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2006/12/31

寅彦忌…海月(くらげ)なす湯殿の髪の忘れえず

今日は何の日~毎日が記念日~」の今日、つまり大晦日である「12月31日」なる頁を開いてみた。
 すぐに、「寅彦忌(冬彦忌)」の項に目が留まった。
 他の項目も眺めて、画家のアンリ・マチスの誕生日だとか、『羊たちの沈黙』などで有名なアンソニー・ホプキンスの誕生日でもあるとか(珍しく、原作も映画も共に良かった!)、この前のフィギュア全日本で彼女としては悔しい結果に終わった村主章枝さんの誕生日だとか、画家のクールベ(三ヶ月ほど前に「クールベや始原の旅のあたたかき」にて扱った)や富岡鐵齋らの忌日であるとか、触れてみたい方々がいることに気づかされる。

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← 正月を迎える縁起物を買いに出かけようとしたら、北陸の冬には貴重な青い空に月影が。画像では、よほど目を凝らさないと見えないけど。

 でも、小生の嗜好もあって、やはり気になるのは、「寅彦忌(冬彦忌)」の項だ。物理学者・随筆家の寺田寅彦の忌日なのだ。
 彼に付いて正面切って扱ったことはない。
人間を定義する」や「人間を定義する(続)」にて、若干、触れている。
 これらは、「喫煙四十年」という寺田寅彦のエッセイの中で、「しかし人間は煙草以外にもいろいろの煙を作る動物であって、これが他のあらゆる動物と人間とを区別する目標になる。そうして人間の生活程度が高ければ高いほどよけいに煙を製造する」という下りに興味が掻き立てられ、「人間を定義する」というテーマで自分なりにあれこれ綴ってみたもの。

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2006/12/30

玉の道遠路はるばる越までも

 今日も石の話題である。
 またまた堀 秀道氏著の『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』(どうぶつ社)を読んでいて興味を惹かれた石(ヒスイ)の話を扱う。

 もう十年以上も昔になるが、鳥越憲三郎著『古代朝鮮と倭族』(中公新書)を読んで感銘を受けたことがある。
 小生のこと、内容は大概、忘れてしまった。
 それでも、幾つか、今でも印象に残っている説がある。

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→ 昼頃、駅に出る用事があり、その帰り、せっかくなのでライトレールに乗ることに。三ヶ月ぶりだ。雪の富山をのんびりと。

 とりえあず、出版社サイドの謳い文句(内容説明)によると、「中国雲南省辺りの湖畔で水稲栽培に成功し、河川を通じて東アジアや東南アジアの広域に移住していった人々があった。これら文化的特質を共有する人々を、著者は「倭族」という概念により捉える。この倭族の中で朝鮮半島を経て縄文晩期に日本に渡ってきたのが弥生人である。著者は、倭族の日本渡来の足跡を理解するため、径路となった朝鮮半島および済州島を踏査。そこには日本では失われつつある倭族の習俗・慣習が脈々と息づいていた。」というもの。

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2006/12/29

モーツァルト…石の道辿ってみれば前史より

 堀 秀道氏著の『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』(どうぶつ社)を読んでいたら、「一九九一年は、モーツァルトの没後二〇〇年の記念の年であった。そして、この年に「モーツァルト石(Mozartite)」が発見命名されている。」という記述に出会った。
 作曲家の名前が鉱物名になったのは初めてだったという。
 但し、「命名者は「モーツァルトの記念の年の発見であること、モーツァルトが歌劇『魔笛』をはじめ、作品の各所で地質鉱物に理解を示しているから」というやや漠然とした抽象的な理由を述べるにとどまり、それゆえ新鉱物を審査する国際鉱物学連合の新鉱物委員会の方でもとまどったらしい」とか。
 結局、国際投票で三分の二に達する票をえてモーツァルト石に決定された」ようである。
 二〇〇五年には日本(愛媛県)でもモーツァルト石が発見され、世界で二番目の発見となったとか。

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← 田舎の家の茶の間から裏庭を望む。昼過ぎだったろうか。
 
 前日に引き続き、上掲書ネタとなるが、まあ、個人的な嗜好(琴線)に触れてしまったからには、メモしておくしかない。
 今年、「モーツァルト・イヤー(生誕二五〇年)ということで、堀 秀道氏が朝日新聞の人にこの話をしたら、愛媛のモーツァルト石が写真入りで報道され、テレビでも紹介された」という:
モーツァルト石に再注目:キーワードの泉」(愛媛のモーツァルト石の画像を見ることができる)
モーツァルト石(Mozartite)」(モーツァルト石全般について詳しい)。

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2006/12/28

色のことまさぐるほどに奥深し

春光・色の話」にて、吉岡幸雄氏監修の、「色の万華鏡」というサイトを紹介しつつ、主に日本語における「赤」や「黒」「白」「青」などの言葉の使われ方や、そうした表現に至る由来などをメモしている。
(但し、「春光」については、「「春光」とは春の色のこと」にて扱っている。)

 日本では、あまり「あお」と「みどり」が区別されていなかったことは、「あお」と言いつつ、実際は「みどり」色を意味していたりすることは、近年までの信号機の「青」は、実際には「緑」色だったのに、それほど違和感なく「青」と呼称していたことでも、その片鱗が知れる。
 空の青、海の青より、森や草原の緑のほうが人類には長く親しまれてきたということがあるのだろうか。

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→ 堀 秀道著『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』(どうぶつ社)

 田舎にて、家事の合間に細切れに空く時間を使って、堀 秀道氏著の『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』(どうぶつ社)を読んでいる。
 図書館に立ち寄ったら、新刊本のコーナーにこの本が燦然と輝いて掲げてあったのだ。
 燦然と……。
 ほんの二ヶ月ほど前、「宮沢賢治…若き日も春と修羅との旅にあり」にて、宮沢賢治の石(鉱物)好きな側面について若干のメモを綴ったばかりの小生には、まるで、これみよがしに、そう、これをキミが借りなきゃ嘘でしょというふうに、その本が浮き出て見えたのである。

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2006/12/27

銀の匙掬ってみれば苦き恋

 帰省の列車の中で、ずっと中勘助著の『銀の匙』(ちくま日本文学全集 29)を読んでいた。最初は、仕事の車中で読むつもりでいたが、冒頭の数頁を読んで溜め息が出て、車中で読むのは勿体無くなってしまった。
 ついで、自宅で読み始めたのだが、日中から夜にかけては断続的にだがマンの「ファウスト博士」などを読んでいることもあって、大概が手にするのは寝床に入ってから。
 すると、やはり数頁もしないうちに寝入ってしまう。

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← 富山駅前にて。夕刻。冷たい雨。雪でなくて良かった。

 別につまらないからではない。
 全く逆で、彼の世界に一気に魅入られてしまって、ふと、自分の幼児の頃はどうだったかなどと瞑目してしまったりして、気がついたら夢の世界へ、というわけなのだった。
 もう、こうなったら、帰省の旅の友にしよう。中勘助が『銀の匙』で記憶の糸を辿っていくように、小生も田舎への道中を辿りつつ、東京から故郷へ、今からあの頃の世界へ戻っていく、そんな旅をしたいと思ったのである。

 初めて読んだのは高校生だったか、それとも学生時代だったか。その頃は、随筆とか思い出を綴るような散文は、敬遠気味のはずだったのに(本格的な文学や哲学にしか目が向かなかったはずの古典時代だった)、何故に中勘助の本を手に取ったのだろう。

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2006/12/26

エッシャーの迷宮に今目覚めけり

[以下は未公表の旧稿である。アップし損ねていた。書いて、原稿の様子を見て、あと少し手を加えたらアップしようと思っていたが、何かの用事に気を奪われ、それきりスッカリ忘れてしまったようだ。アップしたつもりでいたのだ。
 よって書いた日時が記憶に無い! 半端に終わっていることは重々承知だが、今更、書き足したりするのも面倒なので、一切、手を加えずアップする。
 アップアップである。
 ああ、それにしても、よりによって今日が雨とは、運が悪い。
 今日から帰省だというのに……。 (06/12/26 アップ時追記)]

座乱読後乱駄夢人名事典・歴史上のお友達?」なるサイトの記事を(申し訳なくも)漫然と眺めるのがこの頃のネット上での楽しみの一つになっている。
 あまり公にはしたくないが、水墨画をこっそりと(細々と)試み始めていて、自作の絵を描くサイトの数々が気になっていて、関連するいろんなサイトをお気に入りに入れて、ああ、うまいもんだー、今の自分じゃ、どうやってもこの域の絵は描けないなーと溜め息しきりの毎日なのである。

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→ DVD『M.C.エッシャー』(出演: M.C.エッシャー、レントラックジャパン)「M.C.エッシャーの作品と人生の軌跡を追う唯一の傑作ドキュメンタリー!」だって!

 そうはいっても、日頃は時間がなくて練習どころか、サイト巡りも侭ならない。
 が、日曜日の午前ということもあり、じっくり過去に遡って眺めてみたりした。

 すると、「エッセル」という記事に遭遇した。
 絵を見ただけでは、何処かの知らない小父さんである。名前からも、まるで思い当たる人物像を結ばない。
 記事を読むと、明治政府のお雇い外国人の一人で、「オランダ人のジョージ・アルノルト・エッセル」と言い、「治水技術者として来日し」たのだという。

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2006/12/25

蕪村忌や語る人なき苫(とま)のあり

 本日のテーマは、「蕪村忌」です。
[書いている最中、ジェームス・ブラウンさん逝去の報が入りました。ご冥福をお祈り申し上げます(ジェームス・ブラウンさんに直接関係するエッセイではないのですが、旧稿に「ゲロッパといえば」があります。(当日追記)]

今日は何の日~毎日が記念日~」で「12月25日」の頁を開いてみる。
 なんと今日はクリスマスである!
 って、誰でも知ってるか。

 浮き世離れしているから、改めてクリスマスの文字を見るとびっくりしてしまう。
 小生には無縁な「イエス・キリストの降誕の日」であるが、これまでクリスマスについて殊更、テーマとして俎上に載せたことは無い。
 敢えて(それも相当無理して)挙げるなら、「サンタさん担ぐ荷物は本がいい?!」にて、サンタさんらしき謎の闖入者の画像を載せたことがあるくらいか。

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→ お疲れ様。あとはゆっくり休んでね……。って、一体、塒(ねぐら)は何処にあるの?

 あとは、これまた無理を承知で挙げるとして、「無精庵明月記 「茶の湯とキリスト教のミサ」に寄せて」にて、茶道(利休)とキリスト教の関係に若干、触れている。
「利休が考案したと言われる茶杓に、十字架のモチーフを読み取る向きもある」など、あれこれ書いている。

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2006/12/24

すべてよし終わりダメでもすべてよし

[本日は、タクシー日記(レポート)です。]

目次:
 今日は祭日?!
 不況にめげず
 自転車トラブル?!
 好事魔多し?
 10年無事故・無違反
 キセル乗車
 バッテリーは外せます
 終わりよければ(?)全てよし!

今日は祭日?!

 23日、土曜日も出勤だった。本来は休みの日なのだが年末の事情があって出番変更(営業所内では、あるいは会社内では、それとも業界用語なのか分からないが、「出変=デヘン」という俗称(略称)がある)したのだ。
 タクシーは基本的に会社が決めた日程に基づいて営業の日が決まる。その日が祭日だとか土曜日だとかは関係なく、営業所全体としての組み立てがあるわけだ。
 だから、曜日の感覚が分からなくなったり、さすがに土曜日だとは認識していても、昨日23日が祭日だとは、すぐには気づかない。

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← 都内某所の公園にて。すっかり日に焼けてしまって…。

 気づいたのは、走り出してしばらくしたら、通り過ぎるバスが2本の日の丸の旗を前面にクロスさせるような形で誇らしげに掲げているのに気づいた。
 あれ? なに? 何か目出度いことがあったの? 今日は祭日? あ、そうか、昨日のブログで23日が天皇誕生日だとは書いてあったが、祭日となっているとまでは考えが及ばなかった。

 なので、未だ、祭日だという認識に至らない。半信半疑のまま、走行を続ける。

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2006/12/23

地と海とグランブルーに繋がれる

 このところの習いで、「今日は何の日~毎日が記念日~」の「12月23日」を覗いてあれこれ想像をめぐらしていた。
「1948年、巣鴨刑務所で東條英機・廣田弘毅ら7人のA級戦犯に絞首刑を執行」というのは、瞑目すべき歴史的事実だと思う。この件に関し、マスコミなどでは23日、どのような扱いをされるのか(あるいは全く無視なのか)、興味深いところである。
 東條英機、廣田弘毅、松井石根、土井原賢二、木村兵太郎、板垣征四郎、武藤章……。

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→ 「グラン・ブルー」(出演: ジャン・レノ, ジャン=マルク・バール 監督: リュック・ベッソン  20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン)

 今日はジャック・マイヨールの忌日である。しかも、自殺。
 あの「グラン・ブルー」のジャック・マイヨールが自殺とは。うつ病だったというから、病気のせいと思うしかないのか。
「大の親日家でもあった」というが、「10歳の時に、佐賀県唐津市の七つ釜ではじめてイルカと出会い、その後の生活の原点とな」ったことも、その理由だったのだろうか。

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2006/12/22

忙中閑あり…あり過ぎか?!

 今日のテーマ:昨日も音楽三昧…ヨハン・シュトラウス、ジョージ・ガーシュイン、畠山みどり

 21日は営業の日で、年末ということもあり、日中から夜にかけては結構、忙しかった。
 それでも、実車が空車に切り替わった合間を縫って音楽三昧。読書のほうは、夜半まではほとんどできない。その点、音楽(ラジオ)は走行中も(空車の時は)BGMとして聴けるから嬉しい。
 昨日は久しぶりという曲(演奏者)を幾つか聴くことが出来た。
 たとえば、ヨハン・シュトラウス、ジョージ・ガーシュイン、畠山みどりなど。

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← ヨハン・シュトラウス2世

 まずは、午後2時からのNHK-FM(ミュージックプラザ 1部 -クラシック- 松川 梨香)では、しばしヨハン・シュトラウス三昧。
 番組表によると、ヨハン・シュトラウス2世と表記してある。ヨハン・シュトラウスとは別人なのか。小生はそれすら知らない!

 念のために調べてみると、ヨハン・シュトラウス2世ヨハン・シュトラウス1世(Johan Strauss I(Vater)、1804年3月14日 - 1849年9月25日)の長男である(当たり前か!)。

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2006/12/21

貫之の渡りし川を空に見ん

今日は何の日~毎日が記念日~」の「12月21日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗いて、今日という日を古今東西に渡って想いを馳せるのがこの頃の習いになっている。
 さて、今日はとツラツラ眺めていたら、補足の項に「『土左日記』起筆」とある。「土佐日記(土左日記)」の冒頭に、以下のようにあるとか:

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
それの年の、しはすの、二十日あまり一日の、戌の刻に門出す。そのよしいさゝかものにかきつく。

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→ 19日、六本木ヒルズのけやき坂にて。毛利庭園が凄いらしい!

土佐日記 - Wikipedia」とは、「紀貫之が土佐の国から京まで帰京する最中に起きた出来事や思いなどを書いた日記」で、「930年(延長8年)から934年(承平4年)土佐の国の国司だった貫之が、任期を終えて土佐から京へ戻るまでの55日間の紀行を、女の作者を装って平仮名で綴った」もの。
「この時代男性の日記は漢文で書くのが当たり前であり、そのため、紀貫之に従った女性と言う設定で書かれた」などなど、古典の授業が嫌いだった(というか、授業が嫌いだった)小生も、そういった知識を聞き及んだように記憶する。
 小生が、学校という場を離れて「土佐日記」を読んだのは、大学生になってからではなかったか。
 世の人が読む土佐日記なるものを弥一も読んでみんとて読んだのである。

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2006/12/20

思い出は淡き夢かと雪の降る

思い出は淡き夢かと雪の降る…テーマは、ナダレンジャーやエッキーなどでも有名な納口恭明氏、そして雪形など]

 前都知事の青島幸雄氏が今朝、亡くなられた(「<訃報>青島幸男さん74歳=前都知事、放送作家、タレント」より)。小生にもと知事時代の青島幸雄氏にはあれこれ思うことがないわけではない(なんとなく反骨精神と反権力意識だけで都知事になってしまったようで、ビジョンを持っているようには思えなかったから、都知事になることを危ぶんでいた…)。

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← 『長谷川町子全集 (24) いじわるばあさん 1』(朝日新聞社)

 でも、物心付いて間もない頃、我が家にもテレビがやってきて、小生は呆気なくテレビっ子になった。今はまともなテレビがないが(それは買えないという事情もあるが、買うとテレビ三昧になるのは目に見えているから、でもあるような気がする)、自分の世界を豊かには育めなかった小生には、テレビ中心(あとは漫画!)の生活となり、テレビのない生活なんて考えられなくなった。

 そんな小生には青島氏は都知事よりも、まずは放送作家でありタレントであり役者でもありという、テレビを中心にした多彩ぶりを発揮された方として印象に鮮明である。
「ハナ肇とクレージーキャッツ」の曲の作詞も手がけられていたが、小学生だった小生には知らず知らず青島氏の影響を受けていたようである。

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2006/12/19

古今なる異形の人とトークせん

 今日もまた「今日は何の日~毎日が記念日~」を覗く。
 断っておくが、別に毎日、ここだけを覗いて過ごしているわけではない。記事を書くための資料や情報収集のためネット検索は別にして、特に週末などは方々の一度はコメントを貰ったサイトを覗いて回っている。先方からは来訪を賜れないけれど、小生は寂しがりやってこともあるのだろうけど、結構、先方のブログ上の近況など気に掛けている。
 だからって、どういう意味があるわけじゃない。袖触れ合うも他生の縁をネットの世界にも敷衍しているだけである。
 さて、「12月19日 今日は何の日~毎日が記念日~」によると、今日は、「トークの日」だって。
 まあ、これは予想できる。「19」だからね。
 でも、19日が「熟カレーの日」だってのは、何故?

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→ 我がサンバエスコーラ・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)アレゴリア(Alegoria)カレーをほおばる少年。幸福の時。05年度浅草サンバカーニバルでの我がチームのテーマがカレーだった!

 すると、なんのことはない、やはり「19」を「ジュク」と読み、「熟」へと飛躍し、熟成なのかジックリ煮込むからなのか、「熟カレーの日」に繋げているってわけである。
 うーむ。カレーも美味いが、駄洒落ぶりも上手い!
 そういえば、最近、カレーを食べていない。次の休みに食べようかな。

 ちなみに、小生には、カレー関連の記事もある。日頃の食生活は簡素というか貧相なものだが、ネット上では贅沢三昧なのだ!:
10円カレー
雑炊と粥とカレーと

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2006/12/18

クレーさん創造の神の贈り物

 このところ、「今日は何の日~毎日が記念日~」を覗くことが増えている。今日も!
12月18日 今日は何の日~毎日が記念日~」にも、いろいろある。
 つい、目は忌日の項へ真っ先に飛んでいく。これって拙い徴候なのでは、先行きが思いやられると感じつつも、覗きたいんだから仕方ない!
 高校時代の半ばから卒業の頃にかけて、何冊かの本を読ませてもらった哲学者の田中美知太郎氏が1985年の今日、亡くなられたのだった。

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→ アントニオ・ストラディバリ

 大学時代は、『プラトン全集』(岩波書店)を中心に、専ら訳書でお世話になった。ギリシャ哲学への関心もだが、彼の風貌もあって(ソクラテスの風貌!)、気にならずにはいられない存在だったのだ。

 他に18日が忌日の人には、平賀源内という興味深い人物がいる。
 さらに、1737年の項には、アントニオ・ストラディヴァリがいるではないか。
 って、小生が驚きの声をあげる必要もないのだった。別にヴァイオリニストでもないし、ヴァイオリンを弾こうと思い立ったこともないのだし。
 ただ、メンデルスゾーンを初めヴァイオリン協奏曲は好きである。
 ストラディヴァリというヴァイオリンの謎
 何ゆえストラディヴァリなのか。

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← トマス・レヴェンソン著『錬金術とストラディヴァリ―歴史のなかの科学と音楽装置』(中島 伸子訳、白揚社)

 この謎に付いては、昨年の夏に読んだトマス・レヴェンソン著『錬金術とストラディヴァリ―歴史のなかの科学と音楽装置』(Thomas Levenson 原著、中島 伸子訳、白揚社)が面白い。この書き手(本)が謎を何処まで解き明かしてくれているか、それは自ら読んで確かめてもらいたい。

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2006/12/17

花筏…紅筏などいかがかと

 昨夜、仕事中(暇の徒然に)ラジオに耳を傾けていたら、「花筏(はないかだ)」という言葉を聴いた。久しぶり。
花筏(はないかだ)」という花がある。「葉の中央につく花を、筏に人が乗った姿に見立てたネーミング」だという。清楚な雰囲気の漂う、ともすると見過ごされそうな花。

「花筏(はないかだ)」という言葉には別の意味がある。「桜の花が散って花びらが水に帯状に浮かんで流れるさまを「筏」に見立てていうことばでもあ」り、夕べの話に出てきたのも、後者の意味で紹介され使われていた。

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← 都内、芝公園にて。黄色い絨毯。日溜まりだと暖かそう!

 一応は仕事中(走行中)ということもあり、話の内容の大半(ほぼ全て)は忘れてしまった。ただ、話者は、紅葉疲れし風に吹き千切られ川面に浮んび流れるさまを、「桜の花が散って花びらが水に帯状に浮かんで流れるさま」から連想し援用する形で、この言葉を口にされていたようだった。

 昨日から車中では、中勘助著の『銀の匙』を読み始めた(『ちくま日本文学全集29 中 勘助』(筑摩書房)所収)。さすがだと思う。最初の一節から彼の世界へ引き込まれていく。何気ない表現が続く。大袈裟な表現など皆無。ひたすら淡々と思い出の中の光景が綴られていく。その繊細でひたすら懐かしさの念の募る光景。
 中勘助の文章に触れていて、花筏という言葉を久しぶりに耳にしたことと併せ、なんとなく感懐深い夜となった。

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「有峰慕情」は

有峰慕情は、創作ではないのですが、創作風にも読めるため、「無精庵徒然草 有峰慕情」から思い出話の部分を抜粋し、「無精庵方丈記」に掲載しました。

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2006/12/16

裏日本・表日本…きれいは汚い!

 過日、折々覗かせてもらっている某ブログサイトで「裏日本」という懐かしい言葉(表現)に出逢った。
 小生の中では(思い込みに近い常識に過ぎなかったのだが)、「裏日本」という言葉は随分と昔に死語の範疇に入っているものと思っていた。
 差別用語というより、使わないのが良識だという、まあ、言葉の鬼籍に仕舞われている言葉(表現)なのだと思っていたのだ。
 当該のブログでは、裏日本という言葉を別に陰気な表現(一時期は蔑称的使われた、悲しい歴史のある用語)だとは思っていないようで、今も普通に(マスコミも含め)使われている言葉だと思われていたようである。
 無論、悪意の類いは一切、感じられなかった。
 むしろ、旅の記録(日記)では裏日本と呼称されている、我が富山を含めた地域を好意的に描かれている。

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← 「環日本海諸国図」。「この地図は、富山県が建設省国土地理院長の承認を得て作成した地図〔承認番号 平6総使第76号〕を転載し」たものだとか。詳しくは文末にて。

 ただ、少しは「裏日本」(当然ながら、相関する言葉、対となる言葉として「表日本」)という言葉の使われていた時代のこと(といっても、その末期のことを少々)知るもの、そして出身がまさに裏日本のど真ん中である富山である小生としては、若干のことを書いておきたい。
 願わくは、以下の記述が、当該の記事を書いた方への論難だとは誤解されないことを祈るばかりである。

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2006/12/15

山口青邨…ひたむきに秋海棠を愛しけり

 このところ、「今日は何の日~毎日が記念日~」を覗くことが増えている。特に忌日(何故か誕生日は素通り?!)。
12月15日」の頁を覗く。
 実は今日は目的があった。赤穂浪士の討ち入りの日が14日なのか15日なのかを確かめるためだった。
 どうやら旧暦の元禄15年12月14日の出来事だが、討ち入りは翌15日だったようだ(当然、新暦1703年1月30日乃至は31日のこと)。
 小生は今の地に居住する前は、高輪に住んでいて、歩いて10分ほどのところに泉岳寺があった。
(我が高輪居住時代については、ここには詳述しないので、次の拙稿などを参照願いたい:「岡本綺堂『江戸の思い出』あれこれ」「東京は坂の町でもある」「清正公信仰とハンセン病」「2.島崎藤村『春』を読みながら」)

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→ 川瀬巴水『泉岳寺』(「川瀬巴水…回顧的その心性の謎床し」参照のこと。)

 高輪には他にも歴史に記録される地があるのだが、浅学菲才の小生、両親が来た時も泉岳寺を訪れる。しばしば線香の煙が濛々と立っていたりする。
 泉岳寺に行きがちだったのは、討ち入りが赤穂四十七士という、その47という数字に80年前後頃から、こだわりを覚えてきたから、でもある(47という数字へただならぬ因縁を感じる理由は、長くなるので別の機会に譲る)。

 が、「12月15日」の頁をつらつら眺めていたら、山口青邨という俳人の忌日であることを知る。
 小生、まだ、山口青邨(やまぐち せいそん、1892年5月10日 - 1988年12月15日)については通り一遍のことも知らない。

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2006/12/14

サンタさん担ぐ荷物は本がいい?!

 このところの我が記事をつらつら眺めてみたら、読書拾遺的な日記を書いていないことに気づいた(思えば、この秋、習慣付いてしまった、CD聴取関連の話題も書いていない)。

 オートバイタクシー、時事的な問題(太平洋戦争開戦記念日)、ラジオで聞きかじった話街中で見かけた事柄(名称)のこと誰彼の忌日の話題などなど、話があちこち飛びまくっている(小生の関心が散漫だから、という言い方も有り得る)から仕方がないのだが、寝ること、書くこと、読むことが全ての小生、読書のほうも、牛歩というか遅々として進まないながらも、少しは読んでいる。

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← 何処かの家の壁を登るサンタクロースさん。煙突、探してるのかな。頑張って! 我輩の家じゃないのが残念! あれ? あの…、サンタさん。荷物、担いでないよ。忘れてきたのかな?→

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 ただ、読書感想文を書く余裕が持てないのである。
 最近(今月に入って)、読んだ、あるいは読んでいる最中の本、さらには近々読む予定の本、読めたらいいなと思っている本などを、書名だけになるだろうが、列挙しておく。

 最近、読んで感銘を受けた本の筆頭に挙げなければいけないのは、何と言っても鶴岡真弓氏の『 「装飾」の美術文明史―ヨーロッパ・ケルト、イスラームから日本へ』(日本放送出版協会)である。

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2006/12/13

マンディアルグ形而上下の愛に生き

今日は何の日~毎日が記念日~」の「12月13日」の項を覗いてみたら、ピエール・ド・マンディアルグの忌日だという!
 他に、今日が忌日の人は、銅版画家の長谷川清とか、画家のカンディンスキーとか、気になる人はいろいろいる。
 小生、何も忌日の項ばかりに関心を抱いているわけじゃない。

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← アンドレ・ピエール・ド マンディアルグ 著『薔薇の葬儀』(田中 義広訳、白水社)。「エロスと死、残酷と幻想、毒の禁忌、悪魔と愛――マンディアルグの世界は三島由紀夫や谷崎潤一郎との接近によりさらに豊穣な実りをもたらした」とか。

 今日が誕生日という人に、女優の芦川よしみ(好きなタイプの人! 怪我、治ったのかな。そろそろ復帰とか)、同じく女優の樋口可南子さん(篠山紀信氏撮影、樋口可南子さんがモデルのヘアヌード写真集『ウォーター・フルーツ』、発売、即、買いました! 今も、振り向くと、画集の収まった棚に燦然と輝いております。蛸と絡む映画! でも、どうして旦那が糸井重里なのか…)、今は代替わりしてしまった(でも、仕事の日は今も、夜半からのこの番組が依然として我がBGMなのである)『ジェットストリーム』などで有名な故・城達也氏、ハインリヒ・ハイネ、『蒲団』『田舎教師』などの作家・田山花袋、漫画家の岡崎京子さんと多士済々。
 この誰もが採り上げてみたくなる人物なのだが、今日は、ピエール・ド・マンディアルグ。
 といっても、傍を掠めるだけ。

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2006/12/12

ラディゲにはのらくろ生きる我遠し

今日は何の日~毎日が記念日~」を徒然なるままに覗いていたら、今日、12月12日が忌日である作家に「レイモン・ラディゲ」がいることを教えられた。

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← ラディゲ著『肉体の悪魔 改版』(新庄 嘉章訳、新潮文庫)。初めて読んだ時、中身より、著者が16歳から18歳の頃に書いたということ、ジャン・コクトーに激賞されたこと、20歳で死んだことに痺れていた! 最後に本書を読んだのは何時だったろう。今、読んだら、どんな感想を持つだろう。

 さらに今日は、『のらくろ』で有名な田河水泡の忌日でもある。
 小生の漫画体験の原点は、まさしく田河水泡の『のらくろ』だった(ペンネームについてのエピソードが面白い!)。

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2006/12/11

オートバイ我が唯一のパートナー

 小生は今年、辛い別れを経験した。
 といっても、人との別れ、ではない。
 オートバイとの別れ。
 おおよその経緯は、「馬橋パレード…オートバイとの別れ」にメモしておいた。
 まさに、メモ書きに終わっている。
 たまたま、上掲の記事を書いた日、つまり、8月19日は、819ということでバイクの日なのである。
 その日に合わせたわけではないのだが、偶然、8月19日にバイクを手放したのだった。

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→ 「ホンダ シルバーウイング<600>」。我が最後のバイクは、このスクーターだった。

 その記事から、一部だけ転記する:

 小生がバイクの免許を取ったのは、1974年の夏。学生生活を送っていた仙台でのこと。当時、宮城県では(多分、全国共通だろうが)オートバイの免許は小型・中型・大型に分けられていて、小生はまずは小型に挑戦した。
 イタズラでも乗ったことの無い小生、少々苦労はしたが晴れて免許を取得。
 即座に中古の125ccバイクを買った。半年後の冬、大型に挑戦、一発合格!
 以来、上京した78年の春から81年の春までの3年間の中断を覗くと、ずっとバイクと生活を共にしてきた。共に歩いてくれる人生のパートナーには一度も巡り合えなかっただけに、オートバイは小生の人生のパートナーといって過言ではない。
 ずっと苦楽を共にしてきたのだ。
 免許を取って今年で32年。乗った期間は29年間だ。

 ということで、表題は、「オートバイ我が唯一のパートナー」としたが、実際は、「オートバイ我が唯一の人生のパートナーだった」ということになる。
 読み返してみたら、一部、間違いのあることに気づいた。

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2006/12/10

ウタリなる名前の担う意味豊か

 街中を車で流していると、変わった名前(名称、地名、川の名前など)に遭遇することがある。
 その一つに「ウタリ」がある。表記は、メモし損ねて正確なものは分からないし、書けない。
 確か、「兎多璃」だったと思うが、「兎太里」だったかもしれない。
 居酒屋風の店構えだったような気がするが、それも曖昧模糊。
 何処で見かけたのかも確然としない。
 気になる!

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→ 昨年の正月頃に書いた、「蓬莱(ほうらい)と徐福」なる記事に使った画像。郷里の浜の松林だ。

 ただ、うろ覚えながら、アイヌの言葉に「ウタリ」があったことは記憶の端っこにかろうじて引っ掛かっている。
「大辞林 第二版」によると、「ウタリ」とは、「〔アイヌ語〕親戚。同胞。人々。…たち。」だって。
 やはり、アイヌ語だった。
 でも、もっと知りたい!

 ここはネット検索が威力を発揮すると期待しよう。

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2006/12/09

丸山真男…音の日は沈黙の声耳にせん

[本稿は、ココログがメンテナンスで更新が出来なかった日、「ameblo版 無精庵徒然草」にてアップさせていた記事(の転記)です。 (06/12/09 記)]

今日は何の日~毎日が記念日~」によると、今日は「音の日」だとか。

「日本オーディオ協会が1994(平成6)年に制定」したもので、「1877年、エジソンが自ら発明した蓄音機で音を録音・再生することに成功し」、「オーディオや音楽文化・産業の一層の発展を図り、音について考える日」なのだとか。

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→ 中野雄著『丸山眞男 音楽の対話 』(文春新書)

 小生は、このところ、音楽三昧である。
 ほんのしばらく前までは、「車中では音楽三昧?!」などに見られるように、音楽は営業の車の中での楽しみに限定していた。
 だからこそ、車中では好きな曲などが稀に架かると、それはまさに干天の慈雨であり、渇いた喉、渇いた心、渇いた魂に沁みる一滴の寒露だった。

 それが、自制の念を忘れたわけではないのだが、つい、図書館で書籍と共に音楽CDを借りてしまった。
 一旦、借り始めると病み付きになるのは目に見えている。

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木枯しや散らす葉もなく闇に消え

 今回は、タクシーエッセイ(レポート?)である。

 師走である。年末なのだ。
 午前の天気予報では夜にも降るはずと。
 でも、とうとう、傘を差す必要も感じないような細かな雨滴がちょっと降っただけ。

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→ 都内、芝公園近くで信号待ち。一番、激しい雨もこの程度。道行く人は傘の必要をまるで感じていない。予報とは大違いだ。

 寒い。曇天。イルミネーションもなんとなく寂しげ。
 無論、月影はない。

 タクシーの営業は、週末である金曜日は大抵、他の曜日より忙しいと相場が決まっている。なので、タクシードライバーも、可能な限りは所定の営業予定日を変更してでも金曜日に振り替え、営業に出ようとする。
 小生は変更するのが面倒なので、会社で決められた日程どおりに出社し営業。
  
 昨日は営業の日になっていた。日中はまあまあ金曜日らしいかなという程度。夜も、確かに忘年会の会場などへ向うお客さんが増えている。駅へ、あるいは駅から店へ。
 凄みを増してきたのは、やはり夜も夜半に近づいてから。
 小生は、忙しさを予見して、郊外へと逃げようとしていた。できるだけ人のいないところへ。小生、人が多いところは苦手なので、普段もあまりお客さんのいないところを走っている?!

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2006/12/08

今日は何の日…憂鬱な日

 最初に愚痴を書くのもうんざりだが、ココログでは、12月5日10時から7日15時にかけての53時間をもメンテナンスに費やしたにも関わらず、「メンテナンス中に問題発生。バージョンアップ断念」だって!
 しかも、不具合の原因が不明だとも。
 大丈夫なのか、ココログさん!

今日は何の日~毎日が記念日~」で言うまでもなく、今日、12月8日は、対米英開戦記念日(太平洋戦争開戦記念日)である。
 すなわち、「1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6箇月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発した」という日。

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→ 6日、白金自然教育園脇を通った。庭園美術館もあるし、一度は入園したい。

 他にも、「1980(昭和55)年、ビートルズの中心メンバーだったジョン・レノンがニューヨークの自宅アパート前で熱狂的なファン、マーク・チャプマンにピストルで撃たれて死亡した」日であり、小生が大好きだった「てんぷくトリオ」のリーダー、三波伸介さんの忌日でもある(52歳!)。
 また、小生がガキの頃、好きだった関取の柏戸剛さんの忌日!
 あるいは、先月だったか採り上げた、アントニオ・カルロス・ジョビンの忌日でもある!

 真珠湾攻撃やハルノートのことについては、下記の日記にて採り上げたことがある:
夜鷹蕎麦」(当該の記述のみを抜粋したのが、「ハルノートと太平洋戦争」)
暗号・季語

 下記の日記では、真珠湾のことなどにも触れているが、同時に、ジョン・レノンも話題の俎上に載せている:
12月8日のこと

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2006/12/07

誰彼と知る人多き年の瀬か

 今日の午後3時にココログのメンテナンスが無事(?)終了したようだ(あるいは未だ終わっていないのか。→ どうやらメンテナンスは失敗に終わったようだ。→ 「12/7 「12/5-12/7ココログメンテナンス」について」53時間もメンテナンスをやったけど、過大な負荷の原因を特定できなかたというのだ! 06/12/07夜 追記)。
 とりあえず、記事のアップを試みる。

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← 12月4日、夕刻。都内晴海にて。夕焼けの光景を撮ったはずなのだが…。

ロベルト・シューマン
ジャンゴ・ラインハルト
美空ひばり
ウィリアム・ハズリット
お知らせなど


 それにしても、仕事中、碌に食事もとらないので、明け方には腹が減って辛い。
 帰宅して何か食べる?
 そんな! 寝る前に食べるはずがない。
 というわけで、6日の朝9時の食事から29時間余り経った今日の午後2時過ぎ、ようやく食事。
 どんな粗末な食事も美味しい!

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2006/12/05

空腹で洗車!(お知らせ)

 今日はいつもより二時間遅れで帰宅。
 営業を終えて帰庫(会社の駐車場に帰ること)し営業報告を済ませ、帰ろうとしたが、事情があって小生が洗車の手伝いをすることになった。
 自分の車も含め5台、洗車。過日は4台だったから、1台、多い。
 日頃、運動をしない小生には過酷な(大袈裟?)仕事。
 車を駐車場内で移動したりして、結果的に2時間ほどを要したわけである。

 昨日は寒かったし、今朝は一層、水が冷たい…かと思ったが、それが何故か案外と冷水での辛さは感じない。
 きっと、体を動かしていて、下着が汗で濡れているほどなので、手先にも血の巡りがいいってことなのだろう(か)。
 頭のほうも、血の巡りが良くなればいいけど、そこまで回すほどの体液の余裕はなさそう。
 
 小生は暑がりなのか、冬も(夏もだが)毛布一枚で寝る。夏は当然のように朝になると毛布を蹴飛ばしてしまっているが、冬はさすがに毛布から足や手が出る程度…。
 それでも手足が出ているってことだ。
 無論、就寝前に電気ストーブのスイッチはオフにしている。朝は寒い。
 つまり、それだけ、体の血の巡りが良いってことだ(ろうか)。
 あるいは、ホントは寒いんだけど、感覚が鈍いから寒さを体感できないってことか。

 5台を洗い終わった頃には精根尽き果てていた。

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2006/12/04

中島敦の命日…遥かなる島より子恋う敦かも

 3日の日曜日からトーマス・マン著の『ファウストゥス博士』(『トーマス・マン全集6』(円子修平訳、新潮社)版)を読み始めた。年内には読みきれないだろうが、ま、じっくり腰を据えて長編世界を堪能するつもり。

 今日(12月4日)は、『山月記』などの作家・中島敦の命日である。昭和42年(1942年)に亡くなられている。
 高校から大学にかけての頃、気になってならない作家だった。
 彼の人生や作品を思うと、何も言葉が出てこない。
 ここでは彼を紹介するサイトを幾つかと、数年前に綴った小生の彼に付いてのメモ書きを示しておく。

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→ 『中島敦全集〈1〉』(筑摩書房)

中島敦論あるいは書評:
狼疾について―――中島 敦論   宇 藤 和 彦
松岡正剛の千夜千冊『李陵・弟子・名人伝』中島敦
中島敦 - Wikipedia」(情報がちょっと物足りない。)

中島敦作品:
中島敦全作品目録と本文および解題
青空文庫 作家別作品リスト:中島 敦

中島敦についての思い出話:
中島敦 - ウラ・アオゾラブンコ
(深田久弥、氷上英廣、中村光夫、吉田健一その他の方たちの中島敦を巡る思い出話を読むことが出来て興味深い。)

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2006/12/03

お知らせ2件

記事アップのお知らせ:

落句拾遺 11-1」アップしました。
 11月に捻った句の数々、稔り、収穫の数々です。
 俳句、川柳、警句、標語、雅句、楽句、駄句、苦句、語句の数々をご笑覧あれ!

ココログよりのお知らせ:

 12/5 ココログベーシック/プラス/プロのメンテナンスのお知らせ
 2006年12月5日(火)10:00~12月7日(木)15:00の約53時間、ココログベーシック/プラス/プロのメンテナンスを実施いたします。
 メンテナンス中でもブログの閲覧は可能ですが、管理画面へのアクセスはできないとのこと。よって、この間、新規記事のアップ(更新)はできない見込み。
 トラックバック/コメントの受けつけもできないとのこと。
 詳しくは(閲覧できるか分からないけど)、「12/5 ココログベーシック/プラス/プロのメンテナンスのお知らせ」画面をどうぞ。

(場合によっては、ミラーサイトである「無精庵徒然草」にて更新することもあります。)

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デュモンさんライトな空の旅ならず

 月曜日から車中で読み始めた灰谷 健次郎著『兎の眼』(角川書店)を、残りが百頁ほどになったので、土曜日、読了させた。
 というより、翌週の営業まで待って続きを読むなんて出来なかったのだ。
 本書に付いて今更、感想もない。
 このような先生や生徒、あるいは地域の人々との交流が現実にありえるだろうか。

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← 師走1日、都内・芝公園にて。目にも眩しい紅葉ぶりだったけど、やや逆光気味の画像になって、その鮮やかさを示せていないのが残念。

 学校の先生たちは事務・雑務が多すぎて、しかも、上からの締め付けがきつくて授業や肝心の生徒と向き合う時間もゆとりもないという。
 しかも、教育基本法の<改正>で、さらに上、今度は国家からの締め付け…どころか強制が強まるのは必至。
 もう、生徒や教育など度外視されていくのだろう。
 本書のような本を読むなんて、ありえないことになるのかもしれない。
 そうして、ただ、国家や国旗や国歌や校長や教育委員会や父兄らに平伏するばかりの、ロボットのような先生が増えるばかりなのは目に見えている。

 首相や政権で教育基本法の改変に突っ走っておられる方には是非とも本書・灰谷 健次郎著『兎の眼』を読んでもらいたいものだ。

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2006/12/02

夢の中大河を見しも枯れ葉道

 年末の繁忙期が始まったのか、昨日の営業は忙しかった。
 とにかく回数だけはあった。
 が、こんな日に限ってトラブルめいた、ちょっとした出来事も多くなる。
 書きたい、書いて鬱憤を晴らしたいけど、愚痴にしかならないし、営業の中身に関わるから、手元の手書きの日記帳(メモ用紙)に書き留めるだけにする。

 こういう忙しいときだと、稼ぎ時のはずなんだけど、忙しさに久しく縁遠かったせいもあるのか、体がびっくりしてしまって、夜半を回ってから疲労が出てきたりして(過日の洗車の疲労が今頃になって出たのか?!)、肝心の丑三つ時前後に、グッスリ、寝込んでしまった。

 水銀灯の灯りに照らし出される枯葉の舗道の光景があまりに綺麗で、車を路肩に止め、ちょっと見物のつもりが、夢の中で大河映画を見てしまったようだ!

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→ 水銀灯に照らし出された枯葉の並木を撮りたかったけど、失敗。撮れたのは、うら寂しい落ち葉の舗道。ここでしばし…じゃなく、グッスリ寝入ってしまった!

 忙しいと言っても、実際の稼動(実車になっている)時間というのは、多いなと感じた場合でも、拘束時間帯の半分もあればいいほう。まあ、せいぜい4割くらいの時間だろうか。
 ということは、残りの時間は空車か回送か、いずれにしても空気を運んでいる状態。車内の空気とお友達ってわけである。
 そんな中、さすがに本を読む時間は取れなかったが、ラジオは健在。
 ラジオから音楽は勿論だが、あれこれ雑学的情報も得た。

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2006/12/01

グリューネヴァルト…絵の奥に息衝く真(まこと)美か醜か

 早いもので、つい先日、一か月分の索引と、埋め草となる雑文を綴ったと思ったら、もう、月が替わって月初め。しかも12月。師走だ!
 今日は何を書こうかな、師走だし、何か師走に関連する雑文でも書こうかなと思ったら、うん? 月初め? ってことは、索引・目次を書く日じゃないか! と気がついた次第。
 とにもかくにも、一ヶ月を乗り切ったわけである。

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← 29日、午後、皇居のお堀脇で信号待ち。

 毎日、何を書く当てがあるわけではない。画面に向ってから考えるのが常。ロッキングチェアーに腰を沈めている間にテーマなどを考えればいいのだが、腰どころか脳味噌まで沈み切ってしまって、アイデアを練るなんて、とてもとても、なのである。
 なので、そろそろブログの記事を書く時間だなとなると、居心地のいいロッキングチェアーを離れる時間ということで、憂鬱というとちょっと違うのだが、億劫だったり、時には途方に暮れたりもする。

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→ 29日の夜、六本木ヒルズ近くにて信号待ち。期待してたけど、誰も乗ってくれなかった! 尚、画像の中の奇妙な数字は、宮島達男氏の手になる「COUNTER VOID」という名のアート作品である。

 でも、時間だって限りがあるので、パソコンに向ってまでクヨクヨしても始まらないので、ネット検索したり、いろんなサイトをダダダーと、あるいはダラダラと巡って……、要するに悪足掻きの時をしばし過ごすわけである。
 とにかく、記事を書くために割ける時間は二時間。しかも、そこにはアイデアを練る時間や、記事を裏付けるネット情報サイトを百以上も検索し、参照するサイトを選び出すための時間が含まれる。

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