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2006/12/27

銀の匙掬ってみれば苦き恋

 帰省の列車の中で、ずっと中勘助著の『銀の匙』(ちくま日本文学全集 29)を読んでいた。最初は、仕事の車中で読むつもりでいたが、冒頭の数頁を読んで溜め息が出て、車中で読むのは勿体無くなってしまった。
 ついで、自宅で読み始めたのだが、日中から夜にかけては断続的にだがマンの「ファウスト博士」などを読んでいることもあって、大概が手にするのは寝床に入ってから。
 すると、やはり数頁もしないうちに寝入ってしまう。

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← 富山駅前にて。夕刻。冷たい雨。雪でなくて良かった。

 別につまらないからではない。
 全く逆で、彼の世界に一気に魅入られてしまって、ふと、自分の幼児の頃はどうだったかなどと瞑目してしまったりして、気がついたら夢の世界へ、というわけなのだった。
 もう、こうなったら、帰省の旅の友にしよう。中勘助が『銀の匙』で記憶の糸を辿っていくように、小生も田舎への道中を辿りつつ、東京から故郷へ、今からあの頃の世界へ戻っていく、そんな旅をしたいと思ったのである。

 初めて読んだのは高校生だったか、それとも学生時代だったか。その頃は、随筆とか思い出を綴るような散文は、敬遠気味のはずだったのに(本格的な文学や哲学にしか目が向かなかったはずの古典時代だった)、何故に中勘助の本を手に取ったのだろう。

 目立たないとはいえ、漱石山房の一人だったから。なんたって、漱石山房には小生が随筆家として一番好きな書き手の寺田寅彦がいる!
 それから十年ほどして、少なくとも一度は読み返したことがあるので、恐らくは初めてこの作品と出会って三十年ぶり、三度目の再会となる。
 今回は、『銀の匙』以外の作品も読みたくて、『ちくま日本文学全集 29 中勘助』を手にしている。

 今更ながらに、彼の文章の凄みを痛感している。
 凄みと書いたけれど、何も小難しいことを書いているわけではない。幼年・少年時代の思い出を自伝風に綴っただけのもの(のはず)なのだ。
 けれど、稀有な作品でもある。

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→ 上掲の直後に撮ったもの。セピア風に。ライトレール(プロフィールの画像を参照のこと)に乗って富山駅から最寄の駅まで向おうかと思ったけど、雨だし、地元のタクシーに乗ってみたくて、タクシーを選んだ。
 
 例によって、松岡正剛氏も中勘助の『銀の匙』を扱っているのだが(「千夜千冊『銀の匙』中勘助」、その千夜千冊の31番目に登場してくる。
 一体、どういう基準などがって採り上げる順番を決めているのか小生は知らないが、少なくともこの本は松岡正剛氏がどうしても紹介しておきたくてならない本の一冊だったのではなかったろうか。

「『銀の匙』は中勘助が最初に書いた散文である」が、勘助の先生でもあった「漱石は、この作品が子供の世界の描写として未曾有のものであることにすぐに気がつ」き、漱石の推薦で新聞の連載が決まった。
 かの和辻哲郎などもこの散文を読んで驚いた。
「この作品にどんな先人の影響も見られないことに大いに驚き、それが大人が見た子供の世界でも、大人によって回想された子供の世界でもないことに驚いた。まるで子供が大人の言葉の最も子供的な部分をつかって描写した織物のようなのである」と。

 松岡正剛氏自身、「まるで子供の心そのまま、子供の心に去来するぎりぎりに結晶化された言葉の綴れ織りなのである。しかしそれは大人がつかっている言葉のうちのぎりぎり子供がつかいたい言葉だけになっている、というふうなのだ」と、やや興奮気味に評しておられる。

 しかしながら、松岡正剛氏も、何故に中勘助がこのような世界を表現しきれたのか、その謎には(ここでは)迫ってはいない。

銀の匙」(「kumaの学習ノート」内)や「中勘助 『銀の匙』」(「読書放浪」内)など、とにかく彼の文章に魅入られる人は多いし、つい、『銀の匙』から引用したくなる。

 例えば、「中勘助」(「文学者掃苔禄」内)から:

ある晩かなりふけてから私は後の山から月のあがるのを見ながら花壇のなかに立っていた。幾千の虫たちは小さな鈴をふり、潮風は畑をこえて海の香と浪の音をはこぶ。離れの円窓にはまだ火影がさして、そのまえの蓮瓶にはすぎた夕だちの涼しさを玉にしてる幾枚の棄とほの白くつぼんだ花がみえる。私はあらゆる思いのうちでもっとも深い名のない思いに沈んでひと夜ひと夜に不具になってゆく月を我を忘れて眺めていた。……そんなにしてるうちにふと気がついたらいつのまにかおなじ花壇のなかに姉様が立っていた。月も花もなくなってしまった。絵のように影をうつした池の面にさっと水鳥がおりるときにすべての影はいちどに消えてさりげなく浮かんだ白い姿ばかりになるように。私はあたふたとして
「月が……」
といいかけたがあいにくそのとき姉様は気をきかせてむこうへ行きかけてたのではっとして耳まで赤くなった。そんな些細なこと、ちょっとした言葉のまちがいやばつのわるさなどのためにひどく恥かしい思いをするたちであった。姉様はそのまましずかに足をはこび花のまわりを小さくまわってもとのところへもどりながら
「ほんとうにようございますこと」
と巧みにつくろってくれたのを私は心から嬉しくもありがたくも思った。

 実はこの文章は、短編ともいえる章の一部なのだが、実にひめやかでひそやかで切なく淡い恋…の結末部分なのだが、この佳品とも言うべき章を最初から読むと一層、味わいが感じられる。
 不思議なリズム。語感。
 そして、プラトニックな愛。

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← 富岡多恵子著『中勘助の恋』(平凡社ライブラリー )

 さて、中勘助の文章の秘密はやはり、「銀の匙」に解く鍵がありそうである。病弱に生まれた勘助。
 少年になった勘助が、書斎の机の引き出しから、古い銀の匙を見つける。実はそれは、小さな勘助に薬を飲ませるために買った匙なのである。
 伯母の献身的な世話もあって、徐々に元気になっていくのだが、彼の感性は、ある意味、病弱だった幼年時代に出来上がったのかもしれない。
 世界を徹底して自分の感性で感じ理解し表現していく。
 大概の人なら大人になって社会にぶつかる中で育ち会得する常識を、勘助は逆立ちした形で物心付く時には身に付いてしまっていたのであり、そこから抜け出せなかった、抜け出そうとはしなかったように思える。
 プラトニックな愛を彼は幾度も経験していくわけだが、まさにそのプラトニック性をこそ愛したのかもしれない。
 ハンサムな彼には、女性は自分から仕掛けなくとも寄って来る存在だったのだろうし。
 女性からしたら、たまらない相手なのかもしれない。

文学者掃苔禄 中勘助」では、「この作家にとって他者は、自分を写す鏡の限られた面の中にしか存在しない都合のよい対象であったのだろうか。勘助の結婚は57歳の時であったが、脳溢血の後遺症によって数十年にわたって、彼を悩まし続けた兄の死の日でもあった」とか、「幾度かのプラトニックな愛を経た、ナルシストの作家」などと書かれている。
中勘助文学記念館」に載っている勘助の画像も分かるが、高齢になっても彫の深い二枚目である。
 作家の野上弥生子や鴎外の娘・杏奴(「鴎外の娘・杏奴へ26年 中勘助の未発表書簡 公開 父が娘を呼ぶように…」参照)など、少なからぬ女性が恋した相手だったようだ。

 この辺りの女性から見た男性の心理構造は、小生は未読なのだが、我が畏敬する富岡多恵子氏に(『中勘助の恋』(平凡社ライブラリー )に訊くのが良さそうだ。

 そうした諸々を越えて、それでも中勘助文学は屹立している。
 やっぱり、凄いのである。
 そしてその凄さは、誰しもが自ら読んで確かめるに値する凄さでもある。

 さて、半分近くまで読んでしまった、『ちくま日本文学全集 29 中勘助』なのだが、郷里にいる間に読み終えてしまうか、帰りの列車中で読むために、多少なりとも残しておくべきか、ちょっと悩ましい。

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