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2006/12/30

玉の道遠路はるばる越までも

 今日も石の話題である。
 またまた堀 秀道氏著の『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』(どうぶつ社)を読んでいて興味を惹かれた石(ヒスイ)の話を扱う。

 もう十年以上も昔になるが、鳥越憲三郎著『古代朝鮮と倭族』(中公新書)を読んで感銘を受けたことがある。
 小生のこと、内容は大概、忘れてしまった。
 それでも、幾つか、今でも印象に残っている説がある。

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→ 昼頃、駅に出る用事があり、その帰り、せっかくなのでライトレールに乗ることに。三ヶ月ぶりだ。雪の富山をのんびりと。

 とりえあず、出版社サイドの謳い文句(内容説明)によると、「中国雲南省辺りの湖畔で水稲栽培に成功し、河川を通じて東アジアや東南アジアの広域に移住していった人々があった。これら文化的特質を共有する人々を、著者は「倭族」という概念により捉える。この倭族の中で朝鮮半島を経て縄文晩期に日本に渡ってきたのが弥生人である。著者は、倭族の日本渡来の足跡を理解するため、径路となった朝鮮半島および済州島を踏査。そこには日本では失われつつある倭族の習俗・慣習が脈々と息づいていた。」というもの。

 ここでは、「古代朝鮮・韓民族の形成とニッポン  01年1月16日 萬 遜樹」を参照させてもらう。
 要は、「「韓」人や「倭」人とは何か。華南の「越」人である。これは国名ではない。主に長江河口域に住み、稲作と漁撈を生業とし、高床式の住居文化をもつ「越」と呼ばれた諸族である。中華は彼らを「百越」と総称した。「越智」を今でも「おち」と読むが、これは「越」を「wo:ヲ」とかつて発音したことの残滓である。「倭」もまた元は「wo」と発音した。つまり、「越族」とは「倭族」である。日本・北陸地方を「越」というが、もちろんこれもただの偶然ではない。」という点などに興味を抱いたのだった。
 他に、ここでは焦点を合わせないが、下記のサイトにもあるように、「鳥居」のルーツの話なども、上掲書では、印象深かったのだが、今回は割愛する。
(同氏の関連する著書に『古代中国と倭族―黄河・長江文明を検証する』(中公新書)がある。『古代朝鮮と倭族』と、説明の上で重なる部分があるので、「134 鳥越憲三郎 古代中国と倭族/モナ丼/本読」なる頁(「モナ丼/ケノのモナド的混沌世界へようこそ」がホームページ)や、「倭人の国について」(「倭国と日本国の関係史」がホームページ)などを参照のこと。)

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← 昨日の冒頭の写真と比べてみてほしい。一日で風景が一変。これでも、束の間の晴れ間で雪が幾分、溶けて減っているのだ。その後、間もなく、また降り出した…。

 さて、突然、「越」→「倭」の話を持ち出したのは、堀 秀道氏著の『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』(どうぶつ社)を読んでいたら、「越」に関係する話題が出てきたから、これはメモしておかないという気になったからである。
 以下、「玉」とは、「ヒスイ(翡翠)」などの軟玉とか「ヒスイ輝石」のような硬玉という時の「玉(ぎょく)」である。
 当該の節を転記する(p.101-3):

 玉の古代の名称についてであるが、漢字では「○枝」と書き、読み方は「カシ」または「ケイシ」であろうということになっている。
 玉の原産地はタクラマカン沙漠やさらに西部の中央アジアなので、原語はその方面の土地の言葉であろう。ウイグル語ではカス、カシ、古代カルディアではヤシミ、ギリシャ語ではヤスピス、ロシア語ではヤーシマ、ラテン語のラピス、朝鮮語ではクスルなどのことばは中央アジアの奥地で玉を最初意味したと思われるカシと関連があるとされている。ただ、どこでも音は玉を意味していてもその後、美しい石、また単に石を表すように変化した例が多いようである。
 中央アジアの地名にはカシに似た音をもつものが多く、カシミール、カシュガルなどすぐ思いつくし、中国の文献中に出てくる西域の国名でも月氏(げっし)、亀滋(きじ←「滋」からサンズイを取る)、車師(しゃし)等沢山ある。
 日本の翡翠の産地姫川、糸魚川地方は、古代には越(こし)の国(古志、高志とも書く)と呼ばれていたそうで、現在の上信越などの越はその名残(なごり)かもしれない。
 石器時代から古代にかけて人類がすばらしい石、玉に対してもっていた態度は、おそらく、現代のわれわれの想像を絶するほど、重々しく、信仰的であったと思われる。
 それであるから玉を表す同音語がほとんど全世界に波及したのであろう。今の日本語の石(イシ)だって、中央アジアの玉に本源をもつのかもしれない。
 シャクジというのはこの中央アジアの玉を表すことばが日本に伝えられた古形ではあるまいか。クジはいかにもクシに似ているし、車師(しゃし)などの地名の例もある。

 日本は山の国であり、また同時に石の国でもある。昔の祖先が石に特別の関心をはらったのは当然である。玉川、多磨川という川の名前は全国に多い。玉のような石の出る川という意味で、実際、玉石の産地を流域にもつ例がある。また久慈側(くじがわ)という名前の川もいくつかあるようで、これも玉石の川の意味であろう。茨城県の久慈川には実際今でもめのうがある。久慈という名前は玉という名前よりも古いように思われ、またあるいは朝鮮系の名称なのかもしれない。
 シャクジにしても、その所在地の地質的性格、ご神体があればその鉱物学的研究、また古代語学的研究、とくに朝鮮系の石や玉を表す言葉の研究、こうしたものを組み合わせて総合的に調査、研究を行なえば、あるいは、新しい「石神問答」が書けるかもしれない。


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→ 中沢新一著『精霊の王』(講談社)

(文中、「○枝」の「○」の漢字は表記できなかった。王扁の漢字なのだが…。また、文中、「シャクジ」という言葉が出てくるが、これは、柳田国男著『石神問答』が本章で扱われており、その『石神問答』では、「社宮司」「社護神」「遮軍神」「左口神」などさまざまな文字をあてられている「シャクジ」という変わった名前の神、また神信仰が民俗学的に探求されている。
 この『石神問答』については、中沢新一著の『精霊の王』(講談社)が面白そう。
 なんたって、「柳田国男著『石神問答』、金春禅竹著『明宿集』。この二冊の書物から受けたインスピレーションを元に、思想家・中沢新一が、日本という国家が作られたとき、その闇に封印された石の神への信仰へと踏み込んでいく。 芸能、技術、哲学……。日本人の思想の裏側に、いまだ脈々と流れている霊的エネルギーの源とは何か? その正体を「宿神(シュクシン)」とよばれる「子どもの神」であると本書は示唆する。 縄文より続く石の神への信仰と宿神の関係。蹴鞠の達人・藤原成通、ケルトに伝えられる伝説、詩人・中原中也、沖縄に伝わる祭り・アンガマ、山梨や四国にいまだ残る石の神信仰と神社の関係。そして、差別の発生から王の誕生まで」というのだ。また、読みたい本が増えちゃった!)

 ちなみに、本書(堀 秀道氏著『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』)によると、シルクロードとは、「絹の道」とされているが、これは後世になって、このロードで移動する産品の中に絹(シルク)があったからであって、本来は、このロードは「玉」を運ぶために拓かれた道なのだとか。
 この指摘に付いても、後日、本ブログで触れることがあるやもしれない。

「越」地方が、ヒスイ文化(信仰、権力)の地だということと、「「越」を「wo:ヲ」とかつて発音したことの残滓である。「倭」もまた元は「wo」と発音した。つまり、「越族」とは「倭族」である」ことと考え合わせると、結構、面白い展望が開けそうな気がする。

 なお、「翡翠(ひすい)」については、拙稿「硬さと堅さ…翡翠の謎」(やさらに「黒曜石から古今東西を想う」)など参照願いたい。

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