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2006/12/03

デュモンさんライトな空の旅ならず

 月曜日から車中で読み始めた灰谷 健次郎著『兎の眼』(角川書店)を、残りが百頁ほどになったので、土曜日、読了させた。
 というより、翌週の営業まで待って続きを読むなんて出来なかったのだ。
 本書に付いて今更、感想もない。
 このような先生や生徒、あるいは地域の人々との交流が現実にありえるだろうか。

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← 師走1日、都内・芝公園にて。目にも眩しい紅葉ぶりだったけど、やや逆光気味の画像になって、その鮮やかさを示せていないのが残念。

 学校の先生たちは事務・雑務が多すぎて、しかも、上からの締め付けがきつくて授業や肝心の生徒と向き合う時間もゆとりもないという。
 しかも、教育基本法の<改正>で、さらに上、今度は国家からの締め付け…どころか強制が強まるのは必至。
 もう、生徒や教育など度外視されていくのだろう。
 本書のような本を読むなんて、ありえないことになるのかもしれない。
 そうして、ただ、国家や国旗や国歌や校長や教育委員会や父兄らに平伏するばかりの、ロボットのような先生が増えるばかりなのは目に見えている。

 首相や政権で教育基本法の改変に突っ走っておられる方には是非とも本書・灰谷 健次郎著『兎の眼』を読んでもらいたいものだ。

 来週からは車中では、中野雄著『丸山眞男 音楽の対話』(文春新書)を読む予定。
週初め週末気分そのままに」の中で読みたいと書いていた本。図書館で発見、なんとか借り出すことが出来たのだ。
 丸山眞男本人の著作ではないが、ショスタコービッチが話題の中心になっている(ことが多いという)本書ということで、営業(中の休憩時)が楽しみだ。

 自宅でもいろいろ読んでいるが、今日からはトーマス・マン著の『ファウストゥス博士』を読み始める。
『トーマス・マン全集6』(円子修平訳、新潮社)版が既に借り出してある。年内は、基本的に本書に係りきりになるだろう。じっくり腰を饐えて読みたいね。

 可能なら『トーマス・マン日記 1944-1946』(森川 俊夫/佐藤 正樹/田中 暁共訳、紀伊国屋書店)も、「戦局の趨勢がほぼ決まっていた1944年から、ドイツ降伏と戦後の時代にかけてのトーマス・マンの日記を収録する。ドイツの「自己批判の書」と呼ばれる「ファウストゥス博士」の創作の進行等の委細も知る事ができる」というし、読みたいけど、当分、手が出せそうにない。

 過日、某サイトの掲示板で「ブラジル出身で「飛行機の父」と呼ばれる人」の話題が書き込まれていた。ラジオでその話題を耳にしたとか。
 実は、小生も(多分)同じ番組(NHK第一)を聴いていたのだった。ライト兄弟より先に飛行の公開実験を行なったということで、ブラジルの関係者には有名な人物らしい(小生はラジオでの話が初耳)。
 翌日のブログに書こうかなと思ったけど、他にも書くことがあって、書くのはパスしてしまった。
 その後、同掲示板で他の方からの情報も書き込まれたこともあり(その方のサイトは、「小樽分子模型の会」)、せっかくなので、若干、メモしておく。
 
 ブラジル人(に限らないが)の名前のカタカナ表記でまず戸惑ってしまった。
 サントス・ズモンという表記、あるいは、サントス・ドュモンという表記もネットでは見出せる。
 でも、サントス・デュモンという表記でのネット情報が一番、多い。

 正しい(望ましい)表記なのかどうか、小生には分からないが、ここではサントス・デュモンという表記を使わせていただく(但し、この場合でも、サントス-デュモンという表記を採用しているサイトもある。下で紹介するサイトに敬意を表し、サントス-デュモンという表記も併用する)。

 名前は、アルベルト・サントス・デュモン(Alberto Santos-Dumont、1873年7月20日 -1932年7月23日)で、「ブラジル人で、ヨーロッパの航空のパイオニアである」と、「アルベルト・サントス・デュモン - Wikipedia」の冒頭に書いてある(これだと、サントス-デュモンという表記が望ましいことになる…のだろうか。でも、同じ頁内に違う表記が混在している! サントス・ドゥモン空港! サントス・ドゥモン勲章を小野田寛郎氏が受勲されている!)。

 プロフィールの冒頭に、「ブラジル、リオデジャネイロの裕福な家庭に生まれたサントス=ドゥモンは、故郷のブラジルやフランスでは飛行機の父、飛行機王と呼ばれるほど偉大な発明家であり、ライト兄弟以前に飛行船を飛ばすことに成功、安定した飛行機を開発し、未完に終わったもののヘリコプターをも開発していたことで知られる」とある!
「1910年頃から多発性硬化症を発病し、サンパウロ州グアルジャで1932年に首を吊って自殺したと言われている。一説には、自ら発明した飛行機が戦争の兵器として使用されるのに絶望して、死を選んだとも言われる。ブラジルにはサントス=ドゥモンの名前を冠した空港や博物館などの公共施設や勲章がある他、催しも多い」など、以下、「ブラジル人で、ヨーロッパの航空のパイオニアである」と、「アルベルト・サントス・デュモン - Wikipedia」を読めば大概の事が分かる(だから、小生如きが何を書く必要もないのだった!)。

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→ ナンシー・ウィンターズ 著『空飛ぶ男 サントス-デュモン』(忠平美幸 訳、草思社)

@nifty:歴史フォーラム:掲示板:Bar HISTORIA(フリートーク)」(オープンなフォーラムである)に興味深い記述があった:
132. 鷹見泉石とサントス・デュモン
 この鷹見泉石がまた大塩平八郎(の乱)や(小生が近々関連の本を読む予定でいる)渡辺崋山との関係などで興味深い人物だが、今は上掲の頁を読んでみてほしいと思うばかり。

 このフォーラムの記事によると、アルベルト・サントス・デュモン(1873-1932)の製作した有人動力飛行機の「翼は、日本製絹布だった」とか。
 翼よ、あれは日本製の布だ! である。
 日本も関わりがあったのだ!
(翼に日本製の絹布が使われた件についても、「サントス-デュモン」が詳しい。)

「ブラジル人で、ヨーロッパの航空のパイオニアである」と、「アルベルト・サントス・デュモン - Wikipedia」の中に(上記したが)、「一説には、自ら発明した飛行機が戦争の兵器として使用されるのに絶望して、死を選んだとも言われる」という記述があるが、「132. 鷹見泉石とサントス・デュモン」に関連の記述が見出せる:

 1914年には第二次世界大戦が勃発。戦争に大規模に飛行機が用いられる様になった。それに先立つ1912年にはブラジルのコンテスタードで宗教反乱が起きた。教祖のジョゼ・マリアは州警察軍に殺されるが反乱は続き、1915年1月8日には、連邦軍は初めて飛行機を使用し、反乱勢力を攻撃した。これら戦役やブラジル内戦、飛行機事故に悲観した彼は鬱病をこじらせ、1932年7月23日、ネクタイで首を吊り、自害した。

 サントス-デュモンの自殺(説)関連情報についても、このが詳しい。
晩年~平和への祈り~」なる項を見てもらいたい。
 戦争において飛行機が爆弾の投下に使われたことも自責の念に駆られる大きな理由だったのは間違いないようだ。
 が、それ以上に彼にはショックだったのは、「ブラジル政府は国民的英雄のサントス-デュモンを著述家アカデミーに選出することを計画。歓迎委員会が組織され、療養中のサントス-デュモンを招待し」た際に生じた事故だったのかもしれない。
 サントス-デュモンを歓迎するために飛んだ飛行機(サントス-デュモン号)が、「空中で爆発してしまいます。乗員、乗客は全員死亡。この大事故はサントス-デュモンの目の前でおこりました」!
「全員の葬儀に出席したサントス-デュモンはその後、自宅に引きこもってしまいます」という結果に至るのだ。
 しかも、さらに彼に追い討ちを掛けるような事態が…。


 面白いのは、「ファッションリーダー」の項に、「ファッションのセンスにも優れ、トレードマークである襟の高いハイカラーシャツを着ていたので、このスタイルがのちに日本でお洒落な人を指す「ハイカラ」の語源になったと言われている。また、カルティエ社の腕時計『サントス』は、彼の依頼によって作られたパイロット用腕時計を原型としている」とあること。

 サントス-デュモンについては、既に幾度も参照させてもらっているが、「サントス-デュモン」がネット上では一番、詳しいようだ(ネット検索を完璧にやったわけではないが)。
 この頁を読むだけで(頁を発見し紹介するだけで)、サントス-デュモンについては十分なような気がする。
 ドラマチック過ぎる!

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← 「友人の飛行士サントス デュモンのために作られた「サントス」」(「価格.com - 時計特集 CARTIER ヒストリー」)。欲しい!!!

 ここでは、ファッションとの関わりで一部を転記させてもらう。
 ネット検索すると分かるが(ファッションや時計に詳しい人なら、旧知のことかもしれないが)、サントス-デュモンと関せられたカルティエの時計関係の頁が多く浮上する(「価格.com - 時計特集 CARTIER ヒストリー」参照)。

 何故にサントス-デュモン(の名前)が時計に?
「空を飛び始めたころのサントス-デュモンには、一つの悩みがありました。飛行船にせよ飛行機にせよそうですが、当時は操縦が難しく、懐中時計を出して時間を見る暇が無かったようです。事実、エッフェル塔の周囲を飛行船で飛んでドゥーチ賞を獲得した時も、着陸するなり「私は成功したのか?」とまわりの人に聞いたそうです。それを聞いたサントス-デュモンの親友、ルイ・カルチェは両手がふさがっていても時間が確かめられる時計、紳士用腕時計の開発を思いつきます」など、当該の頁の記述が興味深い。

 「O Diario de RIKO 2004-12-29 コーヒーの谷から」なる頁を覗くと、「サントス・ドュモンの家」の画像が載っている。

 サントス-デュモンについての本というと、上掲のサイトでも参照されている、ナンシー・ウィンターズ 著『空飛ぶ男 サントス-デュモン』(忠平美幸 訳、草思社)が極め付きのようである(小生は残念ながら未読)。

 また、「日立 世界ふしぎ発見!」でもサントス・デュモン(その回は、彼の特集ではなかった)が採り上げられたことがあったようだ:「日立 世界ふしぎ発見! - 今週のミステリーハンター -」(ミステリーハンターは、坂本 三佳(さかもと みか)さん)
「サントス・デュモンがつくった飛行機や、飛行船の模型が展示されている航空宇宙博物館へ取材に行った時に、当時の飛行実験の様子を写した写真を見ました」など、興味深い。小生は見逃している!

今年は彼の初飛行から100年を迎え、ブラジルでは1レアル記念硬貨や記念切手、彼を題材にした映画の公開があると云う」けれど、映画に付いて、裏付けを取ることができなかった。

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