週初め週末気分そのままに
「週末あれこれ日記(写真持参篇)」で書いているように、5日の日曜日にスタジオに行ったのは、撮り溜めてきた写真を関係者に提供するためであったが、他にも目的があった。
出来上がった浅草サンバカーニヴァルのDVDとCD(いずれも美麗なケース入り!)を入手するためでもあったのである。
(無論、音とダンスをも楽しみたいという目論見もあったが。)
→ 6日の日中、皇居のお堀の傍を通りかかった。信号待ちの最中にパチリ。ややどんよりした空。予報では夜には雨だったはずなのだが、実際に降ったのは、翌7日の未明だった。
そのDVDを7日の夜になって、ようやく見ることができた。とりあえずは、我がチームの分だけ(優勝したバルバロスなどの映像も収録されている)。
既に書いてあるように、小生、浅草サンバカーニヴァルに付いては、スタッフとして参加させてもらったので、写真はほとんど撮っていない(パレード前のアレゴリアなどを少々だけ)。
浅草に付いては、以下を参照:
「浅草・我がチームは3位! (浅草へ)」
「浅草・我がチームは3位! (オフ会へ)」
よって、ネットで見られる浅草関連画像はともかく、ビデオ映像を見るのは初めて(実際は、チーム内の情報サイトで見たことがあるが、やはり画像の質が違うし、全貌を繰り返し見ることが出来た点でまるで違う。音がちょっと…。録音のせいなのか、それとも、アーラのポジションによって音の聞こえにバラツキがあるのか…)。
映像が綺麗だし、なんといっても、言うのも変なくらいだが、音声(歌声と楽器の音など)が収録されていて、実に見応えがあった。
パレードの構成(アーラ)のそれぞれをじっくり見ることが出来た。そうか、パレードはこうだったのか、である。
感動的だったのは、やはりパレードの最後のバツカーダの部分。バテリア(打楽器)陣とダンサーや歌手やスタッフらが一緒になって狂騒の時を演じ堪能する場面。
その場面は、小生は自分の役割もあって、全く見ていない。
こうだったのか、という感動を覚えた。立ち会いたかった…。
昨年は、少しは垣間見ることができたのだった。
演奏面のリーダーの方が、出来がいいという自覚と、もしかしたらという予感もあったのだろうか、上着もシャツも脱ぎ捨て、年に似合わぬ肉体美を披露し、やはり音楽面のリーダー役を果たされていた女性を肩車して、バツカーダの指揮を執っていたっけ。
素晴らしい場面だった。
ミーハー的に表現すると、ヒーローとヒロインそのものに見えた。
あの光景を見られただけでも、スタッフなりとも関わらせてもらって、ありがとう、という感じだったのである。
今年は……。
やりきった! という満足感がみんなの表情に満ち溢れている。
…となると、やはり、不在のほうが良かったのかなと思い直したり。
あの日のために頑張った人たちが立ち会う時と場なのだから。
尚、小生が勝手に解釈ないし解説(?)を試みたレポートとも付かない記事がある:
「カーニヴァルテーマ「太陽」(1)」から「カーニヴァルテーマ「太陽」(8)」まで。
全8編の大作だ!
ちなみに、この日記、サンバエスコーラ・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)の愛唱歌集を聞きながら書いている。
小生の愛蔵のCDなのである。曲名がほとんど分からないのが玉に瑕だが。
音楽付いているのか、この頃、音楽関連の記事が多くなっている。
これも、図書館から音楽CDを借りるという習慣を持ったからなのだろう。
自制してきたのだが、一旦、自宅で音楽を聴くという習慣を持つと、もう、止められない。
← 6日の日中。大手町からの帰り、眠気を感じたので、日比谷公園脇に車を止め、仮眠モードへ。公園の奥を眺めると、黄褐色になった葉っぱが既に散り積もっていた。いよいよ秋も深まってきたのだ。そう、この前後に下記するようなクラシックの曲の数々を聴いていたのだった。子守唄代わり?
6日の日中はNHK-FM( ミュージックプラザ 1部 -クラシック-)で以下の曲を聴いた(但し、仕事中だったので、どうしても途切れ途切れだったりするが、連休の続きなのか、比較的暇ということもあり、結構、聴き入ることができた……これでいいのか?!):
「春の歌 作品62 第6(“無言歌”から)」
メンデルスゾーン作曲
(2分54秒)
「浜辺で 作品53 第1(“無言歌”から)」
メンデルスゾーン作曲
(4分06秒)
(ピアノ)田部 京子
<日本コロムビア COCO-70450>「“詩編42”から“鹿が谷川の水を慕うように”
“わが魂よ、なぜうなだれるのか”」メンデルスゾーン作曲
(11分29秒)
(合唱)リスボン・グルベンキアン合唱団
(管弦楽)リスボン・グルベンキアン管弦楽団
(指揮)ミシェル・コルボ
<ワーナー WPCS-5677/8>「バイオリン協奏曲 ホ短調 作品64」 メンデルスゾーン作曲
(27分43秒)
(バイオリン)ジョシュア・ベル
(管弦楽)カメラータ・ザルツブルク
(指揮)ロジャー・ノリントン
<ソニー SICC-73>「クライスレリアーナ 作品16」 シューマン作曲
(29分16秒)
(ピアノ)マウリツィオ・ポリーニ
<ユニバーサル UCCG-1109>「ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 作品21」 ショパン作曲
(31分41秒)
(ピアノ)イーヴォ・ポゴレリチ
(管弦楽)シカゴ交響楽団
(指揮)クラウディオ・アバド
<(外)Deutsche Grammophon
410 507-2>
このうち、「バイオリン協奏曲」以外のメンデルスゾーンの曲は、クラシックに(も)疎い小生には(多分)初めて聴くこともあり、新鮮に聞こえた。
メンデルスゾーンにはこういう世界もあるのか、という感じだったろうか。
夜半を過ぎては、NHK-FM(ラジオ深夜便)で、以下の曲と話を聞くことができた:
中野雄クラシックへの誘い
「ショスタコーヴィチ生誕100周年」
音楽プロデューサー…中野 雄
“バイオリン協奏曲 第1番(ショスタコーヴィチ作曲)”
“ボカリーズ(ラフマニノフ作曲)”
ほか
▽ロマンチックコンサート
「立原摂子のスタジオミニライブより」
→ 「resonance~余韻~ 立原摂子」(NHKサービスセンター オンラインショップ)
「作曲家・アレンジャー・ピアニストとして、映像にかかわる楽曲を数多く手がけている」という立原摂子氏(について)の話やピアノ演奏も興味深かったが(最後に、同氏の自宅で録音したベートーベン作曲「エリーゼのために」を聞くことができた)、なんといっても、音楽プロデューサーの中野雄氏の「ショスタコーヴィチ生誕100周年」と題しての話が興味津々。
ショスタコーヴィチの「1906年9月25日 - 1975年8月9日」という生没年でも分かるように、今年は彼の「生誕100周年」なのだ。
「バイオリン協奏曲 第1番」(ショスタコーヴィチ作曲)は、全曲を聞く事ができた。その理由はまるで説明できないのだが、終始、胸騒ぎのするような感覚が止まなかった。
この曲は、「D.オイストラフ60歳の誕生日に捧げられ、初演は1969年5月3日モスクワ音楽院大ホールでオイストラフによって行われました。チャイコフスキーコンクールの課題曲にまでなった名曲」というもので、夕べも、その69年の演奏を録音したものが流された(はずだ)。
ショスタコーヴィチについては、ネットでも相当程度の情報を得ることができる。
例によって、「ドミートリイ・ショスタコーヴィチ - Wikipedia」が参考になる。
極めてドラマチックな生涯を送られた人物だったようだ。
小生は、彼に付いてこれまで注目したことはなかったので、実に新鮮に聞く事ができた。
高度に芸術的であると同時に大衆性もあって(というより、自在に表現できたというべきか)、音楽的多彩さは際立っている。
一時はスターリンに迎合したとも言われているが、むしろあの時代にあって、したたかに生き抜いたというべきなのだろう。
← 中野雄著「丸山眞男 音楽の対話」(文春新書)。一部を転記させてもらう:「読んでいると、中野氏の丸山氏に対する深い敬愛と思慕の気持ちが溢れるばかりです。まさに彼の生涯のメンターの一人であったのだろうなと思われます。それ故に、本書に描かれる丸山氏の実像は、思想史家としての丸山眞男ではなく、まさに音楽に没頭し、音楽にまみれていることを至福とする、ひとりの音楽愛好家のいじましいまでの姿であります。しかしその姿は単なる愛好家というレベルを遥かに凌駕した洞察力を秘めており正鵠を射た批評には驚くばかりです」だって! あああ、読みたい!
「ショスタコービッチの芸術~スターリン体制の悲劇」が一層、詳しい。
文中にあるように、ショスタコービッチは凱旋する軍を閲兵して喜色満面のスターリンの面前で、(あるいは敢えて自覚的に?)とんでもない楽曲を披露する。
スターリンの期待していたベートーベン以上の「第9」どころか、以下の通りだったのである:
「第1楽章からして、軽々しいピッコロの音頭とりでくるくる回転するような、まるでバレエ組曲のような感じで始まる。交響曲ではない。どこまでも「組曲」なのだ。もう呆気に取られるのは第5楽章だ。実は、第3楽章→第4楽章→第5楽章は続けて演奏される。まるで一つの楽章のように聴こえるのだが、「急→緩→急」という感じで変化をしている。第5楽章の締めくくりは何とも皮肉に満ちたものだ。トランペットの調子っぱずれな合図と共に、全楽器がどんちゃん騒ぎを繰り広げる。この部分は苦しい解釈をすれば、戦勝祝典に当たるのだろうか?一旦その部分をきれいにまとめた後に、ピッコロとトランペットの音頭で行進曲調の主題が続く。その皮肉めいた旋律と、相変わらず調子っぱずれなトランペットの音頭は、まるで「おもちゃの兵隊が追いかけごっこをしている様子」に見てとれる。」
ショスタコービッチはとんでもない奴なのだ!
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