謎の一日…原爆は誰の手に
23日の祭日は小生は仕事だった。生憎の冷たい雨の中、車中では次々に移り変わる風景とラジオだけが友達であり慰めである。
が、ラジオから訃報が聞こえてくるとなると、慰めとは言っておられない。
それは、『兎の眼』(角川書店)や『太陽の子』などで知られていた児童文学作家の灰谷 健次郎氏の逝去の報。
← 灰谷 健次郎著『兎の眼』(角川書店)
彼に付いての話題は、これらの本が話題になった頃から、随分と見聞きしていた。
が、だからなのだろうか、彼の本を既に読んでしまったような、妙な満腹感・食傷の気味があって、手にする機を逸し、今日に至るまで読んでいない。
なので、追悼の文を綴るのも憚られる。
実は、『兎の眼』なる本は所蔵している。何ヶ月か前に拾ってきたのである。刊行された83年当時に誰かが買ったものと思われ、保存の方法に問題があったのか、埃はまだしも、紙魚が一杯。
歳月が流れ、他の多くの本と一緒に捨てられてしまったのだろう。
汚れがひどく、手に持つのも躊躇われるような状態の本。
でも、本の中身に紙魚が影響を与えるわけもない。
汚いからといって、捨てられもせず。
今思えば、取っておいて良かった。
虐め問題が社会問題化している昨今の只中に亡くなられたことに、何かのメッセージを感じるというのは、不謹慎だろうか。
ということで、来週の車中の友にこの本を選んだ。
(小生は、今は何も書けないので、「がっこうのセンセイ - 灰谷健次郎氏が死去」や「M. H. Square. 灰谷健次郎氏死去」など参照願いたい。)
[閑話休題]
……というか、これからが本題である。
原子爆弾の製造について、ナチスドイツとアメリカとが鎬を削ったことは知られている。
その過程で、「謎の一日」と後世、呼ばれるようになった、あるいは歴史の転換点にもなったかと思われる一日がある。
「さるさる日記 - 今日も芝居道楽 観劇日記」によると:
「「謎の一日」とは、1941年ナチス占領下のコペンハーゲンに居住する恩師ユダヤ系デンマーク人物理学者ニールス・ボーアを、かつての愛弟子かつ片腕のドイツ人物理学者カール・ハイゼンベルクが訪問したとされる日を指している。」
この日というのは、「訪問目的が何であったのか、そしてどういう話し合いが持たれたのかは、物理学的にも歴史学的にも大きな関心を寄せられているにも関わらず、当事者達は黙して語らないまま亡くなってしまったので、今日まで真実は判明せず憶測だけで語られている一日」なのである。
「この一日について、作者マイケル・フレイン氏が大胆な推論を緻密な脚本世界に構築した作品」が、『コペンハーゲン』である。
この芝居に付いては、「さるさる日記 - 今日も芝居道楽 観劇日記」や「コペンハーゲン」(ホームページは、「アクエリアンの知・遊・楽の世界へようこそ」)などを参照のこと。
→ Michael Frayn :『Copenhagen』(Anchor Books)
「謎の一日」について、「コペンハーゲン」では、以下のように書かれている:
「このドラマは、ボーアがデンマーク脱出をする1年前、すでにナチス支配下にあったコペンハーゲンのボーア宅に、ハイゼンベルクが訪ねてきた一日のことを話題にしている。そのとき、お互いは何を話し合ったか、それはどういう意味合いだったか、などをめぐって、死後の世界で、二人が、そしてボーア夫人も絡んで、三人が、それぞれの記憶を話しあう。原爆の開発が可能かどうか、連合国側の開発はどう進んでいるか、ボーアは情報を持っていないか、原爆の実現は不可能だろうという結論に持っていって、連合国側の動きを抑えてもらえないか、そんな複雑な意図を持って、ボーアを訪問したハイゼンベルクは、極秘事項ゆえに、あからさまにはそのことがいえない。お互いに腹のさぐり合いの会話を交わす。それを死後の世界で、あのときの会話は何であったかを思い出しながら、さまざまな憶測を展開しあう。まるで芥川竜之介の「藪の中」同様、真相はなかなか分からない」
さて当然ながら、芝居に付いては、作者マイケル・フレイン氏の原作がある。
マイケル・フレイン著『コペンハーゲン』(小田島 恒志 訳、劇書房)である。
商品説明には、「20世紀を震撼させた原子爆弾製造競争。そのさなかに、ドイツ人天才核物理学者ハイゼンベルクはなぜ、師であり敵国人であるボーア夫妻を訪ねたのか?彼はスパイなのか、それとも?第二次世界大戦を背景に、今なお解き明かされない謎を大胆に推理する、2000年度トニー賞の作品賞・助演女優賞に輝いた、マイケル・フレインの問題作」とある。
読者の的確(だと思われる)感想が読める:
「登場人物の物理学者のボーアとハイゼンベルク、ボーアの妻マルグレーテも実在の人物で、原子爆弾の歴史には欠かせない人たちです。当時の新兵器開発をめぐる学者同士のせめぎ合い、人間としての葛藤、祖国への愛、政治的圧力への対抗、そしてなぜドイツが原子爆弾を開発できなかったのか、なぜ連合軍がそれに成功したのか、といった人々の思惑が錯綜するところだけでも、史実を基にしていますから非常に興味深く、スリリングな対話劇です」
以下、さらに感想は続く。
← マイケル・フレイン著『墜落のある風景』(山本 やよい訳、東京創元社)
いずれにしても、いずれも、「謎の一日」において二人がどんな会話をしたかは不明で、真相は「藪の中」なのである。
だからこそ、芝居が作られたわけである。
(ちなみに、マイケル・フレインというと、『墜落のある風景』(山本 やよい訳、東京創元社)が有名だし、「美術界へ転身をめざすマーティンは、著述に専念すべく訪れた田舎で、近隣の地主から絵の鑑定を頼まれる。幾枚かが開帳されたあと、持ちだされたのは煤にまみれた板絵だったが、一瞥した彼の脳裏に、その絵の正体が閃く。これは巨匠ブリューゲルの未発見の真作ではないのか……? 知的興奮と笑いが衝突する、独創的な物語!」といった内容で、ブリューゲルファンならずとも、絵画ファンなら、興味津々で読める。面白かった。)
→ ミチオ・カク著『パラレルワールド 11次元の宇宙から超空間へ』(斉藤 隆央訳、日本放送出版協会)
さて、唐突にこんな話題を持ち出したのは、今、読んでいるミチオ・カク著『パラレルワールド 11次元の宇宙から超空間へ』(斉藤 隆央訳、日本放送出版協会)の中で、関連する記述を見つけたからである。
上記した芝居や、その原作が書かれた段階では、「謎の一日」において二人がどんな会話をしたかは不明だったものが、どうやら謎の一端を明かす書簡が2002年に公表されたらしいのである。
以下、当該の記述を本書より転記する:
ふたりの計算結果は、原子爆弾が製造可能なことを示していた。二ヵ月後、ボーア、ユージーン・ウィグナー、レオ・シラード、それにホイーラーは、プリンストンにいたアインシュタインの古びたオフィスに集まり、原子爆弾の可能性を話し合った。このときボーアは、爆弾を作るには一国全部の資源が必要だろうと考えていた(その後、シラードはアインシュタインを説得し、フランクリン・ローズヴェルト大統領に宛てて、原子爆弾の製造をうながす運命的な手紙を送らせた)。
同じ年ナチスも、ウラン原子のもつ破滅的なエネルギーを解放すれば無敵の兵器になる可能性に気づき、ボーアの教え子だったハイゼンベルクに、ヒトラーのために原子爆弾を作るよう命じた。にわかに、核分裂の量子論的な確率にかんする議論が大真面目でなされるようになり、人類の運命は危険にさらされることとなった。生きている猫が見つかる確率の議論は、ほどなくウランの核分裂が起きる確率の議論に変わったのである。
一九四一年、ナチスがヨーロッパの大部分を支配下に収めたころ、ハイゼンベルクはこっそりコペンハーゲンへ行ってボーアに会った。そこでどんな話をしたのか、詳しいことは謎に包まれている。これをテーマに、賞をとった脚本がいくつも書かれており、歴史家は今もふたりが話した内容を議論している。ハイゼンベルクは、ナチスの原子爆弾に対する妨害工作を企んでいたのだろうか? それとも、ボーアをナチスの爆弾製造計画に引き込もうとしていたのか? それから六十年経った二〇〇二年、ハイゼンベルクの意図をめぐる謎の多くがついに明らかにされた。一九五〇年代にボーアがハイゼンベルクに宛てて書きながら投函しなかった手紙を、ボーアの親族が公表したのである。その手紙には、例の面会のときにハイゼンベルクがナチスの勝利は避けられないと言ったことが回想されている。ナチスという怪物を阻止できないのだから、ボーアもナチスのために働くのが理にかなっている、とハイゼンベルクは言ったらしい(註)。
ボーアは仰天し、心底動揺した。おののきながらも、彼は量子論に関する自分の研究をナチスに捧げるのを拒否した。すでにデンマークはナチスの支配下にあったので、ボーアはひそかに飛行機で逃げ出すことにし、酸欠で窒息しかけるという危険な目に遭いながら自由への飛行をなし遂げた。 (p.196-7)
文中の(註)だが、本書『パラレルワールド』での注釈によると、2002年のニューヨークタイムズの記事に拠っているようである(ということは、日本でも、その当時、あるいは話題になっていたのだろう)。
こうした(全貌とはいかなくとも)真相(の一端)が明らかになっても、新たな芝居は作りえるだろうか。謎の部分が少なくなって、問題劇としては作りえず、メジャーな映画ならともかく、マイナーな舞台では演じるには興が薄いのだろうか。
← ハイゼンベルク著の『部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話』(山崎 和夫訳、みすず書房)
ドイツの原子力物語については、相当程度に明らかになっている。また、今後も研究されていくのだろう(「チェコの空ドイツの原子力物語とチェコの原子力」など参照)。
戦後はともかく、戦前はドイツが(少なくとも物理学に関しては)世界の先端であり中心だったことを理解しておく必要がある。そのことを踏まえると緊迫度が高まるはずである。優秀な科学者はボーアもだが(日本の仁科博士も!)ドイツに集まっていたのだ。
米国の原爆開発である「マンハッタン計画」については、「原子力百科事典 ATOMICA」を参照願いたい。
さて、戦後になってハイゼンベルクを中心とするナチスドイツにおける原爆製造研究は行き詰まっていたことが判明したというが、それは、ハンゼンベルクらの研究の失敗だったのだろうか、それとも、暗黙のうちに意図した失敗だったのだろうか。
トマス・パワーズ著の『なぜナチスは原爆製造に失敗したか―連合国が最も恐れた男・天才ハイゼンベルクの闘い』(鈴木 主税訳、福武書店)なんて本が読みたくなるところだが、さて、どんなものだろう。
小生はというと、ハイゼンベルク著の『部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話』(山崎 和夫訳、みすず書房)は、ハイゼンベルクの自伝の本である以上に物理学者の本としては、小生が読んだ中で最高に興奮させる本だったことを、幾度となく書いてきた。
74年に翻訳が出てから3回は読んだはずである。
刊行されて既に30年以上経過したが、未だに色褪せない書なのである。
ただ、この本の中に、今回、話題の俎上に載せた「謎の一日」そのものについては書いてなかったように思う(だから、2002年まで、ずっと謎の一日であり続けたのだろうが)。
それと、唯一の被爆国である日本からすると、原爆の製造がアメリカで成ったことがよかったことなのかどうか。
アメリカが原爆の製造に踏み切ったのは、アメリカ国内の複雑な(且つ、ナショナリズム的な)事情があったからではなかったか。
原爆の研究や製造に限っても、結構、奥の深い問題が伏在しているものと思うのだが。
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コメント
灰谷健次郎さんが亡くなられたようですね。新聞で知りました。私は、「兎の眼」「太陽の子」「せんせいケライになれ」を読んだ記憶があるのですが、詳細を覚えていません。「テダノファ、フーちゃん」が出てきたのは、「太陽の子」だったかなぁというぐらいの記憶です。いけませんね・・・読んでも覚えていないのでは・・・。
灰谷さんの作品は、人と人のつながりやその暖かさがじんわり伝わってくるのがよくて、読んでいたような気がします。絶対、いばった人が出てこないのです。大人といい、子どもといい、いい関係が作られていますね。先生をやっていて、灰谷さんが神経を患ったように、私の友人も「自分のクラスから不登校児」を出してしまって、悩んで悩んで・・・。心の病の末に、自殺をしてしまった・・・。
一生懸命になれば、なるほど、解決できない問題が教育を取り巻く環境にあるような気がします。決して、人ごととは思えません。
投稿: elma | 2006/11/25 22:10
elma さん、コメント、ありがとう。
灰谷健次郎さんの死、20日には斉藤茂太さんも亡くなられていて…。
昨夜、このコメントを読んでいたのですが、返事の書きようがなくて…。
elma さんのお気持ちを察します、というのも空々しいし。
灰谷さんの本が出たころは、小生がサラリーマンになって間もない頃。
哲学する志の頓挫した頃でもあった。
だから、灰谷健次郎さんの本や活躍は眩し過ぎたような気がします。
教育現場にある人、そして特に先生になろうと思うような人は、子どもが好きで仕方がないからという人が多いとか。
それに、生真面目なほどに真面目な人が多いとも聞いています。
イジメ(による自殺)問題が起きると、大概は校長とか先生が責められたりする。あるいは教育委員会とか。
マスコミは責めやすい人を責めるのでしょうね。肝心なのは親だったり、虐めたりする子ども自身(その子ども自身の環境や心の状態なども含め)、あるいは子どもたち同士の関係のはずなのに。
小生は、最近、妙にイジメ問題が多く採り上げられるのは、政治的な背景があるものと思っていました。
総理や自民党の連中は、案の定、教育基本法の改正に絡めている。先生が悪い、教育委員会が悪い、学校(633制など)が悪い、教育基本法を変えないといけないと、<改正>を焦っている。懸命に国の関与の度合いが強い、戦前の体制へ引き戻そうとしている。
奴らには子どもや先生の悩み、親の心配など、どうでもいいのでしょう。
管理が強くなって、教育委員会への監視の目が強くなり、結果、教育委員も校長も先生たちも上ばかりを気にするようになり、先生たちが一層、萎縮してしまうのが目に見えている。
管理だけではなく、思想面でも暗雲が垂れ込め始めています。
今の政権のタカ派ぶりの怖さ。
公立の学校は頑張っても荒廃の一途を辿りそう。
私学が脚光を浴びるようになる。
私学(の一部なのかどうか)は、皇国思想教育を根幹に置いている学校もある。
公立の学校への風当たりが強いのも、国家の指導層の一部には明らかに皇国教育を強めたい意向が働いていると思われます(国旗・国歌の強制という実態が証明しているように)。
置き去りにされるのは、先生であり、生徒。
そうして真面目な先生は更に更に追い詰められていく。無論、生徒も親も。
学校がサバイバルの場になるのが悲しい。
でも、生き延びてもらわないと!
もっと光を! と誰かが昔、言ったらしいけど、小生はもっと心に風を! と思います。
広い世界が窓の外にはある…。
まあ、自分が生徒だったころは窓の外ばかりをぼんやり眺めていた小生が言っても説得力も何もないけれど。
投稿: やいっち | 2006/11/26 04:11
いまさらですが…
>ただ、この本の中に、今回、話題の俎上に載せた「謎の一日」そのものについては書いてなかったように思う
書いてあるようですよ。
・訪問時(新しい門出への道)
・再会時(研究者の責任について)
前者:
原理的に可能だと伝えた時点で、ボーアが驚愕してしまい、
実際上は技術的/財政的に(戦争中の完成は)困難であると、という
重要な点に耳を貸さず、話し合いが不首尾に終わってしまった
後者:
お互いの回想内容が驚くほど異なっていて、両者ともそれ以上、
その時のことに触れない方がよいと判断した
となっていますね。
投稿: x | 2013/08/04 20:18