ハエさんの五月蝿かりしは遠き夢
昨日のブログの末尾に、「昨日から車内で読み始めた灰谷 健次郎著『兎の眼』(角川書店)に話の小道具として扱われている「ハエ」の話をするつもりだったのだ」と書いている。
またの機会に書くつもりでいたが、小生のこと、また今度と思っていると、いつになるか分からない。
なので、鉄は熱いうちに叩けではないが(喩えの使い方が違うかも)、今日のテーマは「ハエ」。
→ 都内某所の公園にて。少し、紅葉が始まっている…。でも、ちょっと、変。そもそも何の木なのか…。(正解は、頁の下を見てね。)
この小説は、小生、読み始めたばかりなので、感想は書くとしても先のことになる。
知っている人も多いだろうが、例えば、「兎の眼 解題 畠山兆子」が本書を知るに参考になるだろう。
あまり先走っては、これから読もうという方には迷惑だろうから、「物語の舞台は、工業地帯の中にある小学校。地域でも学校でも差別されている塵芥処理場に住む子どもたち、その1人でハエ博士と呼ばれている1年生の鉄三と、新米教師の小谷先生、子どもたちに慕われる熱血教師の足立先生との交流を中心に物語は進む」という概要だけ、ここにメモしておく。
小生が、ハエを話題の俎上に載せようと思ったのは、上記の理由もあるし、小生がガキのころには、ハエは家の中に当たり前に居るものだったし、特にトイレ(汲み取り式、またの名をポットン式)や台所などには煩いほどに居たっていう記憶もあるからである。
そう、「煩い」を「五月蝿い」といった当て字的な表記がされても納得するほどに居たのである。
が、それ以上に「ハエ」を話題に採り上げたく思ったのは、「gaku.net 兎の眼」からに転記されている箇所の再転記になるが、以下の一文にビビビと来てしまったからでもある:
ハエは親に生み放され、生涯を仲間も家族も家さえなく、ひとりで暮らす。その間、ハチ、クモ、小鳥などにおどかされるが、他をおどかすことはなく、その食べるものといえば社会の廃棄物にすぎない。そこにはなんの美談もないが、残忍性もなく、ごくつつましい、いわば庶民の生活である。
「gaku.net 兎の眼」にもあるように、「小谷先生が読んだハエの専門書に書かれている言葉になっているが、鉄二などのことを暗にいっているようでもある」記述なのである(小谷先生は実質、本書の語り部的な存在。彼女の成長がある意味、物語の進展を象徴している)。
「独りしゃべり 昭和20年代 家庭の必需品」なるブログ記事を覗いたら、「ガラスの筒でできた「ハエ捕り器」」や「ハエ捕り紙」なんて懐かしい言葉(道具の名前)が出ていた。
「ハエ捕り紙」などについては、下記のサイトが詳しい:
「第26回「カモ井ハイトリリボンはなぜ「ハエ」ではないのか」の巻」
「ハエ取り紙」など聞いたことも見たこともないという人は(羨ましい!)、是非、上記のサイトへ飛んでその目で見て欲しい。
団塊の世代は勿論だが、それより十年下くらいの世代までは、「ハエ取り紙」というのは身近な武器であり、「ハエ取り紙」が台所などにぶら下っていたってのも、当たり前の風景だったのではなかったか。
そのハエ取り紙(リボン)には、時にはおぞましいほどの数のハエがベタッとくっ付いていたものだった。
食事をすると、ハエが五月蝿く、集(たか)ってくる。
そのハエが、汲み取り式のトイレに陣取っていたハエと同類だとは、少なくとも食事中は想像しなかった(想像することを忌避していた!)。
昔、ハエがゴミ捨て場でなくても多かったのは、やはり環境があったのだろう。
「昔は各家庭の玄関先にフタつきのゴミ箱が置いてあり、ビニール袋もない時代は生ゴミを新聞紙でくるんで捨てていた」というが、やはり衛生環境自体が劣悪だったし(未だ、そこまでの配慮や対策が及ばなかった)、なんといっても、水洗トイレなどの下水道整備、ゴミの処理対策の整備がハエ(や蚊)の減少という結果に繋がったのだろう。
さらに、小生は全く見た記憶がないのだが、「ハエとり瓶」なるものもあったのだとか。
「昭和の初期から昭和20年代頃まで使われていたハエとり瓶で」、「中の空洞部分にハエの好きな餌を置き、内部の溝に米のとぎ汁や水などを入れて、餌につられて入ったハエをその溝に落として使うというの」だそうだが、ま、リンク先(2003.2.12 嫌な害虫はこうして退治しました。(ハエとり瓶))に画像があるので、百聞は一見に如かずだろうから、ちょっと覗いてみては。
← ジャーン! 正解は「柿の木」でした! 渋柿なのか甘柿なのか…。
「ハエ取り紙(リボン)」に「ハエとり瓶」と来たら、次は、「ハエたたき」に「ハエよけ食卓カバー」ということになるだろう(いずれも、「タイムカプセル時空便」にて)。
まさか、「ハエたたき」を見たことがないという人はいないだろうが、老婆心で画像を示しておく:
「ハエたたき」
小生はこれを使うのは嫌だったし、親が使うところを見るのも嫌だった。
それでいて、結構、使った!
思えば、蚊を相手にも使えたはずなのに、あくまでハエたたき専門なのだった。
時折、空中を飛ぶハエを一瞬の隙を狙って手で叩き落そうと試みたりしたものだが、敵も手強くて、なかなか上手くいかない。
それでも、たまには上手くいく時もあったが、人間の運動神経で落とされる奴なんて、もう、耄碌し寿命も尽きるような奴だったのかもしれない。
「ハエたたき」と並んで家庭の必需品だったのが、「ハエよけ食卓カバー」だった。
老婆心で「食卓カバー」の画像も示しておく(断っておくが、小生はお婆さんではない。頑張って年を取ってもお爺さんになるのが関の山だ):
「くらしのタナカの蚊帳 食卓カバー」
この食卓カバーも家庭(台所)の必需品だった。
昭和三十年代から、昭和四十年代の初め頃のホームドラマを描くなら、まずは不可欠の小道具の筆頭だろう。
食卓カバーは、食品に被せるのだが、上で、昔、ハエが多かったのは衛生環境などの事情があったと書いている。
が、さらに小生が思うには、昔は、家庭には冷蔵庫なる便利なものはなかったということ。
食品は、近所で買い物をしてきたら(あるいは庭に野菜畑でもあるなら、その庭から朝に採って来たものを)、その日のうちに調理し、その日のうちに食べるのが鉄則だったはずだ。
ただ、そうはいっても、多少は次の食事へ、あるいは翌日に持ち越す。
冷蔵庫がない以上は、棚に収めるか、台所のテーブルの上に安置するしかない。
サランラップ(クレラップ)も未だなかったはずだし(確信が持てない)。
ハエがここぞとばかり狙っている。
となると、食卓カバーでハエの集らないよう、防ぐしかないわけである。
そういえば、我が家はどうだったか知れないが、お金持ちの家庭だと、赤ちゃんも、食卓カバーではないが、何かカバーの中で安眠していたような。
あれは、ハエ対策だった? 蚊対策だったのかな?
ハエが少なくなった。衛生環境が整ったこともあるのだろう。冷蔵庫の登場もあるだろうし。ラップも便利なのが出ている。
ちょっと心配なのは、防腐剤や食品添加物が多くなって、仮にハエが食品に集って食べようとしても、食品添加物の毒素にやられて、それでサバイバルができなくなった…ってことはないよね。
自然が大事。でも、人間の生活に不都合なものは断固、排除する。
ハエもカもネズミもゴキブリもハチもクモもダニもカビも何もかも駆除・殺虫!
清潔な自然。
別にハエやカを擁護するつもりはないけど(小生も嫌いだ!)、こんな人間の我が侭って、なんだか、自己矛盾というか齟齬というか自己撞着(どうちゃく)しているような気がしなくもない。
けど、ま、いっか!
ここでは、最後に、梶井基次郎には「冬の蝿」っていう作品があったことだけ、メモしておく。
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