ウタリなる名前の担う意味豊か
街中を車で流していると、変わった名前(名称、地名、川の名前など)に遭遇することがある。
その一つに「ウタリ」がある。表記は、メモし損ねて正確なものは分からないし、書けない。
確か、「兎多璃」だったと思うが、「兎太里」だったかもしれない。
居酒屋風の店構えだったような気がするが、それも曖昧模糊。
何処で見かけたのかも確然としない。
気になる!
→ 昨年の正月頃に書いた、「蓬莱(ほうらい)と徐福」なる記事に使った画像。郷里の浜の松林だ。
ただ、うろ覚えながら、アイヌの言葉に「ウタリ」があったことは記憶の端っこにかろうじて引っ掛かっている。
「大辞林 第二版」によると、「ウタリ」とは、「〔アイヌ語〕親戚。同胞。人々。…たち。」だって。
やはり、アイヌ語だった。
でも、もっと知りたい!
ここはネット検索が威力を発揮すると期待しよう。
調べると、検索エンジンの検索能力の凄さなのか、それとも単に機械的に「うたり」の絡む言葉ならぬ文章を拾っているだけなのか、訳の分からないサイトも拾ってくれる。
なんたって、ネット検索の筆頭が「はなうたりっぷ ~あやみき des 「GAM」~」なのである。
「はなうたりっぷ」というグループ名の「はなうたりっぷ」(太字部分)を拾ったのであろう。
それとも、ネット検索エンジンはロリコンなのだろうか。
小生は、「はなうたりっぷ」という「モーニング娘。誕生10年記念隊」 という名目で誕生したグループは、全くの初耳である。そもそも、今も「モーニング娘」さんたちが頑張っているのかどうかもしらない。
(ちなみに、小生には、「モームスに思うこと」という拙稿がある。ネット仲間の作家志望の某が、サマセット・モーム論だろうと勘違いして、中身を読んで文章のお粗末さに顰蹙を買ってしまったという曰くつきの駄文である。
念のために断っておくと、小生には一応、モーム関連の書評エッセイが幾つかある。)
検索で引っ掛かるケースで多いのが、書き間違い。「うたいました」と書きたいのだろうが「うたりました」と書いてあっうたりする。
すると、検索エンジンは生真面目に拾ってくれるわけである。
ところで、小生、たった今、敢えて、書き間違い(?)をしておいた。
きっと、いつの日か、「ウタリ」でネット検索したなら、「書いてあっうたりする」なんてのが浮上するんだろうな。
うん、これで日頃、日の目を見ることの少ない我が文章、我がブログも浮ばれるってものだ!
万が一、ネット検索してこの事例に遭遇したなら、ウンがなかったものと諦めてくださいね。
できれば、無視して先に進む前に、そのサイトにワンクリックを!
小生も非難されてめげないよう、うたり強くなっておかないと?!
尤も、「うとうたりしました」という表記も目立つ。このケースの場合は、方言的な気味も感じられるし、間違いではなく、意図的な表記だと思っていいのだろう。
ネット検索の微妙なところである。
「新ワープロ速記法 その4」の「承り………………うたり」の項などは、面倒なので飛ばす。
それでも、検索エンジンのお蔭で、店の名前で「うたり」が使われていることが多いと知れる。多くは割烹であり、居酒屋であり、焼き鳥屋やお好み焼きやさんが多い。
やはり、ちゃんと「ウタリ」の意味合いを踏まえたうえで店の名前に使っているのだろう。見ず知らずの人たちが集まって、寛ぎのひと時を「親戚のように、同胞のように、仲間たちのように」して過ごす場であってほしいという願いまでが感じられそうだ。
あるいは、ネット上の愛称に「ウタリ」を使う人も目立つ。小生も、この言葉の語感も意味合いも好きだから、ひょうっとして使っていたかもしれない、なんて思う。
「ウタリの最前線基地」という楽しいサイトもある。ここでは、ワンちゃんの名前が「ウタリ」なのである!
地名やその他の名称としての「ウタリ」はどうだろうか。
調べると、「菟足神社(うたりじんじゃ)」という名の、「7世紀後半頃,この地に建てられたといわれる菟足神社は菟上足尼命(うながみ すくねのみこと)が祀られている」といった由緒確かな神社のあることが分かった。
所在地は宝飯郡小坂井町であり、「弁慶の書と伝えられる「大般若経」585巻」という国の重要文化財があるそうだ(下記するように、実際は、「僧研意智の書」だという)。
「この神社にはいくつかの伝説が伝えられているが,そのうちの一つに「徐福 (じょふく)伝説」がある」というのも、個人的に興味が湧いてならない。
(無論、小生のこと、昨年の正月頃に書いた、「蓬莱(ほうらい)と徐福」なる記事がある!)
← 昨年の正月頃に書いた、「蓬莱(ほうらい)と徐福」なる記事に使った画像。郷里の冬の海。
上に転記したように、「菟上足尼命(うながみ すくねのみこと)が祀られている」とのことで、これが神社の名称の由来という理解でいいのだろうか。
それとも、ヤマトの勢力が及ぶ前は、アイヌ系(というより、縄文系か)に繋がる部族か集団が居住していた場所(のうちの一つ)であって、古来の呼称か彼らへの呼称の「ウタリ」が神社の名前の陰に潜んでいると考えるのは、こじつけだろうか。
菟足神社について詳しいことを知りたい方は、「菟足神社」へどうぞ。
地名にも「鵜足郡」がある。菟足神社は三河だったが、「鵜足郡(うたりぐん・うたぐん)は讃岐国中部の郡、鵜垂郡、宇足郡、宇多郡ともいう」とか。
しかし、この地名は明治に消滅したとか!
あるいは、「うたり団地」なんてのが、千歳市(北海道)にある。やはり、さすが北海道である。アイヌ的色彩の地名が色濃く残っているわけである。
関東にも「うたり」絡みの地名があるとか。
「あざみ野駅の南側、江田駅方面に向って線路沿いを少し下ったところに「宇多り公園」と言う変わった名前の公園がある。「宇多」は漢字で「り」だけひらがなだ。地元の人に聞くとこの辺りは「うたり」という字名だったそうだ」という(「地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル ファイル11 黒須田・鉄編(後編)」参照)。
このサイトで知ったのだが(思い出させてくれたのだが)、「北海道ウタリ協会」がある!
「北海道ウタリ協会」に拠ると、「社団法人北海道ウタリ協会(以下「協会」という)は、北海道に居住しているアイヌ民族で組織し、「アイヌ民族の尊厳を確立するため、その社会的地位の向上と文化の保存・伝承及び発展を図ること」を目的とする団体」だという。
「北海道ウタリ協会 - Wikipedia」によると、「北海道ウタリ協会は、北海道居住のアイヌの組織」で、「1930年に北海道アイヌ協会として設立」され、「アイヌに関する各種政策に対しアイヌの立場から批判・提言し、アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律の制定には中心的な役割を担った。また明治時代以来の同化政策に対抗しアイヌ本来の文化・風習を守るための活動に取り組んでいる」とか。
人の名前にも「ウタリ」がある。表記は、「宇多里,歌里,詩里,唱里」など。
ちょっとだけ、そう、意味合いだけ調べるつもりでいたのだが、表層的な知見だけでも結構、あれこれ発見がある。名称(地名)の奥深さをつくづく感じさせられた。
そもそも、「ウタリ」がアイヌ語なのだとして、何ゆえ「ウタリ」が冒頭で示したような意味なのか、など、分からないことが一杯!
幕末から明治(維新)にかけて多くの地名が消え去って行ったようだが、平成の大合併でも多くの地名(村名・町名)が消えていく。地名の消滅と同時に、歴史も、少なくとも血肉の部分は干からびていくんだろう。
寂しい限りである。
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コメント
先日戴いたコメント以来、
貴サイトを楽しく読ませて貰ってます。
充実してますね。
スクリャービンやデュモン、ジョビン、フリードリヒその他、
ちらっと過去の記事を振り返っただけでも、
私にとって親しい名前がザクザク出てくるのは、
嬉しい限りです。
p.s.
ちなみに私の名前はアイヌ語由来です。
投稿: katou shikari | 2006/12/11 11:13
katou shikari さん、(ちょっとだけ)久しぶり。
小生が採り上げ話題にしている名前が懐かしい…。
小生の場合、半分は、つい最近、知ったものが多かったりする。今も、好奇心の焔は絶やさないようにしているつもりなので、ドンドン、新しい世界が広がる気がします。
>ちなみに私の名前はアイヌ語由来です。
というのは、驚き。小生がこの記事で書いていることなど、常識の範囲なのでしょうね。
日本にしても、一皮剥いたら、とんでもなく深い世界が底流にあるのだと感じる。
感じるだけに留まっているのが残念だけど。
雪人形を読んでくれていたのでしたね。
「雪人形」
http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/2006/08/post_e272.html
やや似た傾向の作品に以下があります(超短編):
「いつか来た道」
http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/essay/some-time.htm
投稿: やいっち | 2006/12/11 15:27
これはいったいどういう仕組みになっているんだろう。ここに出てきているURLはココログのそれである。おかしいなあ。
どうして、http://sea.ap.teacup.com/abryu/
「SF・阿比留一族が往く」のトラックバックから、別のに行くんだろう。
どっちも私が書いてるものだから、どうでもいいってことなのかなあ。
投稿: ちいーまん | 2006/12/26 03:28
???
投稿: やいっち | 2006/12/26 11:38