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2006/12/28

色のことまさぐるほどに奥深し

春光・色の話」にて、吉岡幸雄氏監修の、「色の万華鏡」というサイトを紹介しつつ、主に日本語における「赤」や「黒」「白」「青」などの言葉の使われ方や、そうした表現に至る由来などをメモしている。
(但し、「春光」については、「「春光」とは春の色のこと」にて扱っている。)

 日本では、あまり「あお」と「みどり」が区別されていなかったことは、「あお」と言いつつ、実際は「みどり」色を意味していたりすることは、近年までの信号機の「青」は、実際には「緑」色だったのに、それほど違和感なく「青」と呼称していたことでも、その片鱗が知れる。
 空の青、海の青より、森や草原の緑のほうが人類には長く親しまれてきたということがあるのだろうか。

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→ 堀 秀道著『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』(どうぶつ社)

 田舎にて、家事の合間に細切れに空く時間を使って、堀 秀道氏著の『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』(どうぶつ社)を読んでいる。
 図書館に立ち寄ったら、新刊本のコーナーにこの本が燦然と輝いて掲げてあったのだ。
 燦然と……。
 ほんの二ヶ月ほど前、「宮沢賢治…若き日も春と修羅との旅にあり」にて、宮沢賢治の石(鉱物)好きな側面について若干のメモを綴ったばかりの小生には、まるで、これみよがしに、そう、これをキミが借りなきゃ嘘でしょというふうに、その本が浮き出て見えたのである。

 この本を読んでいたら、小生には興味深い記述が満載なのである。メモっておきたいことが一杯出てくる。さすがに小生は、宮沢賢治や筆者の堀 秀道氏や、あるいは、オリヴァー・サックスほどには(『タングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代』(斉藤 隆央訳、早川書房刊)参照。名著だ!)、小生は石(鉱物)好きではなかったし、探求もしてこなかったけれど、でも、こうした本を読むと想像力のエネルギーが吹き上がってくる。
 
 さて、本書にて上記した「色の話」に関係する記述が見つかったので、あれこれ感想を書き散らすより、まずは関連する一節を転記してみたい。
 その上で、ネットなどの力を借りて、敷衍することがあれば、折を見て書き加えることもあるかもしれない。
 脈絡を欠くかもしれないが、メモなので仕方がないということで、さて:

0612271

← 五時前だったか、買い物に出かけようとしたら、空に月影が。

 一般に金属文化の先駆をなしたのは青銅器文化である。青銅(ブロンズ)というのは、ごぞんじのとおり、銅と錫(すず)の合金である。なぜ青銅の代わりに鉄や亜鉛やアルミニウムが先に登場しなかったのか。精錬上の困難性がそれらの金属を青銅より後期においたのである。  この説明はたしかに真理であるが、ここにはもう一つの側面がある。錫の鉱石を錫石(すずいし)というが、これは褐色をしており、太古には川砂の中に大量にふくまれていた。銅のもっともふつうの鉱石は黄銅鉱といって黄金色をしているが、ふつう鉱床(こうしょう)の上部では黄銅鉱が空気や水の作用をうけて他の銅鉱物に変質している。それらのうちふつうに見られる鉱物は、自然銅と孔雀石である。自然銅は天然が黄銅鉱を精錬してつくったむくの銅である。古代人はまず自然銅を利用したことは明白である。孔雀石はマラカイトともいわれ宝石としても利用される濃緑色でしまもようのある銅鉱物である。銅鉱床の地表部にはかならずこの孔雀石を伴うので、銅の産地をみつけるのはひじょうにわかりやすかった。もし、孔雀石が存在しなかったら、人類の金属文化史に相当の変化をきたしたことだろうと思う。

 孔雀石はまた緑色の顔料でもある。太古から利用された天然顔料にはこのほか、褐鉄鉱の黄褐色、褐色、赤鉄鉱の赤褐色がある。古代の絵画はたいていこれらの三種の鉱物質顔料で色付けされた。黄、緑、褐、赤、これらの色彩はたとえ不純でも上述の普遍的な鉱物からえられる。
 この中に青系統の色が含まれていないことはかなり注目に価することなのである。量産する天然の鉱物で安定した青色顔料となりうるものの数は少ない。青金石(せいきんせき 瑠璃=るり)はその一例であるが、先にも述べたとおり、これはきわめて産地の少ない鉱物で、古代から知られた産地といえば北半球ではアフガニスタン奥地のバダフシャン一ヵ所である。バダフシャンの青金石は有史前から利用され、日本の古墳壁画にも使用されているくらい古代社会において広く流通した。しかしその価は宝石的なもので一般人民には無縁であった。

 生理学のある研究によると、人間が色彩を認知するのは段階的であるという。人間の視覚は幼時の訓練におうところが大きい。色覚は、赤、黄、緑、の順で開発され、青はいちばんおくれるといわれる。
 赤ちゃんのオモチャに赤いものが多いのはこのためである。
 人類の歴史をみても同じことがいえる。太古の人は青色をよく認知できなかったようであって、今でも未開人々は青色を利用していなく、相当する言葉をもたない所もある。自然の顔料の中に青色が欠けているということと、人間の色覚の中で青色がおくれるということとは偶然の一致なのであろうか。あるいは、相互関係があるのであろうか。日本語の「アオ」ということばが緑と青を表し混乱がみられるのは、以上のべた事態をおそらく反映しているのであろう。

 人類の文化は古代にさかのぼるほど、石の影響をつよくうけている。石器時代とうことばもあるくらいである。従来の歴史学、文化史の研究は一方的にすぎる傾向がみられたと思う。石をあつかっても、人間が石を利用したという面しかみていない。石が人間いや人類にどのように影響をあたえてきたかという側面をみる努力が必ずしも十分であったといえない。
                           (後略)

 
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→ 上掲の写真を撮って一時間もしないうちに帰宅したのだが、早くも空は真っ暗に。月影も鮮やかだった。画像でははっきり映っていないだろうけど。

天然石図鑑 マラカイト(孔雀石)」(……美しい! 一見の価値あり。)
自然銅
天然鉱物顔料」(黒色顔料は、油脂類を燃やした際の煤を使用)
銅・青銅- 前編」(「金属の英語metalの語源はギリシア語のmetallaoであり、それは「探す」という意味である」!)
 転記文中、「生理学のある研究によると、人間が色彩を認知するのは段階的であるという。人間の視覚は幼時の訓練におうところが大きい」というくだりがある。その典拠が分からない。
 あるいは、「プレス・リリース 乳幼児期の視覚体験がその後の色彩感覚に決定的な影響を与える」など参考になるのか。

研究の背景 色覚」(「哺乳類は恐竜の時代に夜行性であったことと関連して緑型と青型の錐体オプシンを失ってい」るが、「高等霊長類(ヒトなど)では恐竜絶滅後の世界で赤型タイプのオプシンにもう一種類を作り出して2種類のサブタイプ(それがヒトの赤オプシンと緑オプシン)をもつに至り、紫外線型タイプの青オプシンと併せて3色型という高次元の色覚を再獲得」したのだとか。)
 色全般については、やはり、「色 - Wikipedia」が便利。

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コメント

こんばんは。故郷の空気はどうですか? 
東京の百倍は澄み切ってるでしょうね。
私、富山は何度も(車や列車で)通過したことはあるけれど、
宿泊は三夜のみ(北山温泉と庄川温泉と立山。隣の県の金沢はイヤというほど訪れてますが)。
だからそれほど深くは知りませんが、でも好きですね、富山は。
富山平野の地図を眺めると、
山あいから湾に向かって多様な風情の川や水路が無数に網目のように走っていて、
そこを流れる雪解けの水の豊かさと清冽を思うと眩暈がしてきそう。。。

ところで鉱物。
私は幼少期から「鉱物派」でしたが(仮に人を動物派、植物派、鉱物派に分類するとすれば)、
物心が付いてからは、やはり宮沢賢治の「春と修羅」で鉱物に開眼しましたね。
それにしても「金属の英語metalの語源はギリシア語のmetallaoであり、それは「探す」という意味である」というのは面白い!

――それでは久しぶりの(?)凛冽たるご実家でゆっくりと充電して、
また「無精庵徒然草」上で存分に野放図に放電してください(笑)。

投稿: katou shikari | 2006/12/28 22:57

katou shikari さん、コメントありがとう。
富山も市街地だと、それほど空気が綺麗とは感じられないかも。さすがに最近は街作りに力を入れているようだけど(場所によっては随分、整備されている)。

富山は皆さん、通過しちゃうんですよね。みんな、金沢へ素通り。
それでも三泊だったら多いほうですね。

富山(市)は水の都を謳い文句にしているみたい。河川が多いし、富山湾は汽水だし。

小生も鉱物派?なのか。でも、宮沢賢治との出会いより前に(本はあまり好きじゃなかったし)、水銀や燐や(木の)化石やヒスイ(モドキ!)などを集めて喜んでいました。
「石の心」なんて、掌編も書いたことがあったっけ。
 石は何故か気を惹いてならないのです。

投稿: やいっち | 2006/12/29 01:22

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