナーはマストに4時間も縛りつけられ、嵐を観察したという逸話が残っている」という。
小生は、ターナーについて格別、これといった記事を書いていないが、下記にてゴッホと絡め若干、触れている:
「ゴッホ生誕150周年」
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コメント
いいですね、クレー。好きな画家の一人です。
そういえば私も、過去にほんのちょっとだけ彼を取り上げたことがありました。
http://blog.livedoor.jp/rosebrandsugar/archives/50039247.html
まあ大したことは書いてませんが。
ところで「浅草サンバカーニバル」、
私の妻が遥かな昔に仮装して参加したことがあるそうです。
妙な御縁ですね(笑)。
投稿: 加藤思何理 | 2006/12/20 08:44
加藤思何理さん、来訪、コメント、ありがとう。
あれから折々覗かせてもらっています。
クレーと谷川との話題は、今回は割愛したけど、どちらのファンにとっても嬉しい試みですね(表紙の絵も魅惑的!):
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062078244
貴頁で紹介されていた、「夢の車輪~パウル・クレーと十二の幻想」(吉行淳之介著・文藝春秋社刊)は、面白そう。読んでみたい。
浅草サンバカーニバルに奥方が参加されたことがある。嬉しい奇縁です。どんな仮装だったのでしょう。
投稿: やいっち | 2006/12/20 12:29