地と海とグランブルーに繋がれる
このところの習いで、「今日は何の日~毎日が記念日~」の「12月23日」を覗いてあれこれ想像をめぐらしていた。
「1948年、巣鴨刑務所で東條英機・廣田弘毅ら7人のA級戦犯に絞首刑を執行」というのは、瞑目すべき歴史的事実だと思う。この件に関し、マスコミなどでは23日、どのような扱いをされるのか(あるいは全く無視なのか)、興味深いところである。
東條英機、廣田弘毅、松井石根、土井原賢二、木村兵太郎、板垣征四郎、武藤章……。
→ 「グラン・ブルー」(出演: ジャン・レノ, ジャン=マルク・バール 監督: リュック・ベッソン 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン)
今日はジャック・マイヨールの忌日である。しかも、自殺。
あの「グラン・ブルー」のジャック・マイヨールが自殺とは。うつ病だったというから、病気のせいと思うしかないのか。
「大の親日家でもあった」というが、「10歳の時に、佐賀県唐津市の七つ釜ではじめてイルカと出会い、その後の生活の原点とな」ったことも、その理由だったのだろうか。
小生は、エッセイ「真冬の月と物質的恍惚と」の中で、イメージの中の「グラン・ブルー」を想いつつ、物質的恍惚なる世界を描こうと試みている。
(『ディープブルー』なる掌編も書いたことがあるが、これは酔狂な試みに終わっているかも…。)
関連する部分を転記しておく:
いつだったか、夜毎に色鮮やかな夢を見つづけたことがある。文字通りの総天然色の夢。その中でも青や紺色の、鮮烈というより毒々しいほどの凄みに驚いたものだった。何故、そんなに色がその粒子の一粒一粒に至るまで命を持ち、燃え立っているような夢を見てしまうのか、しばらくは分からなかった。
(略)
月の光が、胸の奥底をも照らし出す。体一杯に光のシャワーを浴びる。青く透明な光の洪水が地上世界を満たす。決して溺れることはない。光は溢れ返ることなどないのだ、瞳の奥の湖以外では。月の光は、世界の万物の姿形を露わにしたなら、あとは深く静かに時が流れるだけである。光と時との不思議な饗宴。
こんな時、物質的恍惚という言葉を思い出す。この世にあるのは、物質だけであり、そしてそれだけで十分過ぎるほど、豊かなのだという感覚。この世に人がいる。動物もいる。植物も、人間の目には見えない微生物も。その全てが生まれ育ち戦い繁茂し形を変えていく。地上世界には生命が溢れている。それこそ溢れかえっているのだ。
けれど、そうした生命の一切も、いつかしらはその物語の時の終焉を迎えるに違いない。何かの生物種が繁栄することはあっても、やがては他の何かの種に主役の座を譲る時が来る。その目まぐるしい変化。そうした変化に目を奪われてしまうけれど、そのドラマの全てを以ってしても、地上世界の全てには到底、なりえない。
真冬の夜の底、地上世界のグランブルーの海に深く身を沈めて、あの木々も、あそこを走り抜けた猫も、高い木の上で安らぐカラスも、ポツポツと明かりを漏らす団地の中の人も、そして我が身も、目には見えない微細な生物達も、いつかは姿を消し去ってしまう。
残るのは、溜め息すら忘れ去った物質粒子の安らぐ光景。
← 丸山健二著『まだ見ぬ書き手へ』(朝日文芸文庫、朝日新聞社)
忌日ばかりでは陰気になる…。
見ると、1943年に作家(1966年下期芥川賞)の丸山健二が生まれている。
小生は、作家(小説家)としての丸山健二のいいファンとは言えない。彼の小説もまともに読んでいない。大作『千日の瑠璃(上下)』(文春文庫)も、上下巻の上巻の、それも冒頭部分で挫折してしまった。
どうにも読めない。耐え難い。感覚がまるで合わない。自分なら、こんなふうには描かない(描けないという技術論は別にして)、否、もっと言うと、こんなふうには描きたくないという感じ。数十頁と書きたいが、あるいは十数頁で放棄してしまった。
一旦、読み始めた本は意地でも読み通す流儀(単なる意地と見栄?)の小生にしては珍しい。
けれど、「読書拾遺(辻邦生と丸山健二の体つながり)」や、特に「読書拾遺(白鳥と芥川)」の中で幾分か触れているが、彼のエッセイには励まされる思いをしたことがある。
その本とは、『まだ見ぬ書き手へ』(朝日文芸文庫、朝日新聞社)である。
上掲の「読書拾遺(白鳥と芥川)」から、『まだ見ぬ書き手へ』を巡る部分を転記する:
本書では丸山は、ひたすら孤立に徹し、生活においても交流においても禁欲を説く。
本書「まだ見ぬ書き手へ」は、無論、現状に落胆し、まだ見ぬ若き書き手へ向けて書かれたメッセージの」書であるのだけれど、同時に、むしろ、自らの苦い後悔に満ちた経験に照らしての慙愧の書であるようだ。
最初に書いた作品で芥川賞を(当時としては最年少記録で)受賞し、いきなり文学界(のみならずマスコミ界)の寵児に躍り出てしまって、舞い上がってしまった。その結果、自らの文学の方向性を見失ってしまった、そんな経験が少々過度に禁欲的な姿勢を頑なに守ろうとするのをよしとするメッセージの書を書かしめたのだろう。本書は小生が首切りに遭い、失業保険で暮らしつつ図書館とプールに通って、心と体のリハビリに努めていた時期、日々10枚の執筆をするというノルマを自らに課し(10枚必ず毎日書くということと、毎日必ず読書するは病気で寝込んでもやる、ということで今も続いている)ているそうした時期の或る日、図書館で見つけ、自らの孤立ぶりを励ましてもらう意味もあって、借り出して一気に読んだものだった。
あれから十年。物書きに徹することに決心してからは十五年。自分はどこか少しでも変わったろうか。人間的な成長は、人付き合いから撤退してしまったので、切磋琢磨することもないし、望むべくもないとして、書き手として少しは修練の成果が見られるだろうか。
作家論、あるいは物書き論としては、必ずしも小生は本書「まだ見ぬ書き手へ」に全面的に賛同というわけにはいかないが(小生の書き手としての、あるいは人間としての理想は、接して漏らさず…じゃない、和して同ぜず、である)、それはそれとして、本書を読み返すと、物書きに徹すると決めた頃のこと、失業して公園のホームレスがやけに目に付いてならなかった頃を懐かしく思い返されると同時に、それなりに頑張ってきたわりには、一向に進展らしき気配も見えず、ただただ寂しいばかりの現状を改めて自覚させられるばかりなのである。
→ 山田英春氏写真・文の『巨石 イギリス・アイルランドの古代を歩く』(早川書房)
さて、車中では渡辺一夫氏の作品集、自宅では相変わらずマンの『ファウスト博士』(ようやく半分を読んだところ)や中勘助作品集を読み続けているが、今日は、「サンタさん担ぐ荷物は本がいい?!」(や「初詣の代わりの巨石文化?」)の中で紹介している、山田英春氏写真・文の『巨石 イギリス・アイルランドの古代を歩く』(早川書房)を読了した。
探訪記なのだが、とにかく写真が素晴らしい。可能なら座右の書にして、今度は、最初から最後まで読むという、律儀な読み方ではなく、パラパラと捲って、その時の気分で気に入った写真を眺めつつ、数千年、あるいはそれ以上の時の流れを想い巡らしてみたいものだ。
ストーンヘンジが、ポツンとあるのではなく、長い前史があり、ストーンヘンジ以降の歴史もあるのだということ、さらに、イギリス・アイルランドの巨石文化が孤立したものではなく、民族(部族)の移動・対立・闘争とも絡んでの、スケールの大きな視野で想像をめぐらすべきことを教えてくれる。
木の文化、石の文化、土の文化、海の文化、想像の翼の羽ばたく余地は際限なく広く深い。
(ストーンヘンジを紹介するサイトは数々あるが、たとえば、「 メガリス ストーンヘンジ」がいい。ホームページは、「Stone_Work@Arts(山本哲三のホームページ)」である。)
既に何度か紹介したが、筆者の山田英春氏のブログがある:
「lithosの日記」
(「lithosの日記 - ニューグレンジの冬至」の記事が画像も含め興味深い。
しかも、「地元(アイルランドのニューグレンジ)のアマチュア研究家マイケル・フォクス氏のサイトの関連記事(画像)がまたいい:「Winter Solstice sunrise at Newgrange - December 2006」)
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コメント
こんにちは、やいっちさん!
いつもコメントをいただき、ありがとうございます。
やいっちさんのブログは、高尚過ぎて、コメントをすることができないでいます。(自分の知識不足を恥入りております)
ジャック・マイヨールは、彫刻家のマイヨールを調べている時に、知ることができた人物です。
海の青さ、「グラン・ブルー」「ディープ・ブルー」はいいですね。この意味での青さは癒されます。最近の青色ダイオードによるイルミネーションには閉口しますが・・・。
やいっちさんのエッセイ「真冬の月と物質的恍惚と」それから、「心と体のリハビリ」に努めた時期に感銘を受けました。ありがとうございます。懸命に生きている方に頭がさがります。
投稿: elma | 2006/12/23 11:19
elmaさん、コメント、ありがとう。
高尚…。まあ、高尚じゃない奴ほど高尚ぶるってことかもしれないね。ないものねだり。
来て、癒されるようなサイトにしたいけど、装っても人柄が出ちゃうよね。自分なりにやるしかないかな。
コメントについては、別に記事でなくても、結構、都内などの写真を撮っているので、掲載した写真のことでもいいのです。
でも、まあ、コメント云々というより、メッセージ欄のようなものですね。
ジャック・マイヨールの話題は冬向きですね。ちょっと時期的に厳しいか。でも、昨日が忌日だったので仕方ない。
町中のイルミネーション、仕事柄、都内各地のものを(車の中からですが)見ているけど、感心する飾り付けのものが未だに一つもない。センスが問われると思うのだけど、あかんね(屋内とか屋上のものは観たことがないから分からないけど)。
青色のLEDは珍しいから、みんな、使うけど、来年の冬は敬遠されるだろうと思う。寒々しい! 夏向きの色だ!
ブログ…、とにかく、まあ、時には背伸びしつつ、淡々とやっていくだけです。
投稿: やいっち | 2006/12/24 07:23