思い出は淡き夢かと雪の降る
[思い出は淡き夢かと雪の降る…テーマは、ナダレンジャーやエッキーなどでも有名な納口恭明氏、そして雪、雪形など]
前都知事の青島幸雄氏が今朝、亡くなられた(「<訃報>青島幸男さん74歳=前都知事、放送作家、タレント」より)。小生にもと知事時代の青島幸雄氏にはあれこれ思うことがないわけではない(なんとなく反骨精神と反権力意識だけで都知事になってしまったようで、ビジョンを持っているようには思えなかったから、都知事になることを危ぶんでいた…)。
← 『長谷川町子全集 (24) いじわるばあさん 1』(朝日新聞社)
でも、物心付いて間もない頃、我が家にもテレビがやってきて、小生は呆気なくテレビっ子になった。今はまともなテレビがないが(それは買えないという事情もあるが、買うとテレビ三昧になるのは目に見えているから、でもあるような気がする)、自分の世界を豊かには育めなかった小生には、テレビ中心(あとは漫画!)の生活となり、テレビのない生活なんて考えられなくなった。
そんな小生には青島氏は都知事よりも、まずは放送作家でありタレントであり役者でもありという、テレビを中心にした多彩ぶりを発揮された方として印象に鮮明である。
「ハナ肇とクレージーキャッツ」の曲の作詞も手がけられていたが、小学生だった小生には知らず知らず青島氏の影響を受けていたようである。
『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)は、ああ、休みはもう終わりか、明日は学校かと嘆きつつ(?)欠かさず見ていたっけ。
同氏に付いては、詳しくは「青島幸男 - Wikipedia」に譲る。
個人的には直木賞作家である青島氏より、テレビドラマ「いじわるばあさん」での青島氏が印象的だ。
というか、今朝、未明、車中で客待ちをしながら、何故か「いじわるばあさん」を演じていた青島氏の姿が脳裏に彷彿としてきたのだった。まさに原作の長谷川町子さんの漫画のはまり役という感じ。
はまり役…。だから青島氏の「いじわるばあさん」が印象に鮮明なのだと単純に思い込んでいたのだが、調べてみると、彼が主役での放映は「1970年10月30日~1971年8月25日」とのこと。
放送期間が短いのも意外だったが、その時期、まさに小生の哲学への関心を深めた時期であり、失恋時代であり、理系から文系へ転向した時期と重なっていたのだった(小生は、1971年8月1日に哲学の道を志す決心をしたのであるそそして夏休み明けに理系志望を先生に告げたのだった)。
その青島氏が若い頃、「結核を患ったので就職を断念」したというのは、今回、彼のことを調べて知った。彼も結核世代の(最後の頃の)一人だったのだ。
功罪あったけれど、また一つの時代が過ぎ去ったという感が強い。
合掌!
昨夜、車中でラジオから雪の話題が。
雪の話となると、雪国(富山)生れの小生、耳がダンボになる。仕事が佳境に入っていたので、途切れ途切れとなったが、大雑把なことだけでもメモしておきたい。
番組は以下の通り:
[「サイエンス・カフェ~雪」 防災科学技術研究所研究員…納口 恭明 / ネイチャースキーヤー…橋谷 晃 / 女優…星野 知子 」](「ふれあいラジオパーティー」にて)
(女優の星野知子さんは、新潟県長岡市出身で、まさに雪国生まれ育ちの美女なのだ。番組での彼女の雪国体験の話に共感できたのが嬉しかった。朝から雪掻き。積もった雪の重みで家の何処かがミシミシ鳴る、その恐怖感。長岡というと、小生は、帰省の際の列車の乗り継ぎ駅だった。後年は越後湯沢に変わったが。そうだと知ってたら、途中下車したのに! そしたら、どこかで擦れ違ったかも!? ちなみに、星野知子さんは、「年から85年かけてフジテレビ系列の『サザエさん』(ドラマ版)でサザエ役を演じた」のだった。あるいは…、星野知子 → サザエさん → 意地悪ばあさん → 青島幸雄、という無意識裡の連想パターンが働いて、未明に青島幸雄氏のことを何故か思い浮かべたのか?? だって、屁理屈ついでに申し添えると、話題が「雪」で、「ゆきお」繋がりってこともないではない?!)
話者の納口恭明氏は、防災科学技術研究所研究員であり、地盤液状化の研究などでも有名のようだ。
というより、小生、ネットで同氏について調べていて、「ナダレンジャーの見学者案内 3」なるサイトを見つけ、そこにはピンポン玉を使った雪崩モデル実験の画像が載っており、ああ、この実験のアイデアの発案者だったのかと気づいた次第だったのである。
同氏に付いては、ネットでは、「感性でとらえる 地盤液状化の科学おもちゃ「エッキー」解説本発刊」(「Tsukuba Center for Institutes 防災科学技術研究所」所収)や「エッキー」が参考になるかも。
科学(理科)離れ(小生に言わせると、理系・文系を問わず、困難なこと、自分で考えること自体が億劫がられているのだと思うのだが…)が懸念されている子どもにも楽しく分かりやすくという同氏の姿勢が上掲のサイトでも分かるが、下記では自身による説明が載っていた:
「WEB茨城朝日-1面記事バックナンバー おもしろ理科先生がやって来た!~「おもしろ理科先生」派遣事業」
昨夜の話では、雪形研究の話が興味深かった。小生、そもそも雪形研究なるものがあること自体、初耳だった。雪の研究ということなら、高校生の頃だったか、中谷宇吉郎の「雪」の本を筆頭に同氏の本に魅了された小生である。随筆集も揃えている。
さらに、高校の二年の頃だったか、『世界の名著 デカルト』(中央公論社=当時)を読んで、デカルトが雪の結晶研究に勤しんでいたことを知って、自分が無知なだけなのかもしれないが、デカルトと雪との結びつき(組み合わせ)の意外性もあって、驚きの念を抱きつつ、一層、デカルトの世界に没入していった。
(この話題に付いては、ホームページにも載せているが、リンク先の削除(消滅)という事態が早くも生じているので、この拙稿の末尾に若干の注記の上、転記しておく。)
先に進む前に、末尾の拙稿にもリンク先がしめしてあるが、雪の結晶など見ておこう:
「雪結晶」
→ 『中谷宇吉郎集 2 雪の研究』(樋口 敬二 編・解説、池内 了 編)
さて、「雪形」とは。
それは、「春になると山々に雪が残るが、農家の人達はその残雪模様をいろいろな形に見立てて農作業の目安にしてきました。そのような残雪模様を雪形と言います。農家だけではなく、漁師も雪形を漁期の目安にしてきました」(「民俗研究室 新潟県内の雪形 山崎進」より)。
以下でも、雪形の画像が幾つか見ることが出来る:
「YUKIGATA of the Year」(「Snow Museum HOME ゆきはく」より。特に「裸婦像」に注目?!)
しかし、ここは、話の流れからして、納口恭明氏自身の口から説明してもらうのがいいだろう:
「雪国元気印インタビュー 雪形を縁に人との出会いを楽しむ、機知と自己主張あふれる柔か集団。 「国際雪形研究会」 納口恭明さん [筑波・防災科学技術研究所]」
繰り返しになるが、「雪形」の説明から:
「雪形(ゆきがた)とは、雪解けの春から初夏にかけて、山肌に現れる人や動物、文字などの形に見える残雪模様のことで、昔は田植えや種まきの目安など農事暦=雪占として利用されていました。しかし、近代農法となってからその利用価値は失われ、親から子へ伝承されることもなく、忘れ去られようとしているのが現状です。」
空模様、雲行きなどから天候を読むことは知らないではなかったが、なるほど、「雪形」だと、もう少し長いスパンの先行きを読むことに利用されてきたということのようだ。
同時に、そう、雲の形を眺めてアンパンだ人の顔だと勝手に看做してしまうように、雪形についても、そんな遊び心の働く余地があるというわけだ。
← イアン・スチュアート著『2次元より平らな世界―ヴィッキー・ライン嬢の幾何学世界遍歴』(青木薫訳、早川書房刊)
(以下、ホームページからの転記:)
「季節外れとは思うけど雪のことなど」
今、パラパラと読んでいるの本の一冊に、イアン・スチュアート著の『2次元より平らな世界―ヴィッキー・ライン嬢の幾何学世界遍歴』(青木薫訳、早川書房刊)がある。
[余談だが、小井は青木薫氏の訳本を読む機会が多い。これはこの方の趣味というか嗜好が小生に合っているからなのか。たとえば、この数年に限っても、サイモン・シン著『フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで 』(新潮社刊)、ジョージ・ガモフ著『不思議宇宙のトムキンス』(白揚社刊)、アミール・D. アクゼル著『「無限」に魅入られた天才数学者たち 』(早川書房刊)、D. ルエール著『偶然とカオス』、そして本書、イアン・スチュアート著『2次元より平らな世界―ヴィッキー・ライン嬢の幾何学世界遍歴』(早川書房刊)などである。まるでこの方の追っ駆けをしているみたいだ]
その中の、先ほど読んだ一節にケプラーに絡む形で雪の結晶の話が出てきた。
ケプラーとは、ティコ・ブラーエの助手となり、その惑星に関する20年にわたる観察結果を入手し、ケプラーの法則を発見した、かのケプラーである。これがやがてニュートンの運動法則に繋がることは言うまでもないだろう(「天文人物年表 ~天文学の偉人たち~」参照)。
彼ケプラーは、『六角形の雪の結晶について』を書いて、何故、雪の結晶が六角形なのかを考えた。そして、彼は、球を空間に詰め込むもっとも効率的な方法は六角形の格子を積み上げることだ、と考えた。これをケプラー予想という。
余談だが、ケプラーが雪の結晶について考察したとは意外だが、実は、彼のスポンサーに新年の贈り物をしなければならず、その時、『六角形の雪の結晶について』を書いたのだと言われている。なんてオシャレな贈り物なんだろう。
さて、この予想はほとんどの数学者が正しいと信じ、すべての物理学者が正しいと知っている予想だった。
が、このケプラー予想は四百年も解決されなかったが、一九九九年、ついに予想が正しいことがトマス・へールズにより証明された。
フェルマーの最終定理が証明されたのが94年。前世紀末に立て続けに数百年に渡る難問が解かれたことになる:
(http://www.mcc.pref.miyagi.jp/people/ikuro/koramu/teiri.htm ← 削除?)
雪の研究というと、誰しも思い浮かべるのは中谷宇吉郎であろう。小生も高校時代からの彼のファンだ(寺田寅彦のファンでもあるけど)。「中谷は、世界で初めて人工的に雪結晶を作ることに成功」した人だ。
彼の「雪は天からの手紙である」という言葉は有名である。初めて彼の『雪』を読んだ時は、こんなことを研究する科学者がいるんだと感激したものだった。 もっと言うと、こんなことを研究してもいいんだと驚いたのだと言うべきかも知れない。
小生にはその頃は未だ、雪は神秘の塊のように思えていたのだ。雪が水の違う相なのだとは信じられなかった。仮に水が、あるいは凍って雪になるのだとしても、そこには天の意思とか、あるいは神の見えざる手が加わっているに違いないとしか思えなかった。
小生の生まれた富山は、小生がガキの頃は冬ともなると、これでもかというほどに雪が降って、家の手伝いなどしない甘ったれの小生だったが、雪掻きだけは大好きだった。疲れ、湯気の立ち上る身体を堆く積まれた雪の小山の天辺に横たえ、何処までも深い藍色の夜空を眺め入った。
雪は小止みなく降っている。あっという間に身体は雪に埋められていく。顔にも雪が降りかかる。頬に辿り着いた雪は、次々に溶けて雫となり流れ伝っていく。仰向けになって雪の空を眺めていると、段々、不思議な錯覚に囚われてくる。自分が天底にあり、大地に横たわっているのではなく、白いベッドに乗ったまま、天に吸い込まれていくような感覚を覚えてしまうのだ。雪の花びらが中空を舞っている、その只中を自分の身体が漂っている。上昇していく。藍色の闇の海の底から雪が生まれる、まさにその現場にいつかは辿り着いてしまいそうに思えてくる。
文科系の学生となった後年、物理の試験で、何かの問題が分からず、仕方なくというわけでもないが、答案用紙の裏側に、問題から連想した物理現象の不思議さへの思いを中谷宇吉郎の『雪』に絡めて長々と書き綴ったことを覚えている。そんな答えを書いたのに、試験に通ったのは、中谷宇吉郎の御蔭かもしれない。
中谷宇吉郎については、下記のサイトが素晴らしい:
(http://www.hokkaido-jin.jp/issue/200202/special_01.html ← 削除?)
余談が長くなったが、六角形という形を取ることの必然性が証明されたのは、つい最近のことなのである。
デカルトも、大方の先入見とは違い、雪の結晶を研究した人の一人。自然の観察家でもあったのだ:
「雪結晶研究の歴史」
デカルトというと、『方法序説』などの哲学者として有名だが、実は彼も自然観察家の一人なのだ。高校時代に中央公論社の『世界の名著』シリーズの中で彼の諸論文を読み、これまた思考の繊細さと徹底振りに単純に感激したものだった。
同時にまた、彼が緻密な自然観察家なのだと知って、昔の哲学者って、みんな徹底した自然観察を元に思索を重ねたのだと知って、哲学とはこうでなければと思ったものである。
その彼の観察と研究の対象の一つに、雪の結晶の研究があるのだ。
デカルトが雪を観察しつつ、瞑想に耽っていたのだと思って、勝手に親近感を抱いていたりもしたものである。
多くの心有る人が、雪を眺めて雪の結晶の不思議さに心を奪われてきた。小生も、雪の花びらの不思議さと美しさと、しかし、ふと触れたりしようものなら呆気なく消え行く儚さにたまらない愛おしさのようなものを感じた。
そして無能な小生は感じるだけだった。神秘は、その秘密を探るのではなく、その形のままに触れることなく、そっとしておけばいいのではと思ったりもした。
中谷宇吉郎は、雪の結晶を研究し、人工の雪を作ったりもしたが、実は他方ではものの形を大切にした科学者でもあった。同時に科学にできることとできないことを繊細な神経を持って考えた。彼の『科学の方法』(岩波新書刊)も『雪』と相前後して読んだものだが、人工衛星の軌道の計算はできても、一枚の薄っぺらい紙切れを落としただけなのに、その行方を計算するのは難しい。実は身近な現象であっても、科学の手の全く届かない世界が実に多いことを実感させてくれた本であった:
中谷 宇吉郎『科学の方法』(岩波新書)
そして小生は勝手に雪もきっと、そうなのだと思っていたのである。ここに小生の限界があるのかもしれない。雪の結晶が六角形になる必然性が証明された今に至っても、やっぱり雪の結晶は美しいし、手の平に気軽には受け止めることの出来ない雪の花びらの命の儚さも変わらないように思えてならないのである:
「新庄における雪結晶観察」
(03/06/04 記)
→ 「雪だるま」 by tanu
小生には、「雪」絡みのエッセイが幾つか:
「真冬の明け初めの小さな旅」
「蛍の光 窓の雪 そして富山の雪」
「雪掻きあれこれ」
「久しぶりの雪の正月に思う」
「雪だるま」
「雪人形」
「雪の帰り道」
「雪幻想」
(おまけ。中谷宇吉郎の実弟である中谷治宇二郎氏が考古学者として有名だということに、今日、知った。享年34歳! 「高校時代は文学青年でならし同人誌に発表した小説に目をとめた芥川龍之介が絶賛したことを兄、宇吉郎が後年のエッセイに書きとどめている」とか。以下は、小生には気になる人物がまた一人、増えた:「Ouroboros 考古学者中谷治宇二郎の記録 西秋 良宏」)
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コメント
そういえば、昔カナダにいた頃、子供達は、雪が積もると仰向けに寝て手を上下に動かして天使を雪に描いていましたよ。
投稿: さなえ | 2006/12/22 13:49
小生は、ガキの頃、夜、家の軒先に溜まった雪の小山に寝そべり、降る雪をずっと眺めていた。
すると、いつしか、雪が降ってくるんじゃなくて、自分の体が宙に浮いているような感覚の只中にいる自分に気づいたものです。舞い上がる感じかな。
雪はメカニズムが多少は解かれても、不可思議な存在。
投稿: やいっち | 2006/12/22 16:16