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2006/11/11

虫の息…長き夜を渡りし至福かみ締める

 昨日、金曜日は営業の日。今朝、未明まで仕事。営業しつつも音楽三昧、つまりはラジオ三昧だったのは常と同じ。
会計検査院は10日、国や政府出資法人などの平成17年度決算の検査報告をまとめ、安倍晋三首相に提出した。税金の無駄遣いや不正な経理、国費の執行状況などに関する指摘は総額452億円。このうち137億円は帳簿の正確性を問うもので、事実上の無駄遣いや不正の指摘は昨年より63億円多い277億円だった。件数は昨年よりも約90件多い473件で過去最悪となった」といったニュースに呆れ、今日が例のある児童生徒(?)の自殺予告の11月11日なのだなとか、フリーエージェント宣言のこととか、万波医師らが病気の方の腎移植を行なった事件(事例)とか、77年10月に鳥取県内で失跡した松本京子さんを拉致認定へ(不審な男2人と海岸の方向へ向かったとの知人証言も)とか、あれこれ聴いてあれこれ思っていた。

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→ 11月10日、夜。日比谷公園脇で仮眠。夜空には既に雲がかかり始めていて、月も靄越しで影が薄かった。

 小生、思うに、公正取引委員会や証券取引等監視委員会、また会計検査院などは人数を増やし、機能を強化すべきだと思う。税金の無駄遣いがこの十倍は発見されるに違いない!
 万波医師らが病気の方の腎移植を行なった事例については、腎臓学会が同医師に対しルール破りだと指弾するだけではなく、腎臓の提供が日本では極端に少ないことの問題提起をもっと積極的に社会に訴えかけるべきだと思うし、それ以上に、現に今、腎臓の障害で苦しい思いをしている人には、たとえ応急措置であり、タブーに抵触するような措置であっても、一定のルールのもと、今回の事例を敷衍したらいいと思う。
 医者は患者の病気を治すべき、直せないなら、せめて、症状の緩和を実現すべきだと思うのだ。
 いじめ被害者からの自殺予告の手紙が昨日までに新たに複数、当局に届いているとか。 

ロビンソン漂流記…この話侮り難き思い知る」なる記事は、西田治文著『植物のたどってきた道』(日本放送出版協会)を読んで知った、本文の内容には直接の関係の無い記述を、いわば摘まみ食いしたもの。
「かのダニエル・デフォー(1660-1731年)の書いた小説『ロビンソン漂流記』の主人公であるロビンソン・クルーソー(Robinson Crusoe)には、実在の人物がいた」という事実をネットで調べてみたもの。

 本文の内容からは離れてしまうが、もう一つだけ変則的な記事を書いてみる。

 まずは上掲書から当該箇所を転記する(太字は小生の手になる):

 森林の巨大な生産性は高い二酸化炭素濃度と温室効果によって支えられ、多量の炭化物を蓄積したが、同時にデボン紀後期に初めて確認される木材腐敗菌などがさかんに植物体の分解を行なった。しかし、材に含まれるリグニンは分解されにくく有機炭素は大量の石炭として貯蔵された。このため、光合成で生産された酸素に比べ有機炭素の分解に使われる酸素が相対的に少なかったため、大気中の酸素濃度は最大になった。巨大な昆虫類が出現したのもこの時期である。体内での酸素の運搬を拡散に頼り、自発的な呼吸のできない昆虫が大型化したのは高い気温だけでなく、高濃度の酸素があったからかもしれない。 (p.142)

 西田治文著『植物のたどってきた道』の中身を知りたい方には、話の脈絡も不明で申し訳ないが、実際、今回、話題の俎上に載せるのは、小生の全くの気まぐれなので、ご容赦を。

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← 西田治文著『植物のたどってきた道』(日本放送出版協会)

 転記文中、「高い二酸化炭素濃度と温室効果」という言葉が出てくるが、何も地球温暖化の問題を扱おうというわけではない。
 小生、個人的な(肉体的)事情もあって、呼吸の話題となると、どうしてもビビビと来てしまうのである(何も痺れる、というわけじゃない。肉体的事情については、「「匂い」のこと…原始への渇望」あるいは「煤払い」参照)。

体内での酸素の運搬を拡散に頼り、自発的な呼吸のできない昆虫」!

 では一体、昆虫たちはどうやって息しているのだろうか。
 正直な話、小生、「昆虫 → 呼吸できない → 虫の息」という連想(というのも気恥ずかしい、想像力皆無!)が働いてしまった。

呼吸のページ」(「ぷてろんワールド 蝶の世界へようこそ」内)を除いてみる。
 蝶々の話で、昆虫一般に蝶の呼吸法が敷衍できるのかどうか、やや危ういが、まあ、とりあえず、ということで参照させてもらう。

 冒頭に、「私たちが呼吸をする時、鼻や口を通して空気を吸い込んだり、はき出したりします。吸い込まれた空気は肺に入り、そこで血液に含まれる、ヘモグロビンに酸素が渡されます。酸素を含んだヘモグロビンは、血管を通って、体中の細胞たちに酸素を届けてくれ、酸素を受け取った細胞は、かわりに不要となった二酸化炭素をヘモグロビンに渡します。肺に戻ってきたヘモグロビンは二酸化炭素を放出し、また酸素を受け取り、また体中を駆け巡ります」とある。
 いつもながらだが、体の仕組みは実にうまく機能しているものと感動する。
 
 ベッドの上に横たわって、あるいはロッキングチェアーに体を埋めた際など、ふとした折に呼吸のことが不思議でならなくなる。息(空気)を吸う…。しばらくして吐く。
 空気が体に(肺に)ちゃんと吸い込まれていくのだろうか、酸素がうまく体内に取り込まれているのだろうか、心配でならなくなる。
 でも、呼吸は、特に酸素を取り組むなんて働きは、随意(人の意思)で機能しているわけじゃない。頭であれこれ心配しても、あるいはしなくても、勝手にやってくれている。
 理屈で心配しても仕方がない。
 それは分かりすぎるほど分かっちゃあ、いる。
 でも、不思議は不思議なのだ。
 そう、普段は何気なく読み書きしている漢字(表記)が、ふと、バラバラに解体し意味不明な直線や曲線、点などの塊(かたまり)にしか見えなくなってしまうような(うーむ、喩えのピントがずれている!)。

 さて、ここからが肝心な点である。
「昆虫たちは、体が小さいことを利用したユニークな呼吸方法を身につけました。私たちの血管のように、体中に気管(きかん)という、空気が通る管を体中に張り巡らしたのです。蝶の体の細胞たちは、栄養などを体液からもらい、酸素は気管から取り込むようになりました。この仕組み(気管系(きかんけい)といいます)は同時に昆虫たちに体を軽くさせ、空を飛びやすくするという効果も与えました」という(太字は小生の手になる)。

「さて、空気がどこから体に取り込まれるかは分かりましたが、蝶はどのように空気を体中に送っているのでしょう?気門を開いただけでは、空気は蝶の体を出入りしません」という。
 そう、小生が上で転記した文にも、「体内での酸素の運搬を拡散に頼り、自発的な呼吸のできない昆虫」とある。
 いよいよ答えとなる:
「成虫の場合、気管が膨らんで袋状になったものが頭部、胸部に一対ずつ、腹部は付け根に二対あります。蝶が腹部を伸ばすと、この袋が膨らんで、気門から空気が気管に流れ込んできます。その後、波打つように後方から腹部を縮めます。この時、気門が後から順番に閉じて、空気は前のほうへと押し出されます。腹部にある体液も同様に胸部に流れ込みます。体液が流れることにより、気管の中の空気も体液に押されて一緒に動くといわれ、翅や触角についても体液に押されて空気が流れこみます。また、翅を羽ばたいたり、体を動かすことによっても空気が気管内を動きます」

 見事な仕組みだ。酸素を気管から取り込むという仕組みと「同時に昆虫たちに体を軽くさせ、空を飛びやすくするという効果も与え」たというのだ。

 でも、ちょっと分からないのは、そもそも気管へはどこから空気が入ってくるのか(空気を取り込むのか)、である。
 人間(など)の場合、肺を介して酸素が血管(血液、ヘモグロビン)に入り体中へ、という順序なのだろうが、昆虫類も、やはり、最初は口から空気を取り込み、それが気管に入るのだろうか。
 それとも、体の節々に気管の末端(突端)があって、何箇所もの空気の取り込み口があるのだろうか。

 この疑問は、まあ、「虫の息」という話の根幹に関わる疑問である(少々大袈裟)。

慣用句辞典 むあ~むそ」(「相原コージ先生に捧ぐ…慣用句辞典」内)によると、「虫の息(むしのいき)」とは、「今にも死にそうな弱々しい息遣い。やっと生きているような状態の喩え」だそうな。

 また、「新昆虫用語の基礎知識 ~む編~」(「新昆虫用語の基礎知識Top」内)によると、「虫の息 むしのいき」については、「非常に弱く、今にも止まりそうな呼吸のこと。でも昆虫は口じゃぁ呼吸をしないんだよなぁ。」だって。
 
 さすが、的を射た説明がされている。
 昆虫は、口じゃ、呼吸をしない。
 この意味が分からない。口とは肺呼吸という意味なのか。
 それとも、空気を最初に取り込む場所は昆虫の口に当る部分ではないということなのか。

 実は、なんのことはない、「呼吸のページ」にちゃんと説明してある。
空気の入り口:気門」なる項:
「蝶の胸部と腹部の側面を良く見てみると、(特に幼虫は)小さな楕円形の紋を見つけることができ、各節の側面に左右一対ずつあることが分かります。この丸い穴が、昆虫たちが空気を体の中に取り込む気門(きもん)です。気門は筋肉がついていて、あけたり閉じたりすることができ、空気を出し入れする時に開き、それ以外の時は水分が体から出て行かないように閉じています。また、気門は細かい毛が密生しており、私たちの鼻毛のように、ごみなどが入らないようになっています」

 やはり、口じゃ、呼吸しないのだ。

 となると、虫の息という場合、口でかすかに(あるいは喘ぐように)息をするんじゃなく、体(の節々)が微かに起伏するという光景を思い浮かべるなのだろう。
 そもそも口で呼吸をしないんだったら、普段から虫の息というか、息をしている風には見えない(そのようには見えるはずもない)のだし。

S8641

→ 坂本勝著『古事記の読み方』(岩波新書)

 ネット検索を繰り返しつつここまで書いてきたのだが、今、なんと、「「鳥」の声と虫の息」という雑文を発見。
 これって、小生の書いたものじゃないか!
 どうやら、坂本勝著『古事記の読み方』(岩波新書)をネタにあれこれ綴った一連の雑文の一つらしい。

「鳥」の声と虫の息」と題されているが、「鳥の声」はともかく、「虫の息」という言葉は全然、出てこない!
 ただ、末尾に以下の一文を書いている。そこへ導くためもあって、小生、この言葉を持ち出したらしい:

 病床にあって、それでなくとも精神を打ちのめすほどの病の最中にあって、夜の長さ深さは計り知れない。闇の不気味さは恐怖の念をも圧倒するほどだ。
 この夜を乗り切ることができるだろうか、闇の世界はいつまで続くのか。もう、いい加減にして欲しい! 反吐が出そうだ。
 喚けるなら泣き叫んででも、夜の長いトンネルの先をこじ開けたい。
 そうして、ほとんど諦めかけていた頃、スズメだろうかメジロだろうか、鳥たちの鳴き声が聞えてくる。普段は喧しいだけのニワトリの鳴き声さえ、朝を迎えてオメデトウと祝福してくれているように聞える。カラスだって生きものの仲間だとこの期に及んで思われてくる。

 思わず、目を開けてみる。閉じ切ることのできなかった窓のカーテンの隅から覗ける空は、仄かに透明感を漂わせ始めているようではないか! ああ、とにかく、夜を乗り切った。今日のことも、まして明日のことなど、見当も付かない彼方のことに思える。
 とにかく、朝を迎えた。人の生き暮らす世界の輪の中に、とりあえずは加われた。
 今は、それだけを思う。それで十分すぎるほど至福の時を生きていると、しみじみ味わえているのだから。

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